Arty
(2014)
Little Mustapha

 現代のアートはその限界の時を迎えてしまった。あらゆる表現、技巧は古びていき過去の栄光だけが賞賛される倦怠の時代を迎えたのだ。そこでアーティスト達は破壊を始めたのである。全ての古びたもの、全ての価値のあるもの、全ての美しいもの、それらは彼らにとって崩すべき障壁であった。そして、彼らは全てを破壊した。
 破壊の後に何が起こるのか。その真っさらな地平に新たな価値が生まれるはずだった。しかし、そうはならなかった。アートは常にアーティストのためだけにあるものではないからである。全てを無にされたアートには素人にもアーティストにも解らない価値が生まれてしまったのである。新たに生まれるアート。それは説明書がなければ意味が解らないもの。あるいは値札の値段を見て価値が解るもの。そうでなければ口先だけのアートであった。
 そしてアートを壊したアーティストという矛盾した存在。本来はアートを作り出すはずの彼らは自分たちの壊したものを再生することが出来なかったのかも知れない。
 アートは死んでしまったのか?この問いに答えるのは容易ではない。しかし、アートは今も存在する。美しく、激しく、そして繊細で知性にあふれた、誰もが無条件に感動できるもの。そういうものは決してなくなることはないのである。


そして、この「Arty」という作品はそういったアートの話とは全く関係のないアルバムである。

01. About Ice, Heat and Its Event horizon

(Instrumental)

「氷と熱とその事象の地平線について」

(カラオケ)

 氷でさえも、それより温度の低いものに比べたら暖かい。その冷たいものを氷は溶かすのだろうか?これは頭の悪い質問にも思えるがアーティストには丁度良い。
 アートを作るのはアーティストであるのなら、アートは頭が悪い。アートが頭が良いのならアーティストも頭が良い。ただし、この考えは科学的にバカっぽい。

02. Anger of Counted Sheep is Counted Again

(Instrumental)

「数えられた羊の怒りがまた数えられた」

(カラオケ)

 どうせ私は退屈なヤツだ。羊は思っていた。しかし、羊の話す物語は謎めいていて誰もを魅了するだろう。
 それは象徴主義的技法への挑発であり、リアリズムの否定でもあるのだ。羊はそれが嘘であると解っているが、誰もその嘘に気づかないからその嘘をつき続ける。

03. Etude for Four-Piece Kid

(Instrumental)

「四片の子供のための練習曲」

(カラオケ)

 ポップスはクラシックを駆逐したであろうか?
 古いポップスは今ではクラシックになっている。かつて人々が耳をふさいで聴くのを拒んだ音楽は今や有り難い音楽となった。
 実存主義的見地から言うと、音楽は常にポップスでありクラシックでもある。しかし、現代の合理主義はそれを認めないであろう。
 そして、このポップスとクラシックの話はこの曲とは関係ないという事を現代の機械化された文明によって証明するのは難しい。

04. COMET

(Instrumental)

「スイセイ」

(カラオケ)

 かつて人々は彗星を恐れた。その正体を見極めるまでには長い年月を要した。
 現在、人々は彗星を恐れる事は無い。
 決して地球にぶつかる事はない、と思っている点においては現在の人間は過去の人間よりも劣っているかも知れない。
 彗星は人々の欺瞞と無知の象徴である。そして、これはもちろん今考えたことである。

05. Beautiful Woman and Her Jalapeño

(Instrumental)

「美しい女性と彼女のハラペーニョ」

(カラオケ)

 ハラペーニョは刺激的だがまろやかである。人々が人生に求めるのはそういった刺激に他ならない。常に安全地帯から安全な刺激を求めるのである。
 そして、それを提供するのは他ならぬアートである。そうでなければ遊園地の絶叫マシンである。
だが、彼女のハラペーニョに勝るかは解らない。

06. It is Like Beginning of the End

(Instrumental)

「終わりの始まりのようだ」

(カラオケ)

 それはつまり前奏曲である。

07. Waltzing into Silence

(Instrumental)

「静寂へワルツを踊っとる」

(カラオケ)

 死への欲求は、飽くなき生への執着である。あまりにも静かな人生の午後。そこにアートがもたらすものは何か?それは飽くなき午後への執着である。あまりにもアートな人生の午後。そこに欲求がもたらすものは何か?それは飽くなき執着への午後。そこにもたらす…もういいや。