「殺人豆」

07. 病院、検死解剖をした部屋

 病院職員の男性が体中から血を流して倒れている。その体の至る所にはサビタの胸にあったのと同じような傷が口を開けている。これだけ体に穴を開けられて男は生きているはずはない。仰向けに倒れたこの男の目は天井を向いて開けられているが、もう何も見てはいない。男が最後に助けを求めた口も開いたままである。その口から一匹の昆虫が這い出してきた。昆虫は男の体を抜け出すと、近くにあった机の下の隙間へカサカサと入っていった。

08. 病院の警備員室

 この事件を担当している刑事がモオルダアとスケアリーに現場の様子を大まかに説明し終わると、これを見た方が話は早い、と言って二人に監視カメラの録画テープを見せた。

 カメラには先ほどスケアリーが検死解剖をおこなった部屋が移されている。そこへ新しい被害者、今ではその部屋で血だらけで倒れている男が入ってきた。モオルダアには嫌な予感がした。きっとこれからこの男が何かに襲われて血だらけになるに違いない。

「この人はこの病院の職員で、つまり被害者ですね。検死が終わったサビタの遺体を移動するためにここに入ってきました」

刑事が解説した。映像はまだ続く。男は車輪付きの担架を遺体の入っているケースの横に置いてからケースを開けた。

「ここです、よく見ていてください」

刑事のこの言葉を聞いてモオルダアは怖くなって目を閉じようとしたが、ちょっと興味があったので我慢して見ていた。

 男が死体の入ったケースを開けると、中から黒い布のようなものがずるずると落ちてきた。黒い物体は床に落ちると男の足にまとわりついているようだった。男はかなり慌てて黒い物体を払いのけようとしている。これはいったい何なのだろうか。スケアリーはもっとよく見ようとして画面に近づいた。モオルダアは解ったような顔をしてじっと遠くから見ているが、実は怖くて動けない。

「あら、これってもしかして・・・」

スケアリーの顔から少し血の気が引いている。男にまとわりついている黒い物体は大量発生した例の虫だったのである。それは群れをなしているために遠目には大きな黒い物体に見えたのである。画面の中の男もきっと始めはそれが群れをなした虫だとは気付かなかったのだろう。その物体の正体に気付くと、男はますます必死になって暴れ回り虫を払いのけようとした。口も大きく開けている。このビデオに音声はないがきっと助けを呼んでいるか、恐怖のあまり叫んでいるに違いない。男がどんなに暴れ回っても、虫の群は男の足下から徐々に男の上半身へと向かってくる。そして虫が男の体半分を覆ってしまうと男は倒れて画面からはみ出してしまった。画面には男の足だけが映っている。倒れたあと、男の体はほとんど動かなかったが、時々ピクピクと痙攣するのが痛ましかった。

 モオルダアはこれを見て恐怖のためほとんど気絶しそうだったが、映像がカラーではなかったので何とか耐えていた。画面の中で男の足が完全に動かなくなった後しばらくして、男の写っていない上半身のほうから血が流れてきて画面にその様子が映った。

「まあ、ひどい。きっと心臓か動脈に穴が空いたんですわ」

スケアリーのこの言葉でモオルダアは失神した。モオルダアは警官に抱えられて部屋を出た。スケアリーはその様子をちらっと見たがあまり心配はしていない。予想どおりだったから。

「これは、大変なことになりましたわよ。あの昆虫の繁殖力はあたくし達の想像を超えていますわ。すぐに対策を立てないといけませんわ。刑事さん、この事件が解決するまで枝豆警報とカメムシ警報を頼みましたわよ!」

「なんだって?何警報?」

刑事は意味がわからなかったがもうスケアリーは部屋を出ていた。

 部屋の外にはモオルダアが椅子に座って待っていた。

「あら、変態の上に臆病で恐がりのモオルダア。もうお目覚めですの」

「いやあ、最近睡眠不足でねえ。それに、もし一歩間違えたらキミがあの男みたいに襲われていたかも知れないんだぜ。そう考えたら急にフラッときちゃってさ」

「あら、そうですの。本当なら嬉しいですけど、嘘だってことはちゃんと解っていますから、無駄な抵抗はおやめなさい。そんなことより、これは意外と大変な事件ですのよ。このままではどんどん被害者が増えていきますわ」

そうです、確かに大変なことですが、この二人に解決できるのでしょうか。私はそこが心配でございます。

「とりあえず、あの昆虫の生態をもっと詳しく知る必要がありそうだね。研究室に行って捕獲した一匹を詳しく調べてみよう」

二人は研究室に戻ることにした。立ち去るモオルダアの足はまだふらついている。

09. 再びエフ・ビー・エル、研究室

 研究室へ向かう廊下でモオルダアとスケアリーが虫について話し合っている。

「でもどうしてあんなに大量に発生したんだろう。キミが調べた時には一匹しか見つからなかったんだろ?」

「まあ、一匹じゃないにしろあんなに大量発生していたら、だれでも気付きますわ。あれはあたくしが検死解剖を終えてからやって来たか、遺体の中で繁殖したんですわ。もし人がエサなら遺体に卵を産み付けて、かえった幼虫がその遺体をエサにしたのね」

「でも時間が短すぎないか?あそこに写ってたのは全部成虫みたいに見えたけど」

「ハエの仲間にはほんの数日で卵から成虫になるものもあるそうですわよ。サビタが亡くなってからもうそろそろ一日はたっていますから、成虫になっていたとしてもおかしくはありませんわ。それにしてもあの繁殖力には驚きですわ」

「まさか、さっき捕まえたのも大量になってるってことはないよね?」

「大丈夫ですわ。あのカゴの中には幼虫のエサになるものがございませんでしょう。それに万が一のために強力殺虫剤持ってきましたから」

「それなら大丈夫だ」

本当に大丈夫かは知りませんが、強力なら大丈夫でしょう。きっと。

 研究室に到着した二人は扉を開けると、その場で固まってしまった。虫カゴに入れていたはずの人食い虫がいなくなってる。二人は辺りを見回しながらそっと虫カゴのほうへ近づいて行った。よく見ると虫カゴに穴が空いている。人の皮膚を食い破る昆虫なら安物の虫カゴぐらい簡単に破れたのだろう。

「まったく、しょうがないなあ。こんな虫カゴだれが持ってきたんだよ。さっきの小学生か?」

「それよりも、その虫カゴに虫を入れたあなたが悪いんですのよ」

「そんなことはないよ。あのプラスチックケースの中じゃ死んじゃうと思って・・・」

モオルダアはまだ何かを言おうとしたが何かに気付いてやめた。それはスケアリーのパンチがとんでくると思ったからではない。スケアリーも同じことに気付いていた。二人は同時に壁のほうにある棚に目をやった。その中で何かがガサガサと音を立てているのだ。

「ねえ、あそこには何が入っているんだ?」

「あたくしに聞いても解りませんわよ」

今回はスケアリーも多少怯えているようだ。研究室の中を見渡してみると、動物の剥製や、内蔵のホルマリン漬けなどがたくさんある。これらはちゃんとした処理をしているから虫が付いたりはしないのだが、もしかしてあの棚の中にそうではないもの、つまり人食いカメムシのエサになるようなものが入っていたとしたら、あの棚の中では人食いカメムシが大量発生しているかも知れない。

「ちょいとモオルダア。あの棚の扉開けてみてくださらない」

「嫌だよ。なんでボクが」

「開けないと、きっとあなたはこの先ずっと弱虫で臆病な変態モオルダアと呼ばれますわよ」

それは困る。モオルダアは優秀な捜査官。そんなふうに呼ばれては面目丸潰れである。仕方がないので、モオルダアが棚を開けてみることにした。

「あたくしが殺虫剤をかまえておきますから大丈夫ですわ」

棚の前に立つモオルダアの少し後ろでスケアリーが言った。

「頼むよ。なんか出てきたらすぐに殺虫剤をかけてくれよ」

モオルダアはいったん棚の扉に手をかけたが、すぐに手を引っ込めた。なんだか開けようとすると中でゴソゴソいっている音が大きくなるような気がするのである。モオルダアはこんなことを何度か繰り返していたが、さすがのスケアリーもこの時は何もいわずにモオルダアを見守っていた。モオルダアは最後に大きく息を吐き出して扉に手をかけた。そして、とうとう扉を開けると同時にすごい勢いで後ろに下がった。

 開いた扉からは何も出てこない。なんだか拍子抜けである。

「あれ、なんだ。なんにもいないじゃないか」

モオルダアが言いながら棚の中を覗き込んだ時である。中からぞろぞろと人食いカメムシの大群が出てきたのである。慌てたモオルダアは足を滑らして後ろへ倒れてしまった。そこへ人食いカメムシの大群がじわじわと近寄っていく。

「まあ、大変ですわ」

スケアリーが慌てて人食いカメムシに向かって殺虫剤を吹きかけたが、効き目がない。人食いカメムシはそのままモオルダアのほうに近づいて行き、もうすでに何匹かはモオルダアのズボンの上をはい回っている。「キャア、ごめんなさい!許して!」

モオルダアはなぜか謝りながら足をバタバタさして人食いカメムシを追い払おうとしている。スケアリーはさらに殺虫剤をかけてみたが、モオルダアがむせただけでやはり効き目はなかった。

「あらまあ、どういたしましょう」

10.

 扉が開いて、バイオリンを持ったスキヤナーが入ってくる。スキヤナーは姿勢を正して壁際の中央まで来ると軽くお辞儀をした。

「ようこそ天才バイオリニスト、スキヤナーの演奏会へ。それでは一曲目。クライスラー作曲、愛の喜び」

そう言ってスキヤナーは持っていたバイオリンを弾き始めた。スキヤナーが弦にあてた弓を引くとバイオリンはキーッと悲鳴をあげた。その音は黒板を爪で引っかいた音とそっくりだった。

 しかし、スキヤナーは何をやっているのだろうか。きっと彼はいつか開かれるであろうバイオリン演奏会のリハーサルをしているのだろう。それにしてもひどい音である。しかし、そんなことはおかまいなし。今朝からすっかり天才バイオリニストになりきっているスキヤナーはこの部屋に入ってきた時に、モオルダアとスケアリーが部屋の隅で人食いカメムシと格闘していたことにすら気付いていなかったのだから。

 スキヤナーが一曲目を弾き終えた時-----実際にはほとんど音楽になっていなかったのだがスキヤナーの頭の中では見事な演奏が繰り広げられていた-----スキヤナーはまた軽くお辞儀をして辺りを見回した。ここでようやく部屋の中にモオルダアとスケアリーがいることに気付いた。二人は耳を押さえてうずくまっている。

「なんだキミ達。こんなところ何やってるんだ。私の素晴らしい演奏を聴きに来たのかね」

モオルダアが耳を押さえていた手を離すとよろよろと立ち上がった。

「なんだか知りませんが副長官。あなたのおかげで助かったみたいですよ」

モオルダアの周りには人食いカメムシの大量の死骸があって床が見えない。殺虫剤にはびくともしなかった人食いカメムシはスキヤナーのバイオリン演奏が始まるとバラバラとモオルダアの体から落ちていったのである。そしてしばらくは苦しそうにもがいていたが演奏が終わる頃にはほとんど全ての人食いカメムシが死んでしまった。床に散らばった死骸の中にはまだひっくり返ったままもがいているのも何匹かいたが、これもそのうちに動かなくなった。

「ホントに、忌々しい人食いカメムシですわ」

スケアリーはまだ生きてはい回っていた最後の一匹を見つけて、それを足で踏みつぶそうとした。スケアリーの足が床に着く寸前モオルダアがそれを押さえた。そのひょうしにスケアリーは倒れたが、モオルダアは気にしていない。

「ちょいと、モオルダア。何てことをするんですの!」

スケアリーは今にもモオルダアに飛びかかりそうだったが、モオルダアはそれには気付いていないようだ。モオルダアは最後の一匹の生き残りを慎重に捕まえて近くにあったケースの中に入れた。

「これは貴重な研究資料だから、殺すのはもったいないよ」

スケアリーはモオルダアを踏みつぶしたい気分だったが、彼の言うことももっともなのでやめにした。

「ところで、副長官。それなんですか?新しい楽器型の武器ですか?そういえばギターが銃になってる映画がありましたねえ」

モオルダアはそんな武器に興味津々なのだが、残念ながらただのバイオリンである。

「ちょいとそれ貸してくださるかしら」

スケアリーがスキヤナーのバイオリンをかまえて弾き始めた。スケアリーは本物の「愛の喜び」の出だしのフレーズを弾いた。

「普通のバイオリンみたいですけど、どうして虫が死んでしまったんでしょうねえ?」

モオルダアとスキヤナーはスケアリーがバイオリンを弾けることに驚いていた。

「でもまあ、どうでもいいですわね。とりあえず人食いカメムシの撃退法は解ったんですから」

「へえやるもんだなあ。どこで習ったんだ」

スケアリーにバイオリンを返されたスキヤナーがもう一度それを弾いてみた。キーッ、キーッとまた地獄の音楽が部屋にこだました。

11. モオルダアの報告書

 人食いカメムシがどのように発生したのかは不明である。もしかするとどこかの農園で危険な農薬が使われたのかも知れない。その影響でカメムシに突然変異が起きたとも考えられる。しかし、奇跡的に人食いカメムシの弱点を知ったため、今ではもう人食いカメムシは絶滅したと思われる。

 我々はスキヤナー副長官のバイオリン演奏の巨大スピーカーによる放送を事件のあった地域一帯でおこなった。その結果、いたる所で人食いカメムシの死骸の山が見つかった。この放送のあと子供が気絶したという苦情が多数寄せられたが、虫に食われて死ぬよりはましであろう。スケアリーの提案でスキヤナー副長官のバイオリン演奏がCDとして売り出されることになった。人食いカメムシの噂が人々の恐怖心をあおり、このCDは飛ぶように売れていると言うことである。スキヤナー副長官は一夜にして天才アーティストの仲間入りをしてしまったのである。ただし、スキヤナー副長官は「芸術は金儲けのためにあるのではない」などと言って、印税の受け取りを拒否したので、我々の所には何も入ってこない。このCDがとあるレコード会社の財政難を救ったことは確かであるが、現代音楽として店に並んでいるこの狂気の音楽が現代音楽の人気をまたしても下げてしまうことは必至である。皮肉にも現代音楽の作品としては驚異的な売り上げを見せたこのCDのおかげで、現代音楽は気持ち悪い音楽というイメージがさらに強くなったに違いない。

 スキヤナー副長官のバイオリンの音色の秘密を調べるため音響研究所でスキヤナー副長官の演奏を分析しようと試みたが、演奏が始まるとどうしても分析用のコンピューターが暴走してしまうので、分析は断念せざるをえなかった。帰り際に研究所の所長に「グッド・バイブレーション!」と言ってみたら、怖い顔でにらまれてしまった。冗談が通じない人は困る。

 私は人食いカメムシが絶滅したと思われる今でも、枝豆を食べる前にはスキヤナー副長官のCDをかけることにしている。今はいなくてもまた新種の人食いカメムシが出てこないとも限らない。それに世の中には未だに発見されていない昆虫が何万種といると言われている。その中のある種がまた人を襲うこともあるだろう。そうなった時には、きっとスキヤナー副長官のセカンドアルバムが発売されるはずである。その時には私がマネージャーとなり印税の管理は私がすることにしよう。

2004-06-24

the Peke Files #005
「殺人豆」