「監視」

23. 埼玉のとある街

 モオルダアとイタ刑事がやって来たのは江戸時代の面影を残す宿場町から何キロも離れた普通の街だった。日本人形を作っている会社なら歴史を感じる場所にあっても良さそうだが、それはどうでも良い。ただし、やって来た建物の中は今風のものと昔ながらのものが「ごった煮」の状態にも思えた。事務的な部分は主にパソコンを使っているようだが、人形は昔から同じやり方で作られているので、入り口から見える奥の作業場は現代風の設備の向こうに昔のままの姿で残っているようだ。

「ここにトクヒサ・ヨシツキさんの身内の方はいますか?」

モオルダアはFBLの身分証を見せながら中にいた事務員ふうの女性に聞いた。女性は聞かれると少しハッとしたような仕草を見せながら、少し待つようにと言うと奥の作業場の方へ向かったのだが、その時すでに作業場の方から一人の女性がこちらへ歩いてきているのが解った。

「なにかご用でしょうか?」

奥からやって来た女性が言った。若くはなかったが長い黒髪が印象的な色白で品のある美しい女性だった。

「私はFBLのモオルダア。こちらは警視庁のイタ刑事。トクヒサ・ヨシツキさんの事で聞きたいことがあって来たのですが」

モオルダアはきれいな女性を前にして少しカッコつけようとしたのだが、いつものように余計に気持ち悪い声を出して言った。

 女性はモオルダアを見るとすぐに目をそらした。そして「それならこちらへどうぞ」と言って二人を奥の作業場に迎え入れた。モオルダアはどうしてこの女性が自分と目を合わせないのか?と思ったのだが、モオルダアの事なので自分に都合の良い理由しか考えられない。恐らく彼は「自分に気があるな」と思っているのだ。

 作業場になっている部屋にはいると、そこにはハサミなどの身近な工具の他に、人形作りのために使う見たことのない道具がたくさん並べてあって伝統的な工房の雰囲気をだしていた。そして、糊のようなものか塗料なのか解らないが独特の臭いが充満している。モオルダアとイタ刑事は少しばかり圧倒されたような感じで部屋を見渡していた。

「実はこれ、ほとんど使わない道具なんですよ」

女性が二人に向かっていった。二人は良く解らないといった感じで女性の方を向いた。

「最近、この工房の見学会なんてものを始めたんですけど、いつもどおりだとあまりに殺風景で、それで倉庫にしまってあった昔の道具なんかを並べてるんです。ここで作業している私にとっては邪魔なだけなんですけれど。…こんなこと言わない方が良かったかしらね」

どっちでも良いことではあったが、知ったら知ったでガッカリする事ではある。二人ともそんな感じだったが、すぐにこんな話を聞きに来たのではないことを思い出した。

「あら、失礼しました。余計なことを話してしまいましたね。それで、あなた方は妹の事を聞きにいらしたんでしょ?」

この女性がこの工房を取り仕切っているのだろうかと、そんな事を思わせるような貫禄というか威厳を感じさせる落ち着き払った態度である。

「つまりあなたはトクヒサ・ヨシツキさんのお姉様ということですか?」

イタ刑事が聞いた。

「そうです。私はヨシツキの姉、貴音月(キネツキ)です。本当に、こんなことになるなんて…」

なんだかこのキネツキという女性は最初から彼らがやって来るのを知っていたような感じである。さっきも二人が建物に入るとすぐにやって来たようだし、このキネツキという人は何か知っているのではないだろうか?とイタ刑事は思っていた。

「キネツキさん。あなたは我々が来ることを予想していたような感じですね」

「私だってニュースぐらい見ますよ。梅木という人が殺されたって知って。それが妹とかつて同棲していた人と同じ人かどうか、何となく勘で解ることだってありましょう?」

イタ刑事はこの言い方に少し引っかかる所を感じていたのだが、モオルダアは特に気にしていない様子である。

「それでヨシツキさんの消息についてですが。彼女が今どこにいるのか解りませんか?」

モオルダアが聞くとキネツキは少し苛立ったようだった。

「警察って何もしてないのかしら?」

「いや、ボクはFBLですから」

それで通じたのか解らないが、警察ではないと言うことは解ったようだ。

「あら、そうでしたか。じゃあ、サボっていたのはこちらの方ですね」

今度はイタ刑事の方に向かって言った。イタ刑事も何のことだか良く解っていないようだ。

「でも、それは私達の責任でもあるので、あまり警察は責められませんね」

「一体ヨシツキさんに何があったんですか?」

何の話か解らずにイタ刑事が聞いた。

「ヨシツキが入籍していなかったことはご存知でしょ?実は妹が梅木と一緒になる事にうちの両親は猛反対だったんです。今となっては両親が正しかったことになるのかしらね。でも、当時は私も妹も世間知らずでしたし。妹が家を出て行くのを私も黙って見送ったんです」

「つまり駆け落ちってやつですか?」

「そんなところかしらね。両親はカンカンで私も酷く叱られましたけれど、仕事上の立場もあったのか、あまり大騒ぎすることもできず、しばらくすると妹の事は諦めたんです。でもそれがいけなかったんですね。その後数年間、妹からは何の連絡もなかったのですが、ある時に私宛に匿名の手紙が届いて、それが妹からの手紙だったのです。その手紙によると事情があって梅木とは別れたい、と書いてありました。その事情というのがどういうものだったのかは解りませんが、いずれにしても今更家に戻ってくるワケにもいかず、どこかに住む場所を見つけるから心配するな、という事だったのです。警察に捜索願を出したのはそれからずっと後になってしまいました」

ここに来てさっきキネツキが警察を責めたのが少し解ってきた。イタ刑事としては、それは管轄も違うし自分が責められる筋合いは無い、という気もしたのだが。

「それじゃあ、ヨシツキさんの消息は解らないと言うことなんですね?」

「残念ながら…。でも私は妹が殺されたんじゃないか、って思うんです」

「それはどうして?」

「だって、梅木って人何人も殺してるんでしょ?それだったら、そう思うのも無理はないじゃないですか」

それはもっともだとイタ刑事は思っていたが、モオルダアはちょっと違うようだった。

「でも、もし生きていたとしたら、どう思いますか?仮に長い間、梅木に虐待されていたとして、何かの拍子に自由になれたら、妹さんは復讐するとは思いませんか?」

「そうは思いませんよ。それに長いこと虐待されるとそういうことにはならないんでしょう?何て言うのか知りませんが。精神的にも追い詰められて虐待されているということを当たり前のこととして受け入れてしまうとか」

イタ刑事は横でその話を聞いていたのだが、なんとなく納得できないような気分だった。彼はまた梅木の家にいた犬を思い出していたのだ。復讐の時をじっと待ち構えていたあの犬の執念を。

「その理屈は精神科医的な理屈ですよね。人によってはいつまでも復讐のチャンスを待っているかも知れないと、私は思いますが」

イタ刑事が言ったが、言った本人も余計な事を言ったような気がした。

「それじゃあ、私の妹が殺人を犯したと言うんですか?」

そう言われてやっぱりイタ刑事は余計な事を言ったと感じていた。そこでさらにモオルダアが余計な事を言う。

「あるいは、妹を殺された姉が、妹に代わって復讐することも考えられますね」

それを聞いてキネツキは呆れたような顔でモオルダアの事を見た。ただ目が合うとまたすぐに目をそらしたのだが。

「もしかして、私が疑われているのですか?でも、何て言うんでしたっけ?…そう、アリバイってやつです。事件の起きた日に私がここにいたのは大勢の人が見ているんですよ。最近ずっと工房の見学会をやっていて、日替わりで色んな小学校の生徒がやって来て私達が作業しているのを見ているですから」

「それならあなたは犯人ではないですね。まあ可能性の話ですからね」

イタ刑事は言ったのだが、モオルダアはあまり納得してないようだった。

「それじゃあ、念のためにDNAのサンプルを提供して欲しいのですが」

「でも、モオルダアさん。そんなことをするよりも、その小学校の人とか、ここの従業員に聞いたらすぐに解る事じゃないですか?」

モオルダアがおかしな事を言うのでイタ刑事が割ってはいるようにモオルダアに聞いた。

「とは言ってもね。可能性の話だよ」

「なんですか、それ?」

「血がつながっていればDNAも似ているってことだしね。現場で見つかった皮膚のこともあるし」

モオルダアの言うことにも一理ある、とイタ刑事も何となく頷いていた。

「それじゃあ、頼むよ」

「頼む、って何ですか?」

「あのDNA採るやつ。口の奥をこする綿棒みたいなの。キミは警察だから持ってるんでしょ?」

「そんなの持ち歩かないですよ」

「あれ、そうなの?」

二人の間の抜けた会話の途中にキネツキが割って入った。

「それなら、好きにしてください。髪の毛でも大丈夫なんでしょ?そういうの。ほら、一本あげますから、これを調べて見てくださいよ。妹が生きているんだったら私も嬉しいですからね」

そう言いながら、キネツキは彼女の目の前にあったハサミを使って真っ直ぐな長い髪の毛を一本切ってモオルダアに渡した。

「なにか袋でも差し上げましょうか?」

キネツキは少し怒っているのか、トゲのある感じで言った。

「いや、それなら大丈夫」

モオルダアが言うと、自分の鞄の中から小さなビニール袋を取り出すと受け取った髪の毛をその中に入れた。彼の鞄の中には「優秀な捜査官セット」が入っているので、証拠を持ち帰るためのそういう袋も入っていたりもする。ただしDNAを採取するあの道具はどういうものだかまだ調べていないので、そのセットには含まれていないようだ。

「それなら、もう良いのかしら?」

どうやらキネツキは自分か妹が犯人ではないか?と言われたためかかなり苛立っている様子だった。その他にもこのキネツキという女性には何かあるとも思ったのだが。イタ刑事としてはそこまでこの姉妹のことは疑っていないので、そろそろ帰ろうかとモオルダアの方を見た。モオルダアもそんな感じではあったが、最後に一つ聞くことがあったようだ。

「ところで、キネツキさん。この人形って、あなたが作ったものじゃありませんかね?」

モオルダアはスマホを取り出すとそれで撮影したあの人形の写真をキネツキに見せた。キネツキはその画面に映っている人形を確認すると、またモオルダアの目を見ずに答えた。

「そうかも知れませんが、それがなにか?」

「事件の日にずっとここに居たあなたに代わって、この人形が梅木を殺したって事もあるかも知れないと思ったもので」

「ちょっと、モオルダアさん?!」

キネツキよりも先にイタ刑事が驚いて大きな声を出した。