「忘却」

12. 潜入

 ローンガマンの方達から得た情報を元に、あたくしは兜町へ向かったんですの。都会の移動はやはり車よりも電車が確実ですわ。本来なら無駄な乗り換えをしないですむように東京駅から歩くのですけれど、これまでの事を考えてあたくしは地下鉄を使ったんですの。ここまでする必要があるのか、私には解らないのですけれど「彼ら」というのが巨大な組織であったり、あるいは特別な技術力を持っているというのは何となく解りますわね。何しろ最近急成長したIT企業を消し去ってしまったのですから。

 彼らの力は地下には及んでいないという事ですから、あたくしは地下から彼らに近づくことにしたんですの。とはいっても地下鉄を降りたら一度外には出ないといけないですわね。外に出ても用心のためにサングラスをして顔を隠すことにしましたのよ。これにどれだけの効果があるのかは解りませんでしたけど。彼らがまだあたくしの事に気づいていないというのなら、少しでも顔を見られる機会を減らした方が良いに違いありませんわ。こうやって考えていると、なんだか誰かに見られているようなそんな気分になってしまいますけれど。余計な事は考えずに今やるべき事に集中ですわね。

 あたくしは急ぎ足で目的のビルに向かいましたの。でも正面の入り口から入るなんて事は出来ませんわね。そこは証券会社のビルということになっていましたけれど、中には証券会社の方達がいるという保証はありませんから。

 このビルに潜入するための方法はちゃんと調べてありますのよ。インターネットは危険だって言われていましたから、これは本当に骨の折れる作業でしたけれど。あたくしは今ではあまり見る機会のなくなった紙の地図を見たんですの。車を使う方のための情報の載った地図なんかを調べて解ったのですけれど、ビルの近くにある一般向けの地下駐車場からそのビルに入れるんですのよ。その大きな地下駐車場が時間貸しの駐車場と、周辺のビルの駐車場を兼ねているということですわね。

 あたくしは駐車場専用の入り口の階段を下りて地下に降りましたの。暗い地下に降りたからサングラスはもう必要ありませんわね。サングラスのおかげで、この薄暗さにもすぐになれる事が出来たのかも知れませんわ。

 なるべく人に見られないように物陰に隠れるようにしながら地下駐車場を進んで目的のビルに入れる入り口に向かったのですけれど、その入り口の前に警備員がいることに気がついたんですのよ。

 もしかして、関係者のフリをすれば中に入れるかしら?って思ったのですけれど、それは違うような気がしましたの。なぜって、駐車場からビルに入るための入り口に警備員を立たせるなんてことはあまりないでございましょ?それはこのビルが何か特別な場所であるということを示していると同時に、あたくしの能力を発揮する場所でもある、ということですわね。

 あたくしは警備員に気付かれないように入り口から少し離れた場所の車の陰に身を潜めましたのよ。ここからは失敗は許されませんわ。あたくしは一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせましたの。そして、作戦開始。

「アレェエエ…!誰か、お助けを!誰か、このか弱い乙女を助けてくださいまし!誰かぁ!どうか、この美しい乙女を助けてくださいまし!」

あたくしの迫真の演技に警備員は慌てて持ち場を離れて悲鳴のした方へ様子を見に行きましたのよ。もちろんあたくしはさっきいた場所から素早く移動してビルの入り口に近づいていたので、そのすきにビルに潜入することが出来たんですの。あたくしの能力って素晴らしいと思いませんこと?それはともかく、中に入ったので、これからどうするのか考えないといけませんわね。

 このビルの中に誰がいて、そして何が行われているのか、外から見ただけでは見当もつきませんから。まずは中の様子をうかがうことにしますわね。

 本当なら階段で上の階に行きたいところなのですけれど、この入り口からはエレベーターしか使えないようでしたの。それでエレベーターを呼ぶボタンを押そうとしたのですけれど、ちょうどその時エレベーターの扉が開いてあたくしはハッとしてしまいましたわ。このビルの中に居る人とはなるべく会いたくありませんものね。

 でも、エレベーターには誰も乗っていませんでしたのよ。たまたまエレベーターがこの地下に止まっていただけなのかしら?あたくしは開いた扉からエレベーターに乗ってどの階に行くべきか少し考えてみたんですの。各階の案内でも書いてあればどうするべきか考えられたのですけれど、ここは商業施設ではありませんし、そんなものはありませんでしたわ。

 そんな事を考えていると、あたくしがボタンを押す前にエレベーターが動き出してしまいましたのよ。これはいけませんわ。上のどこかの階で誰かがエレベーターを呼んだに違いありませんもの。出来れば誰にも会わずにビルを調べたいと思っていたので、あたくしはなるべく近い階で下りようと一階から順にボタンを押して行ったんですの。止まった階に誰かが居るかも知れませんけれど、何もしないで止まるのを待つよりはマシですものね。

 でもどのボタンを押してもランプが点灯しませんのよ。どういうことかしら?って思ってさらに強く押してみてもまったく反応がないんですの。

 コレは罠だったんですわ!って気付いた時にはもう遅いですわね。あたくしは何が起きても良いように、銃を取り出してエレベーターが止まるのを待っていましたの。ボタンのパネルの上にある表示も消えているので今何階にいるのかも良く解らないのですけれど、エレベーターが動いていた時間を考えると上の方の階まで来ていたに違いありませんわ。そして程なくエレベーターが止まって扉が静かに開きましたのよ。

 固唾をのむというのはこういう時に使う言葉ですわね。扉の向こうで何が待っているのか、あたくしは銃を構えて神経を集中させていたんですの。でもそこには誰もいませんでしたのよ。ほとんど明かりのついていないビルの廊下は人の気配もなく、静まりかえっていましたわ。

 でも、この静けさのせいで逆に気味が悪いんですのよ。あたくしは銃を下ろさずにそっとエレベーターの中から左右を確認して外に出ましたの。暗い廊下はまるで廃墟のようでしたけれど、でも廃墟というには少し綺麗な印象ですわね。もしかすると数日前までは証券会社の方達がここで普通に仕事をしていたのかも知れませんわね。そうだとしたら彼らは一体どこへ行ったのかしら?別の階には人がいて、この階だけが特別なのかしら?

 そうですわね。このビルに誰もいないのなら、どうして入り口に警備員がいたのか解りませんものね。そして、あたくしはこの階に連れてこられましたわ。あたくしじゃなくて、本当は誰でも良かったのかも知れませんけど。あのエレベーターに乗った者はこの階へ連れてこられるんですわね。

 そう考えると恐ろしくもありますけれど、恐怖は判断力を鈍らせるだけですわ。あたくしは冷静さを失わないようにしながら廊下を奥へと進んでいくことにしたんですの。