「忘却」

14. 対面

 ドアを開けて素早く銃口を中に向ける。エフ・ビー・エルで訓練を受けていた頃から数えると、これまで何度やったか解りませんわ。ある時にはそこに凶悪犯がいて、ある時には何もなかった。でも今回ほど慌てたことはありませんでしたのよ。

 ドアを開けて中に踏み込んだ瞬間でしたわ。あたくしの目の前に何かが迫ってきましたの。あたくしは顔を背けながら思わず引き金を引いてしまいそうになりましたのよ。そして、あの羽音。それを聞いてなんとか銃を発射せずに済んだのかも知れませんけれど。

 そうですのよ。ドアを開けるとさっきまであたくしを驚かせてばかりの鳥にまた驚かされたって事ですわね。でも、それだけじゃないですわね。ここにはもっと危険な誰かが潜んでいるのかも知れませんもの。あたくしはハッと我に返ってまた銃を視線と同じ方向に向けて辺りを見回したんですの。

 広い会議室はがらんとしていましたわ。そして人の隠れるような場所もなかったんですのよ。これはおかしな事だと思う方もいるかも知れませんわね。会議室といったら大きな机があるのが普通ですものね。そういう机ならその下に人が隠れることも出来るのですけれど、この会議室に机はなかったんですのよ。

 机がないだけではありませんでしたわ。机がない代わりに元々机があったであろう場所に長い柵のようなものが壁に平行して設置されているんですの。これがどういう事を意味しているのか、私にはすぐに理解できませんでしたわ。でも、そこに乗っているものを見たらそれが止まり木としてここに置かれていると思ってしまいそうですわね。

 この部屋には誰もいなかった。でもその止まり木には沢山のハトが止まっていましたのよ。おかしな話ですわ。この止まり木のようなものは別の目的で設置されたのが、侵入してきたハトにとってちょうど良かったのかしら?でも、それは今考えるような事ではありませんわね。なんだかおかしな事が起きると、何のためにここへやって来たのか解らなくなってしまいますわ。あたくしは誰もが知っているような大きな会社の存在を消し去ってしまった犯人を捜しているんですのよ。

 あたくしは念のためにこの会議室の奥まで進んで辺りを確認してみましたのよ。窓の外はまだ明るいですけれど、もうすでにかなり陽が傾いているようですわね。少し薄暗い中でも部屋の隅々まで確認することが出来ましたわ。そして、ここには誰もいなかったことも解りましたの。

 ここで深呼吸が必要ですわね。銃を下ろしてからまた辺りを見回してみて、ここにいるハトたちがどこから入ってきたのか、ということを確認してみたんですけれど、開いたままの窓もありませんでしたわ。きっと出口はあの扉しかありませんから、ハトたちがここに閉じ込められないように扉が閉まらないようにして出て行ってあげた方が良いかしら?なんて思いながらあたくしは扉の方へ向かったんですの。

 人がいないと解って、あたくしは少しリラックスしすぎていたかも知れませんわね。きっと何か大事な事を見逃していたんですわ。

「おいおい、ここまできて何もしないで帰るのかよ?」

何なんですの?!って思ってあたくしは慌てて銃を構えながら振り返ったんですの。

「どうせハトだろ、って思ったんだろ?」

振り返ってもそこには誰もいなかったんですのよ。

「ちょいと、誰がいるんですの?あたくしはエフ・ビー・エルの捜査官ですのよ!出てこないと承知いたしませんわよ!」

「なんだよ。あんたなら解ってくれると思ってたけどな。他の人間と同じなんだな。まあどうせハトだしな」

あたくしは部屋中に視線を走らせてこの声の出所を探していたんですの。でもこの部屋には本当に何もないんですの。さっきの止まり木とハト達…。

「ちょいと、何なんですの?!隠れてないで出てきなさい!」

「さっきからアンタの目の前にいるんだけどな。ハトっていうのはそれほどどうでも良い生き物ってことだな」

なんのことだか解りませんけれど、あたくしの正面には確かにハトがいますわ。あたくしのいる扉の近くから正反対の位置にある、部屋の一番奥ですわね。その場所は縦長の部屋の一番奥で、そこまでを左右にある止まり木が伸びていて、そこに何羽ものハトが止まっていますのよ。でも、一番奥の止まり木には一羽だけ。

「ちょいと人をバカにするのもいい加減にしたらどうなんですの?あたくしがこんな仕掛けに騙されると思っているんですの?どこかからハトの模型を遠隔操作しているんでございましょ?でもそんな余計な演出が仇になってあなたは捕まるんですのよ。ハトの模型を調べたらどこからどんなふうに遠隔操作したのか解りますし、あなたの手掛かりも見つかるはずですわ!」

そうなんですのよ。あたくしはこういうやり方が本当に気にくわないんですの。犯人は自分の知性を認めさせたいに違いありませんわ。でもそんな事のために犯罪を犯すような人に知性なんてありませんのよ。あたくしはさっきから喋っているように見える一番奥のハトを捕まえようと歩き出したんですの。

 どうせ模型のハトに違いないんですのよ。そう思っていたのですけれど、あたくしが歩き出すと左右の壁に近いところにいたハト達が一斉にあたくしの顔の方をめがけて飛んできたんですの。これにはあたくしも面食らいましたのよ。

 ハトに何ができるのか?というと人間には大した攻撃は出来ませんのよ。でも目だけは危険ですわね。ですからあたくしは目をつつかれないように両腕で顔を覆ったのですけれど、そうすると視界も塞がれるんですのよ。そうしている間にハト達は次々に体当たりしてきたんですの。始めは何でもないと思っていたんですけれど、脇腹や背中にハトが直撃するとかなりのダメージがあるのが解りましたわ。

 でも、このハト達は一体どういうふうに調教されて人間を襲っているのかしら?そんな事が頭をよぎったりしていたのですけれど、四方からハトに襲われて、あたくしは次第に体力がなくなっていくのを感じていましたの。そして、ハト達を振り払う力もなくなってきて思わず膝をついてしまいましたのよ。

 こんな事ってあり得るんですの?あたくしを襲っているのはあのハトなんですのよ。たった十匹程のハトに襲われてあたくしは抵抗も出来ずに、ただ頭を抱えているだけになってしまいましたの。うずくまっているあたくしに、ハト達は髪の毛をむしったり、背中に体当たりしたり。

「もう良いよ。別に人間が憎いわけじゃないんだよ」

そういう声が聞こえるとハト達は静かになりましたわ。こんな事は認めたくありませんけれど、あたくしはあのままだったら、もしかすると助からなかったんじゃないか?って思っていましたのよ。

 ハト達の攻撃がやんだのに気付いてあたくしは静かに起き上がったんですの。視線の先には例のハトがいましたわ。この会議室を人間が使っていた時に、そこにはこの会社の社長が座っていたであろうその場所。今はなぜかハトがいるんですのよ。あたくしの服は所々破けていたり、髪の毛もボサボサになっているのも知っていましたけれど、そんな事も気にせずあたくしは真っ直ぐにそのハトを睨み付けましたわ。

「まるで豆鉄砲をくらったよう、ってやつだな。これで解ったか?トリックでも何でもないんだよ。ハトが全部やってんだよ」

そのハトもあたくしを見ながら言いましたのよ。

「あなた、一体何なんですの?!」

「オレか?…まあ、なんていうかハトなんだけどな」

そう言うとハトは止まり木から軽く羽ばたいて床に降りると、あたくしの方に歩いて来たんですの。近づいて来るとそれが模型やロボットではなくて本物のハトだという事が良く解りましたのよ。もしかするとその事に気付いてもらうためにあたくしに近づいて来たのかも知れませんわね。

「今のところ一番偉いハトがオレだな。この場所に偉そうに座っていた人間にちなんでプレジデントなハトってことでも良いけどな。プレジデントって大統領って意味もあるんだろ?じきに世界的なプレジデントにもなるしな」

そのハトの言うことはあたくしの質問には何一つ答えていませんでしたわ。でもハト社長には色々と言いたいことがあるようでしたのよ。良いですわ!ここまで来たのですから、全て聞かせてもらいますわ!