「炎上」

07. 小料理屋

 車の窓の外を過ぎていく景色を見ながら、モオルダアは次第に不安になっていった。どうして不安になるのかは解らないが、予想していた事と違う事が起きるとどう対処して良いのか解らなくなるので、それで不安になるのだろう。

 モオルダアが乗せられた車は明らかに彼の家のある方へと進んでいたのだ。車に乗り込んだのが日本の政治的な中心地ともいえる場所だったので、そこからどこかへ進めば少なからず「寂れる」ということにはなるのだが。今いる辺りまで来ると、政治的にも商業的にも取るに足らない普通の住宅街になってしまう。

 まさか、この車は彼を家まで送るための車なのだろうか。だとすると、どうしてそんなことをするのか?とモオルダアは考え始めていたが、考えるよりも先に車はモオルダアの家のある辺りを通り過ぎてしまった。ということは、やはりこの車はモオルダアに会いたがっているという「奥様」の元へと向かっているのだろう。

 そう思ったところで車は静かに停車した。道は静かな住宅街の裏通りで信号もない。つまりここが目的地なのだろうか。ここがモオルダアの家の近くだということは、辺りを見回すまでもなく解る。

「着きました」

車を運転していたさっきの男が言うと、モオルダアもなんとなく頷いて車を降りた。家の近くなので、この場所は通ったこともある。だが記憶のどこかに引っかかるものがあるような場所でもあった。

 モオルダアは車を降りてきた男が進んだ先を見て、その記憶がさらに鮮明になるような気がしてきた。男は車を止めたすぐのところにある家の扉を開けてモオルダアの方へ振り返った。普通の民家とはちょっと違う横開きのその扉。今は何でもない家のようだが、ここはかつて小料理屋だった場所である。そして、その当時モオルダアは今のようにワケも解らないままここに連れて来られて、ある区議会議員に会ったのだった。その区議はモオルダアに政府が秘密裏に行っている地底探査のことを教えてくれた。

 この場所の記憶が蘇ってきて少しだけスッキリしたモオルダアが家の中に入った。だが彼を案内してきた男がさっきから「奥様」と言っていたのは忘れかけていたので、中に入ったモオルダアは意表を突かれていた。

 中で待っていたのはあの区議ではなかった。

「オニイサン。遅刻。もう四時過ぎてるヨ!」

中にいた外国人らしき女性は腕時計を指さす仕草をしながら、少し訛った日本語でモオルダアを連れてきた男に向かって言った。実際にはその腕に腕時計はなかったのだが。

「多少道が混んでいたもので…」

男の態度からすると、この女性が「奥様」ということだが。ここでモオルダアに更なる記憶が蘇って来た。この東南アジア出身と思われる「奥様」はここにあった小料理屋の女将で、区議がマダムと呼んでいた女性に違いないのだ。

「オニイサン。そこ座る!」

奥様は今度はモオルダアの方を向いて言った。家の中はまだ小料理屋だった頃のままなので、彼女が指さした先にはカウンター席がある。ここがどういう場所だったかという記憶は蘇って来たのだが、今起きている事に関しては完全に混乱しているモオルダアなので、言われるがままに席に着くしかなかった。

 モオルダアが座るのを見て、彼をここに連れてきた男は外へ出て行った。家の中に二人だけになったところで奥様が話し始めた。

「オニイサン、大変な事起きてるヨ。私のダンナ。どうしてくれる?」

「ダンナって…?」

モオルダアにはそれを聞き返すだけで精一杯という感じだった。言っている言葉の意味は解っても、話の中身はサッパリなのだ。

「私のダンナ。真知村真良(マチムラ・マサヨシ)。有名ヨ!」

真知村とは、あの区議の名前に違いない。ということは、この奥様は真知村の奥様ということなのだろうか。確かあの時区議は女将のことを愛人だと言っていたのだが、色々あって結婚したとか、そういう事なのだろうか。だが、そこであった色々についてはあまり考えたくはなかったので、モオルダアはこの元女将が真知村の妻ということで納得した。

「真知村議員がどうしたんですか?」

「どうかも何もナイヨ!オニイサン私のダンナに助けてもらったでしょ?だからあの人イッパイ危ないって、解ってたでしょ?」

恐らく彼女の母国語の影響なのだと思うが、怒っているようにも聞こえる話し方である。そのせいで解らなかったが、良く聞いてみると本当に怒っているようにも思える。

「真知村議員が誰かに狙われていると?」

「あの人、危険だから隠れてるよ。あなたのせいだヨ、これ。あの人エイリアンの情報を教えたらか危険なのよ。オニイサン、責任とるのか?」

責任といわれても、区議は勝手にモオルダアに情報を提供してくれたのだし、そこまで責められる覚えはないとも思ったのだが、区議が危険なのなら何か手を打たなければいけないだろう。

「それで、真知村議員はどこへ?」

「それ教えたら隠れた意味ナイヨ!それより、オニイサン犯人見付けて捕まえる。それが一番大事でしょ?」

果たしてそうなのだろうか?とモオルダアは思ってしまったが、確かにこれは少しややこしい問題なのかも知れない。区議とはいえ、何かを知っているような人が関わっている時には、油断するとどこから敵が出てくるか解らないのである。つまりエフ・ビー・エルが真知村議員をどこかにかくまったりしても、内部から情報が漏れることもあるのだ。奥様はそこまで知っていてそう言ったのかどうか、モオルダアは少し考えてしまった。

「解ったらハヤク犯人捕まえイク!」

黙って何かを考えていたモオルダアに奥様が言った。モオルダアはふと顔を上げて奥様の目を覗き込んだ。いきなり見つめられて奥様の視線が多少揺れ動いたようにも見えた。

「解りました。私に任せてください」

モオルダアにどんな考えがあるのか解らないが、例の優秀な捜査官だと彼が思っているような態度で言ってから立ち上がった。奥様は頷いて出て行くモオルダアを見送った。


 外に出るとさっき乗って来た車の傍らに例の男が立っていた。狭い道なのでその場所はモオルダアが出てきた扉のすぐ横という事でもあるのだが、彼はモオルダアが出てくると同時に歩き出して、モオルダアもなんとなく彼についていった。

 別に彼につられて歩いてしまったということではないのだが、男がモオルダアに言いたいことがあるように思えたし、それは扉のすぐ外ではしたくないような話に違いないからだった。

「事情はわかりましたか?」

男がモオルダアに聞いた。それは奥様の日本語が理解出来たのか?という意味なのか、それとも区議のややこしい状況が理解出来たのか、ということなのか。良く解らないがモオルダアはただウンと頷いた。

「私は先生の秘書なので、あまり出過ぎた真似は出来ないのですが。実を言うと奥様が知らないことも知っているのです」

それを聞いてモオルダアは「だったらここに来るまでにそういう事を話してくれたら良いのに」と思ったのだが。しかし、家の中から聞こえて来たモオルダアと奥様の話の内容を聞いて、それでは足りないと思って彼の知っていることを打ち明ける決意をしたのかも知れない。とにかく知っている事は話してもらった方が捜査はしやすいに違いない。

「というと?」

「率直に言いますと。私は先生を狙っている人を知っています」

モオルダアはそれを聞いて、更にさっきまでの奥様との会話が無駄に思えてきたのだが、ここはこらえて続きを聞いた。

「区議会議員と言いましても、その座を狙っている者がいたり、地元の企業に多少の影響力のある人がいたり。あるいはその逆に企業からの影響を受ける人もいるのですが。先生がそのどれに当たるのかここで話す必要はないと思います。とにかく先生にも政治家として敵はいるのです。恐らくその人物は先生があなたに情報を提供していた事を知って、それで行動に出たのだと思いますが。一般市民を巻き込んで先生を暗殺しようとしているのだと思います」

そこまで聞いて、モオルダアは秘書の方に向き直った。それが本当だとすると、連想されるのは小根野が区議会議員を襲った事件である。

「一体誰がそんなことを?」

「私の口からは名前は出せないのですが」

そう言いながら秘書はモオルダアにメモ書きを渡した。

 モオルダアはまだメモの中身を読んでいないが、恐らくそこに名前か、名前に辿り着くためのヒントが書かれているに違いない。

 ここに来て話が急展開という気がしてきたのだが、モオルダアはメモをポケットにしまうと、何かを思いだしたように別のポケットから自分の名刺を取り出した。

「何かあったらここに連絡をしてください」

これまで大きな事件もなくてヒマだったのか知らないが、モオルダアは新しい名刺を作ったらしくて、それを誰かに渡す機会を待っていたのだろう。

 秘書は「なんで?!」という感じでモオルダアの名刺を受け取った。不意を突かれた感じもあったのだが、秘書の方もいつもの習慣で反射的に自分の名刺を取り出してモオルダアに渡した。

 こういう名刺のやりとりなど普段はほとんどしないモオルダアだが、彼にとって新鮮なこのやりとりに満足してモオルダアはその場を去って行った。