「炎上」

10. 防衛省付近

 一度自分の家の近くまで行ったのにまた東京の中心部までやって来るのはどうしても損している気分なのだが、モオルダアがたった今目にした光景のおかげでそういうどうでもイイ感情は彼の頭から消えていた。かつて小料理だった家を出てから秘書とのやりとりがあった後で、モオルダアは真知村議員を狙っているという旨方議員のことを調べようとしたのだが、その前にどうしても気になることがあった。

 これはモオルダアの少女的第六感が働いたからなのか、あるいはあの家で真知村議員の妻から言われたことの内容がどこか気になっていたからなのか。というより、そういう所が気になることこそが少女的第六感なのだとも思うが。

 とにかく、何かがおかしいと思って気になって仕方ないので、旨方議員はスキヤナーに任せて彼はコッソリあの小料理屋だった家の方へ戻って張り込んでいたのである。すると程なくして家の中から真知村の妻が出てきた。その後をモオルダアがつけて行くと、幸運なことにタクシーなどには乗らず、歩いて駅まで行ってそこから都心部の方へと向かったのである。どうしてタクシーを使わないと幸運なのかというと、モオルダアはいつもお金が足りない人なのでどこまで行くのか解らないような状況でタクシーに乗れるほどの金銭的な余裕がないからである。

 それはどうでもイイのだが、真知村の妻を追いかけていくと、彼女は防衛省の建物の近くまでやって来た。そして、そこでしばらく待っていると防衛省の建物の中から男が一人出てきて真知村の妻と話を始めたのである。

 これは一体どういう事なのか?

 彼女は小料理屋の女将をしていて、最初に会った時に真知村議員は彼女のことを彼の愛人と紹介したのだが、それが色々あって妻になったということだ。そこまでは良いのだが、その彼女がなぜ防衛省から出てきた男と話しているのだろうか。

 モオルダアは真知村の妻に気付かれないように離れたところにいるので、彼らの話の内容は解らない。しかし、その様子から世間話をしているワケではないのは解る。もしも真知村議員を助けるための話ならそれはおかしい。彼女が直接モオルダアに真知村議員を助けるように依頼してきたのは警察などの機関にこのことを知られたくないからだと思われる。だとすれば防衛省のようなところにいる男と真知村議員の危機に関する話などはしないだろう。

 やはり真知村議員の妻には何かがある。モオルダアはなんとなく感じていた違和感のようなものがこうして実際の形になったことに言い知れぬ気味の悪さを感じてゾクゾクしていた。

 モオルダアがそんなことを思っていると真知村の妻は話を終えたようだった。男は防衛省の建物の中に戻って行き、真知村の妻は今いる場所から来た道へ戻って行くところだった。これは追いかけていって彼女から話を聞かないワケにはいかない。

 モオルダアは真知村の妻の方へ歩き出そうとしたのだが、その時彼の背後から声がした。

「それはマズいんじゃないでしょうか?」

これまでずっとコッソリした感じで行動していたモオルダアだったので、こんなふうに声をかけられると驚いて変な悲鳴を上げそうになっていた。

 モオルダアが振り返るとそこには真知村の秘書がいた。

「き、キミは…」

モオルダアは驚いて心臓がドキドキしていたので、上手く話せていない。

「誤解しないで下さい。私も初めて知りました」

秘書はそう言ったらモオルダアに伝わると思っていたようだが、モオルダアはまだ驚いた表情のままだった。それで秘書はもう少し詳しく話すことにした。

「確かにあなたを疑っていなかったというとウソになりますが。私の言いたかったことがちゃんと伝わったのか、とか。そういうところもありまして。それであなたのあとをつけるなんてはしたない真似をしてしまったのですが。結局はあなたが一枚上手ということだったのですね」

モオルダアはどうやら自分が褒められているということが解ってきて、少しだけ得意になってきた。だが何をどう褒められているのか、詳しい事は解っていないのだが。真知村の妻がこんな場所に来ているなんて事は秘書も知らなかったようだし、その辺はモオルダアのお手柄なので、少しは偉そうにしても良いのだろう。

「ボクぐらいになると感覚が思考より先に働くことがあるからね。普通の人なら気付かないようなことでも気になってしまうのさ」

モオルダアが言ったが、秘書にはどうでも良い事だったのか、ただ「はあ」という返事しか返ってこなかった。

 しかし、モオルダアの直感みたいなものは確かに正しかったようだ。真知村の妻と話した時に、彼女は「エイリアン」という単語を使った。だが、厳密にいうと真知村がモオルダアに教えたのはエイリアンの情報ではない。遠回しにはそういう事になるかも知れないのだが、直接そういう単語を使うのはそれだけで危険なことでもあるので、彼は決して「エイリアン」という単語は使っていなかった。片言ならモオルダアもアッサリ騙されると思ったのかも知れないが、モオルダアが片言が得意だというところまでは彼女も知らなかったのだろう。(モオルダアが片言が得意だということは過去のエピソードを参照。)

「実を言うと、私も奥様のことは少し怪しいと思っていたのです」

秘書が少し申し訳なさそうに話し始めた。

「本当はかなり流暢な日本語でも話す事が出来るのも知っていますし。それに、先生に気付かれないように誰かと会っているような、そんなところもあったのです。私はてっきり他に男がいるとか、そういうことだと思っていたのですが。一体さっき奥様と話していたあの人は誰なんですかね?」

そんなことを言われてもモオルダアが知るワケはない。しかし、優秀な捜査官としては知らないなんてことは許されない。

「それはキミが知っているべき事ではないと思うけどね」

咄嗟の言い訳としてはなかなかの出来である。

「失礼しました。でも先生のことが心配なので…。私は先生を狙っているのが誰なのか確信が持てなくなってきました」

「ところで、真知村議員がどこに隠れているのか知っているの?」

秘書は少し考え込むようにうつむいている。真知村の安全のために居場所は誰にも教えないというのは妻の提案だったが、妻に裏の顔があるようなことが解ってきた今となっては、彼女を信じて良いのか解らない。

「後で連絡します」

秘書は悩んだ末にそう答えた。

 モオルダアはちょっと期待外れの答えだと思ったが、後で連絡が来るのならそれで良いか、と思うことにした。それよりも、ここに来たことによって色々とやることが出来たような気がしてきた。果たしてそれが今朝起きた区議会議員襲撃事件と関連しているのか?というと全然解らないのだが。しかし、まだモオルダアは知らないのだが、旨方という議員事務所の前ではそれぞれ別のところから情報を得たスケアリーとスキヤナーが鉢合わせたり、何かがあるような感じではあるのだ。これは少女的第六感がザワザワしないワケにはいかない。