Technólogia Vol. 1 - Pt. 3

Technologia

04.

 恐らく自分は生きている。蚊屋野は例の筒状の装置の中で思った。これまでの人生で今すぐに死んでも良い、或いは死んでしまいたいなんて思った事も何度かあったが、結局それは「思った」だけの事で、いざ命の危険にさらされるとなんとかして生きようとするし、元々死ぬ気なんて全くなかったに違いない。人間とは難解な生き物のようだ。
 蚊屋野の目の前にある覗き窓の外は彼が目を覚ました時よりも明るくなっている。今は朝なのだろうか?そう思うと同時に、今の状況に少し違和感を感じていた。この装置に入った時は立った状態で入ったのだが、今は仰向けに寝ている。目の前の何もない空間しか見えないから実際どんな状態になっているのか解らないが、背中の方に重力を感じるのだから仰向けに寝ている状態なのだろう。
 そう思っているうちに覗き窓の外はさらに明るくなって目を開けているのも困難になってきた。やはり夜が明けたばかりなのだろう。だがあの実験を始めたのは、何時だったか覚えていないが早朝ということではなかった。ということは一日この中で寝ていたのだろうか?
 その前におかしな事もある。何が起きたのか知らないが、自分は生きているのだし、実験が終わったら誰かがこの目の前の扉を開けてくれても良さそうなのだが。今目の前に見えているのは空のようだし。だとすると、どうしてこの装置が屋外に置かれているのか?
 彼は自分の目の前に両手を持ち上げて、そこで何度か手を裏返したり、握ったりひらいたりしてみた。本当に自分が生きているのか確認したかったようだが、手を動かす感覚はいつもどおりだった。それで確認が出来るのかは怪しいが、それよりも外に出たら自分に何が起きたか解るに違いない。
 彼は持ち上げた両手をそのまま前に出して扉を押してみた。すると実験前はびくともしなかった扉が今は少し動かせるようだった。しかしホッとしたのもつかの間、蚊屋野は新たな問題に気付いた。少し扉が動くのは良いのだが、それ以上は押してもガンという音がして動かなくなる。硬くて頑丈なものの音である。
「誰かいますかぁ?」
蚊屋野は大きな声で外に向かって言った。扉のところに隙間があるのだし、外に声は聞こえるはずなのだが、まったく無駄な事をしているような気がして、それと同時に恐ろしい光景が彼の脳裏に浮かんできた。
「ちょっと!誰か!?…誰かいませんか?」
蚊屋野はさらに大きな声を出した。だが思ったとおり誰もその呼びかけには答えなかった。そして蚊屋野の脳裏に浮かんできたものが次第にハッキリとしてきて、そしてそれが現実味を帯びてくると彼にはもう耐えきれなかった。
「うぁああああ!」
彼は喚きながら力の限り目の前の扉を押したり引いたりしていた。その度に扉がガンガン音を立てたが、その大きな音で余計パニックになった蚊屋野はさらに大声を張り上げてさらに扉を揺さぶった。
 だがそれが無駄なのは解っている。大きな声を出して逆に少し冷静になったのか、蚊屋野は手を下ろして真っ直ぐ目の前の覗き窓を見つめた。
 急に激しく動いたために息が上がって頭の中まで心臓の鼓動が響いてくるような感じがした。ここは冷静に現実を見つめるべきだ。蚊屋野はそう思ってこの一時的なパニック状態を抜け出した。
 冷静になって考えるべきだ。まず第一に自分はどこにいるのか?それは解らない。外には誰かいるのか?それも解らない。しかし、これだけ騒いで誰もやって来ないのなら、そこには誰もいないに違いない。そして目の前の頑丈な扉は開ける事が出来ない。
 これらのことから考えられるのは。自分がこれまで考えたことのある中でも最悪な結末。もしこれから誰もここに自分がいる事に気づかなければ、自分は飢えと渇きに苦しみながら死ぬ事になる。苦しみ続け、しかも誰にも気付かれることなく死んでいく。
「うぁぁぁあああああ!!!」
この状況を冷静に考えたらどうしてもパニックになってしまう。蚊屋野はさっきよりも激しく、このほとんど動く事の出来ない狭い装置の中で暴れ回った。今度は手だけではなくて足も使って扉を押してみたりもしたが、やはりびくともしない。
 そしてパニックの発作が収まると息を整えながら自分の行動を後悔した。こんな事に体力を使ったら余計に苦しくなるだけじゃないのか?と、そんな気がした。でも残りの体力が少ない方がこういう場合は楽に死ねるのだろうか?疲れ切って寝ている間に死んでいるというのは、考えてみれば理想的ではあるが。
 いずれにしても餓死なんてろくなものではない。こうなったら最善の策をとるしかない。それでダメなら。…特に何も出来ないのだが。こういう状況では誰かが来るのを待つしかないのだろうか?
 だいたいあの教授が何も説明せずに自分を巻き込んだのがいけないんだ。蚊屋野はそう思い始めていた。ただし何も考えずに話に乗った彼にも責任は大いにあるが。
 それよりも教授のしていた実験は何だったのだろうか?あの時、コンピュータのディスプレイに表示されていた「物質転送」という文字。本当にこれが物質を、しかも生身の人間をある場所から別の場所に転送する装置の実験だとしたら? 蚊屋野は死んでいないし、しかも今はあの大学の研究室ではない場所にいるのだから、それは成功しているのかも知れない。
 しかし、どうして誰もここ来てこの扉を開けてくれないのだろうか?この実験の成功は歴史的な出来事に違いないのだが。もしかすると自分が何か忘れているのかも知れない。蚊屋野は実験を始める前に教授が何か言っていなかったか思い出そうとしていた。自分が着たスーツを確認して、それから装置に入ったら中の様子を確認して。
 思い出してみても特に何も言っていなかったようだ。それから、いくつかの確認を終えたあと、教授はこの扉を閉めた。あのボサボサの髪の毛の前を扉が横切って、その後は覗き窓から教授の顔が見えた。そこまで思い出すと蚊屋野はアッと思って、慌てて立ち上がろうとしたのだが、その時また目の前の扉に頭をぶつけて気を失った。

 ほんの数分だけ気を失っていただけだったが、気がついた時には心身ともに疲れ切ったような感じで体を動かすのが億劫だった。しかし重要なことに気付いたのならそれが本当の事かどうか確かめてみないといけない。
 蚊屋野は扉を手で探ってみると、そこには思ったとおりのものがあった。それに気付いてさらに力が抜けそうになったが、ここは気力を振り絞って先を続けないといけない。蚊屋野は扉に付いていたレバーのような形の取っ手、この場合はドアノブと呼んだ方が良いのかも知れないが、それを掴んだ。そして、これまで押したり引いたりしていた扉を横に動かすようにしてその取っ手を引っ張った。
 そのレバーのような取っ手を動かすとまず取っ手自体が斜めに傾いて、その時にガチャッというロックを外す音が聞こえた。そしてそのすぐあとに、ほとんど力を入れるまでもなく扉が横にスライドして、彼の前にはだだっ広い空が広がった。
 助かった、という喜びはほとんど感じる事はなく、ただ誰にも見られていなければ良いとか、そんな気分だった。横に開ける扉をいくら押しても引いても開くわけがない。そういうことだったのだ。
 叫んだり絶望したり、あの行動は一体何だったのか?と思うと怒りとか悲しみとか、何とも言えない気分になったが。こういう感情は解りやすくいうと「恥ずかしい」という事に違いない。とにかくいつまでもここに寝ているワケにはいかないので、蚊屋野は起き上がって辺りの様子を確認する事にした。