Technólogia Vol. 1 - Pt. 10

Technologia

11.

 頭の良さにはいくつかの種類がある。その中のいくつかは厄介な類の頭の良さなのだが。知識が豊富だったり、頭の回転が速い人は、話していると色んな情報が頭の中に湧いてきて話が先に進まなくなる。能内教授がまさにそれに当てはまる。その一本ずつが好き放題にモジャモジャに伸びているその頭髪がその事を物語っているかのような能内教授。普通に話せば聞いている人間は大体の事を理解出来るのだが、相手が自分の話している事を本当に理解出来ているのか心配になったり、もっと解りやすく話せると思って色んな情報を織り交ぜて話すのだが、そのせいで余計に難しくなってしまう。そういう事のせいで、もしかすると能内教授みたいな人は、彼の事を良く知らない人からはちょっとダメな人だと思われたりもするかも知れない。ただ、幸いにもこの色々と崩壊している世界ではあまりそういう事を気にする人はいない。
 一方で、蚊屋野の方はというと、彼はもしかすると本当にダメな感じなのか?と思われることもある。意識があちこちに移っていてしまうというところは能内教授のそれに似ているのかも知れないが、考えている内容が問題だったりする。どうでも良い事を考え出して、それに固執したり。なにより、今この状況で一番に知っておくべき事は何か?と考えて教授の名前を聞いたのも彼らしいのだが。彼の頭髪はモジャモジャではなくて、捻くれたクセ毛。しかも気候によっては時々まっすぐになったりもする。髪の質が性格と関連しているのかどうか解らないが、さっきも書いたので蚊屋野の髪の事も書いてみたのだが、特に重要な事ではない。
 こんな二人が話して、果たしてお互いの言いたい事は伝わるのか解らないが、これまでに蚊屋野に起きた事や彼が目覚めるまでの20年に何が起きたのか、という事はなんとしても彼に知ってもらわないといけない。それが出来なければこの話はこの辺でオシマイ、という事になってしまう。それではあまりにも酷すぎるので、教授にはなんとしてもこれまでの説明をしてもらわないといけないし、蚊屋野にはそれを理解してもらわないといけない。
「じゃあ、あの日の事から話す事にするかな」
教授は今でも細かい部分までハッキリ覚えているあの実験の日の事を遠い記憶の事のように話し始めた。そうすれば話が複雑にならずに蚊屋野にも理解しやすいと言う事なのかも知れないが。
「キミがこうして生きていると言う事は、実験は成功だったんだが。横浜の研究室から静岡まで。キミは人類がこれまで体験した事のないやり方で移動してきたんだよ」
「あの時ボクは『物質転送』って文字を見たのを覚えてますけど。やっぱり…」
「そういうことだな。画期的な移動手段になるはずだったんだよ。転送のための装置がある場所なら、数秒足らずで世界のどこへでも移動できる。だが、皮肉な事にキミの場合は20年もかかってしまった。まあ、正確には21年に近いんだが…」
ここで能内教授は話がそれそうになっている事に気づいて、細かい事は気にしないようにと思って一息ついた。
「先に気付いておくべきだったんだが。あの時、すでに世界の異変は始まっていたようだったんだ。だが私はずっと研究ばかりで、世の中の事など気にしているヒマはなかったからな」
「異変ってのは、なんですか?」
「あとから聞いた話では、どうやら最初はネットワークに障害が発生していたらしいな。主にインターネットというやつだが。それからインフラの寸断。何が起きたのか知らんが、あの頃なら相当なパニック状態になる事も考えられる状況だな」
あの頃といっても、蚊屋野にとっては大体二日ほど前の事でもある。
「大規模なテロかなんかじゃないですかね」
蚊屋野は最近そんな不安に常につきまとわれていたので、まず最初にそれが頭に浮かんだ。危険な場所が解りやすい戦争とは違って、いつどこで起こるか解らないテロの事を考えると家から一歩も出たくなくなるような気分になる。そんな感じだったので、蚊屋野は何かが起きるとテロなんじゃないか?と心配になるのだ。しかし20年前のその出来事がテロだとしても、そこからどうして今の何も無い世界につながったのか、という事にまでは考えが回らなかったようだが。
「最初はそんな事を言っているヤツもいたがな。だが、世の中を混乱させるにはあまりにも穏やかだったからな。あれがテロだとしたら、何かが間違っていると思うがな」
「でも電気とかガスとか止まってたり、ネットが使えないとか、そういう状況なら混乱しそうですけど」
「もちろん。少しはあったがな。ただ、混乱させるのが目的なら昼過ぎの世の中が活発に動いている時間帯に実行すべきだと思うんだがね。あれは、なんというか夜明けとともにゆっくり始まったんだな。あの研究室でも電気はちゃんと使えていただろう。それはどこでも同じで、最初は普通の朝だったんだが、段々テレビの映りが悪くなったり、ネット接続が上手く出来なくなったり。全部がいっぺんに使えなくなると困るが少しずつなら、そのうち直るような気分になることもあるんじゃないか」
それは何とも適当な仮説だが、能内教授にとってその辺はどうでも良い事なのかも知れない。
「まあ、最初の頃は人の事なんて心配していられなかったからな。あの実験を始めたとたんに電圧が下がり始めてね。運が良かったか悪かったか解らないが、非常用の電源に切り替わって実験は継続できたんだが、データの転送も非常モードになっていてね。不安定な電力の影響でデータが壊れないように、データを待避させる仕組みが作動したんだよ。その待避した状態から安全な速度でデータを目的地まで送る。その非常措置のために20年もの時間がかかってしまったんだが」
蚊屋野は理解出来たのかどうか解らない感じで聞いていた。
「データってなんですか?」
確かにそんな気がする。
「ああ。まあデータというのはキミの事だけどな。厳密にいうとデータっていう呼び方は変なんだが、キミの体を構成している全ての組織をあの装置で転送できる状態にしたものを我々はデータって呼んでたんだがな」
「我々、って?」
「それは、転送先であるこっちの企業の研究者たちのことだが。結局あれから彼らに会う事はなかったな」
確かにこれだけの実験は教授一人で出来るものとは思えないし、恐らく金銭的にも協力してくれる団体が必要になるから、どこかの企業と共同で研究するということもあるのだろう。しかし、その企業ってどこの事だろう?と蚊屋野は思ってしまった。それなりに大きな会社なら蚊屋野も知っているかも知れないし、知ったら「あぁ!」ってなるかも知れないのだが、それを気にしていると話がそれてしまうに違いない。せっかく能内教授が解りやすく要点だけを話してくれているのだから、蚊屋野が自分で話をそらしてはいけない。そこで蚊屋野は適当に返した。
「データってのはなんだかショックだなあ」
「あま、そう気にしなくても。実際にはまだ名前を付けられない物質の特定の状態という事だったし、それに生きた動物での実験も初めてだったしな。…あぁぅんっ」
どうして最後に変な咳払いをしたのか?と思った蚊屋野だったが、やっぱり余計なことを気にしたら話がややこしくなるし良くない。…と、一度はそう思ったのだが、どうもおかしな事を聞いたような気がして、やっぱり気になってしまった。
「ちょっと待ってください。今、生きた動物で初めてとか言いませんでしたか?」
「いや、何かな?」
「誤魔化さないでくださいよ。ちゃんと聞きましたよ。生きた動物では初めてだって。それって、つまりボクがモルモット状態って事なんじゃないですか?」
「細かい話はしなくて良い、ってキミが言ってなかったか?」
「いや、これは細かい話とは違いますよ。何て言うか、科学者の倫理とか、そういう問題じゃないですか?」
科学の話は解らなくても、そういうところにこだわるのは文学青年としての性質だろうか。しかしそういう事を言われると能内教授も黙っていられなくなってくる。
「そうは言ってもな。そういう事をうるさく言うヤツらのおかげでどれだけ科学の発展が妨げられてきたか」
「でもそれで人間が危険にさらされるのは問題ですよ」
「私が言っているのはそういう事じゃなくてな。実験用の動物を守るために人間を危険にさらす事になった、ってことだよ。つまり愛護団体ってやつらだよ」
それはつまり、どういう事だろう?と思って蚊屋野はすぐに返す事が出来なかった。自分が危険な目にあったかも知れないのは、一体誰のせいなのか?倫理を忘れた科学者か、それともカワイイ動物の命を大事にする団体なのか。
「やつらは、人間と猫が同時に溺れているのを見つけたら先に猫を助けるような人間ってことだな。もっというと、猫だけ助けて満足してその場から立ち去るようなヤツらだ。そうに決まってる」
能内教授は昔の嫌な事を思い出して来たのか、少し興奮気味に話している。彼のような人間は思いもしなかったところから自分の研究が妨害されるのは気に入らないに違いない。妨害している側は正しい事をしているつもりで、多少の犠牲の上に成り立つもっと重要な事などまったく気にしていないのだし。
「そこまで言わなくても…」
蚊屋野は言ったが、猫を助けて人間を置き去りにする人の姿を頭に思い浮かべてしまったら、何となく面白くて、ニヤニヤするのをこらえなくてはならなかった。
「キミが最初の実験台にされたのはヤツらの圧力のせいだぞ。責められるべきは私よりも、ヤツらなんだ」
「でも、ああいう人達ってカワイイ動物は守ろうとしますけど、他はそうでもないですよ。たとえば虫とか。ああいう団体が殺虫剤の販売に抗議しているのはあんまり見た事がないですし」
確かにそうだが、そういうことを考えているとキリがない。そして、それに関してはもっと重要な問題もあったりするようだ。それが科学的かは知らないが。
「虫を実験台にするってことか?キミは転送装置に虫を入れる事がどんなに危険な事か解っているのか?」
これは本気なのか冗談なのか解らないが、蚊屋野には彼が何を言っているのかイマイチ解らなかった。今のところ、蚊屋野の体には虫の特性が意図せずに備わってしまったとか、そういうことはないのでその点は大丈夫だったに違いないが。(おそらく蚊屋野はあとになって「人間と虫が一緒に転送される」というとある SF映画の話を思い出して「あぁ!」となるに違いない。)
「とにかくキミは無事だったんだし。それにあの騒動のおかげでキミはこの大変な20年間を寝たような状態で過ごす事もできたんだし。それはそれでラッキーだっただろ」
「それは、なんていうかメチャクチャな理屈ですけど。でも解りましたよ。その後の事を話してくださいよ」
蚊屋野は理解のあるようなことを言っているが、頭の中ではさっきの虫を転送することの話の意味をまだ考えていたりもした。彼が寝ていた空白の20年間の事を考えるとそれどころではないのだが。そんな事には気付かずに能内教授は話を続けた。
「それで、なんだったかな?キミが余計な話を始めるから話がややこしくなったぞ」
「いや、今のは余計な事じゃないですよ」
「だが、キミは人類初なだけでなく、動物の中でも初の転送に成功した生き物になれたんだしな。それよりも、続きを話すが。…そうだ。実験が始まって、キミの姿が転送装置から消えたあとからだな」
ここから蚊屋野には記憶もなければこの世界に存在すらなかった。そういう状態のまま20年が経ったというのはワケが解らないと蚊屋野は思ったのだが、その事について詳しく聞いたら話が終わらないだろうと思って、彼は黙って聞いていた。
「私が外の世界がどうなっているのかを知って、まず最初にしたのは研究室の安全を確保する事だった。もちろんキミの安全を確保するという意味でな」
動物実験の件もあって、能内教授は気を遣ってそう言ったが、実際のところは実験を成功させるための安全の確保だったのは大体解る。
「それまでの日常生活が崩壊した状態だったのだし、暴動や略奪なんてこともあり得るからね。だが不思議な事にそうはならなかった。誰にも何が起きたのか詳しい事は解らなかったし、状況を考えたら大停電が発生しているようなものだったからな。多くの人はそのうち元通りになると思っていたんじゃないかな。ただ、あとで知った事だが少しは暴徒が現れるといった騒ぎがあったらしいんだが。とにかく、研究室が安全だと解ったら次は転送先だ。簡単に話したがここまででも一ヶ月近くはかかったんだがね。何しろテレビやラジオもインターネットもない状態だったしね。どこで何が起きているのか全く解らない中でこういうことをやるのは本当に大変だったんだがね。これもキミを心配するが故ってことだな」
「いや。別にさっきのアレはもう良いですよ」
「まあ、そう言うな。実験の事を第一に考えていたとしても、キミが無事でなければ実験も失敗なんだから、キミのことが心配だったと言っても間違ってはいないだろう」
そんな理屈で心配されてもあまり嬉しくないと思うが、蚊屋野は面倒なので呆れた様子でただ頷いていた。

 その頃、同じ地下にある居住地の別の部屋では、若者達のリーダーでもある花屋を中心に若者達が集まってなにやら話し込んでいた。若者達といっても、中には若者には見えない者もいたのだが、若者という表現は能内教授が使っているものなので、彼に比べたらみんなかなり年下ということで若者でも良いのかも知れない。
 そこではここ数年の何も無い状況から、蚊屋野の登場という一大事によって、この地下の居住区に少なからず混乱がもたらされているのが見て取れる。困惑する若者達を花屋がなんとかして落ち着かせようとしているようにも思えた。
「やっぱりオレはまだ信じられねえ。あの男が本当にスゴい事してくれるのか。どうも、あいつは頼りないっていうかな」
そう言ったのは、蚊屋野を見つけてここまで連れてきた男の一人だ。
「そうだな。予言者が言うから期待してたんだが、あんなのが来るとはなあ。ディスクで出てくるヒーローはもっとこうスラーっとしてて、それでいてどっしり構えてるんだ」
そして、今のはもう一人のあの時の男。
「そうだ、そうだ。なんかアレだ。そうだ…アレだ」
そして、その他の人も大体同じような事を言っている。その前にディスクというのは何か?という感じだが、この地下の居住地の娯楽のひとつである、約20年前まで存在していた映画の DVD や Blu-ray のことである。一応電気もあるので、そういうものの再生ぐらいはここでも出来るのだろう。
 映画のヒーローと比べたら蚊屋野が可哀想だが。それよりも、彼らは蚊屋野について何を話しているのだろうか。
「でも、先生が言ったとおり蚊屋野さんは現れました。それは予言ではなくて科学によって予測されたことです」
花屋が言った。彼女も何となく蚊屋野が頼りない感じだとは思っているのだが、能内教授の言う事は信じているのだろう。
「だけどもよ。カヤっぺの言ってる科学ってのは、予言と何が違うんだ?」
どうやら花屋はここの住民からはカヤっぺと呼ばれているようだ。それはどうでもイイのだが、彼らにその違いを上手く説明することが出来るのか、花屋にはあまり自信がなかった。それでも彼らをちゃんと説得しないと、この先色々と都合がよろしくない。
「先生は科学的に推測して、計算して、あの日に蚊屋野さんが現れると予測したんです。そして実際に現れました。その推測が正しかったのだから、他の事だって間違いではないはず」
ひとつが正しければ他も正しい、というのはあまり科学的ではないのだが。まあ言いたい事はだいたい解る。
「それから、蚊屋野さんは灰の影響を受けていない数少ない人間の一人です。これだけは確かな事です」
それを聞くとあたりが静まりかえるちょっとした間が出来た。あの空から降ってくる灰のせいで人間が弱体化しているというのは、ここにいる誰もが気にしていることのようだ。
「そうだよ、みんな。文句言ったって、別の人が現れるワケじゃないんだし。あの蚊屋野って人のこと信じたって良いんじゃないか。まあ、確かに見た目は頼りないんだが、見た目に騙されるなって、先生が…いや、予言者も言ってただろう」
一人の男がそう言った。まだ納得いかないような空気が流れていたのだが、その発言によって静まりかえっていた空間が次第にザワザワしだした。
「まあ、秀才君がそう言うんだったら仕方ないな。ダメだったとしても、オレ達はこれまでどおりやっていくからな」
「ああ、そうだ、そうだ」
あまりスッキリした感じはないが、一応みんなが納得したようだった。花屋は秀才君と呼ばれたさっきの男と目を合わせて頷いていた。

 どうやら蚊屋野は重要な存在という事らしいが、一体彼がなんなのか。色々と謎ばかりが増えていく話である。ついでに書いておくと、元の部屋では蚊屋野が転送装置に虫というネタの元になった SF映画のことを思い出して「あぁ!」と大声を上げて能内教授を驚かせていたところだった。