Technólogia Vol. 1 - Pt. 16

Technologia

17. 山中の街

 一面の荒野は次第にその姿を変えていった。出発する時にいたサービスエリアの辺りは海に近く平坦な地形だったが、今歩いているのは山がちな起伏のある地形だ。荒野ではないが、緑豊かな山の中という感じは少しもない。一部では木々が以前のまま残っているが、それ以外は他の場所にある灰の影響を受けた建造物などと同様に朽ち果てて、山肌がむき出しになっている。
 殺風景。蚊屋野はなんとなくそういう表現がこの風景にあっている気がした。木々が生い茂っているわけでもなく、荒廃しきっているワケでもない。殺風景という言葉は20年前の世界では都会でも田舎でもないような風景を見た時に感じていたが、今はそういう感じだ。考えてみたらこの辺りは以前も大都会ではないし、大自然の中でもないような場所だったはずである。つまり今も昔も殺風景なのかも知れないが。
 そんなふうに考えていたら少しウンザリするような気分になったので、蚊屋野はそれ以上考えるのをやめた。もう何時間歩いたか解らないが、かなりの距離を進んできた。サービスエリアの件で機嫌を損ねているのではないか、と思っていた花屋と堂中だったが、蚊屋野が慎重に探りを入れてみたところ、それほど怒ってはいないようだった。まだ蚊屋野がこの世界に慣れていないという事も考えて、蚊屋野のおかしな行動も大目に見てくれているのかも知れない。ただし、蚊屋野からするとこの世界に慣れていないどころか、この旅の最終的な目的もまだ解ってないし彼がマズい状況にある事はあまり変わっていない。
 三人は歩き続けてまさに足が棒になっている状態で、今では口数も少ないが、途中で花屋から聞いた話によると今日の目的地はもすぐのはずだ。蚊屋野のスマートフォンでその目的地の場所を調べてみると、20年前の地図では箱根の手前の辺りである。という事は、ここからはずっと登り坂という事になるのだろうか。ただ、そこは考えるまでもなく前方を見れば箱根の山がそびえているし、登るに違いないが。
「もうちょっとっすから。頑張って行きましょう」
蚊屋野が前方の登り坂を見つめて大きく息をついたのに気付いた堂中が言った。
「うん」と返事をした蚊屋野だったが、5回目の大学四年生の学生生活をダラダラ続けていた蚊屋野にとってはかなりきつい移動で彼は限界に近づいている気がしていた。本来なら灰の影響を受けていない蚊屋野が一番元気なハズなのだが。
「みんなは大丈夫なの?」
「なんていうか、歩くのは得意なんすよ。今は自分の足以外に移動手段がないっすからね」
納得と言えば納得の堂中の答えだった。
「でもマモルさんはよく車に乗りたいって言ってますよね」
花屋がからかうように言う。
「車があるの?」
「いや。今は多分ないっすけど…」
「ああ、そうか。マモル君は20年前の世界も知ってるんだったっけ」
「まあ、そうっすね。今と全然違うから、だんだん記憶が曖昧になってるっすけどね」
それがどういう意味か蚊屋野には解らなかった。蚊屋野が物心ついた時の記憶というのをいきなり思い出すというのは難しいかも知れないが、現在から順に時間を遡っていくと結構色んな事をハッキリ覚えていたりするものである。でも、ある日突然それまでの生活が全く違うものに変わってしまうようなことがあると、そこで記憶が途切れたりすることもあるのだろうか?
 蚊屋野にはちょっと前にその変化が訪れたのだが。そこを境に過去の記憶が曖昧になってしまうという事があったら、なんとなく寂しい気もする。せめて良い思い出だけは忘れないようにしたいと思ったのだが、よく考えると蚊屋野には忘れられないような良い思い出というのがほとんど無かったりもする。
 次の目的地まではあと数キロというところまで来ていたのだが、山の曲がりくねった登り坂ではなかなか前に進めない。ただ、ここに来て蚊屋野はある事に気づいた。山を登るにつれてどこか懐かしい感じがしてきたのだ。さっきまでと違って木々が生い茂っているからなのかも知れないが、それだけではなかった。足下のアスファルトが崩れる事もなく綺麗に残っていて歩きやすいのだ。滑ったり躓いたりしないで歩けるということで元の世界を思い出すというのは意外だったが、普段気付かないような便利さが重要だとか、そういう事なのかもしれない。
「この辺の道って、なんか綺麗だよね」
蚊屋野が言った。綺麗という言葉は正確ではないかも知れないが、これまでほとんど道とは言えない、かつてアスファルトだった場所のようなところを辿って歩いて来たので、この道は確かに綺麗に見える。
「ここには灰がほとんど降らないんすよ。地形と風向きの関係っすね。そういう場所はけっこうあるから、そういう場所にみんなが集まってきて街になるんすよね」
「へえ、そうなのか…」
堂中に言われて「なるほど」と思った蚊屋野だが、一つ疑問に思ったのが彼が最初に連れて行かれたあの地下の居住地のことだった。あそこはまさに荒野の真ん中だったのだが、どうして人が集まって小さな街になっていたのか。
「でもキミ達が住んでたあの街って…」
「ああ。それは先生がたまたまあそこにいたから。元々は能内先生が転送装置を監視するためにあそこにいたんすけど。そこに行き場をなくした人達が集まってきて。先生は人付き合いが下手っすから変わり者だと思われてたんすけど。でも色んな事に詳しいし、みんな先生に助けてもらった感じっすよね」
それは納得できるような出来ないような理由でもあるが。でも蚊屋野があの時にあの実験の実験台になっていなかったら、彼らはもう少しまともな場所に住む事が出来たのか?とも思って、蚊屋野は悪い事をしたような気がしたが、よく考えるとそれは気にする必要はない事だとも思えた。あの実験のおかげで能内教授があそこにやって来たのだし、それはそれで良かったのかも知れない。
 蚊屋野が運命とか偶然とかについてダラダラ考え始めようとしていた時、道の先の方に民家が見え始めた。今は人が住んでいるのか解らないが、20年前の感覚でいうとそれは民家としか思えない平屋建ての小さな一軒家という感じの建物が何軒か並んでいる。
「もうすぐですよ」
もう日が暮れかけていたが無事に最初の街までやって来られたのが解って花屋の顔は少し明るくなっている。
「街って、こんな感じなのかあ」
蚊屋野は前方に見える集落の感じが昔と全く一緒なので、少し拍子抜けした気分だったのだろう。だが、そういうことではなさそうだった。
「アレはまだ街の外っすよ。もう少し進むともっと賑やかっすから」
この場所で賑やかってどんな感じだろうか?と蚊屋野は思っていた。これまで見たのは地下の居住地の他には廃墟と荒野という感じだったし、賑やかな場所というのを想像するのは難しい。といっても、すぐに街が見えてきて想像する必要はなくなるのだが。
 少し暗くなったこの山道で前方がボーッと明るくなっているのが解った。その明るさは20年前の都会の明るさからしたら暗いに違いないが、山の中の他に明かりのない場所なら眩しいくらいの明るさである。そして、その明かりに近づくにつれて暮れかけてきた山の中がよりいっそう暗くなったように感じた。これは確かに街である。蚊屋野は目の前に現れた街の光景を見て思っていた。
 街の中と外との明確な区別というのは無いようだったが、最初の数件の建物を通り過ぎたところに門と塀のようなものがあるのに気付いた。以前は塀に囲まれていたのかも知れないが、いつの間にか塀の外まで街が広がってしまったのかも知れない。そんな感じで何となく景気の良さそうな雰囲気もある。
 この街を明るくしているのは道沿いにある食堂のような店の明かりだったようだ。街に入るとそういった店から食べ物の臭いが漂ってくる。これまであのマズい食料しか食べていなかったので、これは蚊屋野ならずともお腹がグゥ…と鳴りそうだ。
 明かりと食べ物と、そういった雰囲気に少しリラックスした気分になりたい三人でもあったのだが、どうやら街には彼らが何者で何をしに来たのかを知っている人もいるようで、街に入った時から三人は周囲からのザワザワした視線を感じていた。
「ボクらって、今日はどこに泊まるの?」
この落ち着かない感じを気にした蚊屋野が聞いた。
「今日は良いところに泊まれますから、大丈夫ですよ」
大丈夫と言うからには、花屋もこの周囲の雰囲気を好ましく思っていないのだろう。
「ボクら、ここじゃちょっとした V.I.P. っすからね」
堂中が言ったが、蚊屋野は V.I.P. って言葉はこの街には似合わないとか思っていた。賑やかではあるが、廃墟の中に出来た街だし、なんというか神社の縁日に来たような、そんな賑やかさなのだ。ただ堂中のいった V.I.P. にはまた別の意味があったりもする。
 それはあとで明らかになるのだが、その前に蚊屋野は別の事に驚かされる事になった。彼らが歩いていると周囲の数人の歩行者をかき分けて一人の老婆が彼らの前に現れたのだ。
「ぉおお!夕闇に包まれし山より現れたるは、選ばれし旅人たち。そしてお前。異界の声を聞くものよ!」
老婆に指を指された蚊屋野は驚いて立ち止まった。
「な、なんですか?」
「蚊屋野さん。その人にかまっちゃダメですよ」
花屋は老婆を無視して先に進もうとするが、蚊屋野はこの怪しい老婆の言う事に少し興味を示してしまっている。
「今なんて言いましたか?」
「蚊屋野さん。ダメっすよ。占いなんて当たるわけないんすから」
「ああ、またお前か。当たるかどうかは占ってみなけれりゃ解らないだろうが」
どうやら花屋と堂中はこの老婆の事を知っているようだ。老婆は堂中を一度睨み付けてから今度は蚊屋野の方をマジマジと見つめている。
「おお。お前には重大な変化が訪れる…。いやもうそれは訪れているのかも知れん。うーん…」
「行きましょう」
花屋が蚊屋野の袖を引いた。蚊屋野も最初は少し興味を持ったのだが、今の言葉があまりにも占い師じみていたので少し興ざめといった感じだった。
「まあ、良い。私はフォウチュン・バァじゃ。きっとお前はまた私のところへやって来る事になる。異界の声を聞くものは必ずやって来るのだ」
フォウチュン・バァって…。と思いながら蚊屋野は立ち去ろうとしたのだが、やっぱり最後の一言が気になったりしていた。異界の声っていうのは…。
 蚊屋野はこれまでに何度か聞こえて来た幻聴と思われる声を思い出していたのだ。しかしそれが「異界の声」というのはちょっと違うだろうか。恐らくこれは、どうでも良いものを思わず買ってしまいたくなるような、この縁日っぽい雰囲気のせいに違いない。蚊屋野はやはり立ち去る事にした。
 三人は縁日っぽい道をさらに街の奥へと進んだ。どうして縁日っぽいのかというと、この街の明かりは高いところにある街灯の明かりではなくて、道沿いに並んだ建物から漏れている明かりだからだ。薄暗い場所からこういう光の中に浮かび上がったような場所にやって来ると、ここが現実ではないような気分になったりする。一日中歩いて来た蚊屋野にはなおさらそれが強く感じられた。そういう人達を目当てにしているのがあのフォウチュン・バァという事なのかもしれない。あの大げさで神がかったような演劇じみた話し方はこの現実離れしてるように感じる縁日みたいな場所に良く合う気がする。
 しばらく歩くと次第に人気がなくなって、辺りも暗くなって来た。この辺りは街の中心なのだろうか。きっと昼間はこの街の中心に人々が集まって街の仕事をして、夜になると外側に近いところにある自分たちの家や飲食店に向かうという事なのだろう。とはいっても、街の中心で昼間にする仕事というのがどういうものなのか蚊屋野には想像できなかったが。
 そして三人は街の中心にある大きな家の前で立ち止まった。ここは市長の家である。ここが行政的に市なのかどうかは良く解らないし、規模から言うと町とか村になりそうなのだが、何となくシックリ来る呼び方ということで、ここで一番偉い人は「市長」と呼ばれている。
 この市長の家が彼らのここでの宿ということになる。さっき堂中が V.I.P. と言ったのはこのことだったようだ。大きな木製の扉にはノックする時に使う鉄の輪っかのアレが付いている。堂中がそれでノックしようとしたのだが、花屋が「私がやる」と言って彼を遮った。
 これまで居住地の若者のリーダーとしての花屋の姿しか見ていなかった蚊屋野だが、ドアに付いている鉄の輪っかを握った楽しそうな花屋に、彼女に残っている子供の部分を見たような気がした。そうはいっても、ものの考え方などは蚊屋野の方がよっぽど子供じみているのだが。そういうところには自分で気付いていない蚊屋野は花屋の行動をほほえましく思っているのである。
 花屋が扉をノックすると、程なく重たい音と共に扉が開いた。どうやら市長自ら迎えに出てきたようだ、と蚊屋野は思った。その恰幅の良いという言葉から連想される体格そのままの紳士の姿を見たら誰でも彼を市長だと思うだろう。
「ウェールカァム!」
市長は両手を体の横に広げて、良く響くテノール歌手のような声で言った。
 また演劇じみてる…。そう思いながら蚊屋野は市長を見ていた。それから「また変なのがきたな」という知らない声を聞いてギョッとしていたが、それは気付かれないようにしていた。

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