Technólogia Vol. 1 - Pt. 17

Technologia

18. 食卓

「おぉ!これは民を導く希望の光。麗しき姫君ではないか」
大げさに話しかける市長に花屋がニコニコしながら会釈した。
「そして知恵と勇気をもたらすもの。東より来たる賢者が今度は西から戻ってきたか」
そう言われた堂中が笑いをこらえながら頭を下げた。この市長の芝居じみた大げさな話し方は二人を大いに楽しませているようだ。蚊屋野も良くワケが解らないながらも、なんとなく面白いと思って聞いていた。すると今度は市長が蚊屋野の方を見た。彼はなんと言われるのだろうか。
「それで、キミか…。さまよえる留年生よ」
他の二人に比べたらガッカリする表現なのだが「さまよえる留年生」という呼び方は間違いではない気がして、蚊屋野としても納得してしまうところがあった。それよりも、こういう時にはどうやって返事をしたら良いのだろうか?「さまよえる留年生よ」と言われた時には、普通に「どうも、初めまして」じゃいけない気がする。かといって「偉大なる市長様にどうのこうの…」とかそういう台詞がとっさに出てくるワケもない。蚊屋野も二人と同じく軽く頭を下げるだけにしておいた。
「今回もよろしくお願いします」
そして花屋が普通に挨拶した。
 どうして花屋達がこの市長の家に泊まれるのか、ということだが。この市長も元は学者で能内教授や、その他の街や居住地を作るのに貢献した学者達とも知り合いなのだそうだ。ただ、なんとなく解るように市長は能内教授とは違って文学者である。それで、元々はお互いを知らなかったのだが、あの異変が起きた日のあと、人々が協力しなければいけない状況が生まれた中で彼らは知り合ったようだ。研究している内容は違っても同じ大学教授ということで交流が始まったのだろう。
 文学の研究をしていても荒野になった世界ではあまり役立つ事はないと思われていたが、そんな事もなかった。能内教授が良い例だが、彼のような科学のために生きてきたようなタイプの人間は他人と関わることが苦手だったりすることが多い。この箱根の手前に人が住むのに適した場所を見つけて街を作ったのも同様に科学者だったのだが、荒野の中のオアシスのようなこの場所には人が多く集まってきた。そして次第に人々をまとめるのが難しくなってきたのだ。そこで市長が誕生したということだ。
 市長にはどうすれば電気やその他のエネルギーを効率よく使えるかとか、食糧や医療の問題を解決するための知識は全くない。しかし、その独特の雰囲気と仰々しい喋り方。もしかするとそれは文学の研究とは関係ない事なのかも知れないが、彼の人を惹きつける能力を活かして彼が市長としての役割を担うようになった。そして、その大げさな話し方以外にも、文学的に、あるいは演劇的に人を楽しませる方法を知っていたのも彼が市長として成功した要因でもある。謎めいた占いオババみたいなフォウチュン・バァが街にいるのも市長の演出の一つかも知れない。
 そして、この街を技術的な意味で作った科学者達は市長のうしろで街が理想的な状態を保てるように、調査して研究して、必要に応じて市長に色々な提案をする。たいていの場合市長はその提案をそのまま受け入れて街に新しいルールを作る。
 そういう分業のおかげでこの街は上手く機能しているという事のようだ。

 三人は建物の中の食堂のような場所にとおされた。ここは20年前には観光施設か、旅館のような場所だったのであろう。所々に日本的な演出があるが、全体的には現代(といっても20年前)的な商業施設といった感じである。そこへさらに市長の好みで洋風の部屋や装飾が追加されてワケが解らないことになっている。
 この食堂はその中の洋風な作りの部屋だった。大きなテーブルについた三人の前には、蚊屋野が20年前の世界でもあまり食べた事のない、いかにも「ご馳走」という感じの食事が用意されている。味のしない不味い食糧だけで一日歩いて来た体が勝手に反応して、今にもよだれが垂れそうになっているのだが、蚊屋野には少し気になる事もあった。花屋と堂中にその事を聞こうと思ったのだが、その時市長がワインのボトルを手に入ってきた。
「ワインを出せば客人が来て、客人が来ればワインが飲める!」
「なんですか、それ?」
市長が変な格言のようなものを言ったので、堂中が聞いた。
「この街のことわざかな。考えたのは私だが」
「市長はいつでも飲みたいだけですよね」
花屋も堂中もこの市長には気兼ねなくものを言うようだ。
「まあ、そう言わずに。キミももうワインが飲める歳になったはずだが」
「じゃあ、少しだけいただきます」
市長は各人の前にあるグラスにワインを注いでいったが、蚊屋野の前で一度手を止めた。
「キミは酒ばっかり飲んでる顔だな、留年生。酒で人生台無しにするタイプだ。人相を見れば大体解る」
確かに、酒を飲み過ぎて変な場所で寝ていたせいでこんな事になっているので、市長の言っていることはあっている気がする。市長としても半分冗談でいったのだが、図星だったので蚊屋野は返す言葉が見つからなかった。それでも黙っているのは変だと思っていると、自然と気になっていることが口から出てきた。
「このワインって、どこで作ってるんですか?まさか20年前まであったものを見つけてきて、それを少しずつ飲んでるとか?」
話の流れとは全く関係ない質問だったが、いつでも飲みたいと思っている市長にはちょうど良い質問だったかも知れない。
「ああ、そんな良いワインが飲めたら良いんだがなあ。あのあと、特に大きな暴動騒ぎなんかはなかったんだが、なぜか酒だけは別だったようで、ほとんどの商店から酒だけは盗まれた。あの時に残っていた酒はそいつらに飲まれてしまったよ。中にはとっておいてあとで売るヤツもいるんだが、高すぎて私のようなものには手がでんよ」
市長の言う事を聞いていたら更に謎が増えて気がしたのだが。市長でも買えないような高い酒があるとか。ということは、今のこの状態でも大金持ちとそれ以外の人がいるということなのだろうか。この世界の事は簡単には理解出来そうにない。
「だが落胆する事はない。どうやら、あれからこの辺りの環境も徐々に変化しているようで、近くの畑でもワインに適したブドウが採れるようになっているんだよ。それはつまり農作物を作る環境としては悪化しているという事でもあるのだし、それを喜んではいけないのだがな。この悲惨な時代を生きる我々へのわずかながらの恵みと思って良いじゃないか」
「へえ。それじゃ、農業やなんかもちゃんと出来てるんですね。それに、この料理も。肉や野菜は本物なんですね?」
「ああ、ここは他に比べて環境が良いからね。食べ物にはそれほど苦労しないで済んでいるよ」
そうと解ったらさらにお腹が空いてくる。早く食べたいのだが、そこへ堂中が余計な補足を加えた。
「もしかして灰の影響とかを心配してるかもしれないっすけど。それなら大丈夫なんすよ。あの灰は直接触れさえしなければ、人体に影響はないみたいなんです。色んな場所で科学者達が研究してたんすけど、どこでも結果が一緒だったんすよ。もちろん灰の降る場所じゃ農業も畜産も出来ないっすけど。ここは地形の影響で灰がほとんど降ってこないっすからね」
せっかく堂中が話してくれたのだが、蚊屋野は早く食べたいのでうわの空だった。
「学者君。難しい話は食べながらで良いじゃないか」
市長が言うと、そのままグラスを掲げて外国語を話し始めた。最後の方に「ボナペティ」と言っていたのでフランス語のようだ。ここに来た時には「ウェルカム!」だったのだが、今度はフランス風なのは赤ワインだからだろうか?どうして赤ワインだとフランスなのか、というとそれは蚊屋野が勝手に思い込んでいる事だが。市長がなんと言っていたのかは解らないがとにかく乾杯をすることになった。
 一口飲んだワインは酸っぱくて目がつぶれそうだったが、それがまた疲れた体には染みこむような心地よさだった。市長が言っていたが確かに不味くはない。あの装置の中で目覚めてからこれまでで初めてリラックスした気分になってきたが、まだ少し気を緩めるのは待つ事にした。蚊屋野以外は誰も知らない問題がまだいくつか残っているのだし。
 その後、食事をしながらこの街の話や前にいた地下の居住地の話などをしていたのだが、この先の旅の話になると市長の表情が少し緊張したような感じがした。
「実はキミ達に悪い知らせがあるんだが…」
蚊屋野はやっぱり気を緩めないで良かったと思っていた。別に気持ちの持ち方に関係なく悪い知らせを聞く事にはなるのだが、悪い事は続くと思っていた方が、実際に悪い事が起きた時に気が楽なのだ。
「小田原が閉鎖されているようなんだな」
「そんな?!こんな時期に。あり得ませんよ」
蚊屋野には何のことだか解らなかったが、花屋の反応からすると一大事のようだ。
「確かにそうなんだが。閉鎖されてしまうとこっちには人が来なくなるから情報も入らない。もしかすると東側で何かあったのかも知れないが。まあ様子を見てみるしかないだろう」
この世界では初期の混乱も収まり安定した生活が営まれているのだが、一度に多くの人間が街から街へと移動すると混乱の原因になる。それで人の流れを調節するために時々街と街の間の道を閉鎖してバランスを保っているということなのだ。
「マズいっすねえ。早く東京に着きたいのに…」
「まあ二、三日の辛抱だよ。そう慌てなくてもスフィアがなくなることはない」
市長が言うと一呼吸おいてから蚊屋野の方を見た。
「そうだ。これは私の興味からなんだがね。ここに来る人にはみんなに聞いているのだが。留年生よ。キミはあのスフィアが何だと思っているのかね?」
蚊屋野は聞かれて酔いが一気に覚めるような感じだった。そして目の前のワインの残りを一気飲みしたい気分だったが、そんなことをしたら怪しすぎるので、一口飲んでから気付かれないようにアセっていた。スフィアというのがなんなのか解らない状態のままで、そのことに気付かれないようにここまで誤魔化して来たのだが、ここでスフィアとは何か?と聞かれるとは思っていなかった。
 これまで解った事といえば、スフィアから出ている電波のようなものを使ってスマホのような機械で通信が出来ているとか、そのぐらいだ。それだけの知識からスフィアについて何を話せば良いというのか?
「実はまだ実物を見た事がないもんで。まだアレがなんなのか?とかそういうことは…」
これで大丈夫だろうか?
「実物を見てもアレがある意味は解らんよ。私が聞きたいのは我々人類にとってスフィアが持つ意味ということかな。ある日突然、日常が失われて多くの人の行方が解らなくなった。そしてその後で各地にアレが現れた」
つまり市長が知りたいのはスフィアの機能とか実態ということではなくて、それが現れた理由ということのようだ。つまり文学者的な解釈でスフィアについて研究したいということだろう。さあどうする?さまよえる留年生。
「スフィアとは…」
スフィアとは何なのか?蚊屋野は花屋と堂中が途中で口を挟んできたりして上手く話がそれないか、と期待したのだが、彼らは蚊屋野の口からどんな言葉が出てくるのか気になっているようだ。なにしろ蚊屋野は過去の世界からやって来た英雄という事なのだから。
 きっと花屋も堂中も初めて市長にあった時には同じ事を聞かれたに違いない。その時に彼らは何て答えたのだろう?それが解ったところでこの状況はどうにもならないが、なにか模範解答のようなものがあれば助かるとも思った蚊屋野であった。でも今はそんなものを期待しても無駄なので自分で考えるしかない。
「スフィアとは、その…、火とか電気とか、そういうものと捉えたら良いんだと思います。あの、なんていうか、こういう時に人はマジナイというか、あぁ…それは未知の力なんですが。例えばどんな宗教にも終末思想というのがつきものですが、これまでに起きている事を考えると、これはまだ新しい何かのような…」
出だしは良いと思ったのだが、すぐに何を言っているのか自分で解らなくなってくる。
「危険なものかも知れないけど、使いようによっては便利な刃物みたいに。やはりそれは新しい発見なのだと、思うようになることも…」
「結局なにも解ってない、ってことね」
「ウワァ…!」
蚊屋野が驚いて花屋の方を見た。
「今、なんか言った?」
花屋はビックリして首を振っている。という事は、今の声は誰の声だったのか?と思って蚊屋野はまたゾッとしていた。女性の声だったが、あれはまた蚊屋野にしか聞こえない頭の中の声ということなのか。
「それで、刃物がなんだっていうのよ?」
「うぅ…」
「大丈夫っすか?」
「いやあ。なんていうか。ワインのせいかな。今日は一日歩いてたし、酒が回るのが早いみたいで…」
「まだ全然飲んでないくせに」
「いや、しかしキミの考えもなかなか面白いぞ。ほとんど意味は解らなかったがね。キミはあれを人類にとっての新しい発見と捉えているんだね」
「ええ、まあ。そんなところでしょうか」
「アレの事を『消えた人間達の墓場』なんて恐ろしいことを言っていた者もいたがね」
「ちょっと恥ずかしいからやめてくださいよ」
堂中が赤くなっている。
「あの頃はまだ何にも解ってなかったんすから。それにあの占い師に色々と吹き込まれて、そんな気分だったんすよ、あの時は」
「ああ、あの婆さんも元気だなあ。もう何十年も続いている」
「さっきも、異界の声を聞くものよ!ってやってましたよ」
花屋がフォウチュン・バァの声を真似してみた。
「ボクもあれに騙されたんすよ」
「でも時には良いんじゃないか。留年生も占ってもらったらどうだ?」
市長がフォウチュン・バァを進めてきたが、蚊屋野はそういうのがあまり好きではなかった。
「いやあ、どうですかねえ…」
「良かったわね、話題が変わって」
「エッ…?!」
「どうしたんだ?なんというかアレだな。落ち着きがないというか。異界の声でも聞こえてるんじゃないか?アハハハッ」
蚊屋野は冗談でもそんなことは言わないで欲しいと思っていた。本当に頭の中の声が「異界の声」のように思えてきてしまう。しかし、状況を考えるとそんな事があっても良いのかも知れない、と蚊屋野は思い始めてもいた。自分は20年前からやって来た特別な存在なのだし、そういう未知のものに触れられる力を持っていても良いんじゃないか、とか。それはあまりにも都合の良い解釈なのだが…。
「ちょっと。黙ってたら会話が止まってるわよ」
と、異界の声。
「ぁあ…!っと、ええと。たまには良いかも知れませんね。ああいう人は他にはいなさそうだし」
「ホントに行くんすか?」
「大丈夫だよ。変な話を鵜呑みにしたりはしないから」
「どうせすぐには出発できないからこの街ではゆっくりして行きなさい。占いの代金は私が出すぞ」
「それはどうも」
「なんだか適当な人ね、あなたって」
しかし、この頭の中の声はどうしたら消す事ができるのだろうか?蚊屋野はまた一気飲みしたい衝動を抑えながら一口飲んでアセっている。

19. 一方その頃、東京では

 これまでずっと蚊屋野のそばで起きている話だったので、そろそろ離れた場所の話もしてみる。同じ景色ばかりでは飽きてしまうし。
 東京はこの状況でも相変わらず大都会のような雰囲気がある。世界が変わる前に良くテレビなどで映されていた渋谷や新宿の交差点の人混みを想像してもらえば解ると思うが、あの大量の人間を半分に減らしたところでまだ大量である。なので、人口が半分になっても東京はまだ大都会のような感じなのだ。
 とはいっても、以前と同じ生活が出来るワケでもないので、夜の東京は暗い。さらにビルとビルの間に布を貼って屋根にしているので、余計に暗く感じる。どうしてそんな屋根があるのかというと、例の灰をよけるためだ。今も昔も都会では街を自然に合わせるのではなくて、自然を街に従わせるやり方が採られている。
 そんな暗がりの中の更に暗いビルの陰に黒い革のジャケットを着た若い男が立っていた。そこへ老紳士が近づいて来る。
「彼らはまだ小田原を過ぎていないようです」
紳士が近くに来ると若い男が言った。
「そうか。しかしいつまでも閉鎖しておくわけにもいかない。それに迂回するルートはいくらでもある」
「迂回ルートを使ってくれた方がかえって都合が良いかも知れませんよ」
「それはどういうことかな?」
「迂回ルートはどこを進んでも危険です。途中で不慮の事故や、何かの事件に巻き込まれないとも限りません」
老紳士はそれを聞くと男性の目を見てから眉をピクリと動かした。
「どうも、キミのやり方は強引に思えるね」
「多少のリスクは犯さないといけない事もあります」
「よかろう。キミにまかせる事にするよ」
そう言って老紳士は黙ってその場から去っていった。紳士と言ってもそれは見た目だけであって、中身は紳士ではなさそうな老紳士だが。
 何かがありそうな雰囲気である。