Technólogia Vol. 1 - Pt. 29

Technologia

33. 追跡

 ただならぬ事が起きている、と思えるのは今まで起きた事のそれぞれが一つの場所に収束しつつあるのに気がついたという事に違いない。そして、地下室に入るための扉にツッカエ棒がしてあった事が示しているのは、彼らもその出来事に渦中にいるという意味かも知れない。
「チカがいないんです。どこに行ったか知ってますか?」
そう言う花屋の様子は明らかに焦っているようだ。
「知らないけど。どうも何かが始まっている気がするんだよね」
蚊屋野は扉を押さえていた棒で扉と反対側の壁を軽く突くように動かしながら言った。壁には一カ所だけ窪んだ部分があって、棒は扉を押さえる時にその窪んだ部分に差し込まれて動かないようになっていたようだ。一時しのぎのツッカエ棒ではなくて、中から扉を開けられないように準備されていたのだろう。
「ボクらがここを出るとマズい何かがあったに違いないんだけど。それより、マモル君は?」
「中でまだ研究の事を調べてます。目が覚めてから読む順番を変えてみたら重大な事に気づいたって。それで蚊屋野さんを探しに行こうと思ったんですけど、扉が開かなくて」
ここに彼ら以外の人間がいないのなら、この扉を開かないようにしたのはチカの他に考えられない。だが蚊屋野が中にいないのには気付かなかったのだろうか。
「とにかく、下に戻りましょう」
花屋が先に戻ろうとしたが、蚊屋野はあまり気が進まない。
「でも、みんなで下に行くと、今度は完全に閉じ込められちゃうかもよ」
そうだった。しかし、下に行って堂中を手伝った方が良いような気もする。少なくともここで二人がボーッと待っていても意味がない。
「ボクがここで見張ってるよ。どうせ難しい話はボクには解らないから。それにケロ君もいるから」
花屋は蚊屋野の言うとおりに下に行くべきか迷っていた。蚊屋野を無事に東京まで送り届けるのが自分の役目でもある。ここで蚊屋野に何かあったら彼女の責任になるのだが。しかし、この街の問題を解決しない限り、先に進む事も出来ない。
「じゃあ、ケロ君。頼んだよ」
「(ああ、まかせておけ)」
花屋は階段を駆け下りて研究室へ入っていた。
「(なんだか、オマエはあんまり信用されてないみたいだな)」
「そうじゃなくて、心配性なだけだよ。彼女は」
そう言った蚊屋野だったが、なんとなくケロ君の言った事もあっているような気もした。この世界では自分が一番体力もあるということだし、そういう点では一人でいても安心なはずなのだが。
 それよりも、今は他に考えることがありそうな気もする。さっき彼が見たチカとは違う生きていないはずの女の子。もしかして夢を見ていたのかも知れない。ああいうものは「寝ぼけた人が見間違えた」ものだっていう歌もあることだし。それに、あの時は本当に目が覚めたばかりでまだ頭もハッキリしていなかったはず。
 だがもしも、あれが夢のようなものでないとすると、事態はもっと深刻になる。何しろ、あの時千歌は「みんな殺されちゃうよ」と何度も繰り返していたのだ。彼らが地下に閉じ込められそうになった事と関連しているとしたら、それは恐ろしい事である。
「ねえ、ケロ君。イヌって鼻が利くし耳も良いんでしょ?ちょっとでも異変があったらちゃんと教えて欲しいんだけど」
「(なんだよそれ。それが見張りの役割だろ。大丈夫だ。今のところこの辺りはいたって静かだがな。だが、朝飯の時のニオイがしてるな)」
「朝飯?」
蚊屋野が何だろう?と思って鼻から息を吸ってみたが、何のことだか解らなかった。
 それからしばらくして研究室の扉が開くと、なぜかコーヒーのニオイが漂ってきた。花屋がマグカップを二つ持って階段を上がってくる。その後ろで堂中も何かを飲んでいるようだ。
 花屋が持っていたマグカップの一つを蚊屋野に渡した。それは予想したとおりコーヒーに違いなかったが。だが、ここで一息入れている場合なのか?という感じもする。
「研究室にコーヒーはつきものっすからね」
堂中が言ったが、蚊屋野はまだ理解出来ていない。
「大事な事をやる前はちゃんと目を覚ました方がイイんですよ」
蚊屋野が戸惑っているようなので花屋が言った。確かに変な時間に寝たせいでまだ頭の中がハッキリしていない気がした。
 とりあえずコーヒーを飲んだ蚊屋野だったが、頭がハッキリしていない状態なので、この世界にコーヒーがある事の違和感に気付いていなかった。これまでに飲んだ事のあるコーヒーと同じものだと思って飲んだのだが、これは雑巾をなめたような味だと彼は思った。だが花屋も堂中も美味しそうに飲んでいるので、あまり味の事は言えそうにない。それにこの刺さるような苦みが目を覚ますのに役立っている気もする。このコーヒーの正体についてはいつか聞いてみるしかなさそうだ。
 それよりも、どうしてコーヒーなのかということだが。堂中は居眠りから目覚めると、少しだけ頭の中がスッキリして、ある間違いに気付いたのだった。眠る前は研究の記録を最初の方から順番に読んでいたのだが、この場合はそれではあまり意味がない。今は研究の内容を詳しく知りたいのではなくて、研究の結果何が起こったのかを知りたいのだ。そう言う場合は最初から読むより最後から読んだ方が効率が良いに決まっている。しかし、疲労と睡魔と戦いながら研究記録を読み始めた堂中はそこに気付いていなかったのである。やはり、頭を使う作業をする時には頭脳明晰な状態でないといけないと思って、それでコーヒーということだったのだ。
 コーヒーのおかげもあって堂中はこれから何をすべきかを整理できたようだ。花屋も大体のことを解っていたのだが、ずっと外にいた蚊屋野はなんだか良くわかっていない。とりあえず不味いコーヒーのおかげですっかり目は覚めた感じはしているが。
「研究記録によると、真智野先生の研究は大失敗だったはずなんすよね」
堂中が説明を始めた。予想どおり良い事が起きてるワケはなさそうだ。
「最終的な記録が残されないまま先生はどこかへ消えてしまったんすけど。それよりも、ここで何が行われていたのかを少し説明しないといけないっすよね。灰によって弱体化した人間達を元の状態に戻す研究。それは最初に読んだとおりでした。方法は電磁波の一種を使うというものでしたが。その電磁波というのが問題で。先生はスフィアから出ている電波のようなものを分析して治療に使おうとしてたんすよね」
「でも、その電波みたいなものってのは、有害なんじゃないの?近づくには健康な体とあの変なスーツが必要なんでしょ」
それこそが蚊屋野本人の役目なので、その辺は彼にもちゃんと解っているようだ。
「そうなんすけど。でも危険なほど近づかなくても観測する事は可能っす。スフィアからはいろんな種類の電波のようなものが出てるんすけど、不思議なことに一部のものは遠くまで届かないんすよ。だから有害であってもボクらは近づかない限り安全なんすけど。先生はその中に偶然治療に使えそうなものを見つけたようなんすよね」
「お祖父ちゃん達は私が生まれる前からずっとスフィアの研究をしてた。もしかすると真智野先生もスフィアに詳しかったのかも」
「そうっすよね。でもスフィアから出ているものを人間に照射するような事は、普通ならやらないっすよ。スフィアに詳しいなら、なおさらっす」
真智野先生はやはりどこか正常でないところがあったに違いない。それは娘そっくりのロボットに助手をさせるような所にも現れている。スフィアの研究をやめてこの街の運営に携わったのだが、そのうちに娘を亡くし、その悲しみから間違った研究を始めてしまった。そんな感じがする。
「でも、研究は上手くいってたってチカが言ってなかった?」
蚊屋野は機械の言う事を鵜呑みにするようだ。
「そうなんすけど。チカの中に記録された部分までは上手くいってたってことっすよ。でも真智野先生は住民に治療を始める前にチカの主な機能をオフにしたんすね。まだ実験が充分に行われていない状態で実用するのは危険すからね。多分チカが絶えず警告を発してたはずっすよ」
「(ああ、あの声は気味が悪いからな。出来れば聞きたくないもんだな)」
「でも、ボクが機能をオンにしたせいでチカは色んな事に気がついたんすね。緊急事態の時に動くプログラムみたいなものがあるんじゃないすかね。それで、チカは姿が見えなくなったんだと思うんすけど。チカは多分、先生を探しているか、あるいは住民達を元の状態にするための処置をしようとしているのか」
堂中は先程から「住民」という言葉を使っているが、蚊屋野はそれが気になっていた。
「住民って言っても、ここに来てから誰も見てないんだけど。もしかして…」
「ああ、急いでたんでちゃんと説明できてなかったっすね。読んだ記録から推測すると、昨日のアレが住民達っぽいんすよね」
「でも、あの状態じゃ処置のしようもないんじゃないの?」
「どうっすかね。記録によると、電磁波を浴びた被験者のうちに明かりを恐がる人が出始めたとか。でもただの明かりじゃなくてLED電灯の明かりにだけ反応するとかで。さらに調べた結果、LED電灯の点滅のパルスに反応していることが解ったって」
「昨日の騒動はそれで説明がつきますね」
「そうっすよね。あれは恐れるあまりに壊そうとしていたという感じっすけど。とにかくLEDさえ使わなければ安全なはずなんすよ」
「それで松明が必要だって言ってたのね」
「そういうことっす」
蚊屋野にはその意味が解らなかったが、花屋と堂中は下の研究室でこれからの事も少し話し合ってたようである。でも明かりが必要と言う事は今夜何かをしないといけないということだろう。蚊屋野としても、こんな状況でユックリ眠れるはずもないので、何よりも先にこの問題を解決すべきだと思っている。
「じゃあ、いったん話をまとめてみようか。まず先生の研究はだいたい解って、住民達はどこかでLEDの明かりに怯えていて、チカがそれをなんとかしようとしてる。それでボクらは…」
そこまで言った蚊屋野だが、ここから自分達は何をすべきか良くわからない。
「そうなんすよ。実はチカを見付けるまではどうして良いのか解らないんすよね。今のところチカの居場所だけは解るんす。チカは学校とその周辺にいくつも設置してある機械とデータをやりとりしてるんすよ。それで、機械の位置からチカの位置も割り出せるってことっすけど。でもチカが機械のない場所に行けば居場所が解らくなるし。まずチカを見つけないと先生と住民は探せないんすよ」
「でも、チカが私達を閉じ込めようとしたのはどうして?」
「さあ、どうっすかね?ボクらって先生のコンピュータの記録を見たりしてたっすから、もしかして邪魔されると思ったとか?」
ロボットの行動を理解するにはそのプログラムを読めば解るかも知れない。だがそれをやるには時間が必要である。少なくともチカが居場所を探知できる場所から出ないうちに終わるものではない。ただなんとなくイヤな予感がする。蚊屋野がそんなふうに感じるのは未知のものに対する恐怖とか不安とか、そういうものが原因かも知れないのだが。それ以外にも何かの違和感を感じてもいた。
「ボクらが何かしようとして、それがチカの意図に反する事だとしたら、もしかしてチカってボクらを襲ったりするのかな?」
蚊屋野が言うと花屋と堂中は少しギョッとしたような様子だった。科学者に囲まれて育った二人なので、どちらかというと幽霊よりもそういう話の方を恐がるようだ。
「ロボットが人間に危害を加える事は出来ないようになってるはずっす。もし、そうなってないロボットを作ったとしたら、この世界では重罪っすから」
そう言いながらも堂中は不安に表情を曇らせている。真智野先生のあの治療自体がすでに重大な犯罪に違いないのだ。そういう事を考えると不安になるのも仕方がない。だがロボットを作ったのは先生ではないはずだ。いくら優秀でもチカのようなロボットを一人で作る事は不可能だし、作ったのはどこかの研究者達だろう。それならばチカは他のロボットと同じように人間に危害を加える事はないはずである。

 やる事は大まかな感じでしか決まらなかったのだが、とにかく急いで行動に移らないといけないようだった。堂中は研究室に残って出来る限りの情報を集める事にした。蚊屋野と花屋は松明を作るために体育館へ。ケロ君はしばらくどうするか解らなくてウロウロしていたが、地下の入り口のところで番をすることにしたようで扉の外にチョコンと座っている。
 体育館は出る時と同じようにゴチャゴチャしていた。昨日の夜に設置したバリケード代わりの衝立などが壁際のドアの所に積み上げられたままだ。
 花屋は体育館に入ると真っ直ぐに倉庫の所へ走って行った。蚊屋野が少し遅れてついていくと、倉庫の中ではすでに花屋が目的のものを探して出てくる所だった。今朝ここで武器の代わりになるものを探したらモップがあったので、それで花屋はここに目的のものがあると解っていたようだ。
 取り出してきたのは今朝棒だけにされたモップとはまた別のモップ。恐らくこれもまた棒だけにされるはずだ。そして掃除をする時に係の人が着ていたと思われる作業着や雑巾のようなもの。それから床に塗るワックスの入った一斗缶も出てきた。
 花屋はまず蚊屋野に雑巾をワックスに浸すように言った。そうしている間に彼女はポケットからナイフを取り出して作業着を切っていき、一枚の布状にするとそれをまた小さく切り分けていった。雑巾をワックスに浸し終わった蚊屋野が見ていると、花屋は手際よく作業を終えて、今切ったばかりの布を同じようにワックスに浸すように言った。
 蚊屋野が作業を始めると花屋はもう一度倉庫に入って、また何かを探し始めている。派手に中を引っかき回しているようで、倉庫の外にもガタガタ言う音が聞こえてくる。蚊屋野が作業をしながら、あと足りないものは何だろう?と考えていた。そして、全ての布を浸し終えるころに「ああ」と気がついたが、頭の中に答えの単語が出てくる前に花屋が針金の束を持って出てきた。
「針金だったか…」
「何がですか?」
「いや、なんでもない」
蚊屋野の考えていた答えとは違っていたようだ。ちょっとだけ変な顔をして蚊屋野を見た花屋だったが、余計な事を考えているヒマはない。蚊屋野に自分がやるのと同じように松明を作ってくれと言うと、棒にワックスを含んだ布を巻き始めた。何枚か巻いた後で針金を使って布を固定する。「こんなやり方いつ覚えたんだろう?」と思った蚊屋野だったが、そういうのどかな思い出話を聞いている状況ではなさそうだ。
「あんまり長くは使えないけど。これだけあれば大丈夫なはずです」
即席の五本の松明が出来上がった。確かにこれを夜の間ずっと灯しているワケにはいかなそうだが、明かりが必要な時だけ使えばなんとかなりそうだ。
 研究室に戻ると堂中が扉の外で待っていた。
「チカの進む先は大体解ったっす。そろそろ機械での追跡は不可能っぽいっすから、あとはボクらの目で探すしかないっすね」
「じゃあ、急ぎましょう」
外に出ると、時々雲の間から月が見えたりしている。満月ではない中途半端な円だが、この月の明るさならしばらくは松明は使わずに済みそうだ。堂中を先頭に彼らはチカを追いかけていった。