Technólogia Vol. 1 - Pt. 37

Technologia

42. 帰還

 蚊屋野達が塔の近くまで帰ってくると、それに気付いた住人達が彼らを出迎えるために塔の下に集まってきた。だが、彼らの期待に満ちた表情は次第に曇っていった。憔悴しきった尾山の顔を見たら、交渉が上手く行かなかったというのは誰にでも解る。尾山は何も言えないまま、出迎えの住人達に頭を下げながら塔に入っていった。
「(良く帰って来られたな)」
塔に入る時、聞こえて来た言葉を聞いて蚊屋野はドキッとしてしまった。いくら何でも尾山にそんな事を言うのはそれなりの度胸がないと言えないと思ったのだが。良く考えると、それはケロ君の声で、その声は蚊屋野にしか聞こえない声に違いなかった。
「(なあ、また散歩に連れて行ってくれないか。どうも事態はそう単純じゃなさそうなんだよな)」
そう言いながらケロ君は蚊屋野の足に自分の頭を押しつけた。
「ケロちゃん、蚊屋野さんの事が大好きみたいね」
花屋が言ったが、そういう事ではない。ただ、そんな事を説明しても意味がないので、蚊屋野は適当に頷いていた。
「どうやらまたトイレタイムみたいなんだけど」
蚊屋野はここでケロ君を連れて外に出られるのか少し心配だったので、まだ顔色のすぐれない尾山の方を見た。
「仕方ない。予言者様に報告があるんだ。すぐに戻ってくるんだぞ」
威厳を保とうとしているが、どうしても弱々しく聞こえる声で尾山が言った。蚊屋野はそれを聞くと、ケロ君を連れて急いで外に出た。
 首輪もつけてないし紐で繋いでいるわけでもない犬を散歩させるために一緒に外に出るというのはなんとなく変な感じもする。普通ならこういう犬は勝手に外を歩いて、好きなところで用を足しそうなのだが。とにかく、蚊屋野はケロ君のあとについて人気の無い茂みにやって来た。
「(ここなら大丈夫だな。オマエに言われたとおり色々と嗅ぎ回ってみたんだがな。住人の抗争なんて事よりももっと大きな問題があるみたいなんだな。どうやらそれがオマエ達のことらしいんだ)」
「ボクらが?…まあ確かに、普通の状態の人間が二人もいるし。ボクらはそれなりの脅威なのかも知れないけど」
「(そうじゃねえんだ。オマエ達が東京に行ってやろうとしてる、あの計画のことだよ。オマエ達が東京に行くと都合が悪いヤツらがいるってことだ。だからオマエ達が街での交渉で問題を起こして、オマエ達が逮捕されるか、あわよくば射殺されて欲しいと思ってたらしいんだよな。だが予想に反して帰ってきたけどな)」
酷い話ではあるが、ケロ君はサラッと話した。
「射殺って。ホントに銃を持ってたのか…」
蚊屋野は自分で銃の話をしていたのだが、実際にそんな事があると解って、今になってゾッとした。もしもあの交渉の場で、尾山がパニックになって暴れたりしていたら…。時々人は偶然や幸運によって生きていられるのだと思うことがあるが、まさにそんな感じだ。
「でも、なんでそんな事をするんだ?」
「(人間がそんな事をする理由は大抵決まってんだ。ここのヤツらが街の支配権を握って東京からの資金や物資を好きに使えるようになるんだ。オマエ達を始末した見返りとしてな。今の市長達は何も知らされてないみたいだけどな。)」
「それじゃあ、交渉とか抗争とか。そんなものはどうでも良かったってことなの?ここの人達は一体何のために塔を作ったり、街から離れて大変な思いをしてるんだ?」
「(おい、オマエ。あんまり喋り過ぎんなよ。)」
少し興奮気味だった蚊屋野はしまったと思って口を閉じた。ケロ君の声は蚊屋野にしか聞こえないので、端から見れば蚊屋野は一人で喋っているようにしか見えないのだった。
「(だが残念な事に黒幕が誰なのか、声しか聞いてないから解らねえんだ)」
「もしかして塔に住んでるネズミとか、そういう動物が知ってたりしないかな?」
「(それはどうかな。ヤツらは人間に見つからないように必死なんだ。それに人間のしてる話なんて興味ないと思うしな)」
動物の話すことが解ったとしても、必ずしも役立つワケではないということのようだ。ネコでもいれば良かったのだが、ネコは時には鳥の天敵でもあるので、鷹の舞を踊る予言者様のもとに集まった人達のペットとしては向かない。
「でも、もし彼らが街の支配をするにしても、ここの住民達は東京から援助されたりするのは気に入らないんじゃないの?」
「(そうだがな。予言者様が言ったらなんでも従うと思うぜ。その予言者は黒幕が思いどおりに操ってるしな。…ヤバい、だれか来るぜ)」
ケロ君に言われて蚊屋野が振り返ると背の高い草の生えている向こうから人が近づいてくるのが解った。草をかき分けてやって来たのは昨晩彼らに食事を運んできたうちの一人の盛山さんだった。
「あの、誰かいるのですか?話し声がしたようですが」
盛山さんが蚊屋野に聞いた。
「ああ、いや。誰もいないですけど。ボク考え事に夢中になると独り言を言うクセがあるんですよ」
「そうなんですか」
昨晩も余計な事を言って変な人だと思われている蚊屋野だが、これでさらに変な人だと思われたに違いない。しかし、今はそんな事を心配している場合でもない。
「戻ってきてくれて安心しました。でも状況はあまり良くありません。交渉が失敗したというウワサが流れて、力ずくで街を手に入れようと言い出す人達もいます」
「それは良くないね。こっちには健康体の人間が三人いるだけだけど、向こうには強力な武器があるはずだし」
「そうです。争いは絶対に避けないと。でも今は予言者様のところへ行ってください。出来れば予言者様が間違った事を言わないようにして欲しいのですが。あの人が言えば、ほぼ全ての住民達がそれに従いますから」
昨日会った時の感じだと、予言者様は人の言うことを聞くような感じがなかったので、説得するのは無理な気もする。しかし、いつまでもここにいると怪しまれるかも知れないので、蚊屋野は塔に戻ることにした。
 蚊屋野を見送ったあと、盛山さんも自分の仕事場へ戻ろうとしたのだが、その時彼女の前に立ちふさがった男がいた。

 蚊屋野が予言者様のいる部屋の扉を開けたのは、ちょうど予言者様が尾山を一喝した直後だった。尾山は小さくなって固まっていて、横にいる花屋と堂中は、どうして自分達まで一緒に叱られているのか?という感じで少し不服そうな表情である。子供の頃、学校に遅刻して、教室に入ると先生が怒っていてクラスがシーンとしている時の雰囲気に似ている。何が起きているのか解らないし、しかも自分の遅刻でさらに先生が怒りそうなので非常に気まずいのだが、今回はそれほどでもない。予言者様が怒っている原因は解っている。交渉が失敗して、尾山がそのまま帰ってきたからだ。
 しかし、気になることもある。予言者様は学校の先生ではなくて、予言者なのだ。なので自分の指示で交渉に行った者達が予想(というよりも予言)どおりに働いてくれなかった時に彼はどういう反応をするのか。
「だがこれも予言されていたことなのかも知れん。今朝の舞は妙に揺らいでおったのじゃ。何か大きな災いの予兆か。それとも、予言を信じない者が内部にいるのかも知れん」
そういう事を言われると少しドキッとしてしまう。もちろん蚊屋野達は始めから予言者の言うことを信じていないし、昨晩の食事の時に聞いた話もあるので、予言者様がインチキであることはほぼ確実だと思っている。しかし、食事の時に話をしてくれた平山さんと盛山さんのような人達の存在が知られてしまうのはマズい。もしかすると、交渉が失敗したことで黒幕はそういった反対勢力の存在に気付き始めているのかも知れない。
「でも、予言のとおりにならなかった、ということは予言が外れたってことですし。そんな予言は信じる価値がなくなるんじゃないですかね?」
蚊屋野は時々こうやって挑戦的な態度になる事がある。もちろんそれなりに安全が保証されている場合に限るのだが。今回の場合、この予言者様は自分でやっている予言の事も自分で理解出来ていないはずだし、彼を困らせるのは簡単に思えた。
「ば、バカ!オマエは何を言うんだ。失礼だろ」
予言者様よりも先に尾山が間に入った。
「まあよい。この者達にはまだ私の予言の本質が解っていないのだ」
予言者様は努めて冷静さを保とうとしているような喋り方をしている。
「今夜のお告げを聞けば次にとるべき行動は明らかになろう」
尾山以外はみな「なんで今夜なのか?」と思ったに違いない。なるべく早く物事が進んでくれないと、その分だけ東京に着くのが遅れるのだが。しかし、個々の問題を片付けて隣の街を通り抜けないと東京には行けないので、なんとももどかしい感じがする。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが。そのお告げや予言というのはどういう方法でやるんですか?」
科学とは呼べないものを全く信じない堂中だったが、こういう人に対する接し方というのは解っているようだ。こういう時に否定的なことを言ったりすると、予言者様は機嫌を損ねて何も喋ってくれなくなる。
かのものは鷹の姿を借りて夜現れる。かのものがそれを私に伝え、私が念力によってそれをスレートに書き残す」
「スレート?!」
スレートってなんだろう?と堂中以外も思っていた。この場合は予言ということだし、それは何かを書き記す石盤のようなものだと思われるが。
「それは寝ている間に起きるのですか?」
「さよう」
堂中はまだ何か聞きたそうな感じだったが、そろそろ予言者様側は都合が悪くなってきたようだ。
「もうこのぐらいにしておけ」
尾山が遮るように言った。
「予言者様は予言のために休息が必要なんだ」
「いかにも。瞑想と休息が必要だ。オマエ達も明日のために備えるが良い。衛兵隊長。オマエはこのものと共に衛兵達をまとめるのだ」
このもの、と言って予言者様が指さしたのは蚊屋野だった。
「ボクですか?!」
勝手に決められても困ると思った蚊屋野だが、予言者様はまた何も言わせない感じで部屋から出て行ってしまった。
 なぜかどうしても上手く行かない感じがしてくる。これはもしかすると裏で糸を引く黒幕である科学者の狡猾さなのかも知れないが。この塔に来てから蚊屋野と花屋と堂中の三人だけで話をする機会が一度もないのだ。昨日の夜に上層部を疑っている平山さんと盛山さんに話を聞いたのは蚊屋野と堂中だけだし、その内容はまだ花屋も知らない。
 花屋の勘の良さで、彼女はなんとなく状況を把握しているようでもあるが、詳しいことを知らなければ緊急事態という時に間違った判断をしかねない。
 蚊屋野と堂中だけが知っている事については、どうやって花屋に伝えるのか。蚊屋野が尾山と一緒にいないといけないようなので、あとは堂中に任せるしかない。オカルト的な事は嫌いな堂中だが、さっきも予言者様に対する態度は冷静だったし、ここでもなんとかしてくれるに違いない。
 そして、問題は蚊屋野なのだが。尾山と一緒に何をすれば良いのか?と思いながら仕方なく尾山についていった。尾山は蚊屋野より腕力が強いが、優しすぎるし、正直すぎる。その辺りは蚊屋野にとって救いでもある。それに蚊屋野は尾山のそんなところに少し好感を持っていたのだが。ただし、場合によってはそんな事は言っていられなくなる。とにかく、蚊屋野としても出来るだけのことはしないといけない。ケロ君の話によると自分達が一番危険な状況なのだし。
「尾山君。ここの人達って予言者様がどんなことを言っても信じるの?」
歩きながら蚊屋野が聞いた。
「あたりまえだ。オマエ、何が言いたい?」
「だって、さっきの予言者様の話だと、昨日の予言は間違いだったんじゃないか?って感じでしょ。だから、そういうのは危険だと思うんだよね」
「それは、さっきも予言者様がおっしゃったとおりだ。予言には時々揺らぎが起きるんだよ。そうじゃない時にはいつも正しいんだ」
「本当にそう思ってるの?これは危険な事だよ。もしも間違った予言によって、ここの人達があの街に攻め込んだりしたら。こっちにはろくな武器はないけど、向こうには銃もあるし刺股もあるし。まだ見てないけど、その他にも色々とあるに違いないよ。向こうだって身の危険を感じたら必死で抵抗するはずだし、怪我人だけじゃなくて死者だって出るかも知れない。そうなってから『揺らぎだった』じゃね」
いちいち腹の立つヤツだ、と尾山は思っていたのだが、蚊屋野がもっともな事を言っているのでどう返すべきか困っている。
「だが、予言者様が本当にそんな指示をするはずはないはずだ。まあ、昔とは随分変わったけど、人を危険にさらすような事はしない人だ」
「昔って?」
「ずっと昔だがな。予言者様ってのは、オレのじいちゃんの弟なんだよ。じいちゃんは早くに死んじまったんだが、予言者様はオレの事を良く面倒見てくれてたんだ。当時は予言者様じゃなくて普通の老人だったんだが。しばらく会わない間におかしな事を言うようになっててな。もうそういう歳だから仕方ないのかと思ってたんだが、それが予言者としての才能を覚醒させる途中だった、ってことをあとになって知ったんだ」
「つまり、始めはボケ老人のようなことを言っていた、ってこと?」
「オマエは口の利き方に気をつけろ!」
尾山が強い口調でいったので、蚊屋野はちょっとビビった。しかし、蚊屋野が言ったことは尾山の言っていた事と大して変わりはない。それに予言の内容が黒幕によって作られている事も知っている。彼らは判断力などが衰えてきた予言者様、というより尾山の大叔父を利用したのだ。
「だが、オマエの言ってることも解らなくはないんだ。オレはこう見えても部屋の中でディスクを見たり本を読んだりするのが好きなんだ。だから、そういう物語の中に出てきたような話と、ここで起きている事が少し似ているような気がするんだよ。オマエには解らないかも知れないがな。本当に住民のためにやっている事なのか。それとも別の目的があるのか。戦争っていうのはいつだってそんなもんだろ」
ディスクというのは20年前のDVDやBlu-rayのことだが。おそらく映画を観ていたということだろう。映画を観たり本を読んだり。自称文学者の蚊屋野と考えることは似ているのかも知れない。だとしたら尾山を上手いこと説得することも可能かも知れないが、今の状況ではそこまでは無理な気もする。
 しかし、予言によって街を運営するようなことに尾山が疑念を持っているのは確かなようだ。ただ、昔世話になった恩とか、尾山自身の気の弱さもあって彼は何も言えないのだが。もしもの時のために蚊屋野は一つ言っておく事にした。
「もしも予言者様が間違ったことをしているのに気付いたら、兵隊長として正しい行動をとるべきだと思うよ。住民のために命令に背くことは裏切りじゃないし。それに住民を守るのが兵隊だし」
尾山はなんでそんな事を言うのか?という気分だった。そんなことを言われると自分が住民を守るための兵隊なのか予言者様を守るための兵隊なのか?という疑問が湧いてきてしまう。本来なら予言者様が安全なら住民も安全ということに違いなかったのだが、別の角度から見るとそんな理屈は成り立たないということになる。尾山はイライラしてきたが、言い返す言葉はなかったので黙って歩いていた。

 その頃、花屋と堂中はそれぞれの部屋に戻っていた。二人とも今起きている事について話し合いたいのだが、住民達に監視されているようなのでそれも出来ないでいた。
 花屋が部屋に入るとケロ君も一緒についてきた。ケロ君にはまだ花屋を守っているという自覚があるのか、ただこっちの部屋が好きだったのか。体力的なことやその他の能力を考えると、守られるべきは堂中の方かも知れないのだが、彼は一人で考えたいことが色々とあるので、この方が都合が良かったりもする。
 花屋はこれまでここで起きたことに関して振り返るべきか、あるいはこれから何をすべきかを考えるのか、というようなことを考えようとしていた。だが何がどうなっているのか良く解らない。蚊屋野と堂中の様子からすると、彼らは何かを知っているようなのだが彼らは周りの目を気にしているようで、それを知る機会が無い。
 結局、今出来ることは無いと解って花屋はベッドの横に座った。座るならベッドの上の方が心地よいのだが、下の方がケロ君と並んで座ることが出来る。犬が横にいるだけで落ち着くことが出来るというのは彼女がここに来て初めて気付いた事だった。
 隣に寝そべったケロ君の頭を撫でながら、花屋は今何をすべきか考えていた。窓から外の壁をつたって堂中の居る部屋に行けないだろうか、とか。それとも、なにか原始的な方法で堂中と連絡が取れないか、とか。
 原始的な方法ってなんだろう?と、花屋は自分の考えに疑問を持ってしまった。もしかしてハトに手紙をくくり付けて飛ばしたりするのだろうか。あるいはケロ君に頼めば良いのか。でもケロ君はここでは目立ちすぎな気もする。
 花屋はどうでも良い考えを頭から消して、もっと合理的に考えようとした。そして、自分のカバンからスマートフォンを出した。電話が使えないのでここでは大抵スマートフォンではなくてモバイルと呼ばれるのだが。さらにこの場所だとそれ以外の通信も使えないのも解っていた。そんな機械を出してどうするのか?という感じもあるが、伝書鳩よりはマシな気がしたのだ。
 結局は気休めにしかならないのかも知れないが、とにかく花屋はスマートフォンを取り出して画面を表示させた。すると花屋が思わず「アッ」と驚きの声をもらした。そして夢中になってスマートフォンを操作し始めた。
 少し興奮気味になった花屋は無意識のうちにケロ君の頭をモシャモシャとなで回していたので、ケロ君は迷惑そうな顔をしている。花屋がさらにスマートフォンに集中するとケロ君はやっとモシャモシャから解放された。
 花屋は黙ってスマートフォンに表示された内容を読んでいた。

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