Technólogia Vol. 1 - Pt. 46

Technologia

51. 作戦

 人類の歴史は戦争の歴史。それは決して大げさな表現ではない。世界のどこかで必ず戦争は起きているし、地球上で戦争がなかった事などないような気がする。だが蚊屋野は戦争がどんなものなのか良く知らない。世界中で起きている戦争のことを考えると、戦争を知らないのは珍しいことかも知れない。だが、それだけ戦争があるということは、何かの拍子に戦争に巻き込まれることもあるという事でもある。
 虐殺とか略奪とか。それに戦場では常に命の危険にさらされることになる。殺されたら最悪だが、生き延びても心の傷は癒やされることがない。蚊屋野の考える戦争はそんな感じだし、恐らくそれで間違いないと思っていた。戦争なんてロクなものではないし、誰だってそんなものは望まないはずなのだが、なぜか戦争はなくならないのだ。
 そして今、花屋が蚊屋野に向かって戦争の準備を始めるなんて言い出した。良く見れば塔の周りの住人達も慌ただしく動き回って戦争の準備を始めているように見える。
「ちょっと待ってよ。戦争だけは何としても避けるとか、そんな事になってたはずだけど」
蚊屋野はまだ状況が飲み込めていないまま慌てている。
「一つの街を取り合えばそれは戦争ってことです」
花屋が言ったが、蚊屋野としてはその争い自体が良くないと思っていたので、なんとなく納得できない。
「なんていうか、言葉のあやってやつっすよ」
蚊屋野の様子を見た堂中が言った。蚊屋野は「それなら大丈夫かな」と思ったのだが、そんな事よりも花屋が冗談半分で言った「戦争」という言葉の意味を蚊屋野に説明するのに時間をかけているのも無駄な気がしてくる。とにかく先に行動するべきということで、彼らは住民達と一緒に「戦争」の準備を始める事にした。

 塔で予言者様が住人達を緊急招集していた間に小山達はすでに街へ向かっていた。人質を逃がしてしまって予言者様を失脚させるという目的は果たせなかった。本来ならば予言者様に変わって塔の周りの住人達の支配者となって彼らを兵隊にしているはずだったのだが、それも出来ずに少数の部隊になっていた。
 あるのは包丁や農具などを活用した武器だけ。兵隊はこの状況に弱気になっていたのだが、小山は必ず上手くいくと彼らに言い聞かせていた。それにくわえて兵隊は蚊屋野の話していた銃の事が気になっていたりした。彼らの反乱を知った時に蚊屋野は街には銃があるから乗っ取るのは無理だとかいうことを話していたのだ。だが小山によるとこれは奇襲作戦で、向こうは銃の準備などをしている間もなく自分達が街を占領することが出来るという事だった。
 小山が自信満々なので、部下達もそれを信じることにして街へ向かっている。
 塔から街に行くには道はほぼ一つしかない。とはいっても灰によって建物なども崩壊して、そういう場所は通り抜けることも自由なので、基本的にはどこを通っても街には行くことが出来る。しかし、街の近くには川が流れている。そして橋を渡るのが大嫌いでない限りは橋を渡って川を越えるはずなのだが、昔はいくつかあった橋もほとんどが崩れて、今では渡れる橋は一つしかなくなっていた。なので、川を渡るには道は一つということになる。
 小山達がその川へやって来ると、やはり橋を渡ることになったのだが、そこには思わぬ障壁が立ちはだかっていた。小山の部下達は橋に近づいてその姿が明らかになってくると怖じ気づいている様子だった。だが小山は動じることなく、先頭を切って橋の方へ向かっていく。こっちには武器がある。そして数で勝っている。それが小山の自信になっていた。
 橋の手前に立ちはだかっているのは尾山だった。平均よりも一回り大きいサイズの尾山なので、橋の手前の道を塞ぐようにして立っている姿は、まさしく壁と言った感じである。尾山は小山達が街を襲撃することを予想してここに先回りしたのだろうか。彼は橋の方へ向かってくる小山をじっと睨み付けている。ここから先には誰も行かせないといった様子である。
 気の短い小山だが、相手が尾山だと少しは慎重になる。小山が立ち止まると、そこで尾山とにらみ合っていた。
「尾山さん。そこをどいてくれませんか。これから街で重要な用事があるんですよ。尾山さんが出来なかった事をオレ達がしないといけないんでね」
小山が挑発的な口調で言うがそこには特に反応しない尾山だった。
「今からでも遅くない。おとなしく塔に帰るんだ。ちゃんと話せば予言者様も少しは刑を軽くしてくれるかも知れないぜ」
尾山が言ったが、こんどは小山が無反応だった。もう話し合いで解決するような状態ではないということのようだ。
「こっちにはこれだけいるんですよ。それに全員が武装してるんだ。いくら尾山さんだって一人じゃオレ達を止めることは出来ないですよ。おとなしく帰るのはそっちの方ですよ。尾山さん」
「確かにそうだがな。オレだってバカじゃないんだ。オレが一人でこんなことをすると思うのか?」
尾山はそう言うと振り返って後ろに向かって合図をした。すると橋の向こうにある物陰からゾロゾロと人がが現れて来た。刺股を持っているところを見ると街の衛兵のようである。
「どうだ。これでもまだ諦めないか?」
尾山が言った。自分の思い通りに行かないと機嫌が悪くなる小山だが、早くも苛立ちを抑えきれなくなって来たようだった。元から退却するなんて考えは少しもないのだし、考えることがあるとすればいつ戦闘を始めるかという事ぐらいだった。そして、気の短い小山がイライラしたので、それは今という事になった。
 だが、小山はただ戦うだけでは物足りないとも思った。尾山に邪魔されてイライラしているこの状態がどこか気に入らない。尾山と小山の立場は逆転しているはずなのに、少しも動じていない尾山の態度が気に入らないのだ。小山は尾山に屈辱を与えるべきだと思った。
「尾山さん。オレは昨日あの穴蔵で盛山さんのオッパイちょっとだけ触ったんだぜ」
ここに来てまたあの小学生的感性がでてきたのだが。尾山が盛山さんのことをどう思っているのか知っている小山は、こう言えば尾山が悔しがって顔を真っ赤にしたり地団駄を踏むと思ったようだ。だが尾山は思ったような反応を見せなかった。
「それがどうした。オマエが盛山さんを拉致したおかげでオレは盛山さんに良いところを見せることが出来たんだぜ。それに、盛山さんは助けてくれたお礼に、オレのほっぺにチューしてくれたんだ!」
さらに小学生的になったが、それはともかく小山の言ったことは尾山に全くダメージを与えなかったばかりか、逆に小山が屈辱を味わう結果になってしまった。
 頭に血が上った小山はもう何も考えずに戦闘を開始した。後ろにいた兵達も慌てて小山に続いた。

 戦闘を開始した時に小山は気付いていなかったが、彼の背後には遠くから大急ぎでやって来る別の一団の姿が見え始めていたところだった。それは塔からやって来た住民達だった。その中には蚊屋野達の姿もあった。
 蚊屋野は少し離れたところから戦闘が始まるのを見た。戦争と言うには規模が小さいが、それなりに激しい戦いに見える。今からその中に入らないといけないのかと思うと、思わず足を止めたくなるのだが、周りにいる塔の住民達は真っ直ぐ前に進んでいく。出来ればもう少し後ろに回りたいと思った蚊屋野だが、彼の腕力が頼りにされていたりもするので、それも出来ない。
 ここは覚悟を決めて進むしかなさそうだが、やはり刃物を持った暴徒達を相手にするのは恐ろしい。なんとかあの戦いに参加しないで済む理由は見付けられないものか、と考えていた蚊屋野だったが、騒動の中心部に近づいて行くにつれて、その戦いが蚊屋野の思っているものと少し違うようにも見えてきた。
 始め、彼らはお互いの武器で戦っているようだったのだが、良く見ると攻撃をしているのは小山の率いる兵隊だけだった。だが街の衛兵達も防戦一方というワケではない。攻撃はしないが、あの刺股を使って兵隊を押さえつけているのだ。
 包丁のような武器は刺股のように長さのある物に対しては不利である。だが兵隊の中には槍のような長い武器を自作したものもいた。そういう武器を持った相手に刺股で応戦するのは手こずるのだが、なんとかこらえているとそこへ尾山がやって来て槍をふんだくる。そういう戦法が上手くいってかなりの数の兵が刺股に押さえつけられていた。
 だが、刺股を使って相手を取り押さえたあとはどうするのか?という疑問が残る。蚊屋野が前に街に行った時にも思った事だが、ここでは暴漢を押さえつけていても、警察が来てそのあとの処理をしてくれるワケでもない。押さえつけている間は身動きがとれないのだし、一人を押さえつければ、押さえつける側も戦闘要員が一人減ることになる。
 つまり、その先が救援にやって来た塔の住民達の役目という事のようだった。塔の住民達は持ってきた縄を使って刺股で押さえつけられている兵達を縛り上げていく。余談だが、彼らは塔を作る時に縄の結び方を習得しているので、素早くしっかりと縛ることが出来るのだ。
 押さえつけていた兵隊が縛られると、刺股隊はさらに別の兵を押さえつけに行く。そうしているうちに小山の兵隊は次々に押さえつけられ、そして縛り上げられていった。塔の住人達の到着が間に合ったこともあったが、街の刺股部隊と塔の住人の連合軍の圧勝ということになった。
 そして、彼らに頼りにされていたはずの蚊屋野はというと、縄の結び方を知らなかったりするので、兵を縛るのに手間取ったり、時には突っ立ったまま塔の住人が兵に縄をかけるのを見ていただけという状態になっていたりもした。そんな感じでここではあまり役に立たなかったのだが、ここに来るまでに蚊屋野達はもう充分に活躍していたとも言える。
 前の夜に花屋がスレートを盗み出して、それを使って堂中が通信を使えるようにした。通信を使って予言者様のスレートに都合の良い予言を書いたり、街にメッセージを送って刺股部隊を準備させたり。ついでに尾山の大体の居場所を知らせることも出来たのだ。その中で蚊屋野が何をしたのか?というと、特に何もしていないような気もするのだが。ただ、彼が色々とやらかした事によって霧山が自由に動き回れるようにもなったのだし、それによって霧山が花屋と堂中と協力できたりしたので、本人に自覚はなくても役に立ってはいたのだ。
 辺りには街を守ることに成功した刺股部隊と彼らに協力した塔の住民達の間にちょっとした絆のような物が生まれていた。そして、そういう時に感じられる、ある種の高揚感みたいなものが漂っている。元々は上手くやっていた街の住人同士なので、こういうきっかけがあればすぐに関係は元どおりになるというようだ。
 そんな中で平山さんが盛山さんの姿を見付けて、彼女の無事を喜んでいる姿なども見られた。何が何だか解らないまま色々とやっていたが結局は上手くいったのだと蚊屋野は思っていた。そこへ尾山と霧山が近づいて来た。
「困りましたね…」
上手くいったと思っていたのだが、また霧山のこの言葉を聞いて蚊屋野は不安になっていた。
「小山のヤツ、どっかに逃げやがった。不利だと気付いたら部下を放っておいて真っ先に逃げたんだな」
尾山が興奮気味に言っているが、それは確かに困ったことでもある。
「彼は追い詰められたら何をするか解りませんからね。早く見付けないと」
例によって落ち着き払った口調で言う霧山だが、蚊屋野はなんとなく悪い予感がしてくる。もしかして、小山を探すのを手伝わないといけないのだろうか。
「でも、とりあえず上手くいきました。しばらくすれば街も元どおりになるでしょう。あなた達のおかげです」
小山を探してくれと頼まれると思ったのだが、そうではなかったので蚊屋野は少し心が軽くなった気がした。
「それは良かった。問題を残したまま旅を続けるワケにもいきませんからね」
蚊屋野はなるべく塔での役目はこれで終わり、というような話の仕方になるように喋った。
「感謝していますよ。ただ、一つ問題があるのですが。あなた方の存在をどうやって消すか、ということです」
霧山が淡々とした調子で恐ろしい事を言う。蚊屋野はさっきから安心したり不安になったりで大変だったが、ここで一気にどん底という気分になった。「存在を消す」とはどういうことなのか。利用するだけ利用して、都合が悪くなったら殺してしまうとか、そういうことなのだろうか。
「消す、ってどういうことですか?」
蚊屋野がワナワナしそうになっているので、霧山は言い方が悪かったと思って苦笑いしていた。
「消すというのは、つまりその…書類上の話ですね。あなた方が無事に街を通って先に進んだことが解ると、河野君のお父さんが危険になるかも知れないんですよ」
「ああ、そういうことですか」
それはそれでややこしい問題であったが、殺されないと解ったので蚊屋野はまた少し安心した。この塔に来てからはこんな感じで常に心が休まることがないので、蚊屋野はグッタリしてしまう。
 しかし、とにかく一つの問題は片付いた。多分、恐らく、大体のところは片付いた、という感じかも知れないが。戦場となった橋のところへ予言者様がやって来て、塔の住民達に街へ戻る時が来た、という事を伝えた。予言者様がそう言えば、塔の人間達にとっては全ては解決したということなのだ。
 だが街に戻ったら、今度は予言の話などは抜きにして街の方針を再び話し合うことになるはずである。その結果どうなるのかは解らない。ただし、今では彼らを分裂させる原因になった東京からの提案というものが曖昧で不可解な部分も多いということも明らかになって来ているので、街はこれまでどおりに運営される事になるだろう。

 ここからは蚊屋野達が街を通り抜けて旅を続けるための方法を考えないといけない。周りの住人達から少し離れたところに蚊屋野達三人を霧山が呼んだ。霧山の他には平山さんと盛山さんがいる。黒幕の存在にいち早く気付いて密かに監視を続けてきたのがこの三人ということのようだ。ついでに、盛山さんと良い感じになった尾山もいて、さらにあとからユックリ重役出勤でこの場所へやってきたケロ君も近づいて来た。
「さっきも少し話したのですが、形だけでもあなた方が東京に向かっていないことにしておかないといけないのです。河野君のお父さんを拉致した犯人の目的を考えると、街で投獄されたということにするのが一番良いと思うのですが」
霧山の話を聞いて花屋は表情を曇らせている。
「私達はこれ以上時間を無駄に出来ないのですが」
「それは解っています。ただ市長が融通の利かない人ですからね。市長の仕事として必ずあなた方を牢屋に入れる手続きをすると思うのです。ですから一度だけ牢屋に入ってください。役人の中に私達の仲間がいますから、外に出るのは簡単ですよ。反逆者達の中から三人を適当に選んで身代わりに牢屋入ってもらえば逃げたとは思われません」
「でも、市長はそれで大丈夫なんすか?自分の仕事をちゃんとやる人なら、牢屋の中に違う人がいたら問題になりそうっすけど」
誰でも思いそうなことを堂中が言ったので蚊屋野と花屋も頷いていた。
「あの市長にとっては事実よりも書類が重要なんです。書類上三人が牢屋に入っている事になっていて、そのとおりに三人が牢屋の中にいれば、それが誰であろうと彼には問題ではないのですよ」
霧山には珍しく、最後の方は笑みを浮かべて話していたが、冗談という事でもなさそうだった。市長はこの世界では珍しく役人風のスーツを着ていたし、本当にそんな人間のような気がしてくる。
「でも、河野君のお父さんの安全は確認しなくて良いのですか?」
ここで突然平山さんが慎重な意見を言い出した。
「牢屋から出るのは良いとして、河野君のお父さんの身の安全が解るまでは街にいてもらった方が良いと思うのです」
この前は、必ず東京にたどりついて目的を達成してください、というようなことを言っていた平山さんだが、ここはなぜか人質の安全を優先しているようだ。
 蚊屋野としては疲れ切っているし、この街の人のことも段々解ってきたところなので、しばらくユックリしたいような気分でもあった。しかし、河野君のお父さんと聞いて気になることを思い出してしまった。
「そう言えば、河野君の叔父さんから聞いたんだけど、少なくとも10日間ボクらを塔に止めておけ、って指示だったらしいよ。もう三日経ったからあと一週間ってことだけど」
「それって、どういうことっすかね」
「うーん…。気になりますね」
霧山は腕組みをして考え込んでいる。一週間という期限が意味するところに特に心当たりはないのだが、ノンビリしているヒマはないという事のように思える。
「やはり最初の計画で行きましょう。今夜にでも出発しないと。途中で何があるか解りませんし、一週間では充分とはいえませんからね」
これを聞いて花屋は安心した様子だったが、平山さんはなんとなく恨めしそうに蚊屋野を見ていた。それに気付いた蚊屋野は、自分がなにかマズいことを言ったのか?と気になっていたが、彼にそんなことは解らない。これは恐らく平山さんの問題なのだ。
 これからの事が決まって、街に向かうということになった。形式上、蚊屋野達は逮捕されるという事になるので、塔で知り合った人達ともこの辺でお別れという事になりそうだった。先のことを考えると別れを惜しんでいる場合ではないのだが、照れくさそうにお礼を言う尾山だったり、相変わらず無表情に挨拶をする霧山を見ると、どうしても別れ際のあのなんともいえない寂しさを感じたりもする。
 そして、中にはこの別れに特別な感情を持っている人もいた。
「堂中さん」
平山さんは堂中の名前を呼びながら彼の前に立った。
「街の先は危険な場所が沢山あります。どうかくれぐれも気をつけてください」
平山さんはそう言うと両手で堂中の手を握り彼の事を見つめた。大きな黒目に星が瞬いている。あれは80年代のアニメの瞳だ。蚊屋野はそんなことを思いながら、平山さんがこれからの予定に慎重だった理由に気付いて納得していた。
 堂中も平山さんに見つめられて、なんとなく頭の中がバラ色になりそうになって来たのだが、その時に花屋の厳しい声が聞こえてきた。
「マモル君!」
ふくれっ面の花屋に言われて堂中は弾かれたように我に返った。
「それじゃあ…。元気で」
塔の人達のことは解ってきたところだったが、この二人のやりとりで蚊屋野にとっての謎がまた増えた気がした。でもそれはそのうち解ることに違いない。花屋が怒ったので、この辺で投獄されるために出発という事になりそうだ。
 だが、このちょっと慌ただしい別れの場面で忘れられそうになっていたが、まだ一つ問題が残っていたのだった。彼らがそれぞれの目的のために歩き出したとき、物陰から小山が飛び出してきた。彼の目的は一つしかない。
 ウワァアア!と言葉にならない声を張り上げながら小山は尾山の方へ走ってきた。ここでは健康体の人間を一発で仕留めるためには、みな同じようなことを考えるのか解らないが、蚊屋野が河野君の叔父さんに襲われた時と同様に、小山もお腹の辺りで両手を支えるようにして包丁を持っていた。そして、そのまま尾山に向かって突進してくる。
 最後に思わぬ悲劇が待っていたのか。不意を突かれた感じの尾山に小山の体がぶつかった。小山の持っていた包丁は尾山の腹部に突き刺さったに違いない。
 だが尾山は苦しむ様子もなく小山を見ていた。小山は何かがおかしいという事に気づいていたので、その表情に焦りが見えてきた。尾山が小山の肩を押すと小山はよろめきながら後退した。持っていた包丁を見ると、刃が真ん中で折れていた。
「予言者様じゃなくてもオマエのやるようなことは予想できるんだよ」
尾山はそう言いながら上着の裾をめくり上げた。上着の下には鉄板が入れてあって、それを鎧代わりにしていたようだ。
「今じゃ塔の人間も街の人間もオマエを憎んでるんだが、これでさらに罪が重くなったな」
尾山は涙ぐんで震えている小山の首根っこを掴んで、そのまま彼を引きずって街の方へ歩いて行った。
「(これはいい気味だな。あいつは最初から気に入らなかったんだ)」
ケロ君が言っていたが、おそらく小山に殴られて痛い思いをした堂中もそんな事を思っていたに違いない。というよりも、ここにいる全員がそんな気分だったはずだが。
 今の騒動を見ていた霧山が思い出したように蚊屋野のところへ近づいて来た。霧山はポケットからあのスタンガンを取り出した。
「そういえばこれ、あなたが持っていた方が役立つかも知れません」
確かにスタンガンがあれば簡単に身を守ることが出来そうな気がする。だが、蚊屋野は気が進まない。
「それは尾山君に預けるべきです。なんていうか。そういう武器に頼っても本当の意味で問題を解決できないって気がしますし」
蚊屋野がそう言うと霧山は頷いてスタンガンをポケットに戻した。
 それよりも蚊屋野はなんでそんな格好いいことを言ったのか?ということだが。実を言うと、あのスタンガンを見ると、間違って霧山を取り押さえようとした時のあの恥ずかしい思いが蘇って来てしまうから持っていたくなかっただけだった。それで心にもないことを言ったのだが。ただ本心を悟られないように脳ミソをの中のあらゆる情報を総動員して言い訳を考えたので、奇跡的に良い事を言ったことになってしまったようだ。
 このやりとりを近くで聞いていた盛山さんは、いつかこの蚊屋野の言葉を街の少年少女達に聞かせるべきだと、思っていた。

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