Technólogia Vol. 1 - Pt. 47

Technologia

52. 脱出

 人が沢山集まればみんなが同じ意見になる事など決してない。予言者様のもとに集まった塔の住民達のような小規模な集まりのなかでもさえも、小山のように別の考えを持つ人間が現れた。どうして意見が分かれるのかというと、どの意見もそれなりに良さそうに思えるからということに違いない。二種類の好きな食べ物が目の前にあって、そのどちらか一つしか食べられない状況。どっちを食べたとしても特に問題はない。規模は違うがこの街の問題もそういう事と大差はないし、大抵のことは突き詰めるとそんな感じになるのかも知れない。結局どっちでも良かったという事になるのである。
 そういう意見の対立を解決するためには何らかの仕組みが必要になる。テクノーロジアがなんとなく形作られて来た頃には、それは科学者の仕事だった。それまでの世界が崩壊して混乱している中で科学者の専門的な考えは説得力があり、ある意味では崇められているようなところもあった。しかし、社会が安定してくると、どうでもイイような意見が色々なところから出てくるようになる。そして、人々の目にはそれが科学者の考えよりも理想的なように見えてくることもあった。
 テクノーロジアの科学者達はそれを社会が充分に安定したことの現れだとした。そして、何かを決定する時の決定権が科学者の手から民衆の手に移されるようになる。昔の世界と同様に多数決で物事を決めることが増えてきたのだった。
 もともと多くの人が「どっちでも良い」と思っていることを決めるので、「どっちでも良くない」と思っている人がちょっと頑張ると結果は簡単に操作できたりもする。今回の街の問題の場合は東京の指示に反対の人の方が熱心なので、街は東京の指示を受け入れずに元のような体制に戻るはずである。
 だがこういうやり方には問題がないワケでもない。混乱期から安定期に入り、多数決を導入したテクノーロジアでは昔の世界と同様に合理的という言葉がただの理想になりつつあった。それを黙認しているのはやはり社会が安定しているからであって、そういう時には「どっちでも良い問題」しか起きないから大丈夫、というのが多くの科学者の意見でもあった。そのうち民主主義が正しいのかどうかを多数決で決めようとかいう変な話も出てくるかも知れないのだが、そういう事は今の蚊屋野達には関係のない事なので、話を元に戻さないといけない。とにかく、街は元どおりになるだろう、ということである。

 蚊屋野達は計画どおり逮捕されたことになって牢屋に入れられた。夜になったら霧山の仲間でもある役人の一人がやって来て彼らを外に出してくれる事になっている。塔の騒動で疲れ切っている蚊屋野達は、それまではユックリ休もうという事にしたのだが、牢屋の中の薄っぺらいマットの上では寝てもすぐに目が覚めてしまった。
 蚊屋野は牢屋の天井をボンヤリと眺めながら塔で起きたことを振り返っていた。山道で尾山達と出会った時には小山に睨まれてビビっていた蚊屋野だったが、その時に蚊屋野がこの世界でどのくらい強いのかということを知ったのだった。塔での出来事はこの世界における蚊屋野の力を利用したい人とか、それを口実に色々と企む人達によって複雑になっていたのだった。そういう事を考えると、そういう特別な力というのは面倒に巻き込まれる原因にしかならないし、そんなものはなくても良いような気がしてくる。
 とはいっても、この世界の問題を解決できるのは今のところ蚊屋野だけということなので、その辺は受け入れるしかないようだ。それよりも、塔の人間はこの世界にとって重要なはずの蚊屋野達の事を知っている人もいれば、知らない人もいた。さらに前の事を振り返ると、他の場所でも彼らの事を知っている人達からの視線を感じることもあれば、ただの通りすがりのように見られる事もあった。
 ヒーローみたいに扱ってもらえるのかと思うと、そうでもなかったり。「これは人気バンドのベーシストみたいな状況だろうか」と蚊屋野は思っていた。でも、たとえ地味な存在であっても、解る人にはその凄さが解る、ということならそれでも良いに違いない。蚊屋野の考えが下らない方向へ進んでいったところで蚊屋野はまた眠りについていた。
 それから何時間経ったか解らないが、蚊屋野は自分の名前が呼ばれたような気がしてハッとして目を覚ました。辺りを見回すと、名前を呼ばれてような気がしただけでなくて、実際に呼ばれたということが解った。グッスリ眠っていて全く気付かなかったが、牢屋の外にはすでに解放された花屋と堂中がいて、そしてどこかで見た事のある男が彼のいる牢屋の扉を鍵を使って開けようとしているところだった。
 蚊屋野はこの男をどこで見たのか?と思って記憶を辿っていった。この街にいるということはこの街に来た時にあったに違いない、ということで思い出したのだが、彼は蚊屋野が交渉のためにここに来た時に市長の隣に座っていた人だった。
「今回はあらゆる偶然が重なって上手く行ったような気がします」
蚊屋野が牢屋から出てくるとその男が言った。霧山の仲間というこの男は街の外で密かに霧山と定期的に会っていて、今回の件でもお互いの情報をやりとりしていたということだった。
「あなた方がその知識の象徴を身につけていなかったら、もしかすると私達はあの時にあなた達を逮捕していたかも知れない」
「知識の象徴?」
蚊屋野にはそれが何のことだか解らなかった。
「それですよ。あなた方が首にかけている」
男は蚊屋野の首のところを指さした。こんなものを着けているのはすっかり忘れていたが、そこにはフォウチュン・バァのペンダントがあった。
「これが知識の象徴なんですか?…なんていうか、これはフォウチュン・バァの占いグッズだと思ってましたが」
そう言われて男は蚊屋野に近づいてペンダントを見た。
「あれ。本当ですね。良く見るとちょっと違うような気もしますが。でもあなた方がスフィアのことを調べるために旅をしていることに変わりはないですからね」
また偶然上手く行っただけということのようだが。しかし、知識の象徴というのも気になるので堂中が男の後ろから聞いた。
「その知識の象徴ってのはなんなんすか?」
「私も詳しいことは知らないのですが。昔の世界が崩壊してから、世界を元どおりにしようと活動する人達がいて。まあ、つまり秘密結社って感じですが。その人達がそういう紋章を使っていた、ってことを以前ここにいた科学者から聞いたことがあるんです。スズメではなくて別の鳥だったのですが。それによく似ているんですよ」
「そうなんすか?でもボクらの活動って別に秘密にしているワケじゃないっすけどね」
「もしかすると、そういう活動を知ってもらうために、ワザとそういう感じにしたのかも知れませんね。秘密にした方が人は興味を持ちますからね」
男の言うことは妙に説得力があるので、思わず三人とも頷いてしまった。彼らがたまたまペンダントをつけていなければ、ただの旅人だと思われていたかも知れないのだし、その秘密結社の話というのがどういう経緯で彼らに伝わったのか、ということは別としても、フォウチュン・バァのペンダントは役に立ったということのようだ。
「ベーシストでもそのバンドの一員であることはアピールすべき、って事なんだと思うよ」
寝起きでまだ頭がボーッとしていたのか解らないが、この蚊屋野の言葉の意味は彼にしか解らないので、全員が一瞬戸惑ったような表情をしたのだが、どうにもならないと思って彼らは何も聞かなかったことにした。
 蚊屋野の一言で変な雰囲気になって会話がとまったので、彼らはそのまま外に出る事にした。牢屋のある建物の外には、ケロ君と彼らが投獄されている間にケロ君を見ていてくれた山川さんがいた。街の問題は解決したのだが、山川さんは基本的に何でも心配になってしまうらしい。
 彼女は牢屋に向かう蚊屋野達を心配して追いかけてきたのだが、花屋は彼女に心配はいらないと何度も言い聞かせた。それでもやはり心配なようなので、花屋はケロ君の世話を頼んだのだった。ケロ君の世話をすると心配事がなくなるワケではないのだが、そうすれば少しは気持ちが落ち着くという事なのか、山川さんはケロ君を連れて帰ったのだった。
 だが、山川さんはこんなに早く蚊屋野達が釈放されるとは思っていなかった。それがどうしてここへ来たのかというと、ケロ君が隙を見て彼女の部屋を飛び出してきて、それを追いかけてきたからなのだが。
 ケロ君は蚊屋野達が牢屋のある建物から出てくるのを見ると、走って蚊屋野に近づいて来た。
「(ああ、助かったぜ。あの子は悪いヤツじゃないんだがな。だが、オレのことをずっと飼うなんて言い出しやがった。首輪をかけられて人に飼われるなんてのは、もっと爺さんになるまでは勘弁して欲しいからな)」
ケロ君が山川さんの部屋を飛び出したのはそういう理由だったのだが、理由はともあれケロ君は蚊屋野達との再会を喜んでいた。
「やっぱケロ助は蚊屋野さんの事が好きなんすね」
「いや。というか、外にいるのが好きなんじゃないかな」
蚊屋野の返事はこの状況を上手く言い表せていなかった。動物の言葉が解るというのは時に厄介なことでもある。
 ケロ君とも無事に合流できて、予言者様の塔と街をあとにすることになった。最後の最後に冒険にちょっとした憧れを抱いている山川さんが、あわよくば彼らについていこうか、とかそんな感じがあったのだが、蚊屋野達は上手いこと誤魔化して彼女を家に帰すと、再び三人と一匹で旅を続けるとこになった。
 あれだけ色々あったのだが、最後は別れらしい別れもなくあっけない感じがした。そこにいる間は一刻も早くこの場所から抜け出したいと思っていたのに、今になって少し寂しい気分になるのが不思議でもある。
 蚊屋野達は夜のうちに街から数キロ離れた休憩所まで進むことにした。これまで来た道のことを考えると夜の移動は危険に思えたのだが、街の反対側から街の外に出るとその先はこれまでのような山道ではなくなっていた。辺りは瓦礫と廃墟だらけだが、進む道はかつての高速道路に沿っているので迷うこともないし、気をつけて進めばつまずいて転ぶ事もない。
 ここで蚊屋野があることに気付いて、なんとなく不安な気分になってきた。気付かなければどうって事はないのだが、気付いてしまうと気になる。もしかして、気付いたのは自分だけで、花屋も堂中もこの事をすっかり忘れているのではないか?と思うと心配になって胸の奥がゾクゾクするような感じになってくる。しかし、ここは無駄な事を心配していたと思われないようにさりげなく聞いてみるべきだと蚊屋野は思った。
「この辺はだいぶ灰の影響を受けたみたいだね」
そうは言っても、前に歩いた道と大差はない。しかし気になるのはいつ灰が降ってくるか、ということだった。いつも灰の情報を調べるのは堂中の役目なのだが、さっきまでずっと牢屋にいたのだし、牢屋を出て荷物を受け取るまで情報を調べる手段はなかったはずである。もしかして先を急ぐあまりに灰のことを調べるのを忘れているのではないか?とか、蚊屋野はそんな気がしたのである。
「そうっすね。この辺りじは他よりも頻繁に降ってくるみたいっすよ」
これでは大丈夫なのかどうか良く解らない。
「じゃあなるべく急いだ方がいいのかな」
「まあ、次の休憩所までならダイジョブっすよ。さっきの人からコレもらったんすけど。平山さんが明日までの灰の情報を調べておいてくれたんすよ」
ああ、なんだそういうことか。と思って蚊屋野はやっと安心することが出来た。彼が最後まで寝ていたので、そういうやりとりに気付かなかっただけだったようだ。心配して損した気分になったのだが、安心するとまた別の事が気になり出したりする。
 気のせいかも知れないが、さっきから花屋があまり喋っていない。それは塔の人達と別れる時の出来事と関係しているのか、あるいはただ疲れているだけなのか。丁度平山さんの名前が出てきたのだし、ここは話の流れに乗ってそれとなく探るチャンスでもある。
「平山さんって良い人だよね」
蚊屋野が言うと花屋が横目で蚊屋野の事を睨んだような気がした。暗くて良く解らないし気のせいかも知れない。
「いやあ、まあ…。そうっすよね」
だが堂中のこのハッキリしない返事のおかげで何かがあるということは良く解った。そして、花屋はそういうところではハッキリした態度を示すので彼らの間に何が起きていたのかというのはすぐに解った。
「マモル君。奥さんのこと裏切ったら、私が承知しないからね」
花屋が厳しく言うのを聞いて、蚊屋野は意外なことを知って驚いたり、謎が解けてスッキリしたり。
「マモル君って結婚してたの?!」
「いやあ、まあ。あの正式にはまだなんすけど。婚約ってやつっすか…ね」
普段は自信を持ってハッキリものをいう印象の堂中なのだが、どうもこういう話は苦手なようである。ということは、平山さんがなんとかして堂中に近づこうとしていたのは、彼にとって大ピンチだったに違いない。だがあの部屋で平山さんと盛山さんに会ってまもなく変な人だと思われた蚊屋野からすると、なんとなく羨ましい話でもあるが。
「蚊屋野君もですからね」
蚊屋野は変な事を考えていると、花屋は蚊屋野に対しても念を押した。といっても何について念を押されたのかは良く解らない。
「ボクもなの?」
花屋はまだ機嫌があまり良くないようで、そのまま黙ってしまった。蚊屋野の心配事とちょっとした疑問が解決したのだが、そのおかげでしばらくは無言のまま気まずい時間を過ごさなくてはならなくなった。
 次の休憩所までそんなにかからないみたいだし、まあ良いか。と蚊屋野は思っていた。

53. 東京のとある場所

 ここは以前たくさんの研究用の機械が並べられて見るからに研究者という感じの年老いた男のいた部屋である。そして、そこには中年だが美しい女性もいた。今でも二人はいるのだが、部屋の様子は少し変わっている。
「パパ。ねえ本当の事を教えて。状況は良くないんでしょう?いいえ、良くないに決まってる。そうじゃなかったら研究室を閉めるなんてことしないもの」
女性は相変わらず心配性で父である科学者を困らせているようだった。
「心配はいらないと言っているだろう。万が一のためだよ」
「でも、あれから何の連絡もないんですよ。次の議会までもう時間がないのに…」
女性は疲れ切って少し老け込んだようにも見える。一日が何ヶ月にも感じるような日々なのでそれも仕方ないかも知れない。(もちろんそれは心配のために時間が長く感じるということだが。)
「あの子達なら大丈夫。それに議会の人間だって世界をこのままにしておくような事は間違いだと解っているはずだよ。さあ、心配ばかりしてないで。荷物を運ぶのを手伝ってくれないか」
解ったわ、と言った女性だったが、やはり心配だったので、そのまま考え込んでしまい荷物を運ぶのを手伝うことはしなかった。