Technólogia Vol. 1 - Pt. 54

Technologia

60. 住宅街のドラマティック

 蚊屋野にとっては10日ほど前、その他の全ての人間にとっては約20年前。蚊屋野は良く海外ドラマを見ていた。海外でないドラマも放送されていたのは知っていたのだが、観ていてもあまりドラマの世界に共感できなかった。そんな理由で、もっと蚊屋野の現実とはかけ離れた海外ドラマを見ていたのだが、どういうワケかそっちにはのめり込むことが出来たのだった。
 ドラマの中では都合の悪いことと、都合の良いことが次々に繰り返されて、話はどんどん長くなっていく。それでも先が気になって仕方ないので続きを観てしまうのは、それがまさしくドラマチックだからに違いない。今の蚊屋野だってそういう状況なのだが、実際にめまぐるしく目の前の状況が変わっていくような中に身を置くと何が起きているのか解らずに、ドラマチックなんて考えは全く湧いてこなかったりする。
 それはともかく、約20年前の世界では蚊屋野だけでなく、多くの人が海外ドラマを観ていた。数あるドラマの中でも政府が何かを隠しているとか、そういう内容のものには特に夢中になる人間もいた。夢中になるだけなら良いのだが、いつしか現実とフィクションの区別がつかなくような、そんな人間も中にはいたのだ。そんな人は見た事がないと思うかも知れないが、蚊屋野は実際にそういう人を知っていたので、その人は実際にいるに違いないのだ。そして、政府の陰謀を暴こうとして、さらには勢い余って核シェルターまで作ってしまった彼らが今の蚊屋野達にとって重要な存在となるのだった。
 蚊屋野達は警官が追ってこないのを確認しながら不安定な廃墟の中を進んで行った。ちょっとした振動で建物の外壁が崩れてくるような危険な場所はしばらく歩くと通り過ぎることが出来た。しかし比較的安全な場所に来ても今度は人の目を気にしなければいけない。追われる身というのはこんなにも窮屈なものなのか。しかも蚊屋野達は何も悪いことをしていないので少し腹も立つが、誰に対して怒って良いのか解らないことに腹を立てても疲れるだけなので、三人ともその事は気にしないようにしているようだった。
 蚊屋野達は海に近い幹線道路や線路だった場所からはだいぶ離れて、今は坂の多い住宅街にやって来ていた。もちろんそこには誰も住んでいないし、家も半分以上が崩れかけている。
「ホントにここで大丈夫なんすか?」
こういう住宅街の路地というのは慣れない人にとっては不安になる場所でもある。しかも彼らが目指しているのは核シェルターのはずなので、こういう場所を歩いていることが心配になってくるのも無理はない。
「道はあってるよ。この辺りはあまり変わってないね」
蚊屋野が答えたのだが、堂中が聞きたかったこととは少しズレている。なので花屋がもう少し具体的に聞いた。
「でも、核シェルターって戦争の時に避難する場所ですよね。こんな場所にあるなんて、あんまり考えられないですけど」
厳密にはその考え方もおかしいのだが、こういう住宅街に戦争という言葉はあまり似つかわしくないのも確かである。
「この辺りには変わってる人が多いんじゃないかな。なんかそんな気がするけど。もう少しするとボクが20年前に存在を消した場所に着くんだけど。そこからしてヘンな気がするよ。優秀な学生が集まってくるワケでもないあの大学に能内先生みたいな天才的な人がいたとか」
「先生の場合は一人で研究がしたかったんじゃないっすかね」
それはどういうことかというと、優秀な学生が能内教授の研究を理解して質問してきたり口を出したりされるのが嫌だったということに違いない。しかし、蚊屋野もその大学の学生だったということを思い出して、堂中は最後まで説明しなかった。だが蚊屋野としてはその辺はどうでもイイような感じでもあった。何年も四年生をやっているうちに、自分が学生であるという自覚もなくなっていたのかも知れない。
「じゃあ、その核シェルターも大学にあるんですか?」
能内教授の話が出てきたので、花屋はそんなふうに考えたようだ。大学にあるのならなんとなく納得という気もしなくもない。
「いや。大学の近くではあるけどね。ヘンなヤツらなんだよ。ホントにこの辺りには変な人が集まるような何かがあるんじゃないかと思ったりしたけどね」
蚊屋野がその変な人の中に自分自身も含めていたかは解らない。しかし、その核シェルターを作った「ヤツら」の事を知ったら蚊屋野の事がまともに思えるのかも知れないが。
 蚊屋野とヤツらには出会いらしい出会いというのは特になかった。同じ大学の学生だったということが始まりといえば始まりなのだが。始めその人は、たまに見かけるどこかの学部の人だった。むさ苦しいという意外に特徴はない感じの人だった。そして、四年が経ち同級生は卒業して蚊屋野だけが五年目となったのだが、なぜかたまに見かけるどこかの学部の人もまだ大学にいる。
 こうなってくるとその存在が気になってくる。気になってなんとなくその人を見たりすると、向こうもこっちを見ていて慌てて目をそらしたり。どうやら向こうもこっちが気になっているに違いなかった。時には大学近くのコンビニで雑誌を立ち読みしているところを見かけたり。なぜか行動する場所も似ていたりする。
 そして、六年目の春。やっぱりいた!
 なぜか知らないが、その時の蚊屋野は古くからの友人に出会ったような気分になっていた。恐らく向こうもそうに違いない。自然と会話が始まり、それ以来、そのむさ苦しい感じのどこかの学部の人とは知り合いという事になったのだった。
 何度か話しているうちに、彼が秘密の組織に加わったという事を知った。それがつまり核シェルターを作った組織ということだが。それを聞いた蚊屋野は少し身の危険を感じたりもした。「秘密の組織」という言葉からはカルト教団とか、入ると抜け出せないなんとかセミナーみたいな雰囲気が感じられなくもないからだったのだが。
 しかし、実際にその秘密の組織の人間に会ってみると、メンバーは三人だけで、しかも全員むさ苦しい元学生だったのだ。(元学生とはどういうことか?というと、彼らは全員卒業していないので、なんとなくそういう呼び方が正しいような感じなのである。)
 彼らは政府の隠している何かを暴くために活動しているということだった。普通ならそういう人達とはまり付き合いたくないと思うのだが、蚊屋野はそうではなかった。彼らは意味があるのか解らない事を大真面目にやっていた。そして、彼らは自分の利益のために人を利用したり騙したり、そういう事をしない。それが彼らといると落ち着く理由なのかも知れないが、蚊屋野はたまに彼らとあって話すのが楽しみでもあった。
 蚊屋野が彼らの事を考えながら歩いていると、瓦礫に躓きそうになった。そして、彼らには約20年の月日が流れているこをと思い出した。この世界であの三人はどうやって生きていたのか。もしかするといなくなった人口の半分のうちに彼らも含まれているのかも知れないが。蚊屋野は色々なものが崩壊していく中での20年を今更ながら考えてみた。そして、こういうものは早く終わらせないといけないと思ったところだった。
「そろそろ時間がギリギリっすよ」
核シェルターなんてものがありそうな場所はいっこうに現れないので、堂中が心配になってきたようだった。
「大丈夫」
そう言って蚊屋野は民家の間にある路地に入っていった。もうすぐ目の前に核シェルターがあるという事に違いない。
「問題はまだ核シェルターに入れるかどうか、だけど」
周囲の民家は今すぐに崩れそうというワケではなかったが、ブロック塀が崩れていたり、屋根瓦が落ちていたり、それなりにボロボロになっている。こんな場所に核シェルターがあるなど誰も思わないのだが、蚊屋野はその中の一軒の、壊れて開きっぱなしの門を通って裏庭に回った。裏庭といっても広いものではなくて、一列に並んで歩かないと肩がぶつかってしまうような裏庭だった。いってみれば家と塀との間の余白みたいなスペースだったのだが。家の外周に沿って裏庭に入ると一番奥に物置小屋のようなものがあった。
「まさかアレっすか?!」
堂中はそれが本当に核シェルターだなどとは思っていなかったのだが、他にそれらしいものは何もない。花屋は何も言わなかったが、もしも蚊屋野が本当にこの物置小屋を核シェルターなどと言ったとしたらどうすべきかを考えていた。本気で怒るべきか。もしかすると力が抜けてしまって何も言えないかも知れない。その時にはやっぱり大人しく自首すべきだ、とか。そんな事を考えていた。
「これがそうってワケでもないんだけど」
他の二人が戸惑っている様子を感じたので蚊屋野は先に少しだけ説明しておいた。この世界で長いこと生活してきた人には「秘密の組織」が好むようなやり方は理解出来ないのかも知れない。その前に20年前だってこんな事を本気でやるのは彼らぐらいだったのだが。
「この中に地下に続く階段の入り口があるって寸法だよ」
蚊屋野は言ってから、どうして「寸法」なんて言葉を使ったのか?と思ったのだが、こういうところでは自然とそんな言葉が出てきがちなのかも知れない。蚊屋野が思うに、それはドラマチックな単語に違いなかった。それよりも、この核シェルターはまだ機能しているのか、その辺が気になる。ここに来ることは最終手段ということだったので、ここが使えないのならもう他に行く場所はないのだ。
 蚊屋野は祈るような気持ちで物置小屋の扉に手をかけた。するとその時サイレンの音がして蚊屋野は慌てて手を引っ込めた。手を引っ込めたからかどうか知らないが、サイレンの音はすぐに止まった。
 蚊屋野達は驚きで言葉を失っていたのだが、静かになってから少し考えると、さっきのサイレンの音は警官の持っている拡声器についているサイレンの音とは違う音だったのに気付いた。さっきの音はたまに駐車場で誤作動している、車の盗難防止用のサイレンの音に似ていた。
 なんだろう?と思っていると、今度はどこからかスピーカーを通してガサガサした感じの人の声が聞こえてきた。
「オマエ達は政府の敷地内に不法に侵入している。今すぐに立ち去りなさい」
それはインターフォンのようなものに違いない。彼らは、さらになんだろう?と思って辺りを見回すと、蚊屋野が物置小屋の屋根の付近に小型のカメラがあるのを見付けた。蚊屋野としては見付けたと言うよりも目が合ったという感じだったのだが。
「ワオ。こりゃたまげたぜ」
再び正体不明のその声を聴いた時、蚊屋野はニヤけた目でカメラを覗き込んだ。
「おい、待ってろ。今開けるから。…おい、スゴい客が来たぜ…」
外に繋がるマイクを切るのを忘れたのか、中で盛り上がっている様子が少し伝わってきた。その後で、物置小屋の扉の内側でプシュっという圧縮された空気が抜けるような音が聞こえてきた。以前はこんな物はなかったのだが、この扉に新しいロックが設置されているのだろう。
「なんとかなったみたいだ」
蚊屋野が振り返って言ったが、花屋と堂中はまだ事態が飲み込めていないような表情をしていた。
「(まあ、上手くいったんなら早く入ろうぜ。もうそろそろあのクソみたいなのが降ってくるぜ)」
さっきから人間の不思議なやりとりを見ていたケロ君だったが、ここでは冷静だった。

 物置に入って床板を持ち上げると、それが上げ蓋になっていて、その下には階段があった。この構造はなんとなく地下の居住地に似ていたが、廃材を集めて作られた居住地よりこちらのほうがかなり未来的な雰囲気がある。階段を下りるとまたプシュっという音がする扉のロックが外された音が聞こえた。そして分厚い鉄の扉がユックリと開く。
「見ろよ。ホントにあの時のままだぜ」
そう言って最初に蚊屋野達を出迎えたのは、蚊屋野と最初に知り合ったどこかの学部の人。名前は布路織(フロシキ)という。そう言う布路織はすっかりオッサンになっていた。
「まさかホントにこんな事が起こるとはね」
布路織の後ろにいたのはもう一人のメンバーである元部(モトベ)だった。
「キミ達は、なんていうかずいぶん成長し、…ましたね」
蚊屋野が不自然な感じの挨拶をした。本来なら約20年ぶりの再会なのだが、蚊屋野としてはちょっとの間会わなかっただけなのだ。それなのに相手は自分の父親世代みたいな感じになっているのだし。蚊屋野は堂中がヘンな敬語を自分に対して使う理由がなんとなくわかるような気もした。
 蚊屋野と彼を出迎えた二人はそれ以外には特別な挨拶もしなかった。感動的な再会でもあるのだが、そういう感情は表に出さないのが秘密の組織なりのやり方だとでも思っているのかも知れない。蚊屋野もその辺はだいたい解ってはいた。だが二人の目が楽しそうで嬉しそうなので、歓迎されていることは解る。そして、一つ気になることもあった。
「ホントにこんな事が、って言ってたけど。もしかしてボクがどうなったか知ってたの?」
蚊屋野は自分が20年前と同じ姿なのを二人が不思議に思わないのを気にしていたのだった。
「オレ達はなんだって知ってるんだぜ。世界がこうなったワケをオレ達が調べなかったとでも思ってるのか?」
布路織は基本的に偉そうな感じで話す。20年前からそうだったのだが、偉そうに話しても少しも偉そうに見えないのは今でも変わらない。
「だからボクらはキミ達がやろうとしてる事もちゃんと知ってるよ。政府のデータベースにキミの名前を見つけた時には驚いたけどね」
「それ、ハッキングっすか?」
「ああ、キミが堂中君だね」
元部は堂中からハッカー扱いされて少し得意げになっているように見えた。しかし蚊屋野の知る限り、元部はハッカーではないし、布路織にしても同様だった。彼らがここにあるような設備を使って、普通の人には知り得ない情報を手に入れられるのはもう一人のメンバーのおかげなのだ。というより、もう一人がいなければこの二人はタダのヘンな人だったりもする。
「リーダーの姿が見えないようだけど」
蚊屋野が聞くと布路織と元部の表情が曇った。
「残念なことにな…」
「この世界は外に出たら危険な事だらけだから…」
二人とも最後まで話そうとしない。あるいは話すのが辛いのだろうか。何か酷いことが起きて、思い出したくもないような状態で最後を迎えたとか、そういうことなのだろうか。
 蚊屋野がなんとなく事態を推測して暗い顔になっていると、奥にある部屋の方から声が聞こえてきた。
「おい。勝手に人を殺すのはやめてくれないか」
そう言いながら奥の部屋から顔を出したのはリーダーの貫里河辺(ヌリカベ)だった。
「なんだ生きてるんじゃん」
蚊屋野が言うと布路織と元部がニヤニヤしながらお互いを見合っていた。
「連れの二人は堂中さんに中野さんですね。計画のことは調べて知っています。どうぞ奥に入ってください。今は先に進もうにも外は灰が降ってますから」
貫里河辺がにこやかに言うのだが、蚊屋野はそれに違和感を感じていた。彼がこんなに話すことがあっただろうか。20年前の彼は、どんな声だったか思い出せないぐらい無口で、蚊屋野がここへやって来ても一言も話さないことだってあったくらいなのだが。
「まあ、人間変われば変わるってことだぜ。とにかく入れよ」
蚊屋野の様子を察したのか布路織が言った。蚊屋野達は言われたとおり奥に入ることにした。すると布路織が足下のケロ君に気付いてビクッとしていた。
「おっと。犬がいるのか。犬は苦手なんだがな。まあ蚊屋野に免じて入室を許可するぜ」
「(なんだ。オレも最初からコイツのことは気に入らないんだがな。オマエに免じて吠えたりはしないでいてやるぜ)」
ケロ君はそう言いうと尻尾を振りながら布路織の足にまとわりついた。布路織はケロ君を手で押しのけようとしつつも、手を出すと噛まれるんじゃないかと思って何も出来ずに、内股でへっぴり腰みたいな情けない体勢になっていた。ケロ君は犬嫌いを困らせる方法を知っているようだ。

 奥にある広い部屋に入った蚊屋野達は、安全な場所に来ることが出来た安心感でしばらくの間ユッタリすることができた。それぞれが好きなように過ごしていた感じだったが、蚊屋野としてはどうして貫里河辺が普通以上に話せるようになったのかが知りたかった。
 布路織によると、世界に異常が起きてコレまでの生活が出来なくなった混乱期に貫里河辺が力を発揮したのが変化の原因、ということだった。何も出来ずにいる付近の住民達が安全に生活できる場所を見付けたり、そこに発電設備を作ったり。そういう事を黙々とこなす貫里河辺の姿はヒーローそのものだったそうだ。そういう頼れる男の周りには若くて綺麗な女が集まってくる。
 布路織いわく「結局は女なのさ」ということだ。貫里河辺は近くにある居住地で知り合った女性と結婚して、それから次第に性格が明るくなっていったということである。まあ納得と言えば納得な話である。
 それで布路織はどうだったのか?と蚊屋野が聞いたところ「オレは所帯を持つようなタイプじゃない」という事だった。どうでも良いと言えばどうでも良い話である。
 蚊屋野と布路織がそんな話をしている間、堂中はこの核シェルターの中にあるコンピュータやその他の機材に夢中になっていて、貫里河辺と元部にアレコレと質問をしていた。花屋もなんとなく道中と一緒にその話を聴いている。特に興味があるワケではなかったのだが、部屋に入ったあとで布路織から「ホットなネエちゃん」と言われたことで布路織に警戒心を抱いてしまったので、布路織から離れたところにいたかったということだ。
 蚊屋野が最後に見た時より、この部屋にある機材が増えて充実しているのは、誰もいなくなった大学からいち早く色々なものを持ってきたからだった。ついでに大学にあった研究用のソーラー発電システムも改造して、この秘密基地や近くの居住地に電力を供給できるようにもしていた。
 コレだけあれば彼らは至れり尽くせりなのかも知れないが、同時にこの場所が灰の影響でいずれ住めない場所になるという事も知っていた。それで彼らの話題は自然とスフィアと蚊屋野達の計画のことへ移っていった。そして、彼らの計画を阻止しようとする得体の知れない圧力のようなものの事も。
「どうも最近流行ってるザ・バードってやつが元凶らしいんだな」
いつしか核シェルター内の全員が同じ話題で話を始めていたのだが、そこで布路織がここぞとばかりにこの話題を持ち出した。
「バードって。鳥っすか?」
「まあ、そうだけど。どこかの誰かが古いデータセンターで巨大なデータを見付けたらしいんだ。本当かどうかは知らないけど、そのデータには世の中の全てのことが書かれているとか、そんなウワサが広まってね」
元部が話していたのだが、途中で布路織が割り込んできた。
「そんなの全部茶番さ。ウワサが広がるのも計画のうちに決まってるのさ。誰もがネット情報を盲信するようになってから、そんな事が簡単に出来るようになったからな。それ以来情報操作のやり方は変わってないのさ。世界はこんなに変わったのにな。今じゃ東京で原発を作ろうって計画で盛り上がってるらしいぜ。ザ・バードに書いてあったからってな」
布路織は何かに怒っているようだったが、蚊屋野達には何のことだか良く解らない。
「そのバードっていうのは、昔の世界のSNSに投稿された記事のデータなんですよ。全てのデータでなくて一部だけでもそうとうなデータの大きさになりますが。それだけあればどんなことでも書いてあると言っても過言ではないのです。それを良い事に、何か大きな出来事が起こると、それはすでにザ・バードに書かれていたということになって、話が広まるんです。そしてザ・バードが予言の書であるかのように思う人が増えてくると、今度はそれを利用して世論を操作しようとするんです」
流暢に喋る貫里河辺にはまだ違和感を感じる蚊屋野だったが、東京で何か変なものが流行っているというのはだいたい解ってきた。
「じゃあ、バードっていうのは、あのアイコンから来てるのかな?つぶやくタイプのSNSの」
「まあそういう事になるな」
蚊屋野の質問に布路織が答えたが、それはどうでも良い気もした。とにかくあれは蚊屋野にはあまり理解出来ないものであったのは確かだ。
 あのSNSに何が書いてあるのか。20年前になんとなくそういうSNSを眺めてみて思ったのは、あれはCMばっかりのテレビみたいなものだということだった。企業のCM、政治家のCM、そして個人のCM。個人の場合はCMではなくて意見を書き込んでいるのだという事になるかも知れないが、それをしたからといって何がどうなるという事でもない。それは結局、自分がいかに賢いかというアピールをするためのCMであったり、どれだけ可愛いかというCMであったり、どれだけお茶目かというCMであったり。
 しかし多くの人に受け入れられるCMを作るのは簡単ではない。やはり上手い人のCMはそれなりにウケが良い。だがそれ以外の人はどうすれば良いのか?というと、とりあえず周りに合わせてイェーイ!ってやってれば良い。そうすれば一定のCMの効果は得られるということだ。そこまでして最終的には何を求めているのかというと、大抵の場合は自己満足でしかないのだが。
 そういう感じの過去の投稿が今になってややこしい問題を起こしているということのようだ。様々なジャンルのイェーイ!が数え切れないほど書かれている。多くの人がそのザ・バードを信じるようになれば、それを手にしている人間はなんでも自分の都合の良いように出来るようになってしまう。
「そんな事って可能なんすかね?いくら信じている人が多いからって、間違った事は理屈で説明すれば誰もが間違いに気付くはずです」
堂中の意見はテクノーロジアの理想に近いものだった。だが大都会というのはそういう理想が上手く存在できない場所だったりする。貫里河辺が首を振って堂中に答えた。
「悲しい事に、人々は難しい理屈よりも単純な数字を信じるようです。しかもなぜか数字ならなんでも科学的だと思う人も多いのです」
「バード・ゲージってやつさ。ザ・バードに書かれている言葉には数値が書かれていて、その数値が大きければ大きいほど確かな情報だって事らしいぜ。それが本当なら一番のヤツより百番のヤツの方が偉いって事になるけどな」
布路織の言っているのは冗談なのか解らないが、言いたいことはなんとなく解った。
「それで私達を邪魔しているのもそのザ・バードを手に入れた人って事になるんですか?」
花屋の質問を聞いて他の全員がこれまでちょっと脱線していたことを話題にしていたと気付いてしまった。そのために返事が返ってくるまでに少し間が空いて、花屋は自分がヘンな質問をしたのではないか?と心配になったりしていた。だがそんな事はなく、蚊屋野と堂中はこの秘密基地的な雰囲気の核シェルターの中で政府の陰謀を暴こうとして集まった三人と話していたので、みんなで少しドラマティックな思考になっていただけなのだ。
「そういう事になりますね。でもスフィアの調査計画だけは成功させないとダメです。今の東京にはなんでもあるから、なんとなくこのままいつまでも暮らしていけると思っている人が多いですけど。そんな事では人類は本当に滅亡しかねませんからね。我々も協力できて良かった」
話を大げさにするのは元部の方が上手なのかという感じだが、そろそろ人類を滅亡から救うために出発しなければいけない時間になってきた。
「このままでは間に合うか解りませんが、あなた方のおかげでまだ希望だけは残っています。本当にありがとうございました」
花屋の挨拶も多少大げさになっていたが、リーダーとして感謝の気持ちを述べた。
「そんなに急ぐこともないぜ、ネエちゃん。希望ならまだかなり残ってる」
布路織が花屋のことを「ネエちゃん」と呼ぶのは気に入らないのだが、今は感謝したばかりなので、なるべく表情を変えないように布路織の方を見た花屋だった。
「どういうことですか?」
「秘密兵器があるのさ。今使わずにいつ使うのか、ってことだよな」
布路織はそう言いながら他の二人のメンバーを見た。二人は静かに頷いた。
 多少の不安はあるが、事態は好転しているのだろうか。