Technólogia Vol. 1 - Pt. 61

Technologia

67. 告白

 また地下に下りた。蚊屋野達が目指していた研究所というのは蚊屋野の想像していたのとはかなり違っていたのだが、それにはちょっとした事情があった。つい最近まではそれなりの施設にそれなりの設備のある研究所でスフィアの研究が続けられていたのだ。しかし、近年になって「本当にそれだけの規模で研究を続ける意味があるのか?」というような意見をいう科学者が現れた。一番良い研究所じゃなくて、二番目じゃダメなんですか?と言ったかどうかは知らないが、科学者なら研究の重要性は解っているはずなので、そういう事を言い出す科学者というのは厳密には科学者ではない。
 東京のように人と物が多い場所では、早い時期から経済活動が活発になり、そんな中でチャンスをつかんだ者達が大金を手にするようになった。そうやって稼いだ金の力で自らが科学者になったり、あるいは元からいる科学者を裏で操ったり。いつしか政治はお金持ち達が動かすような状況になっていったのだ。
 このお金持ち達が恐れているのは世界が元に戻ることだった。今の世界の状態で確立された金儲けの方法は、世界が元に戻ると通用しなくなる。それでスフィアの研究は彼らにとって、どうしてもやめさせなければいけないものになった。そして、次第に勢力を増していったお金持ち側の科学者達によって、議会ではスフィア研究計画の縮小が求められた。その結果、予算が削減されて研究所は二番目どころではない、地下にある狭い場所に移されたのだ。
 ついでに書くと、削減されて浮いた予算は市民のために使われることになっていたのだが、東京を中心とするテクノーロジア全体で使われる予算に比べたらそれは微々たるものなので、どうこでどう使われたのかは解っていない。一説によれば、回り回って元々がなんのお金だったか解らないような状態になったところで羽江のやっているビジネスというものに使われたとかいうことだった。本当だとすると誰かがどこかで見付けてきた作りかけのロボットを動かすのに必要な何かのために使われたのだろう。
 別の説によると、その予算はザ・バードの教えを広めるために使われたといわれている。もっとも東京にいる多くの人々は、繰り返し再生されるフィギュアスケートの映像に熱中する、ちょっとヒマな人々なので、そこまでお金をつぎ込まなくてもザ・バードを広めるのは簡単だともいわれている。なので、これが本当かどうかは怪しいところである。
 そんな話を聞いた蚊屋野は不安ではないが、どこか落ち着かないような気分になっていた。自分を待ち望んでいたのはこの世界の全員というワケではなくて、事情を知っている一部の人達だけだったのだ。それにスフィアの調査計画を良く思わない人達がザ・バードを上手いこと利用したら蚊屋野を悪者に仕立て上げることも出来るかも知れない。蚊屋野が英雄として誰からも尊敬の眼差しを向けられるようになるためには、計画を成功させて世界が元の状態に戻らないといけないのだ。その道のりを考えると少しウンザリするので、今は東京のこの研究所に辿り着けたことを喜んでおくことにした。
 ここまで来るのに色々とあったようで、そうでもなかったような。短い間に沢山のことが起こると、慌ただしさで自分がしてきたことを一々覚えていなかったりする。そういう嵐の中みたいな状態の時には余計な事を考えないですむので、蚊屋野でさえも前向きな気分になれるという良さもあるのだが、忙しくした分だけの見返りがないと、ただ疲労だけが残ることにもなる。無事にここに辿り着けたことは、果たして喜ぶべき事なのか。
 そうやって一人で考えているとそろそろヒマになってくる。花屋はここに着いてから色々とやることがあるらしくて、なかなかこの部屋に戻ってきそうにないし、ケロ君は研究所にいる科学者の子供に捕まって遊び相手になっている。ここは狭い場所ではあるが、それは元の研究所に比べればという話で、狭いながらも部屋は沢山ある。蚊屋野は研究所をあちこち見て回ってみたくなった。こういう場所では大人しくしているべきなのかも知れないが、特に禁止されたワケでもないし、ここでは重要な人物というだけでなく、とても重要な人物なのだから、少しぐらい我が儘を言っても大丈夫に違いない。
 とはいっても蚊屋野の事なので、なるべく人に見られないように部屋から出ようとしていた。蚊屋野はドアのところからそっと顔を出して廊下を覗いてみた。すると廊下の先に花屋の姿があった。忙しいはずの花屋だが、急いで歩いているワケでもなく、なにか考え事をして突っ立っていたようにも見えたのだが、蚊屋野と目が合うと、何か都合の悪いことでもあったかのように目をそらして廊下を曲がって歩いて行ってしまった。
 花屋が見えなくなった廊下の方を見ながら蚊屋野は、なんだろう?と思っていたのだが、考えたところで理由が解るはずもないので、今は気にしない事にして予定どおりあちこち見て回ることにした。
 蚊屋野のいた部屋は研究所の端にある部屋だったので、廊下を出るとさっき花屋のいた方にしか見て回る場所はない。さっきの花屋の様子からすると今はヘンに話したりしない方が良いのかも知れないと思って、廊下の突き当たりは花屋の曲がっていったのとは反対に曲がろう、とか思って歩いていた。
 しかし、そういう気遣いは全く意味がなかった。蚊屋野が廊下を半分ほど歩いてくると、花屋がその先に姿を現した。そしてこちらに向きを変えると、さっきとは全く違った様子で蚊屋野の事を真っ直ぐに見つめていた。
「蚊屋野君」
花屋は蚊屋野が少し驚いてしまうようなハッキリとした口調で呼び掛けてきた。もしかして部屋から出たらいけなかったのだろうか?とか蚊屋野が思っている間に花屋がスタスタ歩いてきて蚊屋野の腕をつかんだ。そしてそのままさっきの部屋まで蚊屋野を連れて戻っていった。
「やっぱり機密情報とかあるから、勝手に出たらいけなかったかな…?」
蚊屋野が言い訳っぽい事を言ったのだが、花屋にはあまり通じていないようだった。それよりももっと重要な事があると花屋の目が伝えている。
 部屋の扉を閉めて振り返った時の花屋の目。蚊屋野が初めて彼女に会った時に感じたあの目の輝き。それと同じものを今もその目に感じていた。それがどういう意味だったのか解らないままだったのだが、もうすぐにそれが解る時が来るに違いない。
 花屋は蚊屋野の目を見つめたまま口を開いた。
「蚊屋野君。これまでずっと言えなかったんだけど、伝えたいことがあるの」
蚊屋野はマズいと思った。どうしてそう思うのかはハッキリ解らないのだが、これはマズいのだ。解らないけどなんとなく解る。
 いや、もしかするとそれは蚊屋野の考えすぎかも知れない。しかし、今このタイミングで、あの真剣な眼差しで。「これまで言えなかったこと」ってどういう事か?と考えると選択肢はあまりないように思える。
 20数年前の昔の世界では考えられない事かも知れないが、今は状況がちょっと違う。蚊屋野はこの世界では数少ない健康体なのだ。そういう男に蚊屋野同様に健康体の花屋が特別な感情を抱くことはない事でもない。
 だが、それがどうしてマズいのか。それはきっとあの目にある。あの目の輝き。あんなものに惑わされなければ蚊屋野が今ここにいることもなかったかも知れないのだが。とにかくあれは危険なのだ。危険な目の輝きなのだ。信用すればまた惨めなことになる。少なくとも今はタイミングが良くないのだ。もっと落ち着いて考えられる時でないと。
「あ、あの。ちょっと急用を思い出した。話はまたあとでね」
蚊屋野は不自然な笑顔に冷や汗を浮かべながら慌てて花屋の横をすり抜けると、そのまま扉を開けて廊下に出て行ってしまった。
 廊下に出ると堂中が帰ってきたところだったのだが、蚊屋野は焦っていたので「やあお帰り」と声をかけてそのまま歩いて行ってしまった。どこへ向かうか解らないまま歩く蚊屋野の後ろ姿を堂中が見送っていた。

 見学、見学。研究所の見学。あれはコンピュータかな?あれは大きな機械だなあ。蚊屋野は歩きながらなんとかして研究所の見学を楽しむ人になろうとしていたのだが、それが無理だと解ると立ち止まってため息をついた。
 あのまま花屋の話を聞くのも、そうしないで部屋を飛び出すのも、どっちもマズいことに違いなかった。あそこで何かを言われたとしても、蚊屋野は焦ってまともな返事を出来なかったに違いないが、かといってあとからゆっくり話すとしても、今度はかまえてしまって更におかしな事になるに違いない。蚊屋野はいつだってそんな感じなのだ。自分は常に間違ったことを言うように生まれついたに違いないと思うこともあった。
 それよりも、これからどうすべきか蚊屋野は考えた。あの部屋には戻りづらいし、狭いといっても意外と広い研究所内のどこへ行けば良いのかも解らない。困った蚊屋野がボーッと立ち尽くしていると廊下の少し先にある部屋の扉が開いて誰かが出てきたようだった。
「蚊屋野君」
蚊屋野が驚いて顔を上げると、そこには美しい中年女性がいた。それは途中で何度か登場した科学者の娘らしき人に違いなかったのだが、彼女の顔を見た蚊屋野は一瞬思考が止まったようになってしまった。しかし、その女性が20年前にどんな顔をしていたのか、ということを頭に思い描いた時に蚊屋野は「アッ」と声を上げた。
 様々な記憶や感情がこみ上げてきて頭が破裂しそうな気分になった。この女は、あの女だ!
「無事で良かった。ホントに…こんな事になるなんて」
女は目に涙を浮かべていた。蚊屋野は「キミさえいなければこんな事にはならなかった」と思っていたのだが、口には出さなかった。というよりも言葉が上手く出てこないほどに、頭の中では様々な感情がもつれ合っているような状態だった。それに彼女が目に浮かべた涙は何なのだろう。何かの言い訳のつもりか、あるいは罪滅ぼしということなのか。
「大変だったと思うけど、蚊屋野君だったら出来ると思ってた」
蚊屋野はまだ何も言わないが、なんとなく解ってきた。人を笑いものにして楽しんでいたくせに、世界を救うかも知れない人と解ったら手のひらを裏返すというやつに違いない。
 蚊屋野が黙ったままなので女は少し不安になって来たようだった。
「ねえ、私のこと覚えてるよね…?こんなおばさんになっちゃったけど。私…」
「忘れるワケないよ」
そう。忘れるワケはない。20年経って過去のことは帳消しとか思っているのかも知れないが、蚊屋野にとってはちょっと前の出来事なのだ。
「あんな酷いことをされて、忘れたくても忘れられないよ」
「酷いこと?!何のことだか解らない」
「ああ、そうか。キミにとっては何でもないことかもな。ああやって惨めな男を笑いものにするのは良くある事なんだろうしな」
女はどうして蚊屋野が怒り始めたのか解らずに戸惑っている様子だった。そんなことは気にせずに蚊屋野は話し続けた。彼を押しとどめていた何かが崩壊して、中にたまっていたややこしい感情が流れ出てきているようだった。
「あんなこと平気でするなんて信じられないよ。騙されたと解るまでは夢の中にいるような気分だったのにな。ボクなんかにはキミみたいな人とは一生縁がないものだと思っていたんだけど。それでも同じ研究室に入ってきたキミは何かと話しかけてきてくれたりして。そんなことは有り得ないと思いながらも、これは一生に一度のチャンスかも知れないと思ってさ。決死の覚悟っていうのはああいう時の事だと思ったよ。それでキミをデートに誘ったらオーケーしてくれたんだ。ボクは生まれて初めて生きていることが素晴らしいと思えたよ。そんな事を知った上でキミはボクをどん底に突き落としたのか?それならさぞかし気持ちが良かっただろうね」
蚊屋野は泣いているのか怒っているのか解らないような表情になって来た。だが女は何も解らずに困っていた。
「ねえ、大丈夫?何の話なのか全然わかんないよ」
なだめるように言ったが蚊屋野は収まりそうにない。
「まさかアレが偶然の出来事だとでもいうのか?待ち合わせの場所にいったら、キミはボクの目の前でカッコイイ男に手を引かれて夜の街に消えていったんだぞ。それを見せたかったんだろ?キミの恐ろしい計画は大成功だよ。いや、計画以上にボクにダメージを与えたよ。でも残念ながらあとで落ち込んだボクを指さして笑うことは出来なかったけどね。それだけが救いだな」
女は蚊屋野が転送装置の影響か何かでおかしくなっているのではないか?と心配していたのだが、話を聞いているうちに別の事を考え始めていた。どうも何かが間違っている。
 女は世界が崩壊を始める前日の事を思い出してみた。蚊屋野との待ち合わせ場所にいた彼女。

蚊屋野君どうしたんだろう。自分は絶対に5分前に来る人だって言ってたのに。それに今日は遅れないでって伝えてあったし。困ったなあ、これじゃ間に合わない…。
「姉さん。まだこんなところにいたの?」
「あ、賢人」
「あの人まだこないの?」
「うん。でもあと五分だけ待って」
「ダメだよ。これは姉さん一人の問題じゃないんだし。大勢の人の命がかかってるんだよ。それにもうすでに一部のネットワークはダウンしてるって」
「ちょっと賢人。待って…」
「仕方ないんだよ。急がないと」
ああ、蚊屋野君。なんで来てくれなかったの?このままじゃずっと会えなくなってしまう。それに、私だけ助かるなんて事になったら…。ごめんなさい蚊屋野君…。

 こういう事を思い出した女は蚊屋野にそのままの内容を話した。蚊屋野もそろそろアレ?と思い始めているし、他の人はもうすでに解っているに違いないが、この女はすでに登場した中野賢人の姉ということになる。そして、花屋の母親でもあるのだが。名前は中野葉奈(ナカノ ハナ)。
「それってつまり…どういうこと?」
蚊屋野は話が見えてきたような気がしていたのだが、まだ納得しようとはしない。葉奈に対する怒りをここで吐き出したつもりが、その怒り自体が何でもない事への怒りだということが解ってきたので、その気まずさのために事実と思える葉奈の話もなかなか認めたくならなかった。
 あの時のカッコイイ男は、確かにさっき会った中野賢人であった。いや、もしかすると葉奈から今の話を聞いたことによって記憶の中の男の顔が違うものにすり替わってしまった、ということも考えられる。だが蚊屋野にとってはちょっと前の記憶なのだ。しかもショックを受けながらも、あの顔はハッキリと記憶に焼き付けた。この世の中は顔さえ良ければ何でも許されるのだ、と。そういう事を思い知らされた瞬間だったのだし、その時に見た顔は簡単に忘れる事はない。
 ということはやっぱり葉奈の話は本当なのだろうか。大体、ちょっとお嬢様っぽいところもある美しい大学生が、どうしてそこまでして蚊屋野を陥れる必要があるのか。その辺からしておかしい感じもするのだが。蚊屋野にとっては、心のどこかで「あんな綺麗な人と自分が上手くいくはずなんてない」という思いがあったので、そういうところから、目の前で見た光景と蚊屋野の想像の相乗効果でアリもしない話が蚊屋野の中に出来上がってしまったのかも知れない。まさに疑心暗鬼というやつだ。
「じゃあ、ボクがもう少し早く行ってれば…」
蚊屋野が言うと葉奈は頷いた。ただ葉奈もまだおかしいと思っている事があるようで、スッキリしない顔をしていた。
「あなたがあの場所に来たら全て説明するはずだった…。あの子から何も聞いてないの?自分から話したいって言ってたのに」
葉奈に言われると、あの子って花屋のことか?と思った。そういえば、さっき話があるとか言っていたのだが。もしかして、あの時の話って蚊屋野が思っていたのと全く違う事だったのだろうか?
「いやぁ。なんていうか、色々とゴタゴタしてたし…」
とりあえず誤魔化すことにした蚊屋野だった。

 さっきの部屋では蚊屋野が出て行ったあとに堂中が部屋の外でどうすべきか?ということで逡巡していた。実は蚊屋野と花屋が部屋に入っていったすぐ後ろに堂中がいたのだが、二人はそれに気付いていなかった。そして、堂中は部屋のすぐ外で二人のやりとりを聞いていたのだった。
 堂中と花屋とは彼女が同じ居住地にやって来た時からの友達でもあったし、今回の旅での花屋にとって蚊屋野は少し特別な存在なのだということも気付いていた。それで今部屋の中で花屋がどんな顔をしているのかもなんとなく解るのだが、自分が彼女に気の利いた言葉がかけられるのかというと、あまり自信がなかったりもした。それで少し部屋に入るのを躊躇していたのだが、このままどこかへ行くのも良くないので堂中は思い切って部屋に入ることにした。
 中に入ると花屋は予想どおり小鳥を捕まえ損ねた猫みたいな顔をしていた。別に何にもなかったし、何にもなかったんだから私はいつもどおり。そんな表情なのだが、それ自体が何かを誤魔化そうとしている合図なのだ。
「あ、マモル君。お帰り。何してたの?」
やっぱり花屋はいつもと違う。これまでここで起きていた事はなかった事にしようとしているに違いない。花屋は堂中が何をしていたか知っているはずだし、こんなふうに聞くことはこれまでほとんどなかった。
「蚊屋野君が安全に出発できるようにね。準備は万端すよ」
「そう」
無理して作った話題なのでこれ以上話す事はなかったりした。会話が止まってしまうと自然な感じで重要な話に入れなくなってしまう。花屋としてはありがたい事でもあるが、堂中はそれではすまない。ここまで上手くやってきた三人なのに、最後で気まずい関係になるのは堂中としても納得がいかない。
 そういう時には強引に話を始めるしかない。
「それからさ。蚊屋野君のことっすけど…」
堂中の言う「それから」は何に対しての「それから」なのかは解らないが、「それから」を付けた分だけ強引さが和らぐような気もするのでそれで良い。その前に、今の花屋はそんな事は気にしていないに違いないのだし。
「ボクがこんな事を言うのもヘンかも知れないけど。でもそういうことはもっと落ち着いてからでも良いと思うんすよね。カヤっぺは決めたらすぐに行動するけど、時にはタイミングを見計らわないと失敗することもあるんだし。蚊屋野君だってまだこの世界に慣れてないかも知れないっすから。何を考えているのか解らないところもあるけど、蚊屋野君も混乱しているかも知れないからね」
堂中の話を聞きながら、花屋はそれが何の話なのか?ということを考えなければいけなかった。だがちょっと考えたくらいでは良く解らない。
「それ、何の話?」
花屋に聞かれると、やっぱりこういう話は自分に向いていないと思った堂中が正直に話すことした。
「ごめん。実はさっきカヤっぺが蚊屋野君に告白しようとしてたの、外で聞いちゃったんだよ」
告白と聞いて花屋はおかしな気分になって微笑みを抑えきれない様子だった。それと同時になぜか顔を赤らめていた。
「そういうのじゃないよ」
そう言いながらも顔が赤くなっている花屋だが、それは別の意味の恥ずかしさのせいでもあった。うちに秘めていたものを誰かに明かすような時にはなぜか照れくさくて顔が赤くなったりする。どうしてそうなるのかは良く解らないが、多分それが重要な事であると相手にも伝わるように、顔を赤くして話を強調するための機能に違いない。
 こうなってしまったら適当に誤魔化すワケにもいかなくなった。花屋の顔が赤いせいで堂中にも何かがあると気付かれているに違いなかった。それに、蚊屋野に話したあとで堂中にも知らせるつもりでもあったのだ。
「実はね。蚊屋野君って私のお父さんなの」
果たして花屋はこんなところで冗談を言うような人だったか?と考えた堂中だったが、そんなことはないはずだった。とうことは、どういうことか?と思って堂中は頭の中で様々な情報を分析して今の言葉を理解しようと必死になった。
 まずは大まかに考えてみると、蚊屋野の年齢は実際の年齢に二十数年をプラスしたもので、転送中にこの世から存在が消えていなければもう50歳近いということになる。なので、花屋の言っていることは有り得ないことではない。だが、それだけでこの衝撃的な発言を受け入れるワケにはいかない。
 花屋が完璧なようでいてたまにおっちょこちょいでもあるのは遺伝的なことなのか。こういうところを考えてみても、答えはいくつもありそうな気がする。それよりも決定的なことがあるのではないか。
 堂中が納得できない部分を突き詰めていくと一つの矛盾を見つける事が出来た。
「でも、ちょっと待って。もしそうだとすると蚊屋野君は転送装置に入ってなかったことになるよ。カヤっぺが生まれたのは世界が崩壊し始めた日から一年以上あとだったはずだし」
「やっぱりそう言うと思った。本当はママも蚊屋野君と普通に結婚したかったって。でも時間が足りなくて。それで人工授精で妊娠したんだって。そこまでして私を産んだのは、20年ぐらいあとに転送装置の中の人が戻ってくることが解ってたから。本当は蚊屋野君じゃなくて別の人が転送装置に入ることになってたんだけど。その蚊屋野君をサポートするのに健康な若者が必要になるからってことで、私が必要だったの」
これではまるで目的のために作られた子供のようだが、その辺は考えようによる。親が望んだのとは全く違う職業に就く子供もいれば、望みどおりに成長する子供もいる。やることの選択肢の少ないこの世界なので、花屋も問題なく自分に課せられた役割を受け入れたのだった。
「でも、それじゃ蚊屋野君が本当にお父さんかどうか解らないんじゃない?」
「私は会った時にすぐ解ったよ」
そう言われると否定は出来ないのだが。堂中は花屋を慰めようとこの部屋に入ってきた事などすっかり忘れて、今は頭の中を整理するので精一杯になっていた。

 別の部屋では蚊屋野がポカンとしていた。こっちの部屋でも、さっき花屋が堂中に話したような内容が蚊屋野に伝えられたのだが、蚊屋野にとっては頭の中を整理するだけでは収拾がつきそうにない話でもあった。カオス状態の頭の中で何かしらの形のようなものが偶然形成されることがない限り、蚊屋野の口から言葉が出てこないような、そんな感じがしていた。

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