Technólogia Vol. 1 - Pt. 1

Technologia

01.

 とてつもなく重要な事を思い出して飛び起きる事がある。だが起きてみると、それはそれほど重要なことではなくて、ただ平日を休日だと勘違いして寝過ごしそうになっていたとか、その程度である。ヒドい時には何の問題もないのに、以前に体験した何か悪い事の記憶が勝手に蘇ってきて、慌てて目を覚ますということもあったりする。それはそれで、何でもない日常にちょっとした緊張感を思い出させてくれるので、無駄な事ではないのかも知れない。こんな現象には必要悪という言葉を使いたくなるが、それはちょっと違うのか?それはともかく、たいていの場合は何でもないようなこの「飛び起きないといけないような感じ」なのだが、今回はそうでもないのかも知れない。
 全てを忘れて眠りについていた蚊屋野(カヤノ)という男にとって、この朝のとてつもなく重要なことはそれ以上にない重要なものだったに違いない。そして文字どおりの意味でまさしく飛び起きたのだが、その瞬間目の前にあった硬い物に頭を強打して意識を失うとまたしばらく眠ってしまった。
 次に彼が目覚めた時にも同じように飛び起きたりすると、彼は再び頭をぶつけて同じ事を繰り返してしまうのだが、彼はそこまで単純ではないようだ。その前に頭を打った衝撃で飛び起きるほどの元気はなかったのかも知れないが。二度目の目覚めはゆったりとしたまどろみから始まった。
 全てに安らぎを覚えていた夢の中から次第に現実が姿を表していく。妄想の中で思い通りだった事は全て自分に敵意を示すようになる。こうなったら寝ているのも苦痛になる。そろそろ起きる時間に違いない。そう思って蚊屋野はうっすらと目を開けた。
 頭が痛いし、周りもやけに暗いのは二日酔いのせいなのか?と思ったのだが、そうでもなさそうだった。今寝ているのは自分の部屋のベッドではないし、ましてやここは寝るための場所でもなさそうである。どういう事か?と思って蚊屋野は起き上がったのだが、その時にまた頭を目の前の硬い物にぶつけた。今度は気を失うほどではなかったが、前にぶつけた時に出来たタンコブのある場所とちょうど同じところをぶつけて彼はギャッと悲鳴をあげて頭を元の場所に戻した。
 全てが謎である。いや、謎ではないのか…?
 蚊屋野は考えていたが、原因は酒にあるような気がしていた。目覚めた時に自分の居場所が解らないのは初めてではない。しかも今まで寝ていたこの場所の感覚にはなんとなく覚えがある。二日酔いだったのは前に目が覚めた時で、今は別の理由で意識がボンヤリしている。蚊屋野はそんなふうに感じていた。そんなふうに感じる理由は普通では考えられないのだが、蚊屋野にとってはそれが一番納得のいくことだった。
 とにかく思い出してみれば全ての事に説明がつくはずだった。

02.

 しまった!と思って目を覚ます。この時の蚊屋野にとってその理由はまだ一つしかなかった。酒のせいで覚えていないが、自分は自分の家ではないところで寝ている。飛び起きようとしたが体はまだアルコールの影響が残っているので素早く動くのは困難だった。それで頭だけを持ち上げて辺りを見回してみると、そこは見た事があるような、ないような部屋だった。
 見た事があるような気がしたのは、そこが彼の通う大学の研究室に似ていたからだ。しかし、そこには彼が見た事がない機械が並んでいた。「いかにも研究って感じの研究室だな」と自称文学青年の蚊屋野は思ったが、文学青年ならもう少しまともな表現は無かったのだろうか。とにかく、そこが大学の研究室だとしても彼には縁のない場所に違いなかった。
 その前にどこだか解らない場所に寝ている今の状況からすると、そんな事を呑気に考えている場合ではないのだ。蚊屋野は飲み過ぎた次の日のあの惨めな感覚を覚えながら体を起こした。どうしてこんなになるまで飲んでいたのかというと、昨日の蚊屋野はもっと惨めだったからに違いない。ただし、今はどうしてそんな事になったのか覚えていない。思い出そうとしても今は対処すべき問題がありそうだ。
 蚊屋野が起き上がるとこの場所にいた男と目が合ったのだ。その身なりからして、そしてここが大学の研究室ということなら彼は教授ということだろう。汚れの目立つ白衣を着た教授らしき男は蚊屋野の存在に気付くと驚いた様子でマジマジと蚊屋野を見つめていた。
 ヤバいと思ったのだが、蚊屋野は慌てなかった。大学の教授というのは、特にこの人みたいに研究に熱中しているようなタイプは学生が何をしていようと気にしないのだ。それに特に優等生が集まるわけでもないこの大学だし、酔っ払た学生が研究室で寝ているなんてことは珍しくないはずである。
 その辺に関しては蚊屋野には自信があった。何しろ今年で五回目の四年生をやっているのだから。ただし、この朝は少し事情が違ったようだ。或いは蚊屋野には関係のない学部では蚊屋野の常識は通じないのかも知れない。
「キミ!どうやって来たんだ?」
黙ったまま蚊屋野を見つめていた教授が色んな感情がこもったような声で言った。幸いな事に怒っている様子はない。
「すいません。どうも部屋を間違えたようで」
「いや、間違ってなどいない。今日ここに来られたのは運命に違いないな。それでこそ危険を顧みずにボランティアで協力してくれる学生というものだ。まあ、輝ける未来をフイにしたくないということだろうがな。だが交通が麻痺する前にココに来てくれたのは本当に幸運だったな」
教授は蚊屋野の事はほとんど気にせずに話している。このままでは困った事になりそうなので慌てて蚊屋野が遮った。
「あの、なにか勘違いされているようですけど…」
「ん?!勘違い?」
「昨日飲み過ぎてしまったようで、どうやってここに来たのかは覚えてないんですけど。多分部屋の鍵がかかってなかったのでしょうね。それで自分の使っている研究室だと思って…」
「なんだ、そうか。それよりキミ学生なのか?それにしては、なんか、こう…。貫禄があるな」
老けていると言いたいのは解っている。だがここでなんで自分が5回も四年生をやっているのか、とかそんな事を説明しても意味は無いだろう。説明したところでこの教授は聞く気はなさそうだったが。蚊屋野の返事を聞く気があるのかどうかすら怪しい感じで、教授はパソコンのところへ行って何かを調べているようだった。
 その姿が妙にマッド・サイエンティストのようなのはなぜだろう?と蚊屋野は思ったのだが、その理由はすぐにわかった。色んな機械があって、そのほとんどには電源が入れられているようなのだが、部屋の照明はつけられていないのだ。それでパソコンの画面の光が教授の顔を下から照らし出すから、その顔にちょっとした狂気じみたものを感じるのだろう。
「なるほど、そうか。確かにキミは19才には見えないな。だがこうなったら贅沢は言えんな。キミ。今なにか病気とか怪我とかはしてないか?」
「いや…、特に。まあ二日酔いというか、まだ酔っているような感じですが…」
教授の質問は間違って部屋に入り込んでしまった学生に言うには適切でない、という感じだったが、そんな変な事を聞かれると蚊屋野も不意を突かれた感じで正直に答えていた。
「どうやら、キミの協力が必要なんだよ。今日ここで行われる実験に協力してくれるはずだったボランティアなんだが、夜明けから電車が止まっている関係で来られないようなんだな」
「停電か何かですか?」
「いや、停電というか。通信関係も上手く繋がらないとかいう話だがな。ともかくこの時間じゃ近所に住んでいる学生もまだやって来ないし、このキャンパスにはほとんど人がいないんだよ」
「つまり実験に協力してくれ、ってことですよね。でもボクは文学部ですよ。こんな見た事もない機械の操作を手伝うなんて出来ないと思いますが」
「いや、それは全て自動でやるから大丈夫だよ。キミには機械に入ってもらうんだよ。そして私がスイッチを押す。そして、夕方には関係者全員でテレビカメラの前で記者会見ってワケだ。もちろん真ん中にはキミが座る事になる。どうだ?」
そう言われても蚊屋野に答えられるはずもない。しかもさっきこの教授は「危険を顧みず」とかそんな事を言っていなかったか?
 蚊屋野はこの部屋の中でもきわめて異質な感じのする大きな機械に目をやった。化学の実験などをする研究室はもう少し大きくて、無機質な部屋だと思っていたのだが、ここはそうではなかった。もう二年ほど入っていないが、蚊屋野のいわゆる文系の研究室とほとんど同じ作りで、機械類さえ無ければ居心地の良い個人用図書館と言った佇まいでもある。それがかえってここにある機械の異様さを強調しているとも言えた。
 そこにあるのは背の高いドラム缶のような機械だった。人一人なら余裕を持って入れそうな大きさであるし、よく見ると人が入るのにちょうど良い大きさの扉のようなものがついている。そのてっぺんから太いケーブルが伸びていて、それが別の機械に繋がっている。見た感じからして大量の電力を消費しそうだ。
「それで、どうなんだね?」
蚊屋野が黙っているのでしびれを切らせたように教授が聞いてきた。どうと言われてもやっぱりすぐには答えられない。いや、この状況を考えると、本来なら迷うまでもなく「ノー」なのだが、これまでの複雑な状況が蚊屋野にそう言わせなかったような気もする。
 だいたい、どうして昨日はあんなにバカみたいに酒を飲んだのか?ということでもあったのだが。あまりにも惨めすぎて、今すぐにでも寿命が尽きてくれたら、と。そんな気分でもあったのだし。そういう状況の蚊屋野には、今のこの状況は少しだけ魅力を感じるものでもあった。
「一つ聞きますが、失敗すると死にますか?」
蚊屋野が聞くと教授はギョッとしたように一瞬返事に戸惑ったようだった。
「ま、まさか…。これまでの実験からすると、そんなことはありえない」
「じゃあ、何が危険なんですか?」
「危険というかな。タイミングの問題なんだよ。天候と気温と、それから湿度も少しは関係があるんだが。この先しばらく雨が降るって事だし。その後だと気温が下がりすぎるからな。四季って言うワリには夏と冬が長すぎるよな。それはともかく、実験をするには今日のこの時間しかないんだよ。それでなかったら無理にキミに頼まなくても若くてハンサムな本来の協力者にやってもらうんだが」
教授にとっては何となく言った事だったのだが、蚊屋野は最後の方の若いとかハンサムとか言う言葉に異常に反応してしまった。なぜそうなるのか、考えれば理由は解るのだが、その前に怒りにも似た激しい感情がこみ上げてくるので、彼の社会的な感覚が彼に考えるのをやめさせた。そして蚊屋野の中には「イエース!」しか残らなくなった。つまり、この何だか解らない実験に協力するということのようだ。