Technólogia Vol. 1 - Pt. 6

Technologia

07.

 ここはスーパーの地下みたいな場所で広さもスーパーの地下ぐらいである。ということは、以前はスーパーの地下だったに違いない。なので予言者が待っているという部屋にもすぐに辿り着いてしまうだろう。蚊屋野はさっきの男のあとについて歩きながらこれから起きることにどうやって対処するのか考えていた。
 蚊屋野の考えるカルト教団とはどういうものか。彼の考えによると、こういう団体は誰も救ったりはしない。とはいっても中にいる人間のほとんどが救われると思っているのも確かである。しかし、その本来の目的はその救われると思っている人間からお布施を巻き上げること。
 それぞれが払う金額は少なくても信者が増えれば増えるほど大金が入ってくるのだが、問題は規模が大きくなると教団の施設を作るのにもそれなりの予算が必要になってくることだ。さらに問題なのは信者の心をつなぎ止めておくための何かがないといけない。
 何も起きないと解れば信者はわざわざ風変わりな宗教団体と関わるのをやめて、元のとおりに神社に行っておみくじをひいたり、たまにはお寺に行って先祖の墓参りをしたり。もちろんクリスマスもそれなりに楽しむに違いない。こういう教団にはそれ以上の何かが必要なのだ。わざわざお布施を納めるに足る奇跡が。神の起こす奇跡が。
 しまった!と、蚊屋野は思っていた。こんな感じでカルト教団の特徴を分析しても意味がないのだ。これから起こることに対処するのだ。預言者が待っているであろう部屋の扉のところまであと少し。その預言者というのは彼に何を望んでいるのだろうか?
 確かあの廃墟で、男達は自分が預言のとおりにあの場所に現れたとか言っていた。この教団にとって自分は神の起こす奇跡の一部ということなのかも知れない。神のお告げどおり現れた自分は何なのだろう?なにか特別な役割を与えられたりとかするのだろうか?
 それがなんであれ、そんなことはやりたくない。こういう団体と関わること自体、これまで絶対に避けたいと思ってきたことでもある。それに、もしそんなインチキな芝居みたいな事をしても、何か問題が起きて嘘だと解ったりしたら、ここにいる熱心な信者達は自分をどうするだろうか?…どう考えてもろくな事にはならないに違いない。だから何があってもこういう人達とは関わってはいけないのだ。
 ここは科学者にならなくてはいけない。怪しい宗教に対抗するにはきっとそれが一番なのだ。大学に八年もいたんだから、自分は科学者。そう自分に言い聞かせた蚊屋野だが、そんなことでは安心できない。だいたい科学ってなんだ?ということでもあるのだが。
 図書館に行って、色んな本をペラペラめくったり、それが面倒ならネットで検索して出てきた記事をなんとなく読んでみて、そこから都合の良い部分を集めてまとめて担当の教授に提出する。そして、これが何なのか?と教授に言われて、言い訳みたいにしどろもどろな考えを述べる。蚊屋野が大学でしていたのはこんな感じだったが、これのどこが科学なのだろうか?
 ここで蚊屋野は皮肉にも初めて科学のなんたるか?を理解したような気がした。自分のしてきた事は全く科学ではなかった。しかし科学は間違いに気付いたらそれを認め、そして受け入れて、そこから正しい答えを求めるものである。今のこの状況がその事を気付かせてくれたのだが。そんなことにもっと早く気付いていたら、もしかすると自分は八年間も大学にいなかったかも知れない。
 そんな事をここで後悔しても意味がないのだが、蚊屋野は自分が宗教ではなくて科学を信じる理由を見つけてこの数秒の間にちょっと偉くなったような気がしていた。科学が宗教と違うのは宗教じゃないからだ。当たり前のようだが実はそうでもない。間違いを認めない科学とか、根拠のない科学とか。世の中にはそんな科学が多すぎだし、自分もそういうものに騙されていたのかも知れない。でもそんなものは宗教と一緒なのだ。蚊屋野はそう思っていたが、結局これから預言者と対峙するにあたっての対策はなんにも思い付かないまま扉のところへ来てしまった。
「さあ、どうぞ」
ここまで蚊屋野を先導してきた男が扉を開けながら言った。
 なんでこんな大事な時に上の空で関係のない事ばかり考えてしまったのか?しかしそれは蚊屋野なんだから仕方がない。その時に考えるべき事とは関係ないことを考えてしまって、なぜかそれが重要な事のように思えてしまう。そんな事ばかりを繰り返してコレまで生きてきたのだから、これからだってずっとそうに違いない。
 それに、これまで考えていた事に意味が無いとも思えない。もしかすると自分の防御本能がそうさせたのかも知れない。預言者と呼ばれる人物の思いどおりにさせないためには今まで考えていたことも何が役に立つのかも知れないし。
 そうでなければ、いつものように惨めな気分になって、なんとか現状を乗り切るという事になるのだが。とにかく、預言者のいる部屋の中に入らないといけない。

 部屋に入った瞬間に蚊屋野は不意を突かれたような気分になった。それから喜んでいるのか驚いているのか解らないようなウワァ、という変な声を上げながら予言者が彼の前に立った。さらにおかしな事になったようだ。
 この部屋はカルト教団の予言者がいるような部屋ではなくて、どこかで見たような「理系の」研究室のようだった。それが最初の印象。そしてそこへ現れた予言者がもっと予想外だったのだ。目をギラギラさせながら自分を見つめているこの予言者は、彼を実験台にした教授なのだ。
「待っていたぞ」
教授はそう言ったのだが、蚊屋野にその言葉は理解しがたかった。
「これは一体何なんですか?」
警戒と緊張と驚きとか。色々と感じていた蚊屋野だったが、まず聞くべき事を聞いた。
「そうか。そうだな。キミにはどう説明したら良いのか…。しかし、無事で良かった。どれだけキミのことを心配したことか」
キラキラ輝く目で心配していたと言われてもあまり説得力はない。教授は実験前と同じように興奮した感じで話しているが、色々と納得できないことだらけである。
「だったら自分で探しに来たら良いのに。それに何でこんなところに連れて来られないといけないんですか?実験が成功したらボクらは有名人じゃなかったんですか?」
「まあ、そういう予定だったんだが、問題が発生してな」
蚊屋野は教授の様子をうかがいながら、少し違和感を感じていた。とはいっても、実験前に初めて会って今が二回目だし、どこにどう違和感を感じるのかは解らなかったが。
「実を言うとな…」
教授はここでためらうように一度言葉を止めた。何か嫌な事を言う前に相手に準備をさせる時間を与えているのだが。蚊屋野はこういう瞬間がどうにも気に入らない。どうせ変な事を言うのならサラッと言ってくれた方がイイのに。そう思っていると教授が先を続けた。
「あれから20年が経っているんだよ」
蚊屋野が思っていたよりはサラッと言ってくれたのだが、何のことだか解らない。しかし、よく考えてみるとさっき教授に対して感じていた違和感の原因に気付いて蚊屋野は恐ろしくなった。教授の髪はこんなに白髪だらけではなかったはずだ。だが、どうして自分はあの廃墟にあった装置の中で20年も寝ていることができたのか?
 いや、ここは冷静にならないといけない。どう考えても20年は経っていないし、20年の間に誰も自分を起こしに来なかったということも有り得ない。これは壮大なドッキリだ。ドッキリという言葉は適切じゃないが、蚊屋野を陥れるための罠に違いない。教授の髪の毛も演出のうちで、最初に会った時には黒く染めていただけだ。そう思って蚊屋野はこの部屋に入る前の事を思い出した。科学的に。そうだ!科学的に考えるんだ!
「ウソはいけませんよ。ここにいる人達はみんなあなたの言うことを信じたのかも知れませんが、こんな大がかりな仕掛けを作ったってボクは騙されません。きっとあの実験というのを始めた時にボクは麻酔ガスか何かで気を失ったに違いない。そして、ボクが寝ている間にあの装置ごと研究室から運び出して、このどこか解らない映画のセットみたいな場所に連れてきたんだ。それでそのままボクを放置しておいて、麻酔が切れるころにあの二人に自分を捜索させたんですね。変な言葉を覚えさせたり、手の込んだことをしていたようですが。少し考えればそんなことがウソだってすぐに解りますよ。ボクは宗教じゃなくて科学を信じているんです」
蚊屋野は少し得意げに言ったが、それを聞いても教授はこれといった反応も見せずにただ頷いた。
「科学と理屈とは少し違うんだがね。まあキミが何でも信じてしまうような人ではなくて良かったがな。…。アナディーサニアッド・ァアウォルック・アテイッソ・オワボトック」
教授が変な言葉で話し始めたので、蚊屋野はギョッとして身構えた。
「な…何ですか?!」
「この言葉が理解できないかね?」
「出来ませんよ」
「ならば予想以上の結果だったんだな。あの実験は大成功だったんだ」
「なんでそんな大昔のことのように話すんですか。しかも実験じゃなくてドッキリでしょ。でもそのドッキリは大失敗ですよ」
「まあ、いきなり信じるのは難しいと思うがね。20年経ったということをどう説明しようか。キミが普通の言葉を理解出来ないような状況なら逆に信じてもらえたかも知れないがな。最初から順に話していくしかないのかな」
全てがウソであると思っている蚊屋野にとってはそんな事は迷惑である。あれから20年経ったと思い込ませるために長い話をするに違いない。色んな仕掛けを使って、まるで催眠術みたいに人を説得するのだろう。こういう人達はそんな事が得意に違いない。この廃墟風の建物とか、周りの雰囲気とかも上手く利用して話を信じ込ませるのだ。そんなふうに思っている蚊屋野は話が長くなればなるほど危険だとも思っていた。
「説明なんてイイですよ。ここがどこなのかだけ教えてください。そうしたら一人で家に帰りますから」
こんな事を言うとこの予言者と呼ばれている教授は怒るかもしれないと思ったが、彼は冷静だった。
「まあ、そうしたいならそうしても良いんだが。しかし、帰ってもキミの家なんてないと思うぞ。地下に住んでいたのならあるかも知れないが。まあ外に出てしばらく歩いていれば状況が解るだろうな。解ったらまた戻ってくるとイイ」
「じゃあ、そうしますけど…」
意外と簡単に帰してくれるようなので、逆に物足りないと思ってしまいそうだったが、こういうところからは少しでも早く離れた方がイイに決まっている。しかし何事にもタイミングが悪いのが蚊屋野の持って生まれた才能というべきなのか。物事はスムーズに進まないのである。
 蚊屋野は振り返って扉の方へ向かおうと思ったのだが、ちょうどその時誰かが部屋に入ってきた。その姿を見て蚊屋野はウワッと思ってしまった。
 その人物も彼をここまで連れてきた男達と同じように変わった服装だった。だが彼らと少し違っているのは、付けている防具やなんかは手作りではなくて本格的なものということろだ。胸と肩の辺りを覆っている防具はモトクロスをやる人が付けているのを見たことがある。その他の部分に付けているのも、恐らくそういう類の防具だろう。それだけでなく、深くかぶったつば広の帽子からは長い髪が伸びていて、暗い色の付いたゴーグルを付けて顔が良く解らなかった。
 そんなところを見て蚊屋野はウワッと思ったようだ。こういう細身で長髪で色の付いたゴーグルというタイプはナルシストに違いないし、しかもこんな場所にいるのだから、厄介な相手なのだろう。そんなことを思ったりもした。しかも、その人物は蚊屋野の姿をみるなり目をそらして入ってきたドアの方へ振り返ってしまったのだ。
 なんで自分に背を向けるのか解らないが、蚊屋野がその後ろ姿を見ていると、その人物は帽子とゴーグルを外してから振り返った。
 さっきはウワッと思った蚊屋野だったが、今回は違う意味でウワッと思った。長髪でナルシストの痩せ形の男だと思っていたのだが、そこにいたのは髪の長い若い女性だったのだ。しかもなぜか照れくさそうにしながら教授の方を軽く睨むようにしていた。
「もう、先生…!」
先生といわれた教授はなんだかニヤニヤしていた。
「荷物持ってきましたよ」
そう言うと女性は持っていた布の袋を床に置いた。特に縛ったりはしていない袋の口のところから中が見えたが、そこには蚊屋野のバックパックが入っているのが解った。
「ちょうど良いところに来てくれたね。まあ、予想どおりだったんだが、蚊屋野君に事情を話しても簡単には信じてくれなかったから。それで、家に帰ると言っているんだが」
教授はそこまで言うと、こんどは蚊屋野の方に向き直った。
「この子は中野花屋(ナカノカヤ)っていってね。まあ若いもんのリーダーみたいなことをやってるんだが」
その名前にはなにか引っかかるところがある。そしてその目の輝きにも。蚊屋野は色々と気になってはいたのだが、今は花屋という女性を気にしている場合ではないし、早くここから去りたいし、この後もずっとここにいる人達とは関わりたくないと思っている。
「そうですか。でもボク帰りますよ。これボクの荷物ですよね。わざわざ持ってきてもらって有り難いですが、持ってきてくれた人に関して詳しく知りたいとは思ってないですから」
苛立った様子で話す蚊屋野が女性の方を見た時に一瞬目が合ったのだが、その時に女性の目つきに何か訴えるものを蚊屋野が気付かないワケでもなかった。しかし、それよりもすぐここを立ち去りたい蚊屋野は袋から自分のバックパックを取り出した。
 そして、それ以上の話は聴かないまま蚊屋野はこの怪しい地下の居住地をあとにした。