Technólogia Vol. 1 - Pt. 9

Technologia

10.

 世界は終わった。少なくとも蚊屋野が知っている世界はここにはない。地上にあったものは崩壊していき、どこに行っても人だらけというような賑やかな世界の代わりに、瓦礫だらけの荒野が広がっている。そして、かつて地上に溢れかえっていた人達は今は地下で暮らしているようだ。
 見た感じだけで考えるとそこは人が生きていくにはあまりにも過酷な環境と思えるのだが、蚊屋野はまだそんなふうには思えなかった。そして、そこが気になりだすとおかしな事ばかりになってくる。この安心感みたいなものは一体何なのかと考えてみると、まず最初に思い浮かんだのは迷子にならないと思えるところである。今はスマホのバッテリーが切れさえしなければいつでも自分の位置を地図で確認できる便利な時代だ。しかもスマホのおかげでこの場所が蚊屋野のいた世界と同じ場所であることも解ったのだった。
 こんなふうに役に立つのだったら、周りに合わせてスマホにしておいて良かったと思った。そんなことを考えながら蚊屋野は花屋の後について、トンネルの中をあの地下の居住地の近くまで歩いてきていた。そしてそこで「アッ!」と大声を出した。
 その声に花屋はビックリして振り返った。(そろそろ忘れてると困るので書いておくと「花屋」と書いて「カヤ」という名前です。)
「なんですか?」
「なんですかって。これだよ!」
蚊屋野はスマホを取り出して花屋に見せた。それだけでは花屋には何のことだか解らなかった。
「なんでこれ動いてるの?」
「それって、スマートフォンですよね。バッテリーがあれば動くと思いますけど」
「そうじゃなくて。これって地図を見たり自分の場所を調べたりする時には本体以外にも色々と必要なんだよ。電波とか人工衛星とか。なのに、なんでちゃんと動いてるんだ?」
せっかくこの世界のことを受け入れることが出来そうになっていたのに、こんなところで根本的な問題に気づいてしまったようだ。パニックだったと言えばそれまでだが、普通ならもう少し早くに気付きそうなものだ。
「動いてちゃいけないんですか?」
花屋は蚊屋野の様子に驚いたように答えた。
「だって、外には何もないのに」
「でも、スマートフォンは前から使えてますよ」
今度は花屋の言ったことに蚊屋野が驚いていた。
「使えてるって?まだスマホだけは売ってたりするのか?」
「売ってはいないですけど。昔の店にあったものとか、工場にあった部品とかを使って」
「それは理解できるけど。でも電波とかそういうのは?」
「さあ…」
「さあ、って。それは先生に習わなかったの?」
「私が気にしなかったから教えてくれなかったのかも知れません。先生ってそういう感じですから」
確かに、コンピュータのようなハイテク機器なんてそういうものに違いない。それがどういう仕組みで動いているか、誰もが知っているワケでもないし。知っている人がそれを教えたところで理解できる人はあまりいない。それはどんな状況でも一緒ということのようだ。
「でも電波っていうのはあるみたいですよ。そういうのを出してる場所があるんです。だから私はあなたを追いかけてこられたんです」
「ということは、キミも持ってるってことか」
「ええ。大きい方ですけど」
大きい方というのは、恐らくタブレットのことだろう。
「使い方は先生に教えてもらったの?」
「はい。厳密には他の何人かの人にも教わりましたけど。中身のプログラムも出来るのはここでは先生だけだから、一番詳しいのは先生です」
あの教授には予想以上に沢山の事を説明してもらわないといけないようだ。蚊屋野はそう思ってから、なぜか知れば知るほど不安な気持ちになっていくこの感じが気に入らないとも思った。問題は簡単には解決しない。

 蚊屋野達はあの地下の居住地に戻ってきた。蚊屋野が最初にしたのは教授に会うことだ。まだ名前も知らない教授から色んな事を説明してもらわなければ、何がどうなっているのかさっぱりだ。最初にしたといっても、厳密に言うとそろそろ空腹に耐えられなくなってきたので、ここの住民達が食べているというミョーな味の食べ物を食べたりもしたのだが、その辺についてはどこかでまたということで、とにかく蚊屋野は教授に会いに行った。
 ここの住人達は蚊屋野に対してはやけに親切で、教授の部屋を探していると教えてくれたりもした。蚊屋野にとってはそういうところが逆に気味が悪く心配の種ではあったが、とにかく教授に話を聞けば大体のことは解るに違いない。
 教授の部屋に入ると、彼は嬉しそうに見える表情を作るのに精一杯という感じで蚊屋野を迎えた。こういう人にありがちなのだと思うが、自分が夢中になってやっている事以外にはほとんど興味が持てないから、その表情も嘘くさい感じがするのである。この教授の興味や目的に蚊屋野は関係しているかも知れないが、一番重要なのは蚊屋野ではない。そんな気がする。
 蚊屋野はここに戻ってくるまでに花屋から教授に関することも色々と聞いていた。外の世界が崩壊して混乱している中で、教授がこの辺りの人間に何をすべきかを教えて、この場所を作って人々を救ったとか。多少の誇張はあるかも知れないが、それを知っているだけでも、蚊屋野の教授を見る目も最初とは少し違ってくる。それで再会した時の笑顔が嘘くさくてもそれはそれで許せるとも思ったのだ。
「やっと解ってくれたかな?あれから20年経ってることが」
「確かに、ボクの知ってる世界はありませんでしけど。何だか解らない事だらけで…」
「そうだろうね。私も何から説明したら良いのか解らないんだよ。どうも人にものを教えるのが苦手なもんでね」
これまでの事を考えるとそれは正しいようだ。あの研究室からずっと教授の言っていたことがすんなり頭に入ってきた事はまだない。しかし、質問次第で解りやすい答えが返ってくる事もある。今の蚊屋野が本当に彼が言われたとおりの状況にあるのだとしたら、この教授は天才に違いないのだ。何しろ物質転送装置で人間を遠く離れた場所に転送することに成功したのだから。質問によってもの凄い事実を知ることも出来るかも知れない。
 蚊屋野はワケが解らない事だらけの中から、何が一番重要な謎なのか?ということを頭の中で整理した。それは簡単な作業ではなかったが、そういう時には難しく考えないで自分の意識をざっと眺めてみる。そうすると一番目立つところに一番重要な謎が見えてくる。そんな気がして蚊屋野は最初の質問をその怪しい方法で決めた。
「それで。名前は何て言うんですか?」
「ん?!」
教授は一瞬何を言われたのか解らない様子だったが、考えてみればそれは確かに重要な事かも知れない。ただ、教授があまり自分の名前を名乗りたがらないのにもワケがあったりもする。
「ああ、私の名前か?…まあ、名乗るほどのものじゃない、って言いたいところだがね。キミには迷惑をかけたしな」
そんな理由がないと名乗れないのか?とも思うが、とりあえず教えてくれるようなので蚊屋野は黙って聞いていた。
「私の名前は能内(ノウナイ)。自分の名前には誇りを持ちたいのだがな。どうも、この名前を言うと自信がなくなるんだよ」
どうでも良いところを気にしているようにも思えるが、気にし出すと気になって仕方なくなるのかも知れない。ノウナイ博士、ノウナイ教授。ノウナイ科学者。確かになんとなくインチキくさい感じもする。それに「能無し」という意味にも思える響きである。
 そういう問題に関しては蚊屋野も少なからず共感できるところがあるようにも思えた。ただ、そんなところで教授に同情しても意味がない。それよりも、教授の名前を知ったところでこれまでの謎の答えに近づいたのか?と蚊屋野は思ってまた自分の行動にウンザリしかけている。もう何を質問したら良いのか解らなくなってきたので、蚊屋野は最初から話してもらう事にした。ただし、この教授に最初から説明しろと言うと、例の物質転送装置の成り立ちを含めた最初から話し始めそうだし、そんな話をされても多分理解出来ないので、あの実験のところから聞くことにした。
「うーん…。それを説明するにはあの装置がどうやって動いているのか、という事を説明しないといけないんだが…。つまり、あれがどうやって生み出されたのかということから」
いきなり面倒な答えが返ってきた。もしかすると能内教授は聞く人間に完璧な理解を望んでいるのかも知れない。それは地球が自転しているという事を説明するのに、わざわざ宇宙に行って地球が回転している様子を見せるぐらいややこしい話である。或いは、もしかすると自分の言った冗談があまりウケないので、その冗談のどこが面白いのかを説明する面倒な人みたいな感じもするが、それはあまり関係がないような気もする。とにかくワケの解らない部分は大ざっぱな説明だけで十分なのに、全部理解してもらわないと気が済まない人も時々いるということだろう。
「それはそうかも知れませんが、なるべく早く済むように出来ないですかね。最初から話すといってもボクが知らなくても良い情報は端折ったりとか」
「キミは自分の身に起きたことを知りたいとは思わんのかね?」
「いや、そうじゃなくて。それを本格的に知ろうとすると、高校生ぐらいから科学の授業をやり直さないといけなくなるかも知れないし。大体のところで良いんですよ。それにこれまでだって自分の身に起きたことを全部科学的に理解してるワケじゃないし」
そう言った時に蚊屋野はいつも考えてから後悔する「あの事」を思い出して、やはり後悔していた。それはつまり、自分の心臓がどうやって動いているのか?とか、どうやって肺が動いて呼吸が出来ているのか?とかそういう事である。自律神経とか、そういうものが上手いこと動いているから、それらは機能しているのだが、それがどうやって動いているのか?ということを考えると、どうしてもそれが止まってしまった時の事を考えてしまう。手や足は自分の意志で動かせるのだが、心臓や肺はどうやって動かせば良いのか?蚊屋野は窒息しそうな恐ろしい妄想をなんとか頭の中から消し去って、これまでの話に集中することにした。そんな事には気づかずに教授は話を続ける。
「それなら、まあいいか」
能内教授は少し納得がいかないようだった。もしかすると自分の研究の成果を誇らしげに語れるチャンスだと思っていたのかも知れないが、蚊屋野ぐらいの知識の人間には無理だと解って落胆しているのかも知れない。ただ早く済ませたいのは蚊屋野だけではない。能内教授にもグズグズしていられない理由があったりもするのである。
 それがどういう事なのか、蚊屋野に上手く説明出来るか心配になっている能内教授でもあったが、とにかくあの実験から今までの事を話す事にした。