Technólogia Vol. 1 - Pt. 12

Technologia

13.

 いつだって大事なことはボーッとしている間に起きていて、自分はそれに気付いていない。もちろんこれは誰にでも共通なことではない。これは主に蚊屋野に良く起こる事である。そして、蚊屋野自身はそのボーッとしている時間にボーッとしているとは思っていない。それはこの世の真理について深く考えるような、そんな時間だと彼は思っている。たとえその内容が人間とハエが一緒に転送装置に入ってしまった映画のことであろうとも。
 しかし、その沈思黙考の時間に重要なことを話されて、その話の内容が全く解らないまま蚊屋野は東京まで徒歩で移動する旅を始める事になった。今解っているのは、東京まで行くということ。それから時々空から降ってくる灰のようなものは危険なので触ってはいけないし、吸い込まないようにマスクのようなものをすべきということ。あと、一緒に東京まで行く中野花屋(ナカノ・カヤ)という女性は居住地では若者のリーダー的存在であって、もう一人の堂中守(ドウチュウ・マモル)は現在では蚊屋野より年上だが、生まれたのは蚊屋野よりも後なので、顔はオッサンなのに蚊屋野に対して後輩っぽい敬語を使うということ。
 そういうことは知っているべきではあるのだが、その向こうにある大きな目的と比べたらどうでも良い事である。蚊屋野は彼らと一緒に東京まで行って、そこから何かをするみたいなのだが、それがなんなのか全く解っていない。
 能内教授が「スフィア」とか言っていたのだが、一体それは何なのか?そこに辿り着けるのは、この世界で蚊屋野しかいないとも言っていた。ということは花屋も堂中も蚊屋野の事を最後の希望みたいに思っているのかも知れない。そんな状態で今更「スフィアって何?」と聞けるわけもない。
 ただここから東京まで歩いて行くのにはかなり時間がかかりそうだ。なぜかこの世界でも使えてしまうスマホの地図によると、今いるのは沼津のあたり。ついでに書いておくと、蚊屋野はまだ背後にある富士山に気付いていないが、何かの拍子に振り返って、その大きさに感心する事になるだろう。或いは、大きすぎて気付かないかも知れないが。
 それはともかく、東京までは歩くのには長い距離があるし、なるべく灰の影響を浴びないように進まないといけない。そうやって歩いているうちに、誰もが蚊屋野はすでに知っていると思っているこの旅の重要な目的についてそれとなく聞き出せるチャンスもあるだろう。それが出来るまでは、蚊屋野にとってこの旅の意味は「それを聞き出す事」に違いない。

 地下の居住地を出てしばらく歩くと、彼らは下水道を広げて作った例のトンネルに入ってそこを進んだ。あの灰がどの位の間隔を空けて降ってくるのかは、ここの住民達は大体解っているという事だが、出来るだけリスクの少ない方を選ぶということだ。それに、外のデコボコの荒野よりは地下のトンネルの方が歩きやすいし、蚊屋野にとっては滅多に入る事が出来ない下水道を探検できるという事でもあるので、地下を歩くのは問題ではなかった。
 しかし地下を歩く三人の雰囲気は重苦しい。花屋と堂中にとってこれは重要な任務であるから自然と口数が減るのか。或いは昔の世界からやって来た昔人の蚊屋野と打ち解けてないからかも知れないが。この雰囲気は蚊屋野にとっては問題である。これでは、何気なくこの旅の最終的な目的を聞き出す事が出来ない。
 こういう時にはどうすれば良いのだろうか?おどけてみたり、冗談を言ったら少しは和んだ感じになるのだろうか?そう思って蚊屋野は頭の中で冗談を言う自分を想像してみたが、これはどうしたって上手くいきそうにない。彼がどんなに面白いと思って話しても、それが上手く伝わらずに虚しい気分になる。これまではそんな事しかなかったし、これからだって同じに違いない。意図して人を笑わせたりする才能は全くないという事なのだろう。
 頭の中でシラケた雰囲気を味わった蚊屋野はそういう結論に達して、別の方法を考えた。とにかく黙っているよりは、何かを話している方がチャンスは多くなるはずである。何でも良いから。そう思って蚊屋野は何でも良いから思った事を口にした。
「ねえ、ボクって、これ。私服だけど大丈夫なのかな?」
何でも良い事過ぎてワケが解らない質問になってしまったのだが、蚊屋野が唐突に話し始めたので、花屋と堂中は歩みを緩めて蚊屋野の方を向いた。
「私服って何ですか?」
花屋が戸惑った様子で逆に聞いてきた。「何」と聞かれてみると、これは意外と難しい質問であるような気もする。
 花屋は最初に会った時と同じようにモトクロスの防具みたいなものを着けているし、その下にも丈夫そうな服を着ていたり、靴は編み上げのブーツだったり。堂中の方は、そこまで立派ではないが、これまで見てきたここの住人達と同じく、あり合わせのもので作った防具のようなものをまとっている。
 これはこれで、ここの人達の「私服」という事なのだろうか?
「私服、っていうか。なんていうか、ボクって薄着な気がして」
最初に質問した蚊屋野が適当に答えている。
「寒いんですか?だったらリュックの中に上着が入っていますよ」
花屋が言ったが、蚊屋野は「そういうことではない」と思っていた。
 大体、私服ってどういう事なのか?ということから解らなくなってくるが。蚊屋野にとっては今の服装は私服であり楽な服装ではあるのだが、いつものように家に帰る事があるのなら、そこではもっと楽な服装になる。ということは今の服装はそれなりにフォーマルなのか?とも思うのだが。それに、こんな世界では時と場合によって服装を変えるなんていうことは必要なさそうだし、私服という言葉に意味がなくなりつつあるのかも知れない。
 また余計な事を考え始めた蚊屋野はハッとして本来の目的を思い出した。何でも良いから話を続けてチャンスを待たないといけないのだった。
「いや、寒いとかじゃなくて。キミ達は転んでも痛くないような格好だけど、ボクは違うし」
蚊屋野がそう言うと、聞いていた二人はなんとなく納得した様子だった。
「これはアレっすよ。今じゃ外の建物はほとんど崩れてますけど、その前はいつ崩れてくるか解らない建物が沢山あったし。それに道路のアスファルトがボロボロになって危険なところもあったっすから。それでみんな安全に気を遣うようになったんすよ。今じゃそれほどでもないっすけど、まだ危険な場所も多いし、みんな身を守れるようにしてるんす」
堂中が説明したが、元々老け顔だったのか知らないが、どう見ても年上のオッサンに変な敬語を使われるのは調子が狂う。ただ、彼はこの喋り方を変えてくれないだろうということも、何となく解っている蚊屋野であった。
 それよりも、その話のとおりだとやっぱりこの私服じゃ危険な気もしてくる。あの実験をしたのが冬の最初の方だったので、服の生地は厚手なのだが、転んだり何かが落ちてきたりしたら痛いのには変わりなさそうだ。それに、そんな危険があるんだったら出発する時にそれなりに説明したり、彼らの身につけているような防具を渡してくれたりとか。そういう事があっても良さそうなのだが。
「危険な場所に入らなければ大丈夫ですよ。私はみんなに言われて、こんな大げさなものを着けていますけど」
「カヤっぺはリーダーだし、それを着てなきゃダメだ」
どうやら、花屋の防具が他の住人よりも豪華なのは彼女がリーダーとして特別扱いされているからのようだ。
「でもこれって、動きづらいし。昔みたいにみんなと同じ格好が良いのに…」
「そりゃあ、そうかも知れないが。カヤっぺが安全でないとオレもみんなにすまないから」
何となく会話が弾んできたような感じがして、これは三人が打ち解けるチャンスかも知れない。しかし、蚊屋野はそれよりも、自分は危険でも問題ないのか?ということが少し気になっていた。
「それに、今は一番安全でないといけないのは蚊屋野さんでしょ」
花屋が堂中に言ったので蚊屋野は少しホッとしたような気分になった。一応彼が重要な人物であるというのは確かなようだ。
「でも蚊屋野さんは昔のままの人間だし。丈夫なんだし、何があってもダイジョブっすよね?」
蚊屋野がこの世界の人間と比べてどれだけ頑丈なのか解らないが、上からコンクリートが崩れ落ちてきたりしたら痛いに決まっている。というよりも命の危険すらあるのだが。
「そうかも知れないけど。別にスーパーマンってワケじゃないから…」
そう言ってから蚊屋野はスーパーマンって彼らに通じるのか?と思ったのだが、彼らは20年前までの映画には詳しいのですぐに理解したようだった。彼らの普段の娯楽が昔の映画の DVD や Blu-ray を見る事だと知らない蚊屋野は変な気分だったが。
「じゃあ、途中で何か良いものを見つけた方がイイかも知れませんね。本当は最初から用意しておくべきだったんですが。すでに住民の分も足りないぐらいですし」
花屋が言うと、蚊屋野は「そういうことなら仕方ないか」と思って納得した。本来の計画では、あの地下の住民から防具を譲ってもらう事になっていたのだが、あの場所に現れた蚊屋野の姿が全然ヒーローっぽくないということで、落胆した住民達は誰も防具を差しだそうとしなかった、という彼に言いづらい理由もあるのだが。
 それよりも、ヒーローっぽいとはどういう事をいうのだろうか?整った顔立ちとか、鍛え上げられた肉体とか。それだけではなくて、全体的な雰囲気というのも必要になるだろう。蚊屋野にそこまで期待するのは無理な話なのだが。蚊屋野にも全く素質が無いワケでもなくて、少しは運動もして体を鍛えていたし、これまでの人生で何かが大きく違っていれば、彼がカッコイイ人間になっていた事もあったかも知れない。
 それに、今彼が着ている「私服」は彼の中の評価では良い感じのする服でもあった。どうしてそんな服を着てあの研究室で泥酔していたのか?
 あの日の前の夜は何が良い事が起きているハズだった。自分の人生にもやっとツキが巡ってきたと期待に胸を躍らせていた状態だったのだが、例によって物事は蚊屋野にとって冷酷なのだ。彼を落胆させる出来事が起きて彼は夜通し安い酒を飲み回っていたのだった。
 解りやすくいうと、理想の女性に巡り会ったと思ったらフラれたという事だったのだが。あの研究室で目覚めて、ワケの解らないまま転送装置に押し込められた蚊屋野は、ヒーローとは正反対の状態だったに違いない。
 蚊屋野は今着ている服の事を思い出して、頭の中に彼にとっての二日前の出来事がジワジワと蘇ってくるのを感じていた。酒を飲んで何かを忘れるなんてことは決してない。どちらかというと飲んでない時の記憶は時々無くなってたりするが。とにかく、この服を着た朝のワクワクした感じが彼を余計に惨めにさせている。何となく、この服はあまり着ていたくない気がしてくる。
「ねえ、みんなが着ているみたいな服って、どこかで売ってたりするの?」
蚊屋野が何かを聞くたびに少し前を歩いている二人は、妙な事を聞かれたという感じで振り返る。
「さあ、どうでしょうか。以前は服を売り歩いている人もいましたが。今じゃ服が必要な人も減っていますし…」
「なんか変なこと聞くんすね。もし服が売ってたとしても、蚊屋野さんが着てるような良い服はないっすよ」
「そうかも知れないけど。まあ色々とあって…」
蚊屋野の曖昧な返事に二人はまた不思議そうな顔をしている。
「やっぱり先生が言ってたとおりっすね」
「何が?」
蚊屋野には言われた意味が解らなかった。
「なんだって映画みたいに上手く行くと思ったら大間違いだぞ!」
花屋が言うと彼女と堂中がニコニコしていた。花屋が能内教授の口まねをしたのだろう。蚊屋野にもそれが何となく解って少しおかしかった。
 三人でニコニコしたらちょっとは打ち解けた雰囲気になってないだろうか?蚊屋野はここで何か上手い事を言ったら、さらに雰囲気が和むと思って何かを言おうとしたのだが、何も思い付かなかった。ただし、意図してないとはいえ、三人でニコニコすることは出来たのだから、少しだけでも蚊屋野の目的には近づいたに違いない。
 最終的な目的が何なのか、早く聞き出さなければ。そう思っているうちに前を歩いている二人がトンネルから横に伸びている脇道へと曲がった。どうやら最初の目的地に到着したようだ。蚊屋野も何となく二人の後についていったが、どこかで見たようなその場所は前に花屋に連れて来られた高速道路のサービスエリアだった。出発した時刻が遅かったので今夜はここで泊まるという事のようだが。蚊屋野としては全く進んでいないような気もして、これだったらあの居住区で一晩泊まった方が良かったんじゃないか?とも思ったのだが。だが旅の目的を聞き出すまでは余計な口出しは無用に違いない。
 蚊屋野はなるべくにこやかに彼らの後を歩いて行った。