Technólogia Vol. 1 - Pt. 14

Technologia

15. 悪夢のサービスエリア

 目的を持って、その目的のために行動してきたつもりなのに自分でやっていることが理解できなくなることがあったりする。
 懐中電灯の明かりを頼りに真っ暗なサービスエリアの建物の中を急ぎ足で進む堂中もそんな感覚にとらわれていた。彼らを助けてくれるはずの蚊屋野が寝ている間にいなくなって、しかも彼の事を心配しながら探している。道案内が彼の役目で、何か問題が起きた時には彼よりも丈夫な蚊屋野がなんとかしてくれるものだと思っていたのだが。
 しかし、暗闇の向こうで悲鳴が聞こえて、それが恐らく蚊屋野のあげた悲鳴だろうということは解っていたので、余計な事は考えずに蚊屋野を探さないといけない。一緒に蚊屋野を探している花屋はどう思っているのか知らないが、彼女は堂中よりも先を歩いて心配そうに蚊屋野を探している。
 悲鳴の聞こえた方向はだいたい解っていたし、サービスエリアの裏側の部分というのはそれほど広くない。事務所などがある場所へ通じる扉を入るとすぐにそれらしきものを見つける事が出来た。廊下の先に彼らの持っているのと同じような懐中電灯が明かりをつけたまま転がっている。それは蚊屋野が持っていたものに違いない。
 花屋と堂中は小走りにそこまで行って、開いている扉の中に光を当てた。その光の先にはまぶしそうにして手を顔の前にかざしている蚊屋野が尻餅をついたような体勢でこちらを見ていた。
「だ、誰だ?!」
懐中電灯の光を当てられているので、蚊屋野はドアの外にいる二人の姿が見えていないようだ。
「蚊屋野さん、私です。大丈夫ですか?」
「ああ、キミか」
「何があったんすか?」
知っている人間がやって来て少し安心した蚊屋野だったのだが、何が起きたのかを思い出してまたビクビクし始めた。
「ねえ、ここ何かいるよ!」
蚊屋野は声をひそめて二人に言った。花屋と堂中は何のことだか解らずに顔を見合わせている。
「もしかして、ボクがまだ知らない危険な生き物とか、そういうのがいるとか。そういうことがあるんじゃないの?」
「何のことだか解らないっすよ」
蚊屋野が声をひそめるので、堂中も同じようにヒソヒソ話している。
 蚊屋野はここで起きた何かに驚いて腰が抜けたようになっているので、まだ立ち上がる事が出来ない。花屋が廊下に落ちていた懐中電灯を拾って、蚊屋野のところまで持ってきた。
「一体何があったんですか?ここにそんな危険な生き物なんて…。聞いた事がないですが」
蚊屋野は同じくヒソヒソ喋る花屋から懐中電灯を受け取ったが、まだ力が抜けて立ち上がれない。女性にそんな姿を見られるのは屈辱的でもあるのだが、さっき起こった事の恐ろしさを思えば仕方がないし、何も知らないで自分の事をバカにするのはよして欲しいとか、そんな事も考えていた蚊屋野だった。
「人の声がしたんだよ。男の声だったけど、マモル君の声じゃなかったし」
「ボクは寝てたっすからね」
マモル君とは堂中の事なのだが、彼はこれまでそんな呼び方をされた事はなかった。ただちょっとパニック状態の蚊屋野なので、勝手にそんな呼び方をしたようだ。
「じゃあ、ここに私達の他に誰かがいるってことですか?」
花屋が一度廊下の方を振り返ってから言った。少し怯えた様子だったが、蚊屋野がそんなところに気を遣う事は滅多にないのでここで起きた事をそのまま話し始めた。
「人かどうかは解らないけどね。ボクがこの部屋に入ってきてしばらくすると、男の声が聞こえたんだよ。何て言ってたか良く覚えてないけど。冒険がどうのこうの…とか。そうしたら、突然そこのロッカーからヤツが飛び出してきてボクに襲いかかってきたんだ。ロッカーから出てくるぐらいだから、それほど大きくなかったんだけど。でもすばしこくて。黒い影みたいなヤツだった。それが金切り声を上げながら襲いかかってきたんだよ。上手い事最初の攻撃はかわせたけどね」
「その飛び出してきたヤツってのは、どこに行ったんすか?」
「さあ、どうだろう。ドアから外に逃げたのか。身を守るのに必死で懐中電灯を投げ捨ててしまったからね。でも気をつけないと。ヤツはまだ近くにいるはずだよ」
蚊屋野の話を聞いて花屋は更に不安になって来た。蚊屋野が何を言っているのか良く解らないのだが、人の声がしたとか、ロッカーから生き物が飛び出してきたとか。この暗い場所でそんな事を聞いたら誰だって恐ろしくなってくる。花屋は身を守るための物も持っていないし、寝ていたところを起こされたので、いつも身につけている防具のような物も付けていない。
「まずは元の場所まで戻りませんか。あっちならここよりも少しは安全ですし…」
花屋がそう言った時、部屋の外の廊下から何が落ちたような音が聞こえてきた。三人ともハッとしてドアの方を見つめた。
 何かがそこにいる。それだけは誰にでも解った。恐怖心が見せる幻影とかそういうものではなく、ドアの外には間違いなく何かの気配があるのだ。
 そろそろ立ち上がれるかと思っていた蚊屋野だったが、恐ろしさのあまりにまた全身から力が抜けていくのが解った。このまま得体の知れない恐ろしい生き物が襲ってきたら…。これこそまさに恐怖のどん底。そしてこういう恐怖は伝染するものである。ましてや、ここで生きてきた二人よりも丈夫なはずの蚊屋野が恐怖のために今にも震え出しそうになっているのだし。ドアの外には何か想像を絶するような恐ろしい何かがあるに違いないと、そんな気がしてくる。
 三人が息をのんで見守っている暗がりへ堂中が持っている懐中電灯の明かりを向けた。そうすべきか解らないし、出来ればして欲しくないとも思うのだが、そうしないとそこに何があるのか解らない。懐中電灯の光がゆっくりとドアの方へと動いていく。すると、暗闇の中にギラギラする黒い目が浮かび上がった。
 蚊屋野は腰が抜けて起き上がれない状況でなければ悲鳴を上げて逃げ出したいところだったが、もうすでに何も出来る状態ではない。堂中か花屋がなんとかしてくれる事を祈っていた。
 すると「ニャー…」という間の抜けた鳴き声とともに一匹の黒猫が部屋の中に入ってきた。堂中の懐中電灯に照らされてまぶしそうにしていたが、猫はそのまま堂中の足下までやってきた。それが恐怖であっても期待であっても、想像が膨らめば膨らむほど現実とのギャップにズッコケる事になるのだが、これは解りやすくズッコケる場面に違いない。
「なんだ、クロスケじゃないか」
堂中は自分の足に頭を押しつけてくるネコをなでながら言った。
 まさか、さっきのはこの黒猫だったのだろうか?そう思うと蚊屋野は少しマズい気がしてきた。
「もしかして、さっきのはこのクロちゃんだったんじゃないですか?」
堂中はクロスケと呼ぶが花屋はクロちゃんと呼んでいる。それはどうでもイイのだが、花屋が話すと黒猫が今度は花屋の足下にすり寄ってきた。
 ネコだったのだろうか?蚊屋野はさっきもっと大きな恐ろしい物が目の前に飛び出してきたと思ったのだが。ただパニックになってそう思っていただけかも知れない。だとしても、パニックになるにはそれなりの理由があったのだ。
「もしかするとネコかも知れないけど。でも人の声は聞こえたんだよ。ちょっとしわがれた感じの。悪人っぽい話し方でさ…」
「蚊屋野さん!」
花屋が蚊屋野が喋るのを遮るように言った。
「こういうのって、あなたのいた時代には流行ってたのかも知れませんけど、今はそれどころではないんですよ。ふざけるのはやめてください」
「ふざけてるわけじゃないし。人の声はホントに聞こえたんだよ」
「もしもホントにここに人がいたのならクロちゃんはこの部屋に居なかったハズです。クロちゃん知らない人には絶対に近づかないから」
ついでに書いておくと、蚊屋野がやって来たのに気付いて慌ててロッカーの中に逃げ込んだのだ。
「だいたい、蚊屋野さんこの部屋で何やってたんすか?」
堂中の声も少し怒ったような感じになっている。
「何って。なんか眠れなかったから、服とか防具とかないかな?とか思ってね」
「この時代じゃ建物の中にある物を勝手に持って行っちゃいけないんすよ」
「それは、昔もそうだったけど」
「じゃあ、何であなたは整備員の部屋に勝手に入って服を探したりしていたんですか?」
「整備員?!ここって、昔のサービスエリアの人が使ってたロッカーじゃないの?」
よく考えれば解る事だが、ここだけ20年前の状態で残っているワケはない。
「年に何回かトンネルの整備をやるんすよ。それでその時に必要な物を途中にあるこういう建物に置いてあるんすけどね。これからはもっと戸締まりに気をつけないといけなくなるかな」
ロッカーの扉を開ける時に舞い上がった埃は20年分の埃ではなくて数ヶ月分の埃だったということだ。
「もうイイですよ。まだこの世界に慣れてないのは仕方ない事です。でも蚊屋野さんももっと慎重に行動してください。それに明日も早いですから、もう戻って寝ましょう」
花屋は理解のある事を言っている感じはしたがその口調から怒ってないワケはない、というのが良く解った。蚊屋野が返事をするのも聞かずに花屋は部屋を出て歩き出すと、その後に堂中も続いた。ついでにクロスケとかクロちゃんとか呼ばれているネコも後について部屋を出て行った。
 あのネコは地下トンネルの移動中にここで休憩したりする人達にはお馴染みのネコなんだろう。そんな事を考えるとここは安全な場所に思えてくるのだが、どうしても気になるのがあの声だ。一体ここで何が起きているのだろうか?

 時計を見ていたわけではないので厳密には解らないが、あれから6時間ぐらい経っただろうか。すぐ近くで人の気配がして蚊屋野が目覚めると堂中がすでに寝袋を片付けて今日の準備を始めていた。蚊屋野は体を起こしたが、それだけでもうんざりしてしまうほど体が重たく感じられる。
 夜のあの騒ぎの後、ここに戻ってきて眠ろうとしたのだが、結局寝たり起きたりの繰り返しで、ほとんど疲れがとれていない。あの時聞いた声が頭から離れなくて、心配で眠れなかったのだ。
 花屋と堂中も深夜に起こされた影響でまだ眠そうである。寝不足の人間は基本的に不機嫌である。三人は昨日と同じ場所に座って、例の不味い食料を朝食に食べたが、誰も喋ろうとはしない。黙々と不味い食料を胃に押し込んでいるような感じは、蚊屋野にとって都合が悪い。
 この二人と打ち解けて会話が弾んでいる中で、この旅の目的を聞き出さないといけないのだが、これまでの努力も昨夜の騒動で台無しになっている。ここに来る途中にちょっとだけ良い雰囲気になったかと思ったのだが、今では花屋と堂中は自分の事を警戒しているようにも思える。
 そこへ昨日のあの黒猫がやって来た。ここへやって来れば何か食べ物をもらえるというのが解っているのだろう。ネコの鳴き声を聞いて堂中が食べていた不味い食料をひとかけらちぎってネコの方に投げると、ネコは不味そうにそれを食べた。
 もしかして、このネコがこの場を和ませてくれるかも知れない。ネコを見ながら蚊屋野はそんな期待を胸に抱いた。
「おい、クロ君」
蚊屋野がそう言いながら不味い食料を持った手をネコの方に差し出したが、ネコはその手をちょっと見ただけで、後は知らんぷりだった。
 まったく何なんだ?だいたい、このネコがあの時にロッカーから飛び出してこなければ、こういう気まずい状況にならずに済んだのに。悪いのは自分じゃなくてクロ君なんだから、ちょっとは気を遣えよ。とか、蚊屋野はそんな事を思っていた。すると黒猫が何となく自分の事を睨んだような気がして、蚊屋野はドキッとしてしまったが、そんな事は気のせいに違いない。
「知らない人がいても来るなんて珍しいですね」
蚊屋野とネコの様子を見て花屋が言った。何の会話もない状況だったし、これはネコを利用して正解だったかも知れない。
「腹が減ってただけだよな」
堂中が言いながらまた不味い食べ物をクロスケに与えた。ネコもまた不味そうにそれを食べた。
「ネコも人を見る目があるってことじゃないかな」
蚊屋野が冗談っぽく言ったが、これはあまり効果がなかった。それだけでなく、花屋が机の上の食料を片付け始めたのを見て、もしかすると逆効果だったかも知れないとも思えた。面白いと思って言ったことが人を不快にさせることは良くあることだ。これは蚊屋野に限ったことかも知れないが。とにかく、冗談を言うにはもう少し時間が必要だったのかも知れない。
「行きましょう。今日は少し長く歩かないといけませんから」
結局、蚊屋野と二人との関係はギクシャクしたままこのサービスエリアを後にすることになった。物事はいつだって上手く行かないのだが、まだ先は長いのだ。そのうち何とかなるに違いない。
 蚊屋野はそう考えて出発の支度を始めるために立ち上がったのだが、その時彼の背後で声が聞こえた。
「ろくな物も食べないでもう出発か?」
蚊屋野が振り返ると堂中の姿がある。
「何か言った?」
蚊屋野が堂中に聞くと、堂中は少し驚いたように首を振った。
 という事はどういう事だろうか?蚊屋野は辺りを見回してみたが、花屋と堂中以外には誰もいない。それに声はすぐ近くで聞こえたのだし、このがらんとしたサービスエリアのフロアなら誰かがいればすぐに解る。という事はあの声は誰の声でもない。それはつまり蚊屋野の頭の中でする声なのではないだろうか?そう考えて蚊屋野は恐ろしくなった。
 幻覚とか幻聴とか、これまではそういうことを考えた時に、蚊屋野としてはそれは錯覚や空耳の延長線上にある物のようなものだと思っていた。それで薬物やアルコールの中毒になった人が経験するというソレにはあまり恐怖心を抱いたことはなかったのだが。しかし、さっき聞こえたのが幻聴だとするとこれほど恐ろしい事はない。その声はハッキリと誰かが喋ったように聞こえる。それなのに、それが聞こえているのは自分だけなのだ。これじゃあまともに生きていられないじゃないか。
 きっと、ここで目覚めてからの色々なストレスでそうなったに違いない。或いは、あの転送装置に何か問題があったのだろうか?
「大丈夫ですか?」
蚊屋野が青ざめているのに気付いた花屋が言った。蚊屋野はハッとして花屋の方に振り返った。今のは花屋の声だったし、花屋はそこにいてこっちを見ているのだから彼女が言った事で間違いない。
「うん、大丈夫…。で、イイんだよね?」
「気分が悪いなら少し休んでから出発しましょうか?」
それなりの返事が帰ってきたので蚊屋野はちょっと安心した。
「いや、大丈夫だよ。多分、あの食べ物のせいじゃないかな。あんまり馴染みのない味だからね」
これ以上問題を起こしたくない蚊屋野は適当な事をいって誤魔化した。
「ボクらもアレはあんまり好きじゃないっすからね」
「ああ、アレは最悪な味だ」
「それなら大丈夫ですね。じゃあ出発しましょう」
彼らは出発する事にしたが、蚊屋野は「今また誰か知らない人が喋ってなかったか?」ということに気付いてゾッとして振り返った。そこには彼らが去ると解って奥の部屋の方へ歩いて行くクロ君の姿があるだけだった。