Technólogia Vol. 1 - Pt. 20

Technologia

23. 迂回

 蚊屋野は市長の家に帰ってくるなり「ははーん」と思った。門から玄関まで歩く間に見える庭の方の軒先に鳥カゴがぶら下げられている。今日は天気が良いので中の鳥も日向ぼっこという事だろう。蚊屋野はまっすぐ玄関に入らずに鳥カゴの方へ向かった。
「キミだな、昨日ボクの言うことにいちいち口を挟んできた犯人は」
蚊屋野は鳥かごの中の小さいインコに向かって言った。
「あらやだ。アンタに動物の言葉が聞こえるって、冗談かと思ったら本当だったのね」
インコは蚊屋野だけに聞こえる動物達の声で話している。昨日の夕食の時に聞いたのと同じおばさんっぽい声だ。
「あれ。その話もう知ってるの?」
「あなた、人間がどれだけのろまか解ってないようね」
これがさっき犬君が言っていた動物の情報網というやつなのか。確かに、鳥が空を飛んだら人間よりも遙かに速く移動できる。それに、人間が見ている感じからすると、同じ種の動物同士はなるべく情報を共有しようとしているようだし。そういうことなら情報が広がるのも早そうだ。
「まあ、人間はのろまかも知れないよね。それに知りたいこともあんまり教えてくれないし」
「それは、あんたが聞かないからいけないんじゃないの?」
どうもこのインコは言うことにいちいちトゲがあるように思える。
「そうは言ってもね。人間は人間で色々と難しいんだよ」
「それはどうでも良いけど。あんた、あんまり動物とばっかり話していると、変な目で見られるよ。気をつけないと」
「気をつけるって…」
と思った蚊屋野だったが、なんとなく背後に人の気配を感じて振り返るとそこには市長がいた。
「キミは鳥と仲が良いようだね」
市長は目を丸くして驚いた時の顔をしたまま言った。蚊屋野は市長がいつからそこにいて、彼がインコと話しているのをどのくらい聞いていたのか、その辺が気になっていた。それと同時にどうしてインコは何も言ってくれなかったのか、と思ってインコに恨めしい目を向けた。
「(だから気をつけろ、って言ったのよ)」
インコが言ったが、蚊屋野は「そういうことではない」と思っていた。
「あの、カワイイですよね。インコって。これは市長が飼ってるんですか?」
「まあ、そういうことだが。私もこのインコに喋ってもらおうと頑張ってたことがあるんだが、この子にそんな気は全くないようだね」
小型のインコの中にも上手に人の言葉をまねて話すものもいるが、このインコの場合は性格的にそういうことはしそうにない。それよりも、蚊屋野はインコに話してもらおうと思って話しかけていたのではないのだが、そういうふうに思われているのなら、それで都合が良いのでそういうことにしておいた。
「話したりしたらもっとカワイイのになあ」
これでとりあえず怪しまれずに済むかも知れない。
「それよりも、みんな集まっているから、中に入りたまえ。少し予定を変更しないといけなくなったようだ」
インコのせいでミョーな展開になりそうだったが、蚊屋野は市長と一緒に家の中へ入った。

 昨日夕食を食べた食堂に入ると花屋と堂中がすでにいた。「おお、旅の仲間よ!」と蚊屋野は心の中で思った。今はもうなんのために東京に向かっているのか解っている。自分だけ何も知らない、という危うい状況ではなくなったので彼らが頼りがいのある仲間に思えてくる。そこまで考えるのは大げさだとも思うが、少なくとも蚊屋野が何も解っていないことを悟られないようにソワソワしないといけないということはもうないし、気分はだいぶ楽なのだ。
「ああ、良かった。朝よりだいぶ顔色が良いっすね」
だいぶ良いというよりは、この上なく元気なはずなのだが、基本的に暗い顔をしているので顔色が良くても「だいぶ良い」にしかならない蚊屋野の顔である。それはともかく堂中は立ち上がって少し大きめの布の袋を蚊屋野に渡した。
 蚊屋野がその袋の中を覗くと、中には堂中やその他の住人達が身に着けていた防具のようなものが入っている。蚊屋野が自分の服装を気にしていたから堂中が用意してくれたのだろうか?そう思うと蚊屋野は感激だったが、もう少し深く考えるとコレは悪い兆候かもしれない。
「これって…」
「どうやらまっすぐ東京まで行けるか解らなくなってきたっすから。それで念のためっすよ」
「それはつまり、危険な場所を通るとか?」
「まあ、そんな感じっす」
やっぱりあまり良い感じではない。
「私もあらゆる方法で調べてみたんだが」
市長がいつもの演劇じみた喋り方とは少し違う口調で話し始めた。
「道路の閉鎖に関して全く情報が入ってこないのだよ。なぜ閉鎖されているのか、いつまで閉鎖されるのか。役所の人間を使いにやっても、何の説明もナシに帰される」
「じゃあ、小田原に入るには閉鎖されてない別の道路を使うってこと?」
まだ問題の大きさに気付いていない蚊屋野が気楽に言うと。大体予想が出来ていたのか、堂中が詳しい説明を始めた。
「そうじゃなくて、小田原を通らないルートを行くしかないんすよ。今では街に入る時には決まった道路を通らないといけないんす。その道路はカメラで監視されていて、誰がいつ街に入ってきたか解るようになってるんす。逆に正規のルート以外で街に入っても、カメラに映った記録がなければ不審者ってことで追い返されるか、運が悪いと逮捕される事もあるんすよ」
「そうなのかぁ」
こういう世界でも治安を維持するためには色々と苦労がいるようだ。だからといって何なのか?というところまではまだ蚊屋野は解っていない。
「じゃあ、別の街を通って行けば良いんじゃないの。ああ。でも小田原が閉鎖されてるってことは別の街も閉鎖されてるかも知れないのか」
20年前の感覚ならそう思ってもおかしくないのだが、そうでもないようだ。
「それが、そう簡単なことでもないんです」
花屋が言うと、その後を市長が続けた。
「ここから東にある小田原以外の街とは、随分前から連絡が途絶えているんだよ。それに、安全な道があるのにわざわざ危険な別のルートでやって来る人もいないしね。だから小田原を通らない迂回路というのが、今ではどうなっているのか見当もつかない」
「危険、っていうのは山道だからってこと?」
蚊屋野が言うとおり、内陸部は結構山がちではある。
「それもあるっすね。でも問題なのは連絡がなくなっている、ってことなんすよ。以前は他の街とも電波を使って連絡を取り合うことが出来たんすけど。ある時から電波が届かなくなったんすよ。暴動かなんかが起きたって事じゃなければ良いんですが…」
それはなんとなく穏やかではなさそうだ。
「それで、どうするのかみんなで決めようと思うんです。このまま小田原の道が使えるようになるのを待つのか、それとも時間を無駄にしないで迂回ルートを行くのか」
花屋はそう言いながらも蚊屋野だけを見ている。それはつまり花屋と堂中の間では結論は出ているという事なのかも知れない。そして、さっき堂中から渡された防具一式とか。これは恐らく危険を承知で迂回路、ということに違いないのだが。しかし蚊屋野としてはなるべく安全な方が良い。ただ、せっかく二人を仲間と思えるようになったというのに、ここで反対の意見をいうのも気が引ける。思わぬところでジレンマに陥った。
 だが、良く考えてみればそれほど悩むことではないかも知れない。この世界で目覚めてからコレまで、危険な目に遭いそうな気がすることはあったが、実際にはどうだったのか。危険でなかっただけでなく、逆にここには良い人が多いとも思える。心配しすぎて余計に事態が悪化するような事になるよりは、始めから進んで危険な方向を選んだ方が良い時もあるかも知れない。安易な考えだが蚊屋野の心は決まった。
「迂回ルートを行くべきだと思うよ。それに、上手くいけば別の街で何がおきたのか市長に報告することだって出来るでしょ」
蚊屋野が言うのを聞いて堂中が頷いた。
「じゃあ、決まりっすね」
「そうしましょう。あまり時間を無駄に出来ませんから」
やっぱり二人の意見は最初から決まっていたようだ。

 それから数時間後、蚊屋野はマズい事になったと思っていた。迂回路を行くことが決まり、明日の出発まで各自は準備をしたり体を休めたりすることになっていたのだが、特にやることのない蚊屋野は部屋に入ってボーッとしていた。その時にふとあの神殿にいた犬君との会話の内容を思い出したのだ。
 あの時は頭の中に聞こえて来る声の正体がわかって興奮状態だったので気付いていなかったが、今思い返してみると、犬君は自分達以外の人間の事も話していなかっただろうか?そして、その人達は蚊屋野達が東京へ行くことを阻止しようとしているとか。
 さっきは話の流れで迂回ルートを選んでしまったのだが、その反対勢力ということを考えた上でもう一度考えたら、それは正しい選択だったのか解らなくなってくる。かといって今更もう一度考え直そうなんて事は言えそうにない。
 堂中はさっきから別の部屋で、どうすれば灰の影響を受けずに先に進めるか、ということを地図と観測データを照らし合わせて調べている。そして、もうすぐ答えが見つかりそうだ、というところまでこぎ着けて一息ついているところだ。
 どう考えても計画の変更を切り出す状況ではない。かといって、このまま放っておいて自分達が危険な目に遭うのも困る。どうしたものかと途方に暮れていると、蚊屋野の目の前を小さな黒い影が横切った。少し驚いて一度顔を背けてから影のあとを追って視線を動かすと、壁にハエが止まっているのに気付いた。
 「そうか!」と蚊屋野は思った。もしかすると自分の能力は計り知れない可能性を秘めているかも知れない。
「あの、つかぬ事をうかがいますが…」
蚊屋野は小声で言いながらゆっくりとハエに近づいて行く。
「もしかして、小田原の方で何が起きているのか、知っていたり…」
その時ハエが蚊屋野の影に気付いた。
「うあああぁぁぁ…!」
今のはハエの声だったのだろうか?窓から逃げていくハエを見ながら蚊屋野が思った。さすがに虫は無理だったようだ。(一応、声のようなものは聞こえたが。)
 蚊屋野は仕方なくしばらく待つことにした。夕食の前になれば色々と忙しくなって蚊屋野がウロウロしても気にとめる人もいないだろう。その時にさっきのインコに話を聞くことにしたようだ。

 蚊屋野がそっと扉を開けて様子をうかがったが廊下には誰もいなかった。元々沢山の人がいる家でもないのでそこまで用心しなくても良いのだが、念には念を入れた方が良い。そして静かに歩くがコソコソしてはいけない。音もなく歩くが誰かに会った時には自然に見えるように歩く。
 そんなふうにして玄関の方へと歩いてきた蚊屋野。夕暮れ時ですでに鳥カゴは家の中に入れられたに違いないが、昨日インコの声が聞こえていた場所を考えると入り口と食堂に近い場所に鳥カゴが置かれているはずだ。
 蚊屋野が自分で見当をつけた場所を探していると、すぐに鳥カゴを見つける事が出来た。都合の良いことに扉の開けっ放しになっている部屋に鳥カゴが置かれていたのである。生きた動物なので何かあった時に気付きやすいように扉が開けてあるのかも知れないが。いずれにしても蚊屋野にとっては珍しく色んな事が上手くいっている。
「ねえ、ちょっと」
蚊屋野が部屋の外からヒソヒソ声でインコに話しかけた。だが返事がない。
「ちょっと、聞こえてるんでしょ?緊急に話があるんだよ」
「(今はちょっとマズいんじゃないかしら?)」
やっと返事があったが、マズいとはどういう事だろうか。
「良いから、一つだけ聞きたいことが…」
そこまで言うと、インコはピヨヨと独特の鳴き声を上げた。そして部屋の奥から人の気配がしたと思うと、そこに花屋が現れたのである。
「なんですか?」
蚊屋野が小声なのに合わせて花屋も小声だったが蚊屋野は驚いてワッと声を出しそうになっていた。今はマズい、とはこの事だったのか。蚊屋野はインコに話しかけていたのだが、花屋は自分に話しかけられたと思っている。
「いや、あの…。なんていうか…」
この予想外の展開で咄嗟に器用なことの言える蚊屋野ではない。花屋が不思議そうに蚊屋野を見ている。
「(あなた、鳥には言えることも人間には言えないのね)」
これはインコのお得意な嫌味だが、あながち間違いでもない。ちょうど花屋一人だけだし、ここは正直に話した方が良いかも知れない。
「あの、この先の事なんだけど。一人で考えてたらちょっと心配になったりするっていうか。本当に迂回ルートで大丈夫なのかな、と思って」
「何か気になることでもあるんですか?」
「中にはボクらのやろうとしていることを良い事だと思わない人だっているかも知れないし。それで小田原が閉鎖されているんだとしたら、結局どのルートが安全なのか、とか」
「(もしかして、そんなこと私に聞こうとしたのかしら?私が知るわけないじゃない)」
インコはとりあえず口を挟んでくる。それはともかく、花屋は蚊屋野の言うことを意外と落ち着いて聞いていた。
「そういう人達がいることは前から解ってました。だからマモル君とも話して閉鎖が解かれるのを待つのは時間の無駄だって事になったんです。どうせ私達がここにいる限り道路は封鎖されているでしょうから」
「ってことは、その人達っていうのは相当な権限があるってことなの?」
「この状況を考えると私達が予想していた以上です」
なんとなく雲行きが怪しくなってきたようだ。
「そうか。それじゃあ、仕方ないのかな」
「(ほら、私に聞くより人間の仲間に聞いた方が早かったじゃないの)」
「それで?」
花屋にそう言われて蚊屋野は言葉に詰まった。
「それで、って?」
「話があるって言ってたの。もしかして別の案があったりしたのかと思って」
そういえば、最初にインコに呼び掛けていた時の感じからするとそう思われても仕方ない。
「いやあ…。今の話を聞く限りだと迂回路ルートしかないのかな、と」
「そうですよね」
花屋も拍子抜けしたのか、不自然な笑顔で答えた。
「簡単な事ではないですが、このためにずっと前から準備はしていたんです。安心してください」
そう言われてもやっぱりどこか不安になるのだが、こうなったら彼らを信じるしかない。それに蚊屋野には動物の言葉が解るという秘密の超能力も備わっているのだ。
「(これからは、できれば人間の事は人間達だけで解決して欲しいものね)」
とにかく、今はこのインコを黙らせる方法はないものか、と考えている蚊屋野でもある。