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24. 二度目の旅立ち
恐怖でもないし、不安でもない不思議な緊張感があったが、どことなくそこに居心地の良ささえ感じるような朝。蚊屋野はこの感覚をどこかで味わったような気がしたが、それが大学の入学試験の朝の事だったと気付いて納得したようなしないような気分でもあった。
大学に入れば様々な可能性の扉が開かれるのだ!ということで期待に胸を膨らませていたのだが、結局は惨めな思いをしただけで、さらに今のこの状態である。大学に入学した意味はなんだったのか?もしあるとすれば、それは今ここにいるということかも知れないが。そんな事を考えるとこの先へ進む気持ちも萎えてしまう。せっかく入試の朝の気分になったのだから、あの時のようにワクワクした緊張感を保つべきだ。
なるべく早く出発しないといけなかったので、蚊屋野達は慌ただしく朝食を済ませてすぐに出発の準備を整えた。もちろん市長の演劇じみた別れの挨拶もあったのだが、その時に市長が目にうっすらと涙を浮かべていたのは、それも彼の演出のうちだったのか。それとも敢えて困難に挑もうとする若者達に胸を熱くしたのか。もしも後者だとすると、なるべく楽に事が運んで欲しいと思っている蚊屋野にとっては良くない暗示にも思えてしまうが。
とにかく三人は市長のもてなしにお礼をして市長の家を出た。東京への旅を始めてからもう数日経っているのだが、蚊屋野だけが今から旅が始まるような気分になっているのは、彼がやっと最終的な目的を知ったばかりだからである。ワケも解らず人のあとをついて行くだけというのは退屈でもあるし、それに何か問題が発生した時にも何をして良いのか解らずに不安にもなるのだが。今は自分の足で目的に向かって歩いている。そんな気がしている。
そんなふうに蚊屋野が勝手に盛り上がっていたのだが、市長の家を出てすぐに旅は一度中断させられることになった。
「待たれ、旅の者達よ!」
蚊屋野はこの街で演劇じみていたのは市長だけではなかったのを思い出した。呼び止められて三人が振り向くとそこにはフォウチュン・バァの姿があった。三人ともフォウチュン・バァがどんな人だかだいたい解っているので、彼女が見送りにやって来たというのもだいたい解っていた。
「今回もお世話になりました」
花屋が言ったが、彼女としては直接お世話になったということはない。でも市長にお世話になったのなら姉であるフォウチュン・バァにも多少は関係しているのだし、この辺の挨拶は細かいことを考えていたらキリがないのでどうでもイイ事だが。
「うむ。オマエ達に渡すものがあるのだ。さあ、コレを受け取れ」
フォウチュン・バァに渡されたのは、あのフォウチュン・バァの紋章のようなものをかたどったペンダントだった。
「困難に直面した時には、三人で向き合いこのペンダントを掲げるのだ」
「そうすると何が起きるんですか?」
フォウチュン・バァのこういうノリには騙されたくないと思っている堂中が聞いた。
「もちろん、何も起きない」
「なんだそれ?」
「良いか。奇跡は信じても良い。しかし、迷信には騙されるな!そういうことじゃ。それがテクノーロジアを生き抜くために必要な知恵じゃ」
だとしたらこのペンダントはなんなんだろう?と蚊屋野は思っている。
「じゃあ、これはなんなんですか?」
「それか?せっかくだから記念に持って行けってことだ。もっと欲しければあるぞ。土産用に作らせたんだが、店に置いても売れないってことで突き返されて来た」
「じゃあ、もう一個貰おうかな」
なぜか蚊屋野は余分にペンダントが欲しいようだ。
「おお、さすがは古代人。その価値観は貴重だぞ」
古代人というほど古くはないのだが。とにかく蚊屋野はもう一つのペンダントを手に入れた。花屋と堂中はどうしてそんな事をするのか不思議に思っているようだ。
「貰えるものは貰ってけ、って言わない?」
蚊屋野が二人の視線を感じて言った。20年前でもそういう感覚の人はそれ以外の人と比べて半々ぐらいだったかも知れないが、花屋と堂中は昔はそういう感じだったのだろう、と思うことにしたようだ。
「なんなら全部持って行くか?私が持っていてもしょうがないしな」
フォウチュン・バァはそう言ってカバンから大きな袋に入った大量のペンダントを取り出そうとしたが、さすがにそれは持って行くのが大変なので、カバンから出てくる前に断った。
「では、行くが良い!そなた達の行く手に栄光が待っている!さあ、行くのだ!」
不良在庫を少しだけ処分できたフォウチュン・バァは気分を良くしたのか、コレまでよりも更に大げさに言った。こういう時には笑顔しかない。三人は多少引きつった笑顔のまま出発することになった。
予定が変更されて何があるか解らない道を進むことになったのだが、フォウチュン・バァの登場でその緊張をしばらく忘れることが出来た。それは良いことかも知れなかったが、元々あまり緊張感のない人間にとってはそうでない事もある。蚊屋野は歩きながら旅のことよりもさっきのフォウチュン・バァの言葉が気になっていた。
「ねえ、さっきフォウチュン・バァがテクノーロジアとか言ってたけど、あれって何のこと?」
ある人にとって当たり前でも、別のある人にとってはそうでないことがある。そんな事を再確認させるような蚊屋野の質問だった。
「ああ、あれっすか。アレはこの国の名前っす。まあ今じゃ国という定義が曖昧になってますが」
堂中が言ったが蚊屋野にはあまりピンと来ない。
「20年前、ここは日本と呼ばれてたけど」
「ええ、まあそうなんすけど。それまでの文明的な生活が崩壊して、そのあとに科学者達が集まって世界を再建させようって時に決めたのがテクノーロジアって名前だったんです。世界って言っても海外の事情はわからないし、主に日本のことっすけどね。最初はノを伸ばさずにテクノロジアだったんすよ。科学技術に基づいた完全な合理的社会。でもテクノロジアじゃオリジナリティがないってことで、誰かが途中にアクセントをつける呼び方を考えてそれがテクノーロジアだったんす。その時点で合理性ってのも崩壊し始めてたんじゃないか、って思うんすけどね」
「へえ。なんというか納得できるような、できないような。でもコレまで誰もテクノーロジアなんて言わなかったよね」
「地図のデータとか、昔のを流用してたっすから。それにボクも含めて社会が崩壊する前からいる人達も多かったですし。結局ほとんど昔の呼び方のままなんすけど」
蚊屋野はなんとも言えない気分だった。このなんとも言えない気分の原因について深く考えると、きっと際限なくいろんな意見が頭の中に浮かんでくるような、そんなことに違いないが。この場合はきっと合理的という事がその原因に違いない。
蚊屋野が考えても20年前の社会は合理的ではなかった。でも合理的になれば色んな事が上手くいくとも思っていた。20年前のルールでも交通渋滞の問題ぐらいは解決出来るはずだった。ただ、その合理的なのが気に入らない人も沢山いたに違いない。それよりも、人間が合理的に行動するのは不可能なのかも知れない。誰かが信号を無視したり、ボーッとして運転していた人が危険に気付いて急ブレーキを踏んだり。そういう些細な事が原因で交通渋滞が起こったりもする。
身勝手だったり、注意力が散漫だったり。それこそが人間の特性かも知れないが。他の動物だとその辺はどうなのか?といっても、人間以外の動物は車に乗って仕事をしたり買い物に出かけたりはしないし、そんな事は考えても意味がないのだが。
いずれにしても、蚊屋野みたいにどうでもイイ事を考えていたりする人が、注意力が足りなくなって交通事故を起こしたりして、渋滞を引き起こすのだろう。
そうやって蚊屋野がまた不毛な考察を始めていたところに、ちょうど良く彼だけに聞こえる動物の言葉が聞こえて来た。「ああ、そうだ!」と蚊屋野は思ったが、ここは立ち止まったり振り返ったりせずに気付かないフリをすべきところだ。
背後から聞こえて来る幽かな足音に気付いて最初に振り返ったのは花屋だった。
「(おっと、良い勘していやがる)」
偶然だったのかも知れないが、確かに花屋はほとんど足音が聞こえていない状態の時に振り返った。
「あら。あのワンちゃん」
うしろからついてきていたのは炎の狛犬の神殿にいたイヌ君だった。
「(これは作戦変更だな)」
イヌ君は蚊屋野の方ではなくて花屋の方へ尻尾を振りながら近づいて行った。特別なイヌ嫌いでない限りこういうイヌの行動が嬉しくない人はいない。このイヌ君も神殿の観光客から食べ物を貰っていたということだし、この時代でもイヌと人間の関係はあまり変わっていない。それで花屋も嬉しそうにしている。
「なんすか、そのイヌ?」
「あの石段の上の神殿にいたイヌなんだけど。いつからついてきてたんだろう?」
花屋は自分の足に頭を押しつけてくるイヌ君を押さえるようにして頭を撫でている。
「困ったっすねえ。上手いこと追い返さないと」
「(おっと。こりゃマズいな。そっちに擦り寄っておけば良かったな。おい、約束だぜ。解ってんな?)」
もちろん蚊屋野はあの時の約束を覚えている。蚊屋野が知りたいことを教えてもらう代わりに、イヌ君を東京まで連れて行くのだ。イヌ君は一緒に東京に行って美味しいものを食べたいのだから、追い返してはいけない。
イヌの登場に困っているのは今のところ堂中だけのようだ。
「せっかくなついてるんだし。とりあえずついてこさせておいたら良いと思うけど」
蚊屋野は言ったが堂中はそれだけでは納得いかないようだ。
「でも、ついてきたら放っておくワケにもいかないっすよ。食べ物とかもあげないといけないし」
「それならボクのあの食糧を分けてあげても良いよ。あの味のしない食糧ははちょっと苦手だしね」
「それはダメっすよ。蚊屋野さんにはちゃんと食べてもらわないと。蚊屋野さんを無事に東京まで送り届けるのがボクの役目なんすから」
「じゃあ、私のも分けてあげる。どうせ食糧は多めにあるんだし。みんなで分けてあげましょうよ」
花屋もイヌ君を連れて行くことにはけっこう乗り気らしい。しかし堂中はまだ気が進まないようだ。
「(おいおい。なんだか上手くいかないじゃないかよ。オレを連れてけばちゃんと役に立つって事も言ってくれよな)」
「イヌ君だって役に立つこともあるかも知れないし」
「例えばどんな時っすか?」
「例えば…」
そんなふうに具体的に聞かれるとは思ってなかったので蚊屋野はちょっとアセっている。
「(鼻がきくし、人間よりも早く危険を察知できるとか、そういうイヌの長所を言えば良いんじゃねえか?しっかりしてくれよ)」
「ああ…。あのイヌって人間よりも感覚が鋭いからね。危険が迫ってたり、そういうのには敏感に反応してくれると思うよ。この先、もしかすると野宿ってこともあるかも知れないし、そんな時も色々と役に立つと思うんだけど」
「うーん…」
確かに、イヌ君がいてくれた方が東京まで何かと安全になるのかも知れない。もしもイヌ君が蚊屋野が言ったとおりに働いてくれたらの話だが。
「解ったっす。連れて行きましょう。でももしも足手まといになるような事があったら置いて行くっすよ」
「(まあ、置いて行かれても勝手について行くけどな)」
どうやらイヌ君を連れて行くという作戦は上手くいったようだ。どこがどういうふうに作戦だったのかは解らないが、蚊屋野達が街を出る時についてくるように、というのは決めてあった事だからその辺が作戦と言えば作戦だったのか。
「じゃあ、この先もよろしくね!」
花屋が両手でイヌ君の顔を押さえてその目を見つめながら言った。するとイヌ君がワン!と吠えたので、これまで頭の中でイヌ君の声を聞いていた蚊屋野は少し驚いてビクッとなった。
「ほら、喜んでるよ」
花屋がニコニコしながら堂中に言った。堂中もイヌ君が花屋の言ったことに返事をするように吠えたのを見て、イヌ君が賢くて信頼できると思ったようだった。
一方で蚊屋野はイヌ君がなかなかあざといヤツだ、と思っていた。
25. 一方そのころ東京では
東京は大きくて多くの人がいなくなっても、それでもまだ沢山の人がいるというのは前にも書いたが、大きな街で人も沢山いるので、今回の東京の登場するのは前とは別の場所にいる別の人達である。
ここは東京の中心部に近い場所にある地下の居住区。時々空から降ってくる灰のようなものが人体に悪影響を与えると知ってから、人々は地下を好むようになった。それはどこでも同じ事のようだ。
しかし、厳密に言うと都会の人が地下が好きなのはずっと前からかも知れない。それまでの生活が崩壊したあの日よりも前から、人間は地面に穴を掘って街を作ったり電車を走らせたりしていた。そういう地下の施設が充実していた東京やその他の都会では、新しい街作りがスムーズに行われたために、生活面などでも安定期に入るのが早かった。
もちろん、そういった地下の施設で暮らしたり仕事が出来るのは政治家や科学者という類の人達が中心だった。詳しく説明すると、この「政治家」というのはかなりややこしい存在でもある。
「政治家」という職業は始めは存在していなかった。テクノーロジアの理想的社会のために活動していたのは科学者達であり、初期の混乱した状態のなかで人々が頼りにしたのも科学者達だった。
しかし、事態が安定し始めると、どこからともなく政治家が現れてきた。もしかすると科学者の中に政治的素質のある人間がいて、そういう人が自分のあるべき姿に気付いたのかも知れないが。それが後の混乱を生み出す原因にもなったかも知れないし、そういう人達の余計な口出しによって「テクノロジア」に音を伸ばす棒が付け足されて「テクノーロジア」になったのかも知れない。とにかく文化的生活を取り戻して、さらに経済活動なども活発になってくると、どうしても政治家の発言力が増してくる。そしてテクノーロジアの理想を追い求める科学者達とは意見が合わなくなってくるのだ。
そして、今回の東京に登場するのは科学者達の方の人間である。地下の施設に科学者らしい白衣を着た老人と、中年だがまだ若かりし頃の美しさをその表情にとどめている女性がいる。女性の方が落ち着かない様子で科学者に聞いた。
「それで、小田原はどうなったのです?一体どうして道が閉鎖されたのですか?」
「それが、安全のため、という意外には何も教えてくれんのだよ」
「もう、こんなところで心配しているだけなんて耐えられません。私が直接言って話を聞いてきます」
「そんな事をしても無駄なのは解っているだろう」
科学者は科学者らしく冷静に物事を判断して対処する、ということのようだ。すこし悪い言い方をすると、無駄な事はしない、ということだが。
「でも、パパは心配にならないの?」
「そりゃ、少しはね。でもあの子達も立派な大人だよ。それに花屋の能力はお前が一番良く知っているだろう?」
どうやらこの二人は親子で花屋達とも関係があるようだ。
「そうですけど。でも蚊屋野君が…。あの人って、なんていうか…」
「彼もきっと大丈夫だよ。お前が選んだ男じゃないか」
そして、蚊屋野にも関係があるようだ。ついでに蚊屋野が「なんというか抜けたところがある」ということも知っているみたいだが。
どうでもイイが、この時ここで自分の話をされていた蚊屋野がクシャミをしていたかどうかは解らない。