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27. ゴーストタウンの中継塔
休憩所の扉の覗き窓の向こうに灰が舞っているのが見える。一見すると粉雪のようだが、雪よりも重たいのか、フワフワしていながらも風に吹かれている様子がぎこちなく見える。それが地面に落ちるとすぐに消えてしまう。溶けているのでもなければ蒸発しているのでもない。どこか別の空間へと消えていくような感じで消えていく。
蚊屋野はまだ自分の心臓が高鳴っているのを感じていた。急に走ったあとに、鍵のかかったドアを壊さなければいけなかったりしたし、さらに灰に対する恐怖で慌てていたりしたので、この鼓動は簡単には収まらない。
「蚊屋野さんがいてくれて助かったっすよ」
そう言った堂中もまだどことなく興奮しているような様子だった。
「いやあ、ボクじゃなくても。それにあのコンクリートの塊を見つけたのは花屋さんだし」
蚊屋野は謙遜したが、堂中が言いたいのはそういうことではなかった。
「そうですけど、あれで鍵を壊せるのは蚊屋野さんぐらいっすよ。ボクら灰の影響で非力になってるから、あんなふうにコンクリートを持ち上げたりできないんすよ」
蚊屋野はそれを聞いてもすんなり納得できない感じがした。非力だと言っても見た目は普通の成人男子という感じだし、持ち歩いている荷物も蚊屋野と同じぐらいの重さのものを持っている。それに、その荷物を背負ったまま、さっきは灰から逃げるのに走ったりもしていたのだ。
でも、よく考えると普通の状態の人間でも、ある程度の重さまではどんな人でも持ち上げたりはできる。それに、さっきのコンクリート片は蚊屋野にとってもかなり重かったし、火事場の馬鹿力みたいなことで持ち上げることが出来ていたので、蚊屋野の体力でギリギリだったということなのだろう。
しかし、そう考えると花屋はどうやってあのコンクリート片をあの屋根の上から落としてきたのか?という事でもあるが。もしかすると花屋の方が堂中よりも力持ちということなのだろうか?しかし、そういうことを言うと花屋も堂中も気にするのではないかと思って、蚊屋野はそこを聞かないことにした。
「でもカヤっぺは英才教育だからな。時々オレなんかよりもスゴいんすよ」
聞かないことにしたのに、堂中が勝手に教えてくれた。
「英才教育って?」
「英才教育っていうのは間違いですよ」
花屋が訂正した。
「私が生まれた時にはまだ灰の影響についてあまり知られてなかったんですけど、周りには灰が人体に良くないって言う人が多かったから。それで、なんていうか過保護っていうのか」
「過保護なのに丈夫に育っちゃうんすから。やっぱり英才教育なんすよ」
聞いていると意味が解らなくなってくるので蚊屋野はただ「へえ」とだけ答えていた。とにかく花屋は灰にあまりさらされずに育ったということだろう。
そんな事を話していると、蚊屋野も次第に落ち着いてきた。落ち着いてくるとさっきのコンクリート片を持ち上げた時に手の皮が擦りむけてたりするのに気付いた。さっきはあまりにも慌てていたため、何をしていたのかほとんど覚えていなかったのだが、そういう記憶が少しずつ蘇ってくるようだった。
それから、さっきの焦り方は尋常じゃなかったし、もしかするとそこまで慌てることもなかったんじゃないか?とも思えてきた。そんなことは確認しなくても良かったかも知れないが、まだ灰はしばらく降るようだし、蚊屋野は聞いてみることにした。
「この灰って、少しでも浴びたら危険なのかな?」
「そんな事もないっすよ。一日浴びたぐらいじゃ特に変化はないことが解ってますし」
やっぱり聞かなくても良かったかも知れない。さっきの慌てようがちょっと恥ずかしい。
こんなことは20年前の世界でもあったような気もする。灰とは違って目に見えないのがさらに厄介だったが、原発事故による放射線を恐れて大騒ぎする人が沢山いた。あの時の放射線にどのくらいの影響があったのか。時間が経たないと解らないという人もいたのだが、結局こうなってしまったので、確認も出来ない。
始めは心配いらないと言われていた事が、あとになって危険だと解ったかも知れないし、そうでもないかも知れない。そういえば、昔バターが体に良くないからマーガリンを使いましょうという話があったのだが、結局はバターが体に良くないというのが間違いで、さらにそこからマーガリンのほうが体に良くないと言い始める人がいたり。何が良くて何が悪いかはその時によって変わったりするので、なんだか厄介なことでもある。
「なんだか、バターとマーガリンの話みたいだ」
蚊屋野が外を眺めながらしみじみと言ったのだが、花屋も堂中も何のことか全く解らなかった。それから蚊屋野は何かを思いだしたように向き直るとケロ君を呼んだ。
「おい、ケロ君」
呼んでもケロ君は近くに来てくれそうにないので、蚊屋野の方から近づいて行った。そうすると寝転んでいたケロ君も少し悪いと思ったのか、起き上がって蚊屋野の方に近づいた。
「(だがなんとなくオマエがしようとしている事には賛成できねえな)」
蚊屋野がポケットから何かを取り出すのを見ながらケロ君が言った。(もちろんこれは蚊屋野にしか聞こえていない。)蚊屋野はニヤニヤしそうなのを周りに気付かれないようにしながらフォウチュン・バァのペンダントをケロ君のクビに巻いた。
「ピッタリサイズだけど、どっかで首輪を買ってそれに取り付けたほうが良さそうだね」
「ああ、ケロ助も仲間ってことっすね」
「さっき灰のことを教えてくれたのはケロちゃんだしね」
ケロ君以外はケロ君にフォウチュン・バァのペンダントを付ける蚊屋野のアイディアを気に入ったようだった。
「(ちきしょう。こういうチャラチャラするのは好きじゃねえんだけどな。まあ、そっちがそれで良いなら我慢するけどな)」
その後、食事をとったあとに彼らは先に進むことにした。予定よりも少し早めに出発したのは電波塔の様子を確認するのに少し寄り道をするためだった。灰がいつ降るのか大体の予想は出来るし、大抵は一日に一度しか降らないというのも解っていたが、沿岸部とは様子が違う内陸の道を進むのに、何も情報がないのは少し危険である。もしも電波塔が修理できるのならすべきという堂中の考えに一同賛成して回り道をすることになったのだ。
休憩所を出てしばらく行くとすぐに山を下りる道になった。依然として道らしい道ではないところを歩かないといけなかったのだが、下っている分だけ楽に進めた。そして、山の麓の平野部に街が見えてくる。それはこの時代の街ではなくて20年前に街だったところだが。大都会ではないが中心部にはビルなどの大きな建物が密集していている。山の方から見ても広い範囲がビルや道路の灰色がかった街の色で覆われているのが解る。
今はそこにある建物のほとんどが崩壊して、住んでいる人もいるかどうか解らない巨大な廃墟になっているはずだ、と思うとすこしゾッとする。蚊屋野が物質転送装置によってこの世界から存在を消されていた間に人口の半分ぐらいがどこかへ消えてしまったらしい。しかしあの街の大きさを見ると残った半分でもかなりの人口になる気もする。そういう人達が各地に点在する居住地や新しい街に住んでいるということだが。なんとなくにわかに信じられない蚊屋野だった。
「蚊屋野さん、あれ見えます?」
かつての街が気になっていた蚊屋野だったが、堂中に言われて視線を遠くに移した。最初に目に入ったのは少し遠くに大きく見える富士山だったが、もう何度か見ているので「うわぁ!」とか言ったりはしない。それに、堂中が言ったのはその事ではなかった。
「うわぁ!」
今度は富士山ではなかったが蚊屋野が興奮している。街の境目の先が平原のようになっているさらに先に巨大な球体が見えたのだ。
「あれが…」
「あれがスフィアです。いくつもあるうちの一つっすけど。」
かつてフォウチュン・バァに色々と吹き込まれた堂中があれを「消えた人間達の墓場」と言ったらしいが、そう考えてしまうのも無理はない。
遠くから見た限りでは鏡のように表面がツルツルしていて周りの風景を映しているようにも見えるが、昼の陽の中にあってもキラキラした感じがあまりない。巨大なくせに気配を消して気付かれないようしているとか、そんなふうにも思える。あるいは、周囲のエネルギーを吸い取ってスフィアのある一帯が生気を失っているとか、そんな雰囲気もある。
思った以上に巨大で、思った以上に不気味な存在だった。
「(出来ればあれは見たくねえもんだよな)」
ケロ君が言うと蚊屋野は黙って小さく頷いた。
「この辺の状況が他よりも酷いのはアレがあるからなのかな?」
「それはあんまり関係ないみたいっすよ」
蚊屋野の推測は大抵ハズレる。
「やっぱりこの辺は地形的に灰の影響を受けやすいってことっすよ」
「そうなのか」
何でもない会話ではあったが、蚊屋野としては状況をちゃんと把握していないダメな人のような気分になってしまった。蚊屋野が軽く落ち込んだところで彼らは先を急いだ。
彼らの向かっている電波塔はかつての街を抜けたところにある。この山間の平野にも灰の影響を受けづらい場所があって、そこに元からあった中継用のアンテナを活用しているらしい。
堂中が言うには、街にある建物は山なんかよりもずっと崩れやすいから、建物が崩れたせいで風向きも変わって、それで電波塔にも灰の影響が現れているのではないか?ということだった。もしそうなら応急処置でしばらくの間だけでも通信が回復するらしい。そんな事もあるのか?と思った蚊屋野だったが、それ以外に壊れる原因が思い付かないというのが堂中の主張でもあった。
蚊屋野がこの世界で最初に目覚めた場所も廃墟のような場所だったが、今歩いている場所はもっと規模が大きい。彼らが歩くと半分崩れたビルからパラパラと細かい瓦礫が落ちてきたりする。肘や膝に防具を着けるよりもヘルメットが欲しくなるが、ないものは仕方がないので頭上には十分注意しながら歩くしかなかった。
道路が瓦礫に遮られた場所を何度か乗り越えていくと、辺りには元の姿を残した場所が多くなってきた。そして、さらに進むと次第に建物が減って街のはずれにきた感じがしてきた。
「あれっすね」
堂中が指さす先を見ると鉄骨のいかにも電波塔という感じの塔が見えた。蚊屋野が思っていたよりもずっと小さいのだが、蚊屋野が想像していたのは高い場所で送電線を繋ぐ鉄塔だったので無理もない。蚊屋野も自分でこの間違いに気付いて「思ったよりも小さいね」などという見当違いの意見を言わずに済んだ。
少し高台になっている場所にある電波塔に近づいて行くとケロ君が小さく吠えた。
「(なんとなくイヤな予感がしないか?)」
ケロ君の声を聞けるのは蚊屋野だけなのだが、彼に言っても無駄だということでケロ君も一度吠えたのだろう。蚊屋野はどこにイヤな予感がするのか?と考えたのだが20年前の人間の感覚ではそこに気付くのは難しい。
だがケロ君が小さく吠えたことが何かの警報装置の役割を果たしているのは確かなようだ。何か解らないけど、何かがあるというのは他の二人にも伝わっていた。
「ここって、前にも誰か来てるよ」
花屋に言われて堂中も気付いたが、確かに舗装されていない地面が踏み固められた感じはある。誰も整備しないせいで電波塔が壊れたのなら、ここには長い間誰も来なかったとも考えられるのだが、誰かが何かをしに来ていた。電波塔の整備や修理のためでないとしたら何をしに来たのだろうか?あの廃墟の街を通ってここに来る理由は電波塔の他になさそうだが。
「なんとなくイヤな予感がするね」
蚊屋野がケロ君の言ったことをほぼそのまま言った。他の二人も「なんとなくイヤな予感」がしていたのは間違いない。
堂中は一度立ち止まったが、すぐに歩き始めた。
「とにかく見るだけ見てみるっす」
「ちょっと待って」
花屋が慌てて堂中の腕を後ろからつかんだ。
「危険かも知れないから」
そう言ってから花屋は振り返るとしゃがんでケロ君と目線を合わせた。
「いい、ケロちゃん。なにかあったらちゃんと吠えて教えてね」
「(まあ、そうだな。そんなふうに頼りにされると断れねえんだよな。イヌってのは)」
ケロ君はゆっくりと前を歩き始めた。三人がそれについていく。
ケロ君は進みながら時々道の脇に生えている草の臭いをかいだりしている。そこに何か怪しい臭いの痕跡があるのか、それともそういう事とは全く関係のないイヌの楽しみとして臭いを嗅いでいるだけなのか。蚊屋野はなんとなくケロ君の事ばかりを見てしまっていたが、花屋は自分なりに周りに警戒しながら進んでいる。堂中も周りを気にしててはいたが、彼は電波塔が一番気になっているので、ゆっくり進むのがもどかしいみたいだ。
電波塔のすぐ近くまで来ると、結局危険な事は何も無かったようで、ケロ君が小走りに電波塔の方へ向かった。
「なんだ、なんにもなかったっすよ」
そう言いながら、そのすぐあとを堂中が追いかけた。ただ、そのせいで堂中が一番見たくない光景を一番最初に見る事になってしまった。
堂中が電波塔の前で呆然としている。彼の前には何かの基盤のような大きめの部品が転がっている。近づいてみると、それが半分燃やされて真っ黒焦げになっているのが解った。
「これ、どうしたの?」
蚊屋野が聞いたのだが、堂中には聞こえているのか解らないようすで、彼はただ基盤を見つめていた。
「これじゃあ直しようがないっす…」
鉄塔の方を見ると、上の方から伸びているコードのようなものが途中で引き切られているようだった。その下には何かが取り付けられていた跡が埃で黒くなっている中に白っぽく残っている。そこにこの基盤のような部品も取り付けられていたのだろう。
「誰かがやって来てこれを壊していった…」
そう言った花屋自身がその事を認めたくないような口調だった。
「電波がないよりも大問題っすね」
二人の口調を聞いて蚊屋野にもなんとなくマズい事になっている、というのが良く解った。しかし、一体誰が中継塔を壊したのか。
蚊屋野は前にケロ君から自分達が東京に行くことを阻止しようとする人達がいる、ということを聞いたことがある。これはその彼らの仕業なのだろうか。そうだとしても、中継塔を壊されて困るのは蚊屋野達三人だけではない。この付近にも居住地とか小さな街があるはずだし、そこの住民達も通信手段がなければ困るに違いない。何か別の理由があるにしても、あまり穏やかな感じはしない。
「あまりここに長くいたくはないわね」
「そうっすね。残念すけど。この中継塔は諦めるしかなさそうっす」
蚊屋野は何も言わずに二人に従ったのだが、本当は彼が一番この場所から離れたがっていたのだった。なんの理由もなく大事なものが壊されているような、そんな感じが言いしれぬ恐怖となって蚊屋野の心を暗く覆っていた。
彼らは次の居住地まで急いだ。まだ日暮れまで時間の余裕はあったのだが、中継塔の様子を思うとどうしても急ぎたくなってくる。それに次の居住地の情報はまだ何も解っていない。三人とも暗くなる前に安心できる場所に辿り着いて、安心できるものを見たりして落ち着いた気分になりたい、という事に違いない。
彼らはさっきの街を通り抜けて大きな道沿いを歩いた。この大きな道が高速道路だとすると、そのうち20年前に大きなショッピングモールだった場所に着くはず。蚊屋野はなんとなくそこが今日泊まる居住地だと思っていたのだが、先導する堂中は途中で大きな道路を外れて、また廃墟の街の方へ入っていった。
三人とも歩いているうちに次第に口数が減っていき、今はだれも喋ろうとしない。また何かが変だ。堂中が最初にそれを感じて、花屋もなんとなく気付いて、その二人の様子から蚊屋野も何かがおかしいのかも知れないと思い始めた。
「(おい、どうしたんだ?なんだか三人とも重苦しいぜ)」
ケロ君だけが異変に気付かなかったのも無理はない。ここには何もないのだから、イヌのケロ君が危険に思うようなことは何もないのだ。しかし、人間の三人にとっては話が別である。
本当はこの辺りには住人達がいてもおかしくないのに、まだ誰にも出会っていない。
「おかしいっすね」
この事をあまり言いたくはなかったのだが、先導している堂中が言わないとどうにもならない。
「どうしたの?」
蚊屋野も何かがおかしいと思いながらも、何がおかしいのか解ってないので、早くその何かを知りたがっている。
「人がいないんすよ。この辺りの建物は全部居住地として使われているはずなんすけど。誰もいないんす」
彼らは立ち止まった。立ち止まってもだれも口を開かないのは、周りの様子を探っているからである。風が吹くと風の音がして、風がやむと何も聞こえない。
誰もいないって、どういうことだ?と蚊屋野が頭の中で考えてみたのだが、納得できそうな理由は思い付かなかった。そして、カラになった蚊屋野の思考の中に、住人がこつ然と姿を消すという類の都市伝説の記憶がいくつか蘇ってきた。こういう時に一番考えてはいけない事だったが、考えないワケにはいかない状況でもある。なんとかパニックにならないようしている蚊屋野だったが、恐ろしくなって無意識のうちにケロ君の頭を撫でていたので、ケロ君は迷惑そうにしている。
一体ここで何が起きているのか。