Technólogia Vol. 1 - Pt. 25

Technologia

29. 恐怖の一夜

 恐怖の時間はユックリと流れる。実際には時間がユックリなのではなくて、今起きている事を頭の中で分析して判断するという作業がいつもよりも何倍も速く行われているからに違いない。それは危険な状況から逃れるための緊急時の脳の活発な働きなのだが。体育館の扉の外に得体の知れない何かがいて、それが激しく扉を叩いている。そんな状況で何を分析して判断しても、出てくる答えは「ヤバい…」だけである。なにも出来ずにただ立ち尽くしている時間がいつもよりも長く感じるだけだった。
 扉を叩く音を何度聞いたか解らないが、それを聞いている時間は本当に長く感じられた。最後に扉の外で何かがまた叫び声を上げると、やっと扉を叩く音が収まった。パニック状態がすこしだけ和らいでくると、蚊屋野は自分の手から力が抜けきっているのに気付いたりした。こういう状況で何かをしようとすれば手がワナワナ震えるのだろう。今は何もしなくて良いのだから手が震えるのを見られる事も無い。
 しかし、本当に何もしなくて良いのだろうか?ここにいる三人とも、外で扉を叩く音が消えて一安心しそうになったのだが、恐怖心があるレベルを下回った時に急に冷静な判断が出来るようになったりもする。
「他の扉も閉めないと!」
どこかへ逃げ出していた魂が急に戻ってきたかのように、ハッと我に返った花屋が隣の扉へ向かって走り出した。それにつられて他の二人もはじかれるようにして動きだした。
 堂中は花屋が走ったのとは反対側の隣の扉へ向かった。ということは蚊屋野は一番遠くにある扉ということになる。花屋と堂中が閉めに行った扉は校庭に面した場所にある扉で元々しまっていたし、確認すると鍵もかかっていた。だが蚊屋野が向かっている扉は彼らがここに入ってくる時に通った扉で、今は閉まってはいるが、鍵はかかっていないはずだった。
 蚊屋野は一瞬後戻りしたい気分になったが、後ろにある扉の向こうにはさっきまであの「何か」がいたのだから、鍵がかかっていないといってもこっちの扉の方がマシかも知れない、とかそんな感じで前に走った。
 体育館の重たい鉄の扉は、閉まっているとその向こうの様子が全く解らない。だが扉に近づくにつれて、なんとなく大丈夫なような気がしてくる。ドアノブの下に付いているあのツマミをカチャッと回す。その一瞬の動作で安全は確保されるはず。
 蚊屋野が扉のところまで来てドアノブに手を伸ばしたが、なぜかドアノブが逃げていくような感覚があった。それがどういう事か、ということを考えたくないのでドアが開かれようとしているのではなくて、ドアノブが逃げていくと思いたかった。どうでも良い事のように思えるが、その考えが良かったのかも知れない。
 逃げていくものに対しては強気になれる蚊屋野はグッと上体を傾けて腕を伸ばすとドアノブをつかんで、それを勢いよく引き戻した。そして、扉を閉めると鍵をかけるのあツマミを回した。鍵をかけて安心すると、あのツマミって何て名前なんだろう?と思ってしまいそうになったが、その瞬間扉のすぐ向こうからあの叫び声がした。腹の底から絞り出すような低音と、金切り声のような高音が一度に出てくるようなその声を聞いて蚊屋野の心臓は飛び出しそうになっている。
 またしても手が震えそうになったまま蚊屋野が扉の方を眺めていると、背後でガタガタとものを動かす音がしているのに気がついた。振り返ると花屋と堂中が体育館に並べられていたついたてを動かして扉のところに積み上げている。念には念を入れるということだろう。もしも外にいる何かが扉を破っても、それがあれば少しは時間が稼げる。その間、ケロ君はあっちに行ったりこっちに行ったりで落ち着かない様子だったが、一応辺りを監視しているようにも見えた。
 蚊屋野も自分の閉めた扉のところへついたてやら、他の大きなものを持ってきてバリケードを作った。
 とりあえずの安全を確保する作業が終わると、ついたてが端に寄せられて体育館の中央には大きなスペースが出来ていた。三人と一匹は自然とそこに集まってくる。
 中央から辺りを見回すと扉のある辺りは塞がれているのだが、壁の上の方にある明かり取りの窓には何もしていないのに気がついた。外からあの窓に上がるにはハシゴが必要な高さだが、そこから外が見えている状態がなんとなく不安でもある。
 三人とも息を切らせてはいるが、体温は上がっても顔色は真っ青という感じである。
「なんなんだ。なんだったんすか、あれは?」
この世界で一番長く生きている堂中がそんな感じなので、他の二人に解るワケがない。
「まさかドッキリってことは…」
蚊屋野が言いかけたが、途中でやめた。だがもしも彼らがこの街にいることを好ましくないと思う人達がいるのなら、そういう方法で恐がらせて追い出すという手もあるかも知れない。しかし追い出すどころか体育館に閉じこもってしまったので、それは違うのかも知れない。
「あれが何だったにしても、ひとまずは安全になったようですから、今夜はここで休むしかないですね。順番で見張りをしながら寝ましょう」
花屋が言ったが、しばらくはみんな興奮状態で眠れそうになかった。せめて身を守るための武器があったりすれば良いのだが。この世界では蚊屋野が最初に出会った人間が杖がわりに使っていた槍のようなもの以外に武器らしきものは見ていない。つまり、瓦礫が崩れてきたりする他にはそれほど危険な事もないという事に違いない。少なくとも今夜までは。
 アレがなんなのか、彼らはあまり考えたくない様子だった。さらにこの街に誰もいないことと、さっきのアレの存在の関連性などということはなおさらである。

 その後体育館の照明を落として懐中電灯の小さな明かりだけを点けて寝ることにした。暗闇を照らすための明るさから、こういう場所で手近なところを照らすだけの明るさまで調節できるちょっと多機能な懐中電灯が役に立っている。その前に、体育館の明かりを消すか、点けたままにするか?というところで意見が分かれそうだったのだが、結局は外にいる「何か」に自分達の存在を教えることになるかも知れないので消した方が良い、ということで三人とも納得したのだった。
 そして最初に花屋が提案したように順番で見張りをしながら寝ることにしたのだが、誰か一人が目を開けているかいないかの違いで三人ともほとんど眠れそうになかった。横になって目をつむっていれば少しウトウトすることもあったのだが、そんな時に遠くから何かの叫び声が聞こえてくる。しかも、どこかでその声がすると別の場所からも同じような叫び声が次々に聞こえて来たりした。そして、時にはさっきその何かが体育館の扉にしたように、外にあるものを叩いているような音も聞こえてきた。
 一人が起きて見張りをして、他の人が寝ているという状況では眠れない誰かが見張りの人と意味深な会話をしたりする光景を想像したりもするのだが、この恐怖の夜には誰もそんな余裕はなかったようだ。恐くて、何かをしていないと落ち着かないのだが、疲労もあるし寝ないわけにはいかずに、仕方なく横になっている。
 懐中電灯の小さな明かりが目立たなくなるぐらいに外がうっすらと明るくなってくると、次第に外も静かになっていくようだった。実際に外がどうなっていたのかは想像するしかなかったが、あのイヤな叫び声が聞こえる間隔が長くなって、そしてたまに聞こえるその声も遠ざかっていくようだった。
 そこで彼らはようやく眠ることが出来た。最後に見張りとして椅子に座っていたのは堂中だったが、彼も周囲の気配になんとなく安心してその椅子に座ったまま居眠りをしていた。幸いに何事もなくそのまま夜が明けた。最後に一時間ほど眠っただけだったが、それだけでも記憶と気持ちの整理をするのには有効な眠りだったようだ。天窓から差し込む朝日に照らされながら三人はこれから何をすべきなのか、ということをそれぞれの頭の中で考えていた。三人が全く同じ事を考えていたワケではなかったが、いつまでもここに隠れているワケにはいかない、という部分だけは同じだった。

 ここに来るまでの旅程は全て堂中が計画したものだったが、こういう緊急事態になると三人で相談して次にすることを決めるというルールになっているようだった。こういう時のものの考え方でいうと、堂中が広い分野の情報を収集して分析するタイプで、花屋は周囲の状況から直感的に物事を判断するタイプである。蚊屋野はというと、この世界には疎いし、ここで相談に加わってもあまり意味がないのかも知れないと自分で思っていたが、一つだけ気になっていることもあった。彼が昨日見た、あるいは見たと思っている女の子のことをここで話すべきかどうか、ということだ。
 だが、そんな事を話しても混乱するだけだと思って、蚊屋野が何も言えないまま相談は終了した。そして、この街で何が起こったのかを調べ直すことになった。ここで何が起きたのか、そして外にいた何かの正体は何なのか。それが解るまでは、この先に進むのは危険だからである。
 体育館を出る前に彼らは倉庫に入って身を守る物を探した。以前は体育館で今は宿泊施設でもあったのだが、どっちにしろ武器になりそうなものはあまり見つかりそうにない。掃除用のモップを見つけてその棒の部分だけを取り外してもっていくことにしたのだが、なんとなく頼りない。しかしないよりはマシということで、一人一本の棒を持って外に出ることにした。
 そんな感じで外に出た彼らだったが、外に出てすぐにこれからの予定を少し変更しないといけない事に気がついた。
「これって、昨日の夜だけで…?」
「ヤバいっすよね…」
学校の敷地の外に出ると街が昨日来た時とは一変しているのに気がついた。昨日はただ人がいないだけで整然としていたのだが、今はゴミやガラクタがそこら中に散らばって荒れ放題といった感じである。
「これって、つまりあの何かが現れたのは昨日が初めて、ってことよね?」
花屋の言ったことはそうに違いなかったが、そうだとすると色々と気味が悪いとみんなが思った。
「(ああ、そうだな。これは人でもないし動物でもない。このイヤなニオイは昨日はしてなかったがな)」
ケロ君にも正体のわからないそのニオイの主は何なのか?想像するとゾッとするので、蚊屋野は動物の声が聞こえるという自分の能力を疎ましく思っていた。
「ねえ、ケロ君。なんかあったらちゃんと教えてくれよ」
「(ああ、言われなくてもやるけどよ。それよりも、ちゃんとオレの方向いて喋らないと、人間らしくないぜ)」
そうだった、と思って蚊屋野はケロ君の方を向いて軽く頭を撫でた。
「それで、どうしようか?」
これからの行動についてなんの考えもない蚊屋野が聞いた。そんな質問に簡単に答えは出そうになかったが堂中が口を開いた。
「とりあえず街を見て回りましょう。なにかの手掛かりが見つかるかも知れませんし」
「みんななるべく離れないで。ここでは通信も出来ないことを忘れないでくださいね」
花屋も特に異論はないようで、街を調べる事になった。
 この街は20年前にも存在していた街の中の灰の被害を受けてない場所に出来たものである。なので、街に元からあった施設は元のまま使われている事が多くて、学校が市庁舎がわりになった以外は、20年前の地図がそのまま使える。
 彼らは商店などを調べて回ったが、意外なことに昨日の騒動でも荒らされた様子はなかった。商店と言っても基本的にはものの少ない世界なので大したものは売っていないのだが、食糧なども綺麗に棚に並べられているのがガラス戸越しに見える。だが蚊屋野達が覗いている側の道の方は散らかり放題といった感じだ。
 街の他の場所も一通り見て回ったが、どこも似たような感じだった。最後に大きな道の見通しの良い交差点に来ると堂中がスマートフォンを取り出してこの街について調べ始めたようだ。スマートフォンと言っても通信が使えないので、ネットで調べるという感じではなくて、端末に保存されている資料を読んでいるということだが。そんなことを考えると、この世界の人達がスマートフォンの事をどう呼んでいるのか、ということを疑問に思ってしまう蚊屋野だったが、この状況でそんな事を聞くワケにもいかないので、だまって辺りを見回していた。
 堂中はこの街の責任者の名前や専門分野などを調べたあとに、その資料が最後に更新された日を確認した。それは約一年前の資料である。街に劇的な変化が起こるのに一年は長くもあるし短くもある。なんとなくどうでも良い事を調べてしまった気がしている堂中であったが、とりあえず花屋と責任者の事について知っていることがないか、とかそんな事を話していた。
 そんな話に蚊屋野は入れそうにないので、話は耳に入れていたが、意味を理解する気のないまま辺りを眺めている。耳にも目にも意識が半分以下しかないような状態でボーッとしている蚊屋野だったが、視界の端を何かが横切ったような気がして我に返った。そして無意識にケロ君の様子を窺ったのだが、ケロ君は何事もなかったように寝そべっている。
 それはつまり気のせいだったということだろうか?しかし、蚊屋野はどうしても気になるので何かが横切った方を確認してみたくなった。そして、小走りに先にある曲がり角の方へと進んで行く。
「(おい、どこ行くんだ?)」
ケロ君が背後から声をかけたが蚊屋野は何でもないというように手のひらをケロ君の方へ向けて合図するとさらに先にすすんで角を曲がってしまった。
「(まったく自分勝手なやつだな。離れるなって言われてたの、忘れたのか?)」
ケロ君は起き上がって吠えようかどうか考えていた。堂中と花屋は話し込んでいて蚊屋野にはまだ気付いていない。

 角を曲がった蚊屋野はその先を見て「やっぱりそうだ」と思った。そして本来ならゾッとして顔が真っ青になりそうなところだったが、この時はなぜかそれが当たり前のように思えたりもした。
 角を曲がるとその先にいたのは、昨日学校で見た女の子だったのだ。小学校にいるのが自然に思えるということは10歳前後という年齢に違いない。その女の子は一度蚊屋野の方を振り返ってから前にある建物の中へと入っていった。
 果たして本当に建物の中に入ったのか。まだその建物まで少し遠いところにいた蚊屋野にはその建物の扉が開いたかどうか確認できなかったのだが。そこにいた女の子の姿が見えなくなったということは中に入ったのだろう。
 なんとなく不思議な感覚を味わいながら蚊屋野はさらに建物に近づいた。濃いめの色が付いて中が見えないガラスの扉のその建物は普通の家ではないようだった。建物の感じからすると小さな病院だった場所のようだ。
 外から中を見ようとしてもガラスの扉には蚊屋野が映っているだけである。それでもその自分の姿の向こう側を覗こうと顔を傾けてみたりしている蚊屋野だったが、その時映っている自分の姿が消えたような感じがあった。何が起きたのか?と考える暇もなくガラスの向こう側で誰かがガラスにぶつかったのが解った。色つきのガラスでもそこまで近づくと向こう側にあるものが何かを確認できる。
 そして、その姿が果たして人間だったのか?蚊屋野がアッと思った時、ガラスにヒビが入ったかと思うとそのままガラスが割れて中からそれが飛び出してきた。
 蚊屋野はまだアッと思ったままだった。