Technólogia Vol. 1 - Pt. 27

Technologia

31. 地下

 医者が何かを研究することってあるのだろうか?と、蚊屋野は部屋の中を見て思った。彼の記憶の中の医者、特に病気もしなかった彼の場合それは主にテレビや映画で見た医者だが、彼らは時々顕微鏡を覗いたりしていた。何も気にしないでその姿を見ていると研究しているようにも思えるが、それはどちらかというと観察とか分析とかの作業だったに違いない。研究をするのは製薬会社の研究者達だろう。
 いつものように蚊屋野が余計な事を考えながら部屋を調べるとやはり医者らしからぬものが出てきた。もちろんそれを見つけたのは蚊屋野ではなかったが。この病院にいた医師である真智野伊四郎(マチノ・イシロウ)には、何か裏の顔のようなものがあったのかも知れない。
 二つ見つかった「医者らしからぬもの」のうちの一つは特に怪しいものでもなかった。それは、ここにいた真智野先生が町長の補佐官になったという証書だった。それがあることが、この病院がしばらく使われていなかったということの説明にもなっていた。誰か別の人が医者になって病院は他の場所に移ったのか、あるいはあの学校のどこかで真智野先生が医者の役割を続けていたのかも知れない。とにかく、ここが病院でなくなっていた事の理由はだいたいわかったのだ。
 そして、もう一つ見つかったものがある。それは何か高価なものを大量に購入したことを示す伝票のようなものだった。蚊屋野はこの世界で伝票というものを見て少し違和感を感じたりもした。20年前にあった街やその他の人工的なものの多くが崩壊している外の状況を考えたら、そういう細々とした事を気にする暇もなさそうだと思ったようだ。しかし、この世界は基本的にはここに残された科学者達によって作られている。科学者ならばこそそういう細かい数字をないがしろにはしないということだろう。特に街の運営に関わるような部分では。
「でも、伝票があるってことは、支払いは全部小銭っすかね?」
この世界では電子マネーの方が一般的になっている。前にも書いたが、紙幣は新しく作れないし、小銭は持ち歩くのが大変だからである。そして電子マネーを使った場合は伝票はコンピューターに保存されるので、紙の伝票があるということは小銭でのやりとりがあったという事に違いないのだ。
「でも、けっこうな額ですよ。何を買ったんだろう?」
花屋が伝票を見ても、そこに書いてある品名には馴染みがなかった。
「しかも、日付は先生が補佐官になったあとのことっすからね。品名からすると、恐らく買ったのはICチップとかそういうものだと思うんすけど。どうしてそんなものが必要だったんすかね?」
「コンピューターをいじるのが趣味だったんじゃないの?」
蚊屋野はまだこの世界に来て数日しか過ごしていないので、たまに花屋と堂中が返事に困るような事を言う。20年前の医者なら、ちょっと変わった趣味のために大金を投じることもあったかも知れない。しかし、この世界では医療保険もないし、医者の仕事はボランティアみたいな状態だったのだ。住民達から尊敬される、という事以外は他の住民とほとんど変わらない生活をしていたはずである。
「それに、伝票がここにあるのもおかしいっすよ。コレだけの大金ってことは街のお金で買ったはずっすけど…」
蚊屋野の意見はなんとなく無かった事にされて、堂中が話を続けたのだが。それは先生の行動に怪しいところがあるという事でもあった。
「何か事情があったはずです」
花屋はなんとなく真智野先生が怪しいという部分は認めたくないようだった。市庁舎であるあの学校ではなくて、この家に伝票があるということは、もしかすると街のお金を使ったことを隠すためかも知れない。花屋としては自分が少しでも関わったことのある真智野先生がそういう事をしていて欲しくなかったのだ。ただ、現実はいつでも理想どおりとはいかないのだが、この場合はどうなのだろう?
 そのあとさらに家の中を調べてみたが、これと言ったものは見つからなかった。どうやら真智野先生が市長の補佐官になってから、この家もほとんど使われていなかったようで、そうなると調べるべきはあの学校という事になってくる。
「学校はあらかた調べたっすけどね。でも学校中を調べるって事になると、それはそれで問題って感じっすけど…」
堂中は伝票の何枚かをカバンにしまいながら言った。あとから何かの手掛かりになるかも知れない、ということで持っていくのだろう。
「とにかく行ってみましょう。調べる場所は蚊屋野さんが知ってるはずですし」
「ボクが?!」
蚊屋野が驚いて花屋を見た。あの女の子を見たことと、この病院が関連していると言い出したのが蚊屋野だったのだが、色々やっているうちに忘れかけていたようだ。
 三人はケロ君を連れて一階に降りると、玄関の扉を開けてしばらく様子を見た。
「(大丈夫そうだぜ。今のところはな)」
ケロ君が言うのを聞いて安心した蚊屋野がいち早く外に出ようとしたのだが、他の二人には聞こえない声だったということを思い出した。蚊屋野は二人に合わせて様子を見るふりをしながらケロ君のお尻を足のスネのところで軽く押した。ケロ君が外に向かって歩き出すのを見て、彼らも外に出ることにした。

 学校まで戻る間は特に危険を感じることはなかった。そして街も学校も相変わらず静まりかえっている。その分だけ昨日の夜に何かが暴れてそこら中が散らかっているのが不気味でもある。
 蚊屋野達は学校に到着すると、まずは理科室や図工室などの少し特殊なものがありそうな教室を調べてみた。真智野先生の家にあった伝票に書いてあった品名から考えると、こういう教室の設備を使って何かを作ったという事も考えられた。しかし、どの教室も市庁舎にふさわしい作りに変えられていて、何かの作業や実験をするような場所ではなくなっていた。
 そうなると、やはり蚊屋野のあの直感を頼りにするしかなさそうだ。自分の見た女の子とそれを見た場所に何か関連があると言い出したのは蚊屋野だったのだが、みんながそれを信じ始めそうになると自信がなくなってくる。もっと科学的に考えるべきなのではないか?と。しかし堂中も花屋もすでにそうやって考えていたし、最後の手段として蚊屋野を頼っているのである。
「ここを歩いてたんだ。それで、ここまで来た時に廊下の明かりが点いたから、そっちに気を取られてたら、いつの間にか女の子はいなくなってたんだよ」
蚊屋野は昨日女の子を見失った廊下を歩きながら二人に説明した。さっきは女の子を見失ったその先に小さな病院があったのだが、ここには何も無い。廊下のこの部分だけは窓がなくて薄暗く、不自然な感じで一度曲がってそこからまた廊下が続くような作りになっている。増築された校舎と古い校舎を繋ぐ部分なのかも知れない。
 花屋は廊下が曲がっている場所まで来て、その先を覗いてみたりした。さっきの病院で感じた「来たことがある」感覚は特になかった。だが一つ気になることがある。なぜか蚊屋野と堂中は気にしなかったのだが、花屋だけはそこが気になった。
「ねえ、この大きい扉って何だろう?」
「ああ、それは防火扉っすよ」
蚊屋野と堂中は昔の世界で小学校に通っていたので防火扉は見慣れていたのだが、小学校というものがなくなったあとに生まれた花屋には珍しいものだったようだ。
「火事になったときに火が広がらないように廊下を遮る扉なんすけど。もしかして防犯のために夜も閉まってたんすかね?」
今となっては夜の学校の様子は知るよしもないが。そんな事は気にせず花屋は防火扉を興味深く観察していた。扉の中にさらに小さな扉があったりするのがちょっと面白いのかも知れない。その小さい扉は閉めた後も人間が行き来できるように付いているものである。そうやって見ると確かに面白いものかも知れないと蚊屋野も思い始めていた。
「それ開けても何にもないっすよ。というか今が開いてる状態っすけど」
堂中が言ったが花屋はニコニコしながら扉の円いくぼみに収まっている取っ手を引き出してそれを引っ張った。そして、そのまま後ろに下がっていくと花屋と他の二人の間を隔てるようにして防火扉が閉まった。
 防火扉で閉ざされた廊下を見て「なんか全然違う場所みたい」とちょっと満足げな花屋だったが、まだやりたいことはもう一つあった。扉の中の小さな扉を開けてみたかったのだ。
 小さな扉を開けて向こうの二人と「こんにちは」と思いながらまたニヤニヤして小さい方の扉を開けた花屋だったが、そこにいた二人はそれどころではない様子だった。
 堂中と蚊屋野がそれまで扉で隠されていた壁の方を見つめている。
「カヤっぺ。その扉はやっぱり閉められてたんだな…」
堂中が壁の方を見つめたまま言った。小さな扉を開けて入ってきた花屋もすぐにそれに気がついた。さっきまで防火扉があったその向こうの壁に別の扉があったのだ。
「開けるの…?」
扉に近づく花屋を見て蚊屋野が聞いたが、こんな怪しい扉を見つけて開けないワケにはいかない。花屋はなにも答えずに扉を開けた。
 その扉は隠し扉という感じではなくて、そこに違和感なく収まっている様子だった。その扉があったところに仕方なく防火扉が設置されたのかも知れない。もしも、元々なかった新校舎が増設されたのなら、そういう無理な設計も納得できるが。
 扉を押してみると鍵もかかってなかったようで簡単に開いた。開けるとすぐに階段が下に向かって続いている。
「入るの…?」
堂中が懐中電灯を取り出すのを見てまた蚊屋野が聞いたが、入らないワケにはいかない。堂中がまた返事もしないで中に入ろうとしたのだが、今回は蚊屋野もどうしても気が進まない。どうしてそう思うのか解らずに堂中の後ろ姿を見ていたのだが、閉まらないように手で抑えている扉を見て不安な原因に気付いた。
「ちょっと待って」
蚊屋野が強い調子で言うので今度は堂中も止まるしかなかった。
「もし、その中に入ってる間に、こっちの防火扉が閉まったとしたら。何か危険な気がするんだけど」
先ばかり気にしていた堂中も、そうに違いないと思ったようだ。
「じゃあ、実験してみましょう。懐中電灯は点いてますか?」
堂中が頷くと花屋が防火扉を閉めた。向こう側の堂中の姿がユックリ見えなくなっていく。扉が壁のところで止まって、中の掛けがねがカチャッと音を立てると完全に扉がしまった。一瞬、扉の向こうの堂中を一人にして大丈夫だったのか?ということを思った蚊屋野だった。昨日の夜のアレが中にいないとも限らない。だがそういう心配はとりあえずしなくても良かったようだ。
 防火扉そのものは開かなかったのだが、扉の中の小さな扉が開いて堂中が出てきた。
「なんか、ちょうど良い具合に出来てるっすね」
防火扉に付いている小さな扉と壁にある扉の位置がちょうど重なっている。偶然なのか、計算されてこうなっているのかは解らないが、中の扉は内側に開いて、外の扉は外開きになっていたりもした。とにかく入っても閉じ込められることはなさそうなので、全員で扉の向こうの階段を降りることになった。
「どうしてこんなところに地下室みたいなのがあるんすかね?」
「さあ、どうだろう。ボクの通ってた小学校には戦争中の防空壕が秘密の地下室みたいに残されているとかいう話があって。まあ、怪談話にはちょうど良いネタだったよね」
蚊屋野はこういう話をしながら、他の二人を恐がらせてたりしないか?と気にしたが、この世界の人はそれほどお化けみたいなものを恐がらないのか、特に変わった様子もなかった。ただ、蚊屋野だけが自分の言ったことに自分で恐くなってゾクゾクしていたようだ。
 暗い中を懐中電灯の明かりを頼りに階段を降りきるとその先にまた扉があった。
「防空壕には見えないっすね」
堂中が懐中電灯で照らしたその扉は新しい感じがした。新しいといっても出来たばかりということではなくて、新しい技術で作られたような、ということだ。少なくとも戦時中の防空壕なんてことではなさそうだが。金属製のその扉は左右にスライドして開くタイプのようだった。だが取っ手があるワケでもなく、手をあてても滑って上手く開けられそうにない。
「自動ドアっすかね?だったらどこかにスイッチがあるはずっすけど」
堂中が辺りを見回したがそれらしきものはなかった。
 だがその時、花屋が天井の端に赤く光る小さなライトのようなものを見つけた。だがそれに気付いた時には赤いライトが点滅して何かが起こり始めているようだった。花屋が身構えた雰囲気が他の二人にも伝わったのか、辺りが緊張に包まれる。
「(お、おい。なんだ?!)」
意外なことにケロ君だけは何も気付いていなかったようで、慌てて辺りに注意を向けた。
 一瞬の静寂の後、モーターの動くような音がすると目の前の扉がスッと開いた。部屋の中から光が漏れてきてすぐには中の様子が解らなかったが、そこにあるものを確認して三人とも身動きが取れなくなっていた。
 誰か一人でも驚きで声を上げたりしたら、全員にパニックが伝染して危険な事になっていただろう。ただ蚊屋野でさえもギョッとした以上に驚かなかったのにはワケがあった。
 扉が開いて中に居たのは、あの女の子だったのだ。蚊屋野が何度か目撃した、真智野先生の娘だ。だが、それは女の子のようだが実際にはそうではない。その肌のツヤや目の輝きを見れば、それが生きていないことはすぐに解る。かといって死体という事でもない。
 ロボットとかアンドロイドとか人造人間とか。言い方は色々とあるのだろうが、そこにいるのは人間の姿をした機械に違いなかった。それは訪問者の姿を確認するように扉のすぐ内側から廊下の方を見て、それから振り返って部屋の奥へと歩いて行った。その目で彼らを見ていたのか、それとも何かのセンサーで三人と一匹を感知したのかは解らない。
「(何なんだ、アレは…!?)」
人間そっくりなのに生きている人間のニオイがしない。そんなものに出会うのは初めてなのでケロ君はかなり恐がっているようだ。もちろん他の三人もそれを見て平気だったワケではない。
 女の子の姿をしたロボットは部屋の奥に行くとまた廊下の方を向いた。ロボットとはいっても、その動きは滑らかで、遠くから見たら人間と思うかも知れない。
「入れって、ことかしら?」
ロボットは何も喋らないが、その仕草からはそんなことを伝えようとしているような気もする。なんとなく気が進まないが、特に危険な事もなさそうなので彼らは中に入っていった。だがケロ君は恐がって入ってこないようだ。
「ケロ君。キミは見張り番をやる?」
「(ああ、そうだな。ま、まかせておけ)」
ケロ君はプライドが高そうなので、蚊屋野が気を遣って見張り番ということにしてあげた。
 部屋の中には大小様々な機械が並んでいて、それを制御するコンピュータのようなものも目に入った。どうやらこの部屋にだけはずっと電気が来ていたようで、どの機械も稼働中のように見える。
「こんにちは…」
花屋がロボットに声をかけたが特に反応はなかった。
「話す事は出来ないんすかね?」
堂中が言うとロボットが彼の方に顔を向けた。彼の言葉に反応したのか解らないが、その輝きのない視線はなんとなくゾッとする。
「これって。こんなリアルなロボット初めて見るけど。もしかして、ロボットだけは20年分進化してるの?」
蚊屋野が知っている人間型ロボット、あるいはアンドロイドとか人造人間とか。20年前は人間にほど遠かったが、目の前にいる女の子はちょっと見ただけでは人間と間違えそうな動きをしている。
「ボクもこんなのは初めてっすけどね。ただ東京みたいな大きな街では秘密組織がアンドロイドの研究をしているって話っすけど」
「でも、その証拠を見つけた人はいないわよ」
堂中と花屋のやりとりを聞いていると、アンドロイドの研究というのは一種の都市伝説みたいなものかも知れない。
 そんな話を聞いていたのかどうかは解らないが、女の子のロボットは自分で部屋の中を歩いて、コンピュータのモニタを操作した。三人が何だろう?と思ってロボットの方を見ると、ロボットは左手の薬指をもう一方の手で掴んで、それを手の甲の方へ折り曲げた。すると左手の薬指の第二関節のところが普通とは反対側に折れ曲がって指の中がむき出しになった。折れ曲がった所からは骨ではなくて、何かのプラグが飛び出している。ロボットはそれをコンピュータの端子に差し込んだ。それから三人の方を見てから右手でモニタを指さした。
 モニタを見るとそこに文字が表示されていく。

こんにちは。私は CHIKA (チカ)です。真智野先生と私は新しい人間の訪問を歓迎します。現在一時的に会話機能が停止されています。会話機能を利用するには端末からコマンドを入力して会話機能をオンにする必要があります。

どうやら会話機能が停止しているのでモニタから文字を使って自己紹介をしたという事らしい。
「そうだ。あの子も確かチカって名前だった」
モニタの文字を読みながら花屋が言った。
「つまり、このロボットは自分の娘の代わりとして先生が作ったってことなのか。それよりも、ボクが見たのはこのロボットだったのかな?」
蚊屋野は色々と考えているが、彼の顔がしかめ面みたいになっているのは、ロボットの指がコンピュータの端子のところで普通とは反対側にグニャッと曲がっているのが気持ち悪いからである。
「まあ、質問だったらこの子に直接聞いてみたら良いっすよ」
「使い方解るんですか?」
「コンピュータのシステム自体は使ったことがあるっす。後は必要なコマンドのマニュアルが見つかれば、会話だけは出来るはずっすけど。ちょっと待って」
堂中がコンピュータに繋がったキーボードで操作をしているのを後ろから見ていた蚊屋野だったが、何をやっているのか良く解らなかった。ロボット本体にスイッチが付いていて、それを押しただけでいろんな機能が使えるようになればもっと楽なはずなのにとも思っていた。それだけでなく、昔は調子が悪くなったら叩くと直る電気製品が多かったが、そういうものがほとんど無くなったのは本体にボタンがなくなったせいだとも思い始めていた。大きなくくりで言えばそれは間違いではないかも知れないが、厳密に言うと蚊屋野のこの考えは全く違っている。しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。
 しばらくの間、堂中がコンピュータに向かって四苦八苦という感じだった。彼の専門はどちらかというと機械をいじる方で、今やっているようなことはそれほど得意ではない。優秀だからといって何でも出来ちゃうワケではないということだろう。しかし、20年前もそうだったように、この世界にある機械類にもちょっとしたコンピュータのようなものは搭載されているので、少しは知識があるし、頑張れば堂中でもなんとかなったりする。
「よし、出来たっす」
堂中がそう言うとチカが話し始めた。
「会話機能およびアシスタント機能、開始しました」
単語の間に少し変な間が空いたりするが、滑らかに日本語を話している。三人は黙ってチカの方を見ている。が、それ以上は話さなかった。自発的に何かを話すようなことはないのかも知れない。
「ここで何をしてたんですか?」
花屋が聞いたのだが、チカは無反応である。
「ああ、なんか聞きたい時には最初に『チカ』って付けないと反応しないみたいっす。あとアシスタント機能っていうのも起動してみたっすけど。役に立つはずっす」
勝手に喋らないということは、勝手に聞かないという事でもあるようだ。だが返事をしないからといって何も聞いてないとは限らないし、こういうロボットが身近にいると聞かれるとマズい話とかはしづらくなりそうだ。
「チカ、ここは何の施設ですか?」
花屋が聞き直した。
「ここは真智野先生の研究室です。真智野先生はここで人間の身体能力の回復のための研究をしていました。私はその研究を手助けするために作られました」
研究のために自分の娘そっくりのロボットを作る必要があるのか?と思った蚊屋野だが、そこには先生の深い思いがあるのかも知れない。
「チカ、先生はどこに?」
堂中が聞くと少し間を開けてから答えが返ってきた。
「不明です。データの欠如があります。一時的にサービスが停止されていた可能性があります」
「それ、どういうことだろう?」
「どうっすかね?電源が切られている間に先生がいなくなった、ってことじゃないっすか?」
そう言ってくれれば蚊屋野にも解る。チカの言うことは解りやすいように聞こえるが、ちゃんと理解しようとすると何を言っているのか解らない。
「ケイコク。シチョウシャナイ、カドノ、デンリョクガ、キョウキュウサレテイマス」
何も聞いていないのにチカが喋りだした。それまでの人間に近い話し方ではなくて、いかにもコンピュータが話しているような声だ。人間らしい見た目なだけに、いきなりそんな声で話されるとやっぱり気味が悪いのだが。緊急を要する場合は人間らしい音声を合成する手間を省いて要点だけを伝えるように出来ているのかも知れない。
 しかし、今言っていた必要以上の電力って何のことだろう?
「チカ。今の警告の意味は?」
「現在、市庁舎の収容能力の約1%を使用中ですが、電力の供給が100%になっています。非常時には余分な電力の使用、特にLED電灯の点灯は被験者に影響を与える恐れがあります」
「被験者、ってなんすかね?」
被験者とはなんとなく胸騒ぎを覚える言葉でもあった。外にもこの部屋にも被験者などいないようだが。
「ケイコク。ヒケンシャノ、ソンザイヲ、カクニン、デキマセン」
さっきからこの機械的な声がするのは堂中がついでに起動したアシスタント機能が働いているのだと思われるが、アシスタント機能が停止していた間に起きた事を今確認している状態なのかも知れない。
 警告を発した後にちょっとした間を開けてチカが普通の声で話し始めた。
「電力の使用は必要最低限に抑えてください。LED 電灯は全て消灯する事を推奨します。LED 電灯を使用しない限り新しい人間の安全は保証されます」
どうもチカが言っているのは、昨日の夜にそとで暴れていた何かに関係しているようにしか思えない。一体ここで何が行われていたのだろうか。