Technólogia Vol. 1 - Pt. 31

Technologia

35. 先へ

 真智野先生と消えた住人達の騒動に関しては一段落したことになっていたが、それでもすぐに東京へ出発出来るワケではなかった。まずは壊された中継塔を直して通信を復旧させないといけない。それから、この街の状況を箱根の街に報告して救助隊を呼ぶことになっている。救助隊と言っても元からそういう人達がいるわけではないので、それにふさわしい体力のある人と知識のある人が数人選ばれてこの街へ送り込まれるのだろう。それから、東京に向かう準備のために復旧した通信を利用して、この先の情報を調べて計画を立てる必要もある。
 堂中と花屋が中継塔を直しに出かけている間に蚊屋野はここへやって来る救助隊が読むための報告書をコンピューターに打ち込んでいた。そういうものは直接メッセージで送る事は出来ないのか?という気もした蚊屋野だったが、この世界ではそうも行かないらしい。20年前とは違って、どこでもテレビ電話のようなやりとりが出来る高速通信が使えるわけではないし、それ以上にこの時代の通信は常に盗聴の危険があるという事だった。
 盗聴といっても、誰かに見られて困るような内容だとは思わなかったのだが、堂中に言わせるとスフィアから出ている電波を利用して通信しているのだし、個人的なやりとりはなるべくしない方が良いのだということだ。だが、そんな説明では全く納得しなかった蚊屋野なのだが、とにかくダメなものはダメなのだろう。もしかすると一部の人しか知らないスフィアに関する何かがあるのかも知れないし、あるいは蚊屋野達の東京行きを阻止しようとする人達への対策という意味もあるかも知れない。この世界の人達がスマートフォンを持っているのにメールやメッセージのやりとりをほとんどしないというのも、盗聴とかその辺を気にしているからなのか。
 とにかく、救助隊にはまずここに来て蚊屋野が書いた報告書を読むように、という連絡がいくはずだ。とはいっても蚊屋野が書いたのでは専門的な部分はどうしても曖昧になる。花屋と堂中がいたとしても、彼らにも解らないことが多い研究なのだから仕方ないのだが、蚊屋野としてはなるべく詳しい内容を書くべきだと思っている。なので解らない事はチカに聞こうと思っていたのだが、質問しても返ってくる答えが専門的なので理解出来ない。基本を知らなければ何にもならない話のようだ。
 仕方ないので、蚊屋野はここで起きた事をそのまま書き残す事にした。そのままといっても、ロボットではない方の千歌を見た話などはもちろん書かなかったのだが。とにかく、あのドキドキした夜の恐怖と翌日の住民達の救出劇の雰囲気は出せたと思った。しかし、書き終わった内容を読んでみると、専門的な見地からは何のことだか解らない話になっている気がする。少し困ってしまった蚊屋野だったが、最後に「真智野先生のファイルを開くためのパスワードは"chika"です」と書いたら全てが解決したような気分になった。蚊屋野の作文を読むよりも先生の研究記録を読んだ方が解りやすいに違いない。
 報告書を書き終えたら蚊屋野は暇になってしまった。ケロ君は寝ているので話し相手にはなりそうにない。
「チカ。体育館にいる人達は大丈夫なの?」
仕方ないのでチカに話しかけてみた。チカは体育館にある各種計測装置とやりとりをしているのか、すぐに返事が返ってこない。聞きたいのはそういう事ではない、と思った蚊屋野だったが。
「住民達の健康に異常はありません」
それだけ言うとチカは黙ってしまう。昨日の夜救出することが出来た住民達は全員体育館に連れて来られた。今はその中で体育座りのままじっとしている。彼らはLEDの光を追いかける以外には何もしないのだろうか。
「チカ。住民達に食事はあげなくて良いの?」
「彼らは食事をしません」
そんな事はあり得るのだろうか?
「チカ。住民達は食事なしでどうやって生きているの?」
「体内に蓄積された栄養を効率よくエネルギーに変換する事が出来ます。この状態で平均で2年生きる事が出来るでしょう」
蚊屋野は余計な事を知ってしまった気がした。住民達は自分に起きている事を知っているのだろうか。何も知らずに2年間じっと体育座りをしているのと、知ってて体育座りしているのはどちらが良いのか?というと、知らない方が良さそうだが。あんまり考えると全てを爆破して終わらせようとした真智野先生が正しかったように思えてしまう。
「チカ。住民達に栄養を補給する方法はないの?食べなくても点滴とかで」
「その問題は早急に解決する必要があります」
そのとおりだが、そんなことを言われても蚊屋野には何も出来ない。
 蚊屋野がなんとなく暗い気分になっていると花屋と堂中が帰ってきた。
「これでやっと出発の準備が出来るっすよ」
中継塔の修理は上手くいったようで堂中が戻ってくるなり、この先へ進むための情報を調べ始めた。
「救助隊はどのくらいで来るのかな?」
蚊屋野はまだちょっと住民達のことが気になっているようだ。
「そうっすね。箱根からここに来るのには一日もかからないんすけど。ただこの問題に対処できる人が箱根にいるかどうか、ってことっすね。もしダメなら東京とかの大きな街から人を呼ぶ事になるはずっすけど。そうなると道の閉鎖の問題もあるし、時間がかかるんすよね」
そう簡単なことではなさそうな気がする。このままでもあと2年のあいだは住民達は生きていられるらしいのだが。
「まあ、チカが彼らの面倒を見てくれるっすよ」
この辺は意外と楽観的なのは堂中がロボットとかコンピュータとかを信頼しているからなのか。
「そうだけど。ボクらみたいに何も知らない人がたまたまやって来たりすると、またパニックになりそうだし」
「でも今のチカはちゃんと喋れるようになってますし、停止されていた機能も動いているから、少しはマシなんじゃないですか。それに箱根の人達はしっかりしてるから、専門家がいなくても先に誰かをここの派遣して見張りをさせるはずです」
蚊屋野以外はあまり心配していない様子だった。こういう場合の対処の仕方はそれなりに決まっているから、そのとおりにやれば問題ないという事なのだろうか。
 心配だからといって、彼らがここにいても何の解決にはならない。実のところ、昨日の夜に全ての住民を助けられなくて涙を流していた花屋なので、助かった住民のことも心配なのだ。だが、彼らのためにする事はなにか?というと、このまま旅を続けて蚊屋野を東京まで送り届けることの他にない。蚊屋野がスフィアに行ってその情報を集めてくれば、この世界で起きている問題がいくつも解決するはずだし、そうすればここの住民達に起きたような悲劇は繰り返される事はないのだ。蚊屋野が自分がそれほど重大なことを任されているということに気付いているかどうかは知らないが。
 堂中はこの先の計画を立てていたのだが、少し困った事になっているのに気がついた。あの灰がいつ降ってくるのかを予想するには現地に近いところの観測データがあった方が良いのだが、この先にあるいくつかの街や居住地からは、そういうデータが公表されいないのだ。そういう場合は、遠い場所のデータを使って予想しないといけないのだが、場所が遠ければ遠いほど正確でなくなってくる。今の状態だと、灰が降ってくる時刻の正確さは天気予報の週間予報ぐらいだろう。あたる時もあるし、そうでない時もある。ギリギリな計画ではなくて、時間に余裕を持たせないといけないようだ。
 堂中が計画を立てているあいだ、花屋が街で貰ってきた食糧などの整理を始めた。貰ってきたといっても勝手に持ってきたのだが、住民達がああいう状態なので特に問題はない。そして蚊屋野には特別なものを持ち帰ってきたようだ。
「はい、これ。お願いします」
花屋は蚊屋野に大きな工具を手渡した。いろんなところで目にした事はあるが、蚊屋野が手に取るのは初めてだった。それはワイヤーや太い針金のようなものを切断する巨大なニッパーのようなものだ。ニッパーというよりは枝切りばさみの金属用という方が良いのか。正式な名前がわからないので、何と言えば良いのか解らないが、映画とかドラマで金網を破って脱走したり侵入したりする時に使うアレだ。
 蚊屋野はそれを手にして、どういうことだ?と思っていた。
「また休憩所に入れないと困りますから」
花屋に言われて蚊屋野はここに来る前に入った休憩所のことを思い出した。あそこでは扉に鎖が巻かれて開けられないようになっていたのだった。あれは真智野先生の仕業だったのかどうかは解らない。だが、この街に人を寄せ付けないために真智野先生がした事だとすると、街の反対側にある休憩所も同じように入れなくなっている可能性もありそうだ。
「力仕事は得意みたいだからね」
20年前はそんなことはなかったのだが、ここでは力持ちという事になっているので、なぜか他人事のように言っている蚊屋野だが。どんなことでも頼りにされるというのは悪い気はしない。
 それから数時間、ユックリした感じで旅の準備が進められた。どうしてユックリなのかというと、予報によるとすぐ近くで灰が降り始めそうだということで、待たないといけないみたいだった。その間、堂中はスマートフォンの充電は忘れないように、ということと移動中は無駄な事にスマートフォンを使わないように、といったことを何度も繰り返していた。言い換えると、これから先も何が起きるか解らないということのようだ。
 そして、ようやく出発の時が来た。あれだけ色々なことがあったのに、見送る人が誰もいないというのも変な気分だった。チカに命令して出入り口の所までついてこさせても良かったのだが、そんな事で雰囲気だけ出してもなんとなく虚しい。チカは言われたらついてくるが、彼らと別れの挨拶をしたいと思っているワケでもないのだし。
 蚊屋野達は先に外に出て風の臭いを嗅いでいたケロ君と合流すると校庭を通って外に出る事にした。もしも誰か彼らの事を見送るような人がいるとすると…。そう考えて蚊屋野は振り返ろうかどうか迷っていた。もし見送る人がいるとしたら。それは人とは呼べないかも知れないが、振り返ると校舎の窓の中のどこかに彼女の姿があるのではないか?と蚊屋野は思っていた。何度か蚊屋野の前に現れて何かを伝えようとしていた千歌の姿が。そして、もしかすると次に見るとしたら、その父親である真智野先生も一緒にいるような気がした。
 もし本当にそんなものが見えたらどうすれば良いのか。それから、真智野先生はあの写真に写っていた昔の姿なのか、あるいはあの地下で会った時の姿なのか。そうでないとすると爆発によっておぞましい姿になっているかも知れないが。やはり振り返らない方が良さそうなのだが、どうしても気になってしまう。
 蚊屋野は校庭の真ん中辺りまで来た時に思いきって振り返って見た。校舎の端から端まで、くまなく探してみたが何も見えなかった。
「どうしたんですか?」
急に蚊屋野が振り返ったので花屋が不思議に思ったようだ。
「いや…。なんか色々とあったな、と思って」
やはり蚊屋野があの時見たものは夢だったのか。夢というのはちょっと違うかも知れないが、疲労のせいで本当に寝ぼけていただけなのかも知れない。昼間の日の光を浴びている校舎を見るとそんな気分になってくる。
「あんな大変なことがこれから起きないとイイっすけどね」
「(ああ、まったくだ)」
彼らは次の目的地へと向かった。

 といっても、今回はさらに次の目的地まで余裕をもって辿り着くための移動なので、これから行く場所はそんなに遠くない。悪路でスムーズには進めなかったのだが、三時間ほどで到着した。今回の目的地も一時的に灰をしのぐために作られた休憩所のような場所だ。前に使った休憩所と同じく高速道路の高架下にあって、崩れずに残っている道路が屋根代わりになっている。
 ただし、今回はずいぶんと山の中という感じである。灰の影響もあって木が枯れているので、森の中というワケではないが、山の中だと街みたいに瓦礫だらけではない分、すこし落ち着いたりもする。
 日が暮れる前に休憩所に辿り着いた蚊屋野達は、扉の前でやはり鎖で施錠されている事に気付いて、蚊屋野が例のアレで鎖を切って中に入った。ここに入れないようにしたのは本当に真智野先生か?ということを考えると不安にもなるのだが、こういう時は余計な事を考えるべきではない。考えられる答えが真智野先生だけしかないのなら、それをやったのは真智野先生に違いない。それ以外の事を考えて恐がっても、想像上の何かに対してはどうする事も出来ないのだし。
 次の目的地まで少しだけ近づいて、この静かな休憩所でやっと落ち着いた気分になれた。本来の予定からはだいぶ遅れているのだが、この先無事に東京まで辿り着けるのか、まだ誰にも解らない。

36. 東京の地下

 いっぽうその頃、これまでの話でもたまに登場していた東京では。前にも見た事がある地下の居住区に前にも見た事がある白衣を着た老人がいる。そこへ前にも見た事がある中年だが美しい女性が入ってきた。彼女は最近ずっと不安そうにして顔色がすぐれなかったが、ここに入ってきた時にはさらに不安な様子で苦しそうにさえ見えた。
「パパ、何かあったの?」
「箱根の方に緊急信号が届いたという連絡があってね」
「まさか、あの子達が…?」
「いや、安心しなさい。彼らはそう簡単には失敗しないよ」
「でも私、なんだかイヤな予感がして…」
「いつもの心配性だな。でも考えてみなさい。これまでずっと通信が途絶えていた場所から緊急の信号が来たんだ。誰かが通信装置を修理したとしたら、それが出来るのは堂中君ぐらいじゃないか?」
真っ青だった女性の顔に血の気が戻ってきた。緊急なのは蚊屋野達ではなくて彼らが誰かを助けようとしているのだ。そうに違いない。そう思う事にしたが、それでもやはり心配性な彼女はその後もことあるごとに不安な表情を浮かべるに違いない。
 それはそうと、あの住民のいなくなっていた街で、花屋のお祖父ちゃんという話がでてきたのだが、なんとなくこの科学者がその人なんじゃないか?という気もしてくる。実際はどうなのか、ということはいずれ解るに違いないが。
 たまに書かないと様子が解らなくなるので、書いてみたのだが、東京はこんな感じである。

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