Technólogia Vol. 1 - Pt. 32

Technologia

37. 明暗

 日の出とともに目を覚ます。そんな朝は清々しく健康的なはずだったが、実際にはそれほどでもない気がしてくる。蚊屋野は何も無い穴蔵で寝袋にくるまって寝るのには慣れてきた。だが起きた時に体中が痛いのにはなかなか慣れない。柔らかい布団やベッドの中で二度寝への欲求と戦うのがどれだけ幸せな事だったのか、今になってやっと解ってきた。
 花屋は蚊屋野よりも少し前に起きて外に出て行った。何をしているのかと思っていると、外から木の燃えるニオイがしてくる。たき火でお湯を沸かしているようだ。少し離れたところには枯れた木はいくらでもあるし、そろそろ本格的な冬になろうという時期なので、乾燥した枯れ枝は良く燃えている。
 次第に朝の雰囲気になって来たところに、花屋がまた何かを持ってきて、それをコップに入れてさらに沸かしたお湯を注いだ。すると今度はあのドブコーヒーのニオイが漂ってきた。ドブコーヒーというのはあの研究室で飲んだ不味いコーヒーの事だが、蚊屋野は頭の中でドブコーヒーという名前を付けている。あの研究室にあったコーヒーを勝手に持ってきたのだと思うが、花屋はそういうところはチャッカリしているようだ。とにかくあの不味いコーヒーと味のしない例の食糧で強制的に目は覚めるに違いない。
 蚊屋野が火の見張りをしているケロ君の横に座ってたき火を眺めていると、遅れて堂中が外に出てきた。なぜか彼は少し興奮気味である。
「スゴいお宝見付けたっすよ!」
そう言いながら、彼が持っていた布の袋を逆さにすると中からスマートフォンがバラバラといくつも落ちてきた。どれも画面が割れていたりしてちゃんと動きそうな感じはない。
「どうしたの、これ?」
花屋が驚いた様子で聞いた。驚くという事は珍しいことなのか?蚊屋野にはいまいち良く解らない。
「奥にあったんだけど。昨日は暗くて気付かなかったみたいっす。こんなに一杯、誰が持ってきたんすかね」
そう言いながら堂中は地面に落ちたスマートフォンの一つを手に取った。
「これなんか、今じゃあんまり見つからないっすよ。このD-HDっていうの。まだ子供の頃に親父が持ってたんすよ。まだスマートフォンを使ってる人は少なくて得意になってたんすけど。でも買ったは良いけどあんまり重たいから、これなら武器にもなるとか言ってたんすよね」
そんな事を言われると持ってみたくなるので、蚊屋野は無意識のうちに手を伸ばして堂中からそれを受け取っていた。蚊屋野が使っているものもそれなりに大きいし持ち歩く時は重たいと思っていたのだが、手に取った瞬間にそのD-HDという機種の重さが他と比べものにならないのが解った。鉄の塊のようなズッシリとした重さはまさに文鎮である。スマートフォンも出始めの頃は重たかったようだ。
「でも、これって壊れてるんでしょ?なのに持っていくの?」
蚊屋野が電源ボタンを押したりしながら動かないのを確認してから言った。いつものように堂中達は蚊屋野の発言の意味を理解するのに少し時間がかかった。
「ああ、確かにそうっすけど。でも今は簡単に壊れたスマートフォンを捨てたりしないんすよ。直して使えることもあるし、そうでなくても部品だけを再利用したり。新しいのを作る工場が動いてないっすから、そうやって上手い事やらないといけないんす」
そこまで説明してもらってやっと「なるほど」と思った蚊屋野だった。
「でも、そんなにあって重たくないの?」
「まあ、そうっすけど。これほどのお宝はあんまりないっすからね。それに特別重たいのはこのD-HDだけっすから」
自分が好きなものというのは、少しぐらい重たくても苦にならないという事なのだろう。だが、そんなに価値のあるものなのだとしたら、誰がここに捨てていったのか?というのも気になる。中継塔が壊されてスマートフォンの使い道がなくなったと思った人が捨てたとか、そういう事かも知れないが。休憩所の鍵のかかった扉の事なども考えると何か裏があったりするのではないか?と少し心配にもなる。
 少し慣れてきたとはいえ、この世界で目が覚めてから数日しか経っていないのだし、まだ謎の部分は色々と出てくるようだ。そんな感じだからちょっとしたことで不安になるのも仕方ない。ただ「この世界」と言っても、もともと蚊屋野が住んでいたのと同じ場所というのはなんとなく気に入らない気もする。自分の部屋を誰かが勝手に整理して、何がどこにあるのか解らないような気分ということか。その前に、誰かが自分の部屋を勝手に整理する事なんてあるのか知らないが。
 そんな感じで思わぬお宝を堂中が見付けた朝だったが、それ以外には特に何も無くまた荒れた道を進む事になった。谷間の道を進んでいくと時々川が流れているのが見えたりする。何という名前の川なのか解らなかったが、こういう場所は昔と変わらずに残っているようだ。ただ川の水は濁って黄土色になっている。木が枯れて土砂が崩れるとこういう色になるのだろうか。良く解らないが、濁った川というのはなんとなく恐ろしい気がする。台風かなんかで増水して荒れ狂う川の映像とかをニュースの映像で見る時は、その水は大抵黄土色に濁っているから、そんな印象があるのかも知れない。
 蚊屋野はなるべく早くこの場所を通り過ぎたいと思っていたのだが、良い具合に辺りには次第に木が多くなってきた。枯れていない木が多いと少しは気分が落ち着く。少し離れた場所を流れている川は相変わらず濁っているはずだが、木があるおかげで目に入る事もない。
 木に囲まれたちょっとした森のような道を歩いていると、蚊屋野はしばらく聞いていなかったケロ君以外の動物の声を耳にした。正確には耳で聞いているのではないのだが、例の変な能力で動物の声が頭の中に聞こえてくるのだ。
 その声によると、ここに人間がやって来るのは久しぶりということだ。どんな動物がそんなことを言っているのか、と思って蚊屋野があたりを見回したが、動物の姿は見えない。ただ、落ち葉が擦れ合うようなカサカサした音が時々幽かに聞こえて来る。ふと見上げると頭上の木の枝をリスが走って行った。
 特に人間のことなど気にしていなさそうなリスだったが、意外とそうでもないようだ。一匹のリスが走るのをやめて枝の上で辺りを見回しているところへもう一匹がやって来る。リス達はそこで話を続けている。
 蚊屋野が盗み聞きしたところによると、リス達の言っていたのは大体こんな感じだった。昔の人間達はリスを見ると大喜びしてカメラを向けたそうだが、今ではそんな人間は見た事がない。その前にカメラというものも現代のリス達には何だか解らない。その機械はリス達にとって有害なのか、無害なのか。それから彼らの間に古くから語られる伝説に登場する「エサをくれる人間」という存在と、そのカメラというのは関係があるのか。
 そんな事を話しているのを聞いた蚊屋野はポケットからスマートフォンを取り出して裏側をリス達の方へ向けた。そのままカメラアプリを起動すれば写真が撮れるのだが、このスマートフォンのカメラで小さなリスを撮るためには、もっと近くまで行かないといけないのに気がついた。
 蚊屋野がスマートフォンのカメラで写真を撮るのはやめたのだが、リス達は何事か?と蚊屋野の方を凝視していた。
「なにやってんすか?」
蚊屋野が少し遅れている事に気づいた堂中が振り返って言った。
「あ、あれ。リスじゃない?」
堂中とほぼ同時に振り返った花屋がリスに気付いたようだ。だがどうして蚊屋野がカメラで撮ろうとしていたのかは謎なようだ。
「人間がどういう事をするか、ってことを彼らにも知っておいてもらわないとね」
蚊屋野がそんな事を言うとさらに謎になってしまう。
「つまりさ。色んな事が解決して元の暮らしが出来るようになったら、どうせ人間達は暇になってハイキングとか始めて、それで山の中でリスを見付けて喜んで写真を撮ったりするはずだからさ」
蚊屋野はこの旅の最終的な目的というものを意識し始めたのか、少し壮大な話をしている。だがそれは夢のある話だし、堂中と花屋もこの話に少なからず希望を感じていた。
 だが、そう言った本人である蚊屋野は、言った後に別の事を考えてしまって少し暗い気分になっていた。人間が元の生活を取り戻すと、また必要以上の開発が始まって動物たちの住む場所を奪っていくとか。20年前のことを考えたら充分に有り得る話だからだ。
 リスのおかげで余計な事を考えてしまったが、それはどうでも良い事だったりもする。蚊屋野達は先をいそいだ。
 谷間の道を抜けると開けた場所に出た。周囲の山には木が生えているし、この開けた場所も特に荒れた様子はないので街があってもおかしくない。しかし元々何もない場所だったので新たに街を作ることは出来ずに、ここには休憩する場所しかない。ここに街があったとしても、今日の予定ではここからさらに先に進む事になっているので、ユックリしている暇もないし、どうでも良い事でもあるが。ただ蚊屋野はなんとなく、この荒廃していない場所を誰も利用していないというのがもったいないと思ったのだ。
 この山に囲まれた広々とした平野で昼食を取っている間に例の灰は少し離れたところで降っているはずだ。それをやり過ごしたら出発して夕方には次の目的地に着く事になっている。ただこの辺りの街からはずっと連絡が途絶えていたので、様子が解らず油断は出来ないが、前の街で起きていたような恐ろしい事はもうない気がする。街の情報が外に届かないのは人の行き来がほとんど無いからで、そこでの生活は他の街と変わらないはずだ。
 そう考えると、今日の移動はこれまでになく楽勝な感じがする。もちろん物事がその考えどおりだったとしたら、の話だ。世の中にはろくな事がない、というのは蚊屋野のような人間なら良く知っていることだ。そして、彼ぐらいのレベルになると、悲観的になるのを通り越して理不尽と思えるような嫌な事が自分に起きても、なんとなく素直に受け入れられてしまうようになったりもする。だから、今日の移動が楽勝と思っていても特に問題はないのだろう。実際に何が起きるのかは全く解らないが。
 休憩を終えて出発した直後から、早くも蚊屋野の思っているのとは違う事が起こり始めた。開けた場所で遠くまで見通せるので、山と平地の境目の辺りに大きな道路が続いているのが解る。蚊屋野はその道に沿って進むのだと思っていたのだが、堂中が進んだのは山の中へと戻る道だった。
 少しのどかな感じのする平地からまた山の中へ入るのはなんとなく気が滅入る。蚊屋野はどうして平地を進まないのか?と堂中に聞いたのだが、そっちに進むと「吹きだまり」がある、という答えが返ってきた。つまり、複数の場所から灰が風に飛ばされてきて、それがまとまって降ってくる場所があるということだ。そこでは道もなくなっているし、その場所にいるだけでも危険なのだ。
 そういう場所があるために、東京に向かうためのルートが北と南で完全に分断されているという説明もしてくれた。北側と南側のルートの間にそういう場所がいくつもあるので、一つのルートを選ぶと途中で切り替える事は出来ないのだ。どうも灰というのは厄介なものだが、平地が危険だというのなら薄暗い山の方を進むべきだ。それが良い事に違いない。
 だが山道を進んで行くと、やっぱり良くない事が起きているような気がしてくる。蚊屋野と花屋はそれに気づいていたが、まだ何も言わない。二人が何を気にしているのかというと、先程から堂中が地図と先にある道を見比べながら首をかしげたりしているのだ。これまでのことを考えると堂中が道を間違えるようなことはなさそうだ。そうでなくても、通信が出来る間はスマートフォンで現在地は確認できるのだし。ということは、この先の山の上に少しだけ見えている建造物が気になっているのだろうか。
「あれって何だろう?」
堂中が何も言わないのが気になって仕方がないという感じで花屋が言った。その目線は例の建造物の方を向いている。
「そうなんすよ。あんな場所には何も無いはずなんすけど」
「地図よりも後にアレが出来たってことじゃないの?」
と、蚊屋野が言ったが、言ってからまた自分がおかしな事を言ってないか?と気にしてしまった。だが、そうでもなかったようで、堂中も「そうなんすけど」と否定もしなければ肯定もしなかった。
「まあ、次の街で聞いてみれば良いっすよね」
そう言うと堂中は気にすることを努めてやめようという感じで、地図から目を離して歩き始めた。前の街で思わぬ足止めを食ってしまったし、これ以上時間は無駄に出来ない、ということのようだ。
 なんとなく落ち着かない気分でもあったが、前の街のように誰もいないのとは違うし、新しいものが出来ているというのは健全な生産活動が行われているということに違いない、と適当に納得した蚊屋野だった。
 そんな風に納得したところで、それが現実と違っていれば意味は無い。
 しばらく歩くと道に数人の男達が立っているのが見えてきた。さらに近づくと10人ぐらいはいそうなので、数人どころではなさそうだが。彼らは道を塞ぐように横に並んでいる。
 なんだろう?と思った蚊屋野だが、花屋も堂中も緊張した様子で黙っているので、蚊屋野もなんとなくイヤな感じがしてくる。そして、そういうイヤな感じというのはたいていの場合、本物なのだ。
 蚊屋野達が彼らのすぐ近くまで来ても、彼らは道を開けようとしない。それだけでなく、彼らはどうにも殺気立っているように見える。もしかすると彼らの服装がそう感じさせているのかも知れないが。ただその服装からはあまり好ましくないものを感じる。
 子供の頃、夕暮れの近づいた公園の前を通ると、恐い格好をした中学生ぐらいのお兄さんに呼び止められて、お金を貸してくれと言われる。もちろん「貸す」といっても貸したお金は絶対に返ってくる事はないのだが。それで「お金は持っていない」と言うと、名前を聞かれたり通っている小学校を聞かれたり、しばらくの間恐怖の時間を過ごさないといけない。
 そういう感じの恐い格好の人達がそこにいる気がしたのだ。どうもマズい状況になっているようだ。
「道を空けてくれませんか」
先頭を歩いていた堂中が言った。この状況なのでいつもと声の様子が違っている。
「ここを通るには許可がいるんだよ」
そんなことは初耳だ。というよりも、こういう人達が本気でそういった事務的な話をするワケもないし、出任せで言っているはずだが。ケロ君は早くも何かを察知したのか、男達に向かって唸り声を上げている。わざわざ蚊屋野のために人間の言葉で説明したりはしなかったが、ケロ君が目の前の男達を危険だと思っている事は解る。
「今すぐ道を空けなさい。さもないと東京にあなた達の事を報告しますよ」
花屋が厳しい口調で言う。というか、東京ってそんなに偉いのか?とも思った蚊屋野だが、それはどうでも良い。花屋が言ってもあまり効果はなかったようだ。それどころか東京と聞いて彼らの目つきが少し変わったような気もする。
「じゃあこうしてやる!」
堂中の前に立っていた男がいきなり堂中の胸ぐらを掴んで自分の方へ引き寄せた。そして不意を突かれて前のめりになった堂中の腹に膝蹴りを入れた。堂中が蹴られた勢いのまま後ろ向きに倒れると、背負っていた荷物の中身が道に散らばった。
「おい、なにするんだ!」
と言った瞬間、蚊屋野は後悔していた。
 時々こういうことが起きる。反射的に頭に血が上って、後先考えずに行動してしまう。堂中の前にいた一番血の気の多そうな男が今度はこちらに向かってこようとしている。
 しかも、その男だけではない。道に立ちはだかっていた男達全員が今では蚊屋野の事をターゲットにしているような感じで彼を睨み付けている。
 これはマズい事になっているのではないか?と頭の中で自問した蚊屋野だったが、その答えは「イエース!」以外になさそうだ。