Technólogia Vol. 1 - Pt. 33

Technologia

38. 通行止め

 謝るのか、あるいは逃げるのか。蚊屋野は考えていたが目の前に並んだ悪そうな男達にその手は通用しそうになかった。それよりも、そんな事をすると花屋と堂中からすっかり信用をなくすはずだし、するワケにはいかない。だからといって蚊屋野はどうして良いのか解らない。自分達の都合次第では人も殺しそうな人相の男達だ。どうするのか考えても何も思い付かないし、その中の一人はもうすでに蚊屋野の目の前まで迫ってきていた。
 さっき堂中を蹴飛ばしたその男は、蚊屋野を睨み付けながら、食いしばった歯が見えるように口をねじ曲げるような感じで開いている。自分が凶暴でどう猛な野獣のような男なのだというアピールだろうか。この男が自分に手の届く場所に来る前に、遠い昔に母に甘えていたような頃の記憶を思い出して急に優しくなったりしないものかと思ったりもしたが、そんな事があるワケはない。
「ぼ、ぼ…ぼ…」
蚊屋野は口を開こうとしたが上手く言葉が出てこない。しかも言おうとしていたのは「暴力はいかんよ」とかいう情けない感じの台詞だったのだが。そんなことをしていると、男はさっき堂中にしたように蚊屋野の胸ぐらを掴んだ。そしてそのまま自分の方に蚊屋野の体を引き寄せようとしたのだが、今度はなぜか上手くいかない。
 蚊屋野も、もうダメだと思いながら抵抗して全身に力を入れていたのだが、これは何だか様子がおかしいと思った。目の前の男が自分の方に蚊屋野を引き寄せようとしているのだが、服が引っ張られるだけで、蚊屋野はびくともしない。
 男は少しうろたえたような表情を見せたが、そこで引き下がるわけにはいかないと、蚊屋野を殴ろうとした。蚊屋野がマズいと思って顔を背けると、男の拳は蚊屋野の顔の横を通過していった。思いどおりにならないのでムキになった男は今度は反対の手で蚊屋野のみぞおちをめがけて拳を繰り出す。
 蚊屋野に体がくっつくぐらい近づいていたので、今度はよけることは出来ないはずだ。蚊屋野も今度こそマズいと思って、腹筋に力を入れて痛くても耐えられるように準備をしていた。
 男の拳は蚊屋野の腹部に当たったのだが、なんだか痛くない。ということは、どういうことなのか。蚊屋野が少し考えると、思わずニヤニヤしてしまいそうになった。
 この目の前にいる男達も、灰の影響で非力になっているに違いない。灰の影響を受けていない蚊屋野が他の人達よりも体力があるというのは知っていたが、これほどまでに差があるとは思っていなかった。これなら大丈夫だ。
 蚊屋野の前にいた男はばつが悪かったのか、なんとか蚊屋野を痛めつけようとさらにパンチを繰り出していたのだが、どれも効果はなかった。そうしているうちに蚊屋野がユックリと前に歩き出した。すると男はさすがに恐れをなしたようで、蚊屋野から離れようと後ずさっていく。
 蚊屋野がさらにユックリと進んで行く。すると他の男達も蚊屋野の迫力に圧倒されるようにさがっていった。これはまさしくスーパーヒーローだ。もしかするとこれは世界を自分のものにできるほどの力を手に入れた、ということなのか?いや、大丈夫。心配しなくても自分はこういう偉大な力を欲望を満たすために使う事はない。余計な事を考えながら蚊屋野はさらに進んで行く。
 さっきまで道を塞いでいた男達は、一番後ろにいた体格のいい男の後ろに隠れるようにしてさがっていった。一番後ろのその男が一番強いということのようで、他の男達よりも二回りほど大きく見える。しかし、さっき殴られた時のことを考えると、あの力が二回り強くなったところで大したことはない。蚊屋野は得意になってその大男の前に立つ。
 花屋はお腹を押さえて倒れている堂中の脇で様子を見ていたのだが、なんとなくイヤな予感がしなくもなかった。
「蚊屋野さん、気をつけて」
ケロ君も同じようなことを思っていたようで、ワンと吠えて蚊屋野に注意を促した。
 蚊屋野は振り返って余裕の表情を見せてそれに答えた。何も心配はいらない、ということだろう。そして、またユックリと向き直った時、蚊屋野の目の前に何か大きなものが勢いよく迫ってきた。それが何か?と考える間もなく、それが蚊屋野の顔面を直撃した。
 蚊屋野の目の前にいた大男は、蚊屋野の強さを認めて渾身の力を込めて蚊屋野を殴ったのだった。何が起こったのか解らないまま、辺りが真っ暗になったと感じた蚊屋野だったが、次に目を開けた時に目の前にはどんよりとした空が広がっていた。どうやら自分は仰向けに倒れているようだが、起き上がる気にならない。ノックアウトされて完全に戦意喪失という感じの蚊屋野だった。
 戦意と言っても、これまで戦っていたワケでもなく、ただユックリ歩いていただけだが。
「(ああ…。だから気をつけろ、って言ったんだ)」
ケロ君が落胆した様子で言うのが聞こえて来た。
 花屋は残っているのが自分だけだと気付いた。しかし、ここで怖じ気づくような事はない。こうなった時にどうすべきか、先程から考えていたのだった。なるべくそうしたくはなかったのだが、この状況では仕方がない。
 花屋は堂中が倒れた時に飛び出した彼の荷物の中から布の袋を見付けて中身を取り出した。中には前の日に泊まった休憩所で見付けた古いスマートフォンがいくつか入っている。その中から一番重たいと言っていたD-HDというのを見付けると、それだけを袋の中にもどして、それから巾着になっている袋の口のところのヒモを引っ張って閉じると、そのヒモを自分の手のひらに巻き付けた。これでヒモが切れない限り、手から袋がすり抜けることはない。
 花屋はそれを頭の上でグルグル回しながら勢いよく大男の方へ走っていく。そして回していた重り入りの袋をそのまま大男のこめかみ目がけてぶつけようとする。大男は慌ててそれを手でよけると袋が跳ね返った。その勢いを利用して反対側に袋を回して、今度は反対側から脇腹を狙った。大男はこれには反応できずに袋の中の重たいD-HDが脇腹にめり込む。
 大男は痛みに耐えかねて体をよじらせたが、その隙に今度は反対側の脇腹を花屋が攻撃した。これがかなり効いたようで、大男は両脇腹を抱えて動かなくなった。
 花屋は一度袋を振り回すのをやめて、ヒモを持っているのと反対の手で袋の方を掴んで大男を睨み付けている。大男がまだ抵抗するようなら、また袋を振り回し始めそうな様子である。大男は「うぅ…」と唸っていたがどうやら観念したようだ。
「ここはひとまず引き上げるぞ」
男達は走って山の上の方へと向かって行った。
 男達の後ろ姿を見送ると、花屋はまず近くにいた蚊屋野の方へ駆け寄って彼を起こした。起き上がった蚊屋野はまだ足下がおぼつかない様子だ。
「なんなんだ、あれは?なんであんな強いんだ?」
フラフラしながら大ざっぱな質問をする蚊屋野。
「ここにいる人みんなが弱っているワケじゃないんですよ」
それを聞いて蚊屋野はさっきまでの自信が一気に小さくなって消えてゆくのを感じていた。別にこれまでも強い人間だったワケではないので、自信がなくなっても結局は何も起きていないのと同じ事だが。
 それよりも、堂中がまだ起き上がれないのが心配だ。二人は堂中のそばに寄って様子を窺った。
「ダイジョブっすよ。でもモロに急所に入って…」
「ユックリ体を伸ばして、深呼吸してください」
花屋がそう言いながら横向きにうずくまっていた堂中を仰向けにさせた。内臓が鉄になったように重たく感じられる。そしてその重さのせいで体中が圧迫されているような痛みがジワジワと強くなってくる。痛みをこらえながら堂中の額にはアブラ汗がにじんでいたが、痛みの頂点を越えると次第に落ち着いてきた。
「だいぶ楽になったっす。しかし、カヤっぺ。良くあんなヤツら追い払えたな」
「マモル君が武器を拾っておいてくれたおかげでね」
「ああ、それか。それはバラさないで取っておいた方が良いっすね」
「でも、本当はあの人、私が女だから反撃しなかったのかも知れないけど」
「それはどうかな。あれはかなり痛そうだったし」
そう言って堂中は笑顔を見せてから起き上がった。しかし、今の二人のやりとりはなんとなくイヤな感じだ。これまでここは平和な世界だと思っていたのだが、今は武器がないと安心できないような場所にいるような気になるのである。それに、誰が強くて、誰がそうでもないか、とかは見た目だけでは解らないようだし。
「ヤツらが戻ってこないうちに行った方がイイっすね」
本当はもう少し休みたい堂中だったが、彼もなんとなく危険を感じているようだ。花屋も、もう少し休むべきだと思いながらも反対はしなかった。
 悪そうな男達を撃退したものの蚊屋野達の気分は晴れない。ついでに歩く道もこれまで以上に荒れていて足取りはさらに重たくなっていく。蚊屋野は、この世界での移動はこんなものに違いないとこの状況を受け入れていたのだが、実際のところはそうでもなかった。花屋も堂中もこういう事態になるとは少しも思っていなかったのである。もしも海沿いの道を進むことが出来ていたら、灰を避けながらユックリ進んでも三日ほどで東京に着いていたはずなのだ。
 もしも今頃小田原の封鎖が解かれていたりすると、この内陸の道を選んだ事を後悔することになるのだが、そこは心配しなくても大丈夫。小田原はまだ閉鎖中だし、その他にも色々と問題が発生しているというウワサもあったりするのだが。それはそのうち明らかになるだろう。今はイヤな感じがしてもとにかく前に進まないといけない。
「さっきのあの人達って何だったんだろう?なんか山賊って感じだったけど」
まるで20年前には山賊がいたかのように蚊屋野が言う。
「山賊なんて今はいないっすよ。でもああいうのがいるって事は、どこか普通じゃないっすよ」
この世界でも「普通」の定義は難しいのだが、ただ人々は灰のせいで弱っていることもあって、穏やかな性格であることが多かった。あの男達も一人を除いて灰で弱っていたようだが、彼らにはどこか怒りのようなものを感じる。抑圧された若者のやり場のない怒りとか、そんなものかも知れないが、この世界では何が若者を抑圧するのか。蚊屋野がこの世界で生活した数日の経験からすると、怒りの原因になりそうな事は美味しい食べ物が少ないことと、コーヒーが不味いことぐらいだ。だがコーヒーに関してはどこで飲んでも不味そうなので、これは慣れている人間にはストレスにはならないだろう。始めから無いものは無くても気にならないし、無いからといってそこに怒りを覚えるようなこともない。
 つまり、彼らは美味しいものが食べたいから怒っているのか?と蚊屋野は思ったが、蚊屋野のこれまでの経験からするとそれは蚊屋野の中だけでは正しい答えかも知れない。もちろん彼らはもっと別の事で怒っているのは明らかであるが。
 さらに歩いて行くと、イヤな感じはさらに増していった。道が管理されていなくて歩きづらいことはこれまでもあったのだが、ワザと荒らされたように、斜面を通る道が崩されてちょっとした崖のようなところもある。そういう場所では、片側の斜面に手をついてへばりつくようにして通らないといけなかったりもする。
「これもあの人達がやったのかな?」
道が崩されたのが最近のことだと思った花屋が言った。
「あの人達、私が東京の事を言ったら目の色が変わったみたいだったけど」
「だからこうやって東京に行かせないようにしてるんすかね?」
とは言っても、頑張れば通れない事もない感じだが。しかし、このままにしておくと、この辺りの道は全て崩されて通れなくなる日も遠くない気はする。それよりも、この世界における東京の事を良く知らない蚊屋野は少し心配になってくる。
「東京って、そんなに特別なところなの?」
20年前の世界でも東京は少し特別という感じはあった。憧れとか夢を抱いて東京にやって来る人達も沢山いたし、人も物も大量にあって時にはその多さが気味悪いと思えることもあったのだが。しかし、さっきの彼らみたいな団体に憎まれているとか、そういうのは聞いたことがない。
「東京は今でも大きな街っすけどね。ボクは蚊屋野さんの知ってる東京も今の東京も見た事があるっすけど、基本的には同じっすよ」
「じゃあ、なんで行かせたがらないんだろう?」
花屋は東京で生まれて以前は東京に住んでいたのだが、自分達が静岡のあの居住地にいる間に何かが起きたのではないか?と少し心配になってきた。そういうことはなるべく他の二人には悟られないようにしたかったのだが、今の一言にはそれなりの不安が感じられた。
 蚊屋野はもしかしてケロ君が動物の情報網を使って何かを知っているのではないか?と思ったのでケロ君の方を見たのだが、ケロ君は怪訝そうに「(なんだ?)」と言っただけだった。何事もそう上手くいくワケではない。
「まあ、出来る事なら暴力はあまり…」
と、蚊屋野が言いかけたところで、他の二人の様子がおかしいことに気付いて言葉を詰まらせた。
「(まあ、そう出来るなら、そうしてもらいたいところだがな)」
ケロ君も緊張している。そして蚊屋野にもこの先で何が起きているのかが解った。
「そうですね。なるべくなら話し合いで解決しましょう」
花屋が言うと彼らはそのまま歩いていった。その先には先程彼らを追い返そうとした悪そうな男達がいたのだ。どこで彼らを追い抜いたのか知らないが、先回りして待っていたに違いない。
 今回は先程と違って一番大きな男が一番先頭に立っている。ということは本気を出して復讐しに来たということだろうか。向こうがその気ならこちらが話し合いで解決しようとしても無駄な気もする。蚊屋野はまた「いざという時には武器にもなるあのスマートフォン」を取り出した方が良いんじゃないか、と思っていたのだが、花屋はそうしなかった。それよりも、こういうところでは体力のある自分が頼りにされるべき場面なのだが、どうして自分は花屋を頼りにしているのか?ということに気付いて蚊屋野は少し情けなくもあったが。いずれにしても、暴力は避けようと言おうとしていたのだし、花屋が武器を出さないのは良い事に違いない。
 彼らは男達の前で立ち止まった。
「私達はどうしても東京に行かなければならないのです。あなた達がどうして私達を邪魔するのか、その理由を聞かせてくれませんか」
花屋が言った。さっきのこともあるし、先にこう言っておけば血の気の多い誰かが手を出してくることもないだろう。しかし、聞きたい返事は返ってこなかった。男達は返事の代わりに一斉に頭を下げた。
「さっきは大変申し訳ないことをした」
頭を下げたまま先頭にいた大男が言った。
「オレ達はこの道を守ろうとしただけなんだ。あんた達が予言された旅人だと知っていればあんなことはなかったんだ。頼むから彼に会ってくれ」
なんかまた怪しい単語が出てきているが、花屋は顔色を変えずに聞いていた。
「彼って誰ですか?」
「予言者様だ。このとおり、謝るから。頼む」
やっぱり怪しい事になってきたのだが、蚊屋野は彼らが土下座をしていないだけマシだと思った。どうして土下座がダメなのかというのは、あとで説明されるかも知れないが、それよりも蚊屋野はまたしても「予言者」という言葉を聞いて嫌な気分が最高潮に達してきた感じがした。なんとなく堂中の方を見ると彼と目が合った。彼もなんとも言えない感じの変な顔をして大男の言っていることを聞いていた。
「(なあ、なんだか面倒な事になっていないか?)」
ケロ君の言うとおり、面倒な事になってきていると思われる。