Technólogia Vol. 1 - Pt. 42

Technologia

47. 底辺

 夜の塔は不穏な静寂に包まれていた。何か良からぬ事が起こるのは解っているのに、誰もが何も出来ずに黙ってその不安をやり過ごそうとしているかのようだ。そんな中で何かをしようとしても、大抵の場合は上手くいかない。この静けさから感じられる威圧感のようなものがそれを邪魔するのか。あるいはただ思慮深さに欠けていただけか。この夜の静寂はバリバリっという板が割れる音によって破られた。
 塔の外でしたその大きな音に、中にいた住民達は誰もがハッとして全身の感覚を緊張させた。塔の外からは蚊屋野らしき男が悲鳴のように「イテッ…」と言うのが聞こえてきて、その後に尾山らしき男が「バカ、何やってんだ」と言うのが聞こえてきた。さらにその後に「誰だ、そこにいるのは?」という衛兵の声も聞こえてた。そして、また辺りは静かになったが、住民達の不安はさらに大きくなった。いったい塔の外では何が起きていたのだろうか。

 牢屋のある小屋を出た蚊屋野達は、塔の周辺を警備している衛兵達に見つからないように塔の裏までやって来た。今朝まで衛兵の隊長だった尾山がいるので、彼らが夜にどの場所を警備しているのかというのは大体解っていた。そして、その警備の場所を聞いた霧山は少し呆れたような表情をしたが、それはそれで幸いということで彼らの盲点になる場所を見付けて、塔の裏までは簡単に辿り着くことができたのだ。衛兵といっても全員が素人なので色々と抜けているところを探すのは簡単だったようだ。
 塔に忍び込むのには二階にある尾山の部屋の窓からが一番良いということになった。それほど高いワケでもないし、部屋の中には誰もいないはずなのだし。塔の裏までやって来た蚊屋野達はそこで一度止まって考えた。尾山の部屋はすぐ上にあるのだが、誰が壁を登っていくべきか。尾山は体格も良いし、見ただけで三人の中では一番体重が重いのが解る。そうなると蚊屋野と霧山のどちらかが登る事になりそうなのだが。霧山は一見すると痩せているのだが、背が高い分だけ蚊屋野よりも体重が重いことが解った。消去法によって蚊屋野が壁を登る事になったのだが、それは果たして正しかったのか。
 消去法というのは、他に良いのがないから仕方なくそうする、という印象もあるのだが。とにかく決まったものは仕方がないので、蚊屋野が登る事にした。蚊屋野にしても二階まで登って窓から中に入ることぐらい簡単にできると思っていたようだ。なにしろ壁に打ち付けてある板は形がバラバラなのでそれぞれの板の間には隙間が沢山ある。そこに足をかけて登ればハシゴを登るのと大差はないと思っていたようだ。
 しかし前に花屋が外の壁をよじ登って最上階に忍び込んだ時の事を覚えているのなら想像できると思うが、蚊屋野のその考えは間違いであった。釘で打ち付けてあるだけの板をよじ登ろうとした蚊屋野だが、板を二枚分ほど登ったところで釘が彼の重さを支えきれなくなり、蚊屋野は板と共に派手な音を立てて落ちてきた。
 蚊屋野は一瞬何が起きたのか解らなかったが、地面の上に倒れている事に気づいてなんとなく「イテッ…」と声を上げてしまった。実際には大して痛くもなかったのだが、状況を考えると痛いと思うのが普通なので、無意識に言ってしまったのだろう。尾山も驚いて蚊屋野のところに駆け寄って来たのだが、蚊屋野の事を心配しつつも作戦が大失敗でもあるので「バカ、何やってんだ」と口走ってしまった。
 そこへ警備の衛兵達の足音と声が聞こえてくる。蚊屋野と尾山はマズいと思って反射的に足音とは反対側へと逃げ出した。
 こういう時には真っ直ぐ走ると表の方から迫ってきている衛兵に見つかってしまう。本当にそうか解らないが、なんとなく物陰を利用した方が良さそうに思えるので、塔の壁沿いを走っていた蚊屋野達は壁の端まで来ると曲がって塔の向こう側へ回り込んだ。
 だが、曲がった瞬間にまたマズいと思ってしまった。そこには人影があって、蚊屋野達を見ると驚いて一瞬全身を引きつらせてから蚊屋野達の方を凝視していた。蚊屋野達も一度立ち止まってそこに誰がいるのかを確かめようとした。だがその顔をハッキリ見る前に、そこにいた人物は走り去ってしまった。
 蚊屋野達は「なんだろう?」と思いながらさら、さっき人がいた辺りまで進んだ。そこで尾山が何かを発見したようだった。
「おい、ここ。入れるぞ」
尾山が目を向けている先を見ると、塔の壁の一番下にある板が剥がれて穴が開いているのが解った。尾山はすでにそこに入り込もうとしている。それは良い考えなのか、そうでもないのか蚊屋野には判断できなかったが、このまま走り続けるワケにもいかないので、彼も尾山に続いてその穴に入る事にした。入る時に一度来た方向を見てみたが、まだ衛兵達の姿はなかった。恐らく大丈夫だろう。
 穴の中は塔の部屋の床下のようだった。縁の下というやつだが、即席のこの建物でもちゃんと快適に生活できるようにこういうスペースは作ってあるようだ。穴の中を四つん這いで進んでいくと、手や膝から塔の土台になっているコンクリートの湿り気のある冷たさが伝わってくる。
 蚊屋野と尾山が縁の下を進んで外から見られない場所まで来たが、ここでやっとあることに気がついた。
「あれ?!霧山さんは?」
蚊屋野が一度振り返ってから聞いた。そこに霧山の姿はなかった。
「あっ、ホントだ。先生どこに行ったんだ?まさか捕まったのか?」
霧山がどこに行ったのかは解らないが、彼はそう簡単に捕まるようなことはないような気がしていた。霧山の行方は気になるが、出て行って探すのは衛兵に見付けられに行くようなものなので蚊屋野と尾山はしばらくここに潜んでいることにした。
 この縁の下では立ち上がることは出来ないが、いつまでも四つん這いでいるのは疲れるので、尾山は体を上に向けた。それから上にある床を支えている柱を背もたれの代わりにしてそこに落ち着いた。蚊屋野もそれを見て、その方が楽だと気付いたので真似をして柱に寄りかかろうとした。だが、何かが背中に当たって上手く柱に寄りかかれない。
「これ何だ?」
蚊屋野は暗い中で手探りで柱のところを調べてみた。すると四角い箱のような物が柱に取り付けられているのがわかった。触った感じだと金属製のようだが、木の柱に付いているということは、塔の土台となった鉄塔にもとからあったものではないはずだ。
 蚊屋野は「なんだろう?」と思っていたのだが、この場所と今の状況から恐ろしい想像をしてしまった。
「おい、なんだ?何があったんだ?」
蚊屋野の様子が気になった尾山が聞いた。だが蚊屋野は嫌な物を見つけてしまった気がして、思った事を口に出来なかった。彼の目の前にあるものが何なのか、蚊屋野はまず自分でそれを知りたかったのだ。
「ねえ、さっきボクらのことを見て逃げていった人がいたけど。アレが誰だか解った?」
「さあ、どうかな。オレ達を見て逃げたんだから衛兵じゃないよな。それに普通の住民でもないはずだが。…だが、オレを見て逃げるヤツには心当たりがあるな」
「それって、どんな人?衛兵達に協力しそうな人?」
「そうは思えない。まだ子供だしな。まあ子供っていても14歳だから大きい方だが。河野っていうんだが、あいつは妙におとなしくて、荒っぽいことも嫌いらしいからな。オレ達を見たらいつもコソコソ逃げ出してたぜ」
それを聞いて蚊屋野は自分の考えすぎなのかとも思った。しかし、まだ確実なことは解らない。それが解るまで柱に取り付けられている箱の中は確認したくなかった。
「でも、そういう子って、ストレスとか怒りを内に溜め込んだりすることがあるでしょ。そういう物が直接的な暴力ではないにしろ、他の形で爆発するとかさ。14歳とか、そんな事をしがちな年頃だし」
「何が言いたいんだ?」
「その子、部屋でコッソリ爆弾を作ったりする人じゃない?」
尾山には蚊屋野が冗談を言っているのか本気なのか良く解らなかった。この状況で冗談を言うからには何か特別な意図があるはずだが、そんなようにも思えない。
「爆弾を作る材料なんてここに残ってるワケないだろう。まあ、でもあいつ変なヤツだからな。ここじゃ持ってても意味がないのにモバイルなんて持ち歩いてたな」
この世界でモバイルといえば、20年前まで使われていたスマートフォンのことである。それを聞いて蚊屋野の頭の中から最初の心配事が薄れていった。そして、新たに色々な事がグルグルと回り始めて薄暗い気分になりそうだった。
「と言うことは、これは時限爆弾じゃないのか」
蚊屋野は柱の方を向いて再び箱を確認した。これが河野の仕掛けた爆弾だとすると確かに不自然だ。良く調べると箱から上下にコードが伸びていてどこかに繋がっているようだった。蚊屋野の知る限り、時限爆弾にはこんな感じのコードは付いていない。時限爆弾というのは箱の中に色違いのコードが何本かあるのが普通なのだ。(間違った色のコードを切ると爆発するアレである。)それに、箱の上にはホコリが積もっていて、ここに取り付けられたのはずっと前のことのようだ。では時限爆弾ではないとしたら何なのだろうか?
「さっきから何やってるんだ?」
「解んないけど、今それが解るはず」
蚊屋野は箱に集中していたので、適当すぎる返事をした。蚊屋野が箱を手探りで調べてみると側面に二カ所のちょっとした出っ張りがあった。そういう場所に付いているのは大抵の場合、蝶つがいに違いない。蚊屋野は箱というもののイメージから勝手にそう思っていただけだが、時にはそういう事が間違いでないこともある。出っ張りと反対側の端に指先を引っかけて手前に引くと箱が開いたのだ。
 箱の中には何かの機械が入っていた。小さなLEDライトが点灯していて、さらに他にもいくつかのLEDライトが点滅したりしている。そのライトの明かりの中に蚊屋野の顔がうっすら浮かび上がり、そして縁の下も少しだけ明るくなった。この塔に来てからほとんど見る事のなかった20年前の技術を感じさせるもの。
「おい、何なんだそれは?」
尾山が少し興奮気味に言った。だが、何も言わない蚊屋野の方がもっと興奮していた。
 蚊屋野はこのどこかで見た事のある機械をジッと見つめていた。目が慣れてくるとLEDの明かりによってその機械に書かれている文字なども読めるようになってくる。そして、それがやはり蚊屋野が見た事のある機械であることに間違いなかったと気付いた。この塔の見えない闇の部分。それを今目の当たりにしているような気がしていた。
「これはスイッチングハブというやつだよ」
蚊屋野は震えそうな声で言ったが、尾山はその名前を聞いてもピンと来ないのでイマイチ盛り上がれなかった。
「…で、それは何なんだ?」
何だ、と言われても蚊屋野にも上手く説明出来る自信はなかった。
 20年前の世界で蚊屋野はパソコンでインターネットをするのに、パソコンとモデムをケーブルで繋いでいた。だがあとからゲーム機を買ったらゲーム機もインターネットに繋がなければならなくなったのだが、モデムにはケーブルを繋ぐ穴がもうない。困ったので電気屋さんに行って聞いてみるとスイッチングハブを使えば良い、ということだったのだ。
 つまり、これは沢山の機械でインターネットをする時に使うもの。それがスイッチングハブだ。それぐらいの知識しか蚊屋野にはないのだが、どうすれば上手く説明出来るだろうか。
「これは…。このケーブルが三つ繋がってるんだけど。一つは通信して、もう一つはパソコンで、あと一つは…なんだろうな」
やっぱり上手く説明出来なかった。だが、この場所にこういう機械があるのが不自然だということには尾山も理解出来るはずだった。
「とにかく、この塔では通信は出来ないはずなのに、通信のための機械があるってのがおかしいでしょ」
最初から「通信のための機械」といえば良かったのかも知れないが、蚊屋野が言うと尾山は何かを理解したようで深刻な顔をして頷いた。
「だけど、誰がこんなものを使うんだ?もしかして、河野のやつはこっそりモバイルを使ってるのか?」
「それは考えられるけど」
蚊屋野はそう言ったものの、14歳の少年に予言者様やこの塔の住民達を裏で操るような事が出来るとは思っていなかった。これを使って何かに利用している他の誰かがいるに違いない。
「この塔を作ったのって、どういう人?」
「それは予言者様に決まってる」
「じゃなくて。設計したり、実際に木を組んだりとか、そういう事をした人のことだけど」
「ああ、それか。そういう事になると誰とは言いづらいな。設計したのはそれなりに建築の知識があるヤツだったが。力仕事はオレも手伝ったし。霧山先生だって色々と意見を言ってたしな」
ここで霧山の名前が出てくると蚊屋野はなんとなく落ち着かない気分になった。
「じゃあ、その中でこの装置をここにコッソリ設置できるような人はいた?」
「さあな。誰だってやろうとすれば出来たと思うぜ。なにしろ大急ぎで作ったからな。みんな自分の仕事で精一杯だったから、誰かがコッソリ何かをしてても気付かなかっただろうな」
 この塔の見えない闇の部分へ繋がる証拠が目の前にあるのに、何も解らない。ここでは予言者様の存在が大きすぎて、その裏で何かをしていても気付かれづらいのかも知れない。しかし、こういうものが見つかることによって尾山のような人間は見えない何かに気付いて不信感を抱き始めたりもする。
「なあ、オマエ何が言いたいんだ?いったいこれは誰が何のために設置したんだよ」
尾山が蚊屋野にこういう事を聞くのも変なのだが、最初から予言なんてものは信じていなかった蚊屋野の方が多くを理解しているような感じもあるのは確かである。
「それはきっとこういう事だよ。誰かが予言者様を裏で思いどおりに操っている。どういう方法なのか解らないけど、ここにある機械もそのために利用されているはずだよ。予言って言ったってほとんどは通信を使って調べた事を元にして予測した事だと思うし」
それが本当かどうか蚊屋野には解らなかったが、昨日の夜に堂中が言っていた事の受け売りである。
「確かに怪しいところもあるんだが。だが爺ちゃんの予言は時々本当に当たってたんだ。この塔に来る前からな。それに、世界がこうなることだって夢で何度も見て恐がってたって話だぜ」
それは否定も出来るし肯定も出来るどうでも良い感じの話なのだが。そういった超能力のようなものは、本当かどうか証明できないのが厄介なところである。
「だけど、塔が乗っ取られようとしてるのに、それは全然予言してなかったみたいだし。思うんだけど、今は予言なんてものは無いものとして考えた方が良いんじゃない?」
蚊屋野に言われると尾山はウーン…と唸って少し黙っていた。この塔に来る前後から予言者様はおかしな事を言うようになったと尾山がずっと思っていたのも確かだった。予言者様が誰かに騙されて、その誰かの都合の良い事を言わされている、ということならそんな気もする。それでも尾山はなんとか反論できないものかと、また口を開こうとしたのだが、その時に彼らの頭上で声がした。二人とも夢中になって少し声が大きくなっていたのに気付いて口に手を当てて塞ぎたい気分だったが、今更そんな事をしても意味がない。
「誰かいるんですか?」
女性の声がした。恐らく上の部屋にいたその女性が彼らの声に気付いたのだろう。だが、床の下にいるとはまだ気付いていないようで、頭の上の部屋では扉を開けて廊下を確認するような音が聞こえていた。
 しかし、今の声はどこかで聞いたような気がする。蚊屋野は思っていたが、それは尾山にとってはさらに馴染みのある声だったようだ。
「おい。そこにいるのは平山さんか?」
尾山が頭の上に呼び掛けた。さっきの会話の声よりも小声になっていたが、ちゃんと声は届いていたようで、足音が彼らのいる方へと近づいて来た。そして、そこでランプのようなものに明かりが灯されて床板の隙間から光が差し込んできた。
「やっぱり、あなた達。そんなところで何をしているんですか?」
上の部屋にいたのは平山さんだったようだ。
「平山さん。大変な事になってるんです。早くみんなに知らせないと」
蚊屋野がそういうのを聞いて、尾山は蚊屋野の肩を掴んで彼を制止した。尾山からしてみたら、平山さんは小山の仲間かも知れなくて、信用して良いのかまだ解らないのだ。それにどうして蚊屋野が平山さんと普通に話しているのか?ということもあった。だが、蚊屋野はもうそこまで気を遣っている感じではなくなっている。
「平山さんは信用できるよ」
蚊屋野がキッパリと言うので、尾山はなんとなく頷いてしまった。なんだかどっちが塔の住民なのか解らなくなってくる。

 そのころ、塔の三階にいたのは河野君だった。蚊屋野達と会ったあとに塔の中に逃げ込んできたようだ。誰もいない静かな廊下を例のモバイルを手にソワソワしながら歩いている。この時間なら誰にも会わないと思っていた河野君だが、今夜はいつもと勝手が違う。下の階から誰かが静かに階段を登ってきたが、河野君はそれに気付かなかった。
 三階に上がってきたのは山川さんだった。山川さんに見つかると、河野君は塔の外で蚊屋野達に見つかった時と同様にビクッと体を引きつらせた。持っていたモバイルは隠したかったのだが、もう見られているのは解っているので、どうすることも出来ない。
「河野君。何してるの?」
山川さんは静かに言った。河野君は何かをいって誤魔化そうとしたかったが、言葉が上手く出てこない。
「ダメでしょ、こんな時間に。早く寝ないと」
山川さんも若いのだが、河野君よりは年上なので、こういう時にはお姉さん風な喋り方になる。そして、河野君はおとなしい少年なので、お姉さんの言うことには黙って従う。河野君は黙ったまま頷くと下へ降りる階段の方へと向かった。
「それから塔の中では手はちゃんと洗わないと、予言者様に失礼ですよ」
河野君の後ろから山川さんが言うと、河野君は一度振り返って軽く頭を下げた。そして暗がりでも解るぐらいに真っ黒に汚れた手をズボンで拭きながら階段を降りていった。
 山川さんは河野君の後ろ姿を見送ってからさらに階段を上がっていった。そしてやって来たのは花屋の部屋の前だった。山川さんはこれからその部屋の扉をノックするつもりなのだが、花屋は今塔の外の壁をよじ登ってあのタブレットを返却しに行く最中である。
 隣の部屋では寝そべっていたケロ君が廊下の様子に何かを感じてむっくりと起き上がった。
「(なんだか色々大変だよな)」
そんな感じである。

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