Technólogia Vol. 1 - Pt. 43

Technologia

48. 救出

 塔の夜は静かでないといけない。予言者様の塔は予言者様が予言をするための塔。かのもののお告げを夢の中で聴くために眠る場所なのだ。だから塔の夜は静かでないといけない。今のところ塔は静かであるが、ソワソワして、次第にザワザワしてくる。そんな雰囲気が漂ってきていた。
 堂中の部屋にいたケロ君は廊下の気配を察知すると起き上がって、扉の方へ歩いて行った。そして、扉に手をかけるように前足を上げて堂中の方を見る。堂中は自分のスマートフォンを使って何か熱心に作業をしていたのだが、すぐにケロ君に気付いた。もしかして蚊屋野が帰ってきたのかもしれない。そんな事を思いながら扉を開けた。
 部屋の前には誰もいなかった。堂中は扉から顔を出して隣の部屋の方も覗いてみた。するとそこには山川さんの姿があった。彼女は花屋がいるはずの部屋をノックしようとしていたのだが、それは少し都合が悪い。花屋はさっき持ち出してきた予言者様のスレートを返すためにまた最上階に忍び込んでいるのだ。
 せっかく手に入れたスレートだが、今はもう彼らが持っている必要はない。堂中が通信装置の設定を書き換えてあるので、彼らはすでにこの塔の通信を自由に使うことが出来る。さらに、通信に接続するためのパスワードを変更してあるので、これまで通信を使っていた何者かはネットワークから締め出されているのである。
 それはつまり、予言者様のスレートに送られてくる予言のメッセージも彼らのスマートフォンなどから送ることが出来るようになっているという事なのだ。なので、予言者様にはこれまでどおりにスレートのお告げを読んでもらった方が都合が良い。逆の意味ではスレートが持ち出されたことは誰にも知られてはいけないのだ。
 堂中は山川さんの姿を見ると、マズいと思って咄嗟に声をかけた。
「どうかしましたか?」
山川さんに向かって堂中が言ったのだが、自分でも変な事を言っていると思っていた。自分の部屋の前にいる人に対して言うのなら自然かも知れないが、隣の部屋をノックしようとしている人には不自然な言葉である。しかし山川さんも突然のことに驚いたのか、あるいは他に何かがあったのか、花屋の部屋の前を離れて堂中の方へ近寄ってきた。
「ごめんなさい。起こしてしまいましたか」
眠っている場合ではないのだが、そんな事は知られてはいけないので、堂中は頷くような首を振るような曖昧な感じで首をかしげて「いや、大丈夫っす」と返事をした。
 堂中は山川さんを見るのは初めてだったが、どうも顔色がすぐれないような気がした。純粋に予言者様のことを信じている山川さんなので、今塔で起きている事を考えると心配で仕方がないのだろう。
「なんだか、あなた達に危険が迫っているような気がしたのです。みなさん大丈夫でしょうか?中野さんはもう寝てしまったのでしょうか?」
山川さんはどうしても隣の部屋をノックしに行きたいような様子だ。だがもう少し待ってくれないと困る。
「ボクは大丈夫ですが。蚊屋野君がまだ戻らないっすけど」
こう言ったら山川さんが蚊屋野を探しに外に行ってくれたりしないか、と思った堂中だったが、山川さんはやはり花屋の部屋が気になるようだ。もしかして、彼女が部屋に居ないのをなんとなく知っていてそれを確認したいのではないか?とも思えてしまう。隠し事がある時というのは大抵そんなふうに勘ぐってしまうのだが、山川さんとしては同じ女性である花屋と話した方が気が安まるという理由で彼女に会いたいだけだった。
「カヤっぺは疲れてたみたいだし、起こさない方が良いんじゃないですかね」
堂中が言うと山川さんは頷いていたが、どうも納得がいかないという感じだった。このまま堂中が部屋に戻るとまた花屋の部屋に行くに違いない。だがこのまま山川さんを引き留めておく良い方法もない。堂中は山川さんがどんな人なのか知らないし、何かを話して時間を稼ごうにも何を言えば良いのか解らない。それに、今の堂中の頭の中にはこの塔の住人に知られてはいけないことばかりなので、迂闊に話をするのも危険な気もする。
 何も言うことはないが、部屋に戻って扉を閉めるワケにもいかない。堂中と山川さんの間に変な沈黙が流れ始めそうになって堂中はマズいと思っていた。その時、ケロ君が廊下に顔を出して小さく吠えた。山川さんは少し驚いた様子だったが、人を威嚇するようなけたたましい吠え方ではないので、すぐに堂中の方へ視線を戻した。
 ケロ君がちょっとだけ時間を稼いでくれたのだが、堂中は何も思い付かない。ここは怪しまれないためにも、運を天に任せて部屋に戻るしかないのだろうか。そう思った時に隣の部屋の扉が開いて花屋が顔を覗かせた。恐らくケロ君が吠えたのが聞こえたのだろう。山川さんがハッとして花屋の部屋の方へ振り返った。堂中はその後ろで気付かれないようにホッとしていた。
「山川さん。どうしたの?」
花屋に聞かれると山川さんはスタスタと花屋の方へ近づいて行く。
「なんだかみなさんのことが心配で…。でも何もないみたいで安心しました」
とはいっても蚊屋野は戻ってきていないのだが、山川さんにとっては花屋が大丈夫ならそれで良いようだ。
 とにかく、花屋は戻ってきた。ということはスレートも無事に元の場所に戻されたということだろう。ひとまず安心だが、これからも気を抜くことは出来そうにない。

 塔の下の方では蚊屋野と尾山が床下から平山さんの部屋に入ってきていた。外の壁よりはしっかり作られている床板を外すのは少し苦労したが、尾山と蚊屋野が協力して、なんとか大きな音を立てずに外すことが出来た。
 蚊屋野達は平山さんにこれまで起きたことを話した。平山さんも小山が反乱を起こすなんて事は思ってもいなかったようで、どう対処して良いのか解らない様子だった。だが、平山さん達の言う「黒幕」が存在することは確かなことになっている気がした。そして、この騒動を上手く利用すればその黒幕が誰なのかも突き止めることが出来るとも考えていたようだ。だが、このまま小山達のやりたいようにさせているのは危険でもある。
 彼らは武装しているし、やるとなったら本気で街を襲撃するだろう。小山は自信過剰で向こう見ずなところもあるし、何かにつけて慎重だった尾山とは昔からそりが合わなかった。今は小山が勝手に衛兵隊長になった気でいるし、全ては彼の思いどおりである。小山のことを知っていれば、それが危険な事は誰にでも解る。
「盛山さんが心配ですね。どこにいるのかしら」
平山さんは彼女の友達でもある盛山さんを心配しているようだった。
「そうだな。刑務所にいなかったとなると、ヤツらは他に隠れる場所を作って、そこに盛山さんを閉じ込めてるにちがいない」
尾山も盛山さんのことになると熱が入るようだ。ちなみに刑務所と尾山が言っているのは、さっきまで彼らが閉じ込められていたあの小屋のことである。
 蚊屋野は、人質というのは交渉の時に役立つから結構大切に扱われているんじゃないか?とか気楽なことを考えていた。ただ良く考えると小山は盛山さんが蚊屋野とコッソリ話していたのを見て、彼女のことを裏切り者だと言ったのだった。ということはどういうことか?というと盛山さんが捕まったのは蚊屋野のせいでもあるし、彼女に何かあったら蚊屋野の責任も問われるかも知れない。そうならなくても、もしも小山の思いどおりに彼がこの塔の支配権を得たとすると、蚊屋野も裏切り者の仲間として酷い扱いを受けるのではないだろうか、とか。良く考えると気楽な感じではいられなくなってくる。
「盛山さん、どこにいるんだろう?」
多少不純な理由ではあったが、蚊屋野も盛山さんの救出に乗り気になってきた。
「どうだろうな。塔の周りの住居っていっても、そんなに多くはないしな。それ以外でも、人が隠れられるような洞穴なんかはオレが全部知ってる。それにヤツらは夜には弱いんだ。盛山さんを助けるなら夜のうちだ」
衛兵達は毎日夜から朝まで塔の周辺の警備をすることになっているのだが、この塔が出来てから一度も外から攻撃されたり、怪しい人物が入ってきた事はなかった。夜になればなおさら何もないということで、夜の警備当番は深夜になるとほとんど居眠りしているのである。
 ということで、蚊屋野と尾山はまた外に出る事にした。平山さんも行くと言ったのだが、彼女まで捕まったりすると面倒なので、彼女には塔で何か起きないか見張ってもらう事にした。もし何かが起きたとしても彼女が蚊屋野達に連絡する手段はないのだが。

 平山さんの部屋の窓から外に出るところを見られたりするといけないので、蚊屋野達はまた床下にもぐって、入ってきた穴からでる事にした。
 床下に降りるとすぐに蚊屋野は壁の向こうに人の気配を感じた。この塔の外壁はどこもスカスカな感じに出来ているので、部屋のない床下からだと外の様子も良く解る。ここに入ってくる時に開いていた穴はかなり遠いので、人の気配がしたのは穴が開いているのとは違う側ということになりそうだ。
 蚊屋野はゆっくり壁に近づいて板の隙間から外を覗いてみた。少し離れたところに人が二人いるのが解った。一人は背が高くて、もう一人は小柄である。蚊屋野はどこかゾッとするような感覚を覚えながらその二人が誰なのか確かめようと目をこらしていた。最初に見た時からだいたい解っていたのだが、背の高い方は霧山に違いなかった。そして、もう一人は。蚊屋野はあの時一瞬見ただけだったが、なんとなく河野君のように思える。彼らは熱心に何かを話しているようだったが、蚊屋野のところまでは聞こえてこなかった。
 これは尾山にも知らせるべきだと蚊屋野は彼を呼ぼうと振り返ったのだが、尾山はすでに壁の穴の手前にいて蚊屋野に「早く来い」という感じで手招きしていた。どうやら尾山の頭の中は盛山さんのことでいっぱいのようだ。
 蚊屋野は尾山のところまで這ってくると、尾山はすぐに外に出ようとしたのだが、蚊屋野は慌てて彼を止めた。いつもは居眠りしている衛兵も今夜は興奮して寝ていないかも知れないし、さっき見た霧山と河野君の事も気になるので蚊屋野は壁の穴から頭を少しだけ出して辺りの様子を窺った。
「なんだ、急に。やけに慎重になったな」
尾山が蚊屋野の後ろから声をかけた。蚊屋野としては「盛山さんの事になるとやけに焦るな」と言いたいところなのだが、それよりも重要な事がある。
「誰かが通信を使って予言者様を裏で操ってるとして、その人はそういう機械に詳しい人だと思う?」
蚊屋野はいきなり何を言い出すのか?という感じの尾山だったが、蚊屋野としてみればさっき見た事の続きなので自然だと思っている。
「よく解んないけどな。でもあそこにあった機械を使えるような人なんだろ。オマエ達の言ってる黒幕ってのは」
「いや。必ずしも機械を使えないといけないワケじゃないと思うんだけど」
「そうなると、黒幕の候補は一気に増えるぜ。ここで機械に詳しい人なんかあんまり知らないからな」
「でも機械に詳しい誰かが黒幕に協力しているとしたら。あるいは無理矢理協力させられているのかも知れないけど。あの河野って少年は?」
「あいつか?!あいつは虫も殺せないようなヤツだぜ」
「でも、いつもスマホ…その、モバイルを持ってるんでしょ」
「それは確かに怪しいんだが。それはどうもヤツの家族と関係してるとかなんだよな。あいつの父親はどっかで技師みたいな事をしてたらしいんだが、行方が解らなくなってオレ達の街に来たんだ。ヤツの叔父が街にいたからな。あいつがいつもモバイルを持っているのは、いつも父親の存在を近くに感じていたからだってことだぜ。技師ってのはモバイル使うだろ?そんな感じの可哀想なヤツなんだけどな。その叔父さんが東京に従うのに反対だったんで、河野君も嫌々ながらこの塔に来たってことだ」
「じゃあ、その叔父さんっていうのも機械に詳しいんじゃないの?」
「さっきも言ったとおり、ここには機械に詳しい人はほとんどいないんだ。街にいた頃は平山さんと盛山さんなんかは熱心に勉強してたみたいだけどな。だけどあの二人は黒幕を見付けようっていう人達なんだろ。だからやっぱり機械を使える人間はほとんどいないんだよ」
ということは、縁の下にあるあの機械をいじれるのは誰なのか。河野君の父の仕事が技師と言っていたが、それは通信のための機械を扱ったりする仕事なのだろうか。だとすると河野君も少しは知識があってもよさそうだ。
 そして、さっきその河野君となにやら熱心に話し込んでいたのは霧山だった。蚊屋野達が塔の裏で河野君に出くわす直前に姿を消した霧山。彼は今何をしているのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
深刻な顔で考え込んでいる蚊屋野の後ろから尾山が声をかけた。蚊屋野の霧山に対する考えを尾山に話そうか迷ったが、今は黙っている方が良いと蚊屋野は考えた。
「ああ。とにかく盛山さんを見付けるのが先だな。それから、こういう時には良く知っている人間でもあまり信用しすぎない方がイイと思うよ」
「そうなのか?まあ、気をつけるが…」
尾山は少し戸惑っているような感じだった。蚊屋野の20年前的な発想は受け入れ難かったのだろうか。もっとも蚊屋野の考えというより、それは20年前のサスペンスドラマの影響なのだが。
 だが尾山もすぐに人を簡単に信用してはいけないと思えるような光景を目にしてしまう。
 蚊屋野達は衛兵のいる場所を避けながら、さっきの刑務所と呼ばれる場所へ戻る事にした。牢屋に閉じ込めた二人の衛兵から盛山さんの居場所を聞き出すつもりだったのだ。一度塔のある場所から山の斜面を下って森の中を進んだ蚊屋野達だが、刑務所の小屋が目に入ってくる場所まで来た時、二人ともあることに気付いて慌てて木の陰に隠れた。月はすでに沈みかけていて辺りは暗かったが小屋の前に人がいるのは解った。
 その背の高さからしてそれが霧山だということは想像できる。彼が何をしているのか?と思いながら、二人は気付かれないように黙って小屋の方を見ていた。霧山は小屋の扉を開けて中に入ったが、数秒後には外に出てきた。そして、すぐにその場を立ち去ったのだった。
 霧山が何をしたのか確認しようと先に進もうとした二人だが、またすぐに隠れなければいけなくなった。霧山が出てきた扉から、捕まえていた二人の衛兵が出てきたのである。
「まさか、あの二人を逃がしたのか?」
尾山が押し殺した声で言った。蚊屋野はただ頷いていた。霧山が淡々と謎の行動を繰り返しているのを見ていると、彼がとてつもなく恐ろしい人間に思えてきて、気味が悪かったのである。
「なあ、どうしよう?」
蚊屋野が黙っていたので、尾山がしびれを切らせたように聞いてきた。どうしよう、といわれてもどうして良いものか。しかし、もうすでに霧山は闇の中に姿をくらましてしまったので、彼に関しては何も出来ることはなさそうだ。ということは、小屋を出た二人の衛兵を何とかするしかない。
「二人のあとをつけたら小山のところに行くんじゃない?」
今はそれぐらいしか出来ることはない。尾山も蚊屋野の意見に同意して彼らのあとをつける事にした。
 霧山がどうしてこんな事をしたのか、ということを気にしていた二人だったが、霧山が物陰から彼らの後ろ姿を見送っていたのには気付かなかった。
 二人の衛兵のあとを追いかけていくと、彼らは塔のある場所から道なき道といった斜面を下って行った。その先に建物はなかったが、さらに追いかけていくと二人の衛兵は岩の間に姿を消した。それを見た尾山は「なるほど」とつぶやいてから蚊屋野に向かって自分についてくるように、と合図をした。
 尾山は斜面の途中にある舞台のように一段高くなった岩の上に登った。その先は少し深くて細長い窪地になっている。その窪地の奥は洞穴のようになっていて、そこから明かりが漏れてきていた。
 その洞窟というのは良く見ると人口のものだった。窪んでいる両端に丸太を何本か渡して、その上に板を張ってちょっとした屋根が作られている。そこは塔を作る時に資材を置いたり、まだ住む場所のない住民が寝泊まりしていた事もあった場所である。塔からは死角になっているので夜に明かりが点いていても誰も気付かなかったようだ。
 尾山はしばらく様子を窺って、小山と他の衛兵達が中にいるのを確信してから、窪地に沿って斜面の上の方へと移動した。蚊屋野も静かに彼についていった。二人の歩いている少し下には屋根があって、所々から中の光が漏れてくる。そして一番奥に近づいて来た時に中から声が聞こえてきた。

 盛山さんは窪地の横穴の一番奥で手を縛られた状態で座っていた。あの刑務所と呼ばれていた小屋のように牢屋があったりはしないのだが、細長い横穴の出口に辿り着くにまでに衛兵達が何人もいるので、隙を突いて逃げ出すようなことは出来ない。盛山さんは塔の中で着ていたのと同じ薄手の着物を着ている。ほとんど外と変わらない寒さの横穴の中なので、盛山さんは唇を青くして震えていた。
 そこへ小山がやって来た。彼は震える盛山さんに毛布を掛けようとしたのだが、盛山さんは体を揺すってその毛布を払いのけた。それから小山のことを睨み付けた。
「なあ、ちょっとは素直になれよ。いつまでもそうやって震えてるのか?」
小山が言ったが、盛山さんは黙っている。
「オレが街を乗っ取って市長になったらオマエを嫁さんにしてやるって言ってんだぜ。市長夫人になったら市長が毎日オッパイ触ってやるからな」
盛山さんは涙をこらえながら小山を睨み付けていた。
 その屋根の上で話を聞いていた蚊屋野は何だか変な気分になっていた。途中までは酷い話に聞こえていたのだが、最後に言っていた「オッパイを触る」とはどういうことだろうか?
 蚊屋野はこの世界で子供が生まれなくなっているという話を聞いた時に、それが灰の影響によって体力が弱っていることが原因なのだと思っていた。しかし小山の言っていたことを聞いたら、そうではなくて人の性欲が小学生並みになってしまったのが原因なのではないか?とも思い始めていた。
 しかし、そんな事を考えるのはあとで良いのだ。それよりも先に気にしないといけない事がある。さっきの横穴の中の話はもちろん尾山も聞いている。そして、暗闇で確認できなかったが、それを聞いた尾山は怒りで顔を真っ赤にしてプルプルしていたに違いないのだ。
 盛山さんのことになると慎重さがなくなる尾山なので、いきなり飛び出したりすることも考えられる。蚊屋野はそうなる前に尾山をなだめようと彼の肩に手をかけた。蚊屋野はその手が振り払われたりするのかとも思っていたが、尾山の反応は彼の想像と違っていた。
 尾山はゆっくり蚊屋野の方に振り返ると、小声で話し始めた。
「予言者様を裏で操っているヤツがいるのは認めるし、予言者様の予言のほとんどがそいつに吹き込まれた事だってのも解る。だけど爺ちゃんの言うことが時には正しかったってことも解って欲しいんだ。オマエを衛兵の補佐としてオレと一緒にさせたのもその一つに違いないんだ。オマエが一緒にいたおかげで、オレはこの塔で起きている色んな間違いに気付くことが出来たんだ。オマエのこと、最初は変なヤツだと思ってたんだが、今は感謝してるんだ。ありがとうな」
尾山は何を言い出すのかと思ったら、蚊屋野に感謝しているということだ。それはそれで悪い気分ではない。蚊屋野はそんな事を言われると何か言い返さないといけないと思った。こういう時には「こっちこそ感謝してる」とか言うべきなのか。しかし、自分はいったい何に感謝しているのか?と考えると特にない。むしろここに足止めされて、さらに今のこの状況を考えると迷惑ばかりかけられている。こういう時は「そう言ってくれて嬉しい」とか、そんな感じだろうか。
 蚊屋野はまだなんと言うべきか考えをまとめていなかったのだが、変に間が空くのも良くないので尾山の方を向いて口を開こうとした。しかし、その前に尾山がまた話し始めてしまった。
「塔の方はお前に任せたぞ。オレの部屋の場所は覚えてるだろ。ベッドの下にずっと前に小山から没収した武器が隠してあるから、それを使うと良い」
蚊屋野は何のことか?と思っていたのだが、その時思いがけずに尾山に両肩を突き飛ばされた。
 蚊屋野は人一人が乗れるぐらいの小さな岩の上にしゃがんでいたので、突き飛ばされると簡単にバランスを失ってそのまま後ろに倒れた。岩のない場所は下り坂になっているので、蚊屋野は尻餅をついた勢いでそのまま後ろに一回転した。さっきまで目の前にいた尾山が一瞬にして離れたような感覚だったが、蚊屋野はワケが解らないまま岩の上にいる尾山を見つめていた。
「オレの事は大丈夫だ。あとでまた会おう」
そう言って尾山は横穴の屋根の上に飛び降りた。尾山の体はそのまま屋根を突き抜けていった。中では大きな音と共にいきなり現れた尾山の姿を見て衛兵達が慌てふためいている。
 尾山は目の前にいた小山を突き飛ばして盛山さんの方へ向かった。そして、盛山さんを抱きかかえると出口の方へ向かって走り出した。
 途中には衛兵が何人もいたのだが、みな突然のことに驚いて何も出来ないでいる。中には尾山を止めようとする者もいたのだが、彼らの力では走ってくる尾山を止めるのは困難だった。小山は横穴の奥で倒れたまま今にも出て行こうとする尾山を見ていた。
「バカ、誰か止めろ!」
この小山の声に横穴の出入り口にいた衛兵が反応して、苦し紛れに持っていた槍を突き出した。すでに尾山はその脇を通り過ぎようとしていたのだが、槍の先が尾山の背中に当たった。槍の先には血が付いていたのだが尾山はすでに走り去っていた。
 横穴の中の衛兵達同様に、外にいる蚊屋野も唖然としてその光景を見ていた。横穴を出た尾山は盛山さんを抱えたまま斜面を走って行き、瞬く間に森の闇の中に消えていった。あとを追う者が誰もいないのを蚊屋野が不思議に思っていると、中で小山の声がした。
「バカ、誰か追いかけろ!」
すると、横穴から数人の衛兵達がバラバラと出てきて森の方へ向かった。
 本当に大丈夫なのか?と蚊屋野は思っていた。思い切った行動に出た時に、上手くいく人とそうでない人がいる。これまでの尾山を見ていると「そうでない人」のようにも思えるし、蚊屋野は心配になって尾山のあとを追いかけたくなってしまう。でもそれをやったらせっかくの尾山の行為をふいにすることにもなりそうだ。気は進まなかったが、蚊屋野は塔に戻ることにした。

 その頃、塔の最上階の一つ下の階では山川さんが花屋と堂中を困らせていたところだった。だが山川さんは予言者様や花屋を始めとする旅人達の事が心配でやって来ているので、困らせているという気は全くない。予言者様が危険だとか、その予言者様に旅人達が心配だとか言われたので、なるべく彼らの近くにいたい山川さんなのだ。彼らの近くにいたところで何も出来ないのだが、何かをしていないと落ち着かない。それで花屋を捕まえて色々と話し込んでいたのだが、さらに堂中まで呼ばれて彼らは廊下でしばらく話すことになった。そのせいで花屋と堂中はこれからすべき事に全く手がつけられないでいた。
 しかし、山川さんも一晩中話しているワケにはいかない。疲れて口数が減ってくると、花屋がタイミング良く、自分達は大丈夫だから部屋に戻って寝るように、と言った。山川さんは少し不服そうではあったが、眠気には勝てずに自分の部屋に戻ることにした。
 彼らの様子を先程から監視していた人物がいた。彼は一度花屋達のいる階に上がってこようとしたのだが、話し声に気付いて階段の途中に身を潜めていた。そして、山川さんが部屋に戻るということになると、一度階段をりてから、山川さんが通らない方の廊下に隠れた。山川さんが通り過ぎたのを確認してその人物はまた上の階に登っていった。
 上の階ではまだ花屋と堂中がいてこれからの事について小声で話し合っていたのだが、人の気配に気付いて振り返った。
 そこにいたのは霧山だった。ほとんど物音もさせずに登ってきた霧山を見て花屋と堂中は少し驚いた様子だったが、霧山はいつものように落ち着いた様子で彼らに近づいて来た。暗い中で彼の目が静かに光っているように思えて少し不気味でもあった。