Technólogia Vol. 1 - Pt. 49

Technologia

55. 偽名

 心にやましいところがなければ、何かで疑われた時でも正々堂々としていられる。大抵の場合はそのはずだった。しかし、蚊屋野の知らない間に20年以上が過ぎていたこの世界ではちょっとした事で不安になって落ち着きがなくなってしまう。
 蚊屋野はまた面倒な事になったと思っていた。
「警察、って。ここには警察はいないんだと思ってたんだけど」
確かにこれまでの街には警察らしい警察はいなかった。
「大きな街にはいるんすよ。人の多い場所はそれなりに問題も起きるっすからね。警察がいなければ小田原の封鎖だって無視できたっすからね」
そういえば、道のないところから小田原に侵入できないか?とか言った時に、そんな事をすればすぐに捕まるという事を言われた気もする。一応警察っぽい組織もあるようだ。
「通報されたとしたら…。まだ時間には余裕がありますね。とにかくここから離れた方が良いでしょう」
花屋が言ったことから判断すると、恐らくその警察というのは主に人の沢山いる場所で活動しているようなので、小さい居住地にやって来るまでには時間がかかるということだろう。これはつまり、前にいた街で見た刺股も警察が来るまで暴漢を取り押さえる道具として機能するということでもある。取り押さえたまま通報して数日待てば都会の方から警察がやって来るのだ。そんなことを考えた蚊屋野だが、それはどうでも良いことだと気付いた。
 問題は張り紙に書かれている三人組というのは蚊屋野達の事を指しているのかどうか、ということだった。居住地のある場所から離れようと急いで歩いている途中、蚊屋野は気になることを思い出した。
「そういえば前の街で河野君の叔父さんから聞いたんだけど。あの人がボクを殺そうとまでした理由はお兄さんを守るためだけじゃなかったんだって」
花屋と堂中が歩みを緩めて蚊屋野の方へ振り返った。
「河野君の叔父さんに指示をしていた人から、ボクが殺人犯で、ボクを東京に行かせると沢山の被害者が出るとか、そんなことを吹き込まれていたらしいんだよ」
「それは気になるっすね」
「じゃあ、あの張り紙も河野君のお父さんを拉致した人達が作ったってこと?」
花屋が言ったが、それに答えられる人は誰もいないのでしばらく沈黙。誰も答えないので、それもそうだと花屋は一人で思っていた。
「どうしてもボク達を東京に行かせたくない人達がいるような気がする」
蚊屋野が言ったが、このあとも少し沈黙が続いた。花屋も堂中もこれまで自分達の行動が妨害されているように感じることはあったのだが、ここまで露骨にされるとは思っていなかったのだ。この世界のほとんどの人間がスフィアの謎を解明して、世界を元の状態に戻すことを望んでいるはずだった。この世界には昔のテレビやインターネットのようなものもないので、彼らの計画を誰でも知っているというワケではなかったが、彼らの目的を知れば誰でも賛同してくるに違いなかった。
 この張り紙だけでなく、小田原の封鎖からなんとなく続いている彼らに降り注ぐ災難が全て同じ組織による妨害行為だとすると、あと少しのところまで来ているこの旅もここからさらに困難になるような気がする。
「その件については少し話し合った方が良いんじゃないっすかね」
花屋は少しでも早く先に進みたいと思っていたのだが、今の状況を考えると堂中の意見に同意すべきだと思った。
「それじゃあ、次の休憩場所は変更しましょう。誰も使わなくて、しかも安全な休憩場所ってあるかな?」
「なくてもなんとかするっすよ」
堂中は彼のスマートフォンを取り出して、なるべく誰も使わなそうな休憩所の場所を調べ始めた。スマートフォンは上手く使えば役に立つ道具なのだ。今も昔もそれは変わらない。

 数時間後、蚊屋野達は最初に歩いていた昔の幹線道路跡の道から大きく外れたところにある建物の中にいた。今いる辺りだとどこに人がいてもおかしくないのだが、その建物は元々大きな工場の一部だったものらしい。工場ということは周囲に人の住む家は少なかったので、その辺りに居住地は出来ていないと予想して堂中がその場所を選んだのだった。
 建物は半分崩れかけていたが、避難所として使えるように地下室への入り口は確保されていて、彼らはそこで次の灰をやり過ごす間にこれからの作戦を立てた。
 作戦といっても相手が誰か解らないし、張り紙にあった三人組が蚊屋野達であるかどうかも解らない。しかし三人で歩いていればそれなりに人目を引く事になるので、とりあえず三人が固まって歩くことを避ける事にした。
 そうしなければいけないのは、都市部と郊外の中間にある場所を移動する時だけのはずだった。もう少し進んで都市部に入ったら人はもっと多くなって、逆に三人で歩いていても誰も気にしなくなる。
 蚊屋野達は二人と一人に別れて先を進むことにした。一人の方はケロ君と一緒なので寂しいことはない。それはどうでも良いのだが、先に一人と一匹が出発して、その後を視界から消えない程度に離れて二人があとを追うようにした。
 蚊屋野の提案で一人で歩く人は順番で交代することにした。そうすれば誰かが何かに気付いたり、相談して決めたことを交代した時に教えあったり出来る、というのが蚊屋野の言った理由だった。本当のところをいうと、蚊屋野は一人になった時にケロ君から意見や情報も聞きたいと思っていたのだ。前の街でもそうだったがケロ君の知っている情報というのは大いに役立つことがある。
 もうそろそろ蚊屋野が動物の言葉を理解出来るということを他の二人に打ち明けても良いのかも知れない。しかし、ここに来て「どうかしている」と思われるのも嫌だし、上手く説明出来なければ彼らに心配をかけることにもなる。それなので、やっぱり彼がいつの間にか身につけていた能力については黙っている事にした。
 最初にケロ君と一緒に歩くことになったのは蚊屋野だった。まだ人が少ない地域で道も解りやすいので、この世界に詳しくない蚊屋野でも迷うことはない、という理由でこの順番になった。
 途中でいくつかの居住地の近くを通り過ぎたのだが、三人でないからか、前と違って向こうから歩いてくる付近の住民もそのまま真っ直ぐ歩いて来て、彼らとすれ違った。かといって歓迎されている感じもなかったが。内陸部は人の行き来があまりないということだし、見知らぬ人がいると警戒するのかも知れない。だが、少なくとも彼らを見て逃げ出すような人はいなくなったので、二手に分かれる作戦は成功しているようだ。
 休憩所代わりにしていた工場跡を出発してからまだあまり経っていなかったが、先を歩いている蚊屋野はそこで驚くべき光景を目にして思わず立ち止まってしまった。最初にこの世界の廃墟と瓦礫に驚いて、その次にスフィアというものを見て戦慄した。そして、今目の前にしているこの光景はなんなのだろうか。
 20年前の街とも違うし、それが崩れて廃墟になった場所とも違う。何もない広大な空き地が目の前に広がっている。空き地だが、その境目は綺麗に直線で区切られている。これは灰の影響で出来た空き地ではなくて、人工的なものに違いない。
「これって、なんだろう?」
「(オレが知ってると思うのか?)」
せっかくケロ君と話せる状況なのに、目の前の謎はケロ君の知らないことのようだった。
「そうだけど。なんか、これって不自然な形で大地が切り取られてるっていうか、そんな感じだし。もしかしてスフィアの存在と関連してるんじゃ…?」
「(そうだな。少なくともオレが生きてきた中でこんな場所は見たことがないがな。だが、不自然なものってのはみんな人間が作ったものだろ?)」
「そうだけど。でもスフィアは人間が作ったものとは思えないし」
「(あれは確かに人間が作れるようなものには思えないな。だがここにはそんなニオイはないんだよな。それより早く行かないと追いつかれるぜ)」
ケロ君が言うにはこの目の前の謎の空き地とスフィアは関係がないということだ。ニオイが違うならきっとケロ君の言うことは正しいのだろう。その意味では少しはケロ君の意見は役に立っている。そして、あとから来る二人はもう少しで蚊屋野に追いつくぐらいに近づいて来ていた。二人はこの空き地を見ても特に驚いた様子もないように見える。
 そんな感じだと蚊屋野は余計に気になってくる。もしかして、これまでにこういう場所のことを説明されていたけど、聞き逃していたか、忘れてしまったとか、そういうことなのだろうか?蚊屋野はこの先、この謎の空き地の事ばかりを考えて歩く事になってしまった。
 せっかくケロ君と話せる状況なのに蚊屋野が空き地の謎に取り憑かれてしまって、これでは意味がないように思える。しかし、ケロ君と一緒に歩いていることに全く意味がなかったワケではない。蚊屋野の頭の中は自分がどの道を進んでいるかも気にならないぐらいに、空き地のことでいっぱいだった。もしそのまま歩いていれば、ふと気付いた時に自分がどこに立っているのかも解らない状態だっただろう。しかし、彼の少し前をケロ君が歩いているおかげで、彼は正しい道を進むことが出来ていた。
 ケロ君は蚊屋野達が東京に向かっていることも知っているし、東京に近づくにつれて人が増えるということも知っていた。それで、道は知らなくてもなんとなく人のニオイが多い方へ進んでいたのだ。
 次の目的地が近づいて、人も次第に増えてきた。それまでずっと空き地のことを考えていた蚊屋野はなんとなく周囲の状況が変わってきた事に気づいて、20年前の世界のことを少しだけ思いだした。それなりに都会に住んでいた蚊屋野なので、人のニオイみたいなものを感じると色々な事を思い出すようだ。するとその瞬間頭の中で考えていたことが一つに繋がった。
「アッ、そうか!」
蚊屋野が突然声を上げたので周りにいた何人かが驚いて振り返った。だが関わり合いにならないように、と思ったのかすぐに蚊屋野から目をそらした。
 蚊屋野はそんな事には気付かない。ただ謎が解けたことでスッキリした様子だった。
「あれは飛行場だった場所だよ」
蚊屋野はなんとなく嬉しくなってケロ君の頭を撫でながらいった。ケロ君はどうしてそんなに嬉しいのか?と思いながら戸惑っているようだった。
「(解ったが。それがどうしたっていうんだ?)」
それを聞いてケロ君の頭の上に乗っている蚊屋野の手が止まった。確かに、それがどうだというのか。
 あの空き地がスフィアと関連したものなんじゃないか?という疑念があったために気になって仕方なかった。そして、スフィアとの関連で考えていたために、20年前の飛行場のことなど頭の中になかった。だが、それがスフィアとも、この新しい世界とも関係のない、ただの飛行場跡だと解ると蚊屋野はどうでも良い事に頭を使っていたのだと気がついた。
 他の乗り物同様に飛行機も動かせなくなって、飛行場も必用なものを持ち出したあとには全く意味のない広いだけの場所になってしまった、ということだ。それ以外には特にない。
「まあ、歩いている間に退屈することはなかったよ。色々と考えてたからね」
「(そりゃよかったな。だが、オマエがいきなり声を上げたせいで、面倒な事が起こりそうだぜ)」
ケロ君に言われて振り返ると、男がこちらに向かってくるのに気付いた。これまでは避けられていたし、そうでなくても向こうから人が近寄ってくるなんてことはなかったのだが。確かに面倒な事が起こるのかも知れない。
 その男はさっき蚊屋野が「アッ」と声を上げた時に驚いて振り返った中の一人だった。そして、その他の人達とは違い、その男は蚊屋野に興味を持ったらしい。
 その男にしたら「興味」という言葉は的確ではないだろう。長年の経験と本能によって嗅覚が働いた。恐らくそんなふうに表現するに違いない。
「ちょっと良いですか?」
男に言われて蚊屋野はマズい気がしてきた。男の顔つきはこれまで道で見てきた人達とは違う。出来れば人と関わりたくないような彼らとは違って、人のプライバシーに土足で踏み込んでくるような、そんな感じがする。よそよそしくないが、にこやかに人と接することもなさそうだ。その中年男は幽かに茶色がかったレンズの付いたメガネを通して威圧するような視線を蚊屋野に向けている。
 ちょっと良いですか?と言われても、あまり良くない感じだった。しかし、なにも言わなければそれはそれで怪しいので何か言わないといけない。
「なんでしょうか?」
「そんなに怯えることはない。ただ、ちょっと人捜しをしているのでね」
蚊屋野は普通に話したつもりだったが、怯えているように見えたようだ。あるいは、この男は一目見ただけで相手がどんな状態なのか解るのだ、ということを暗に伝えようとしているのかもしれない。厳密にいうと蚊屋野は怯えている、というほどではなかったので、間違っていたのだが。
「あなたも張り紙を見て知っていると思いますがね。例の三人組の殺人鬼です。外から来た人なら何か知らないかと思ってね」
一応蚊屋野が別の場所からやって来た人間だということは解っているようだ。周囲の人間が蚊屋野達に向ける目を見れば大体解るのかも知れないが。
「ああ、あの殺人鬼ですか」
蚊屋野はやっぱりマズい事になった気がしている。
「ちょっとしたウワサなら聞いたことがありますが。もしかして、あなたは警察の人ですか?」
「いや。オレは組織には属さないんだ。一匹狼さ」
自分で自分のことを一匹狼と称する人には面倒な人が多いような感じがある。そう思って蚊屋野はさらにマズい事になったと思った。そういう人は実は寂しがり屋だったりするから、話し始めるとなかなか逃がしてもらえないかも知れない。
「もしかして、賞金稼ぎみたいな人ですか?」
「賞金稼ぎ?!あんた面白い事言うな。まあ、そいつも悪くはないが。賞金稼ぎで金儲けするには、もっと世の中が物騒になってくれないとな。一匹狼っていっても、警察の関係者には違いないんだ。ディテクターってやつさ」
「ディテクター?!」
蚊屋野はこの男と話していると次々にヘンな言葉が出てきそうで心配になってきた。蚊屋野にとってヘンな言葉でもこの世界では当たり前の事というのも中にはあるかも知れない。そうなると、このディテクターは蚊屋野の事も疑い始めるかも知れないのだ。
 その前にディテクターってもしかすると「ディテクティブ」の間違いじゃないか?とも思っていたのだが。
「刑事さん、ってことですか」
「ああ。大昔はそんな呼び方もされてたがな。あんたヘンな言葉知ってるんだな」
やっぱりディテクティブと間違ってるに違いない。しかし、あんまりこのことにこだわるとディテクターさんが機嫌を損ねるかも知れないから、これ以上この話題を続けるのは良くないと思った。
「それで、殺人鬼を追ってるってワケですね」
「そういうことだ。それより、そのウワサってのは?」
「ここに来る前に聞いた話ですが。山の方の街で、もめ事を起こした三人組が捕まったって」
蚊屋野は作戦どおりに話した。もしも三人組の殺人鬼の事を聞かれたら、街で捕まった事になっている三人のことを話そうと、前の休憩所で話し合っていたのだった。思惑どおりディテクターさんはその話に興味を持ったらしい。
「そうか。その他には。その三人組ってのはその街で何をしたんだ?」
「さあ、それはどうでしょうかね。三人組の殺人鬼の話はこっちに来るまで知らなかったんですよ。それってつまり、三人組は都会の方から山の方に向かっているって事ですよね。ボクは山の方から来たもんで、それ以外は良く解らないです」
蚊屋野がそう言うとディテクターさんはウーン…と唸ってから蚊屋野の目をじっと見た。蚊屋野は平静を装っていたが、何か感づかれたのではないかとヒヤヒヤしている。
「あんた、名前は?」
「山野です」
「ヤマノさん。うーん…。じゃあその話は信じて良さそうだな」
三人組が山に向かっていると言う話や、山野という偽名も休憩所の作戦会議で話し合ったとおりなのだが、このディテクターというアクの強い感じの男にも上手く通じたようだった。ただどうして「山野」という名前で蚊屋野の話を納得したのかは謎でもある。
「(こいつは手強い間抜けだな)」
こういう時にケロ君は言いたいことを好き勝手に言うのだが、丁度その時にディテクターさんがケロ君の方を見たので、ケロ君は驚いてビクッとして少し後退した。
「なあ、ワンコ。あんたはどうだ?何か知らないか?そんな事聞かれちゃ、かなワンってか?」
それが言いたかっただけだと解るとケロ君は首をかしげて見せた。その可愛い仕草とは裏腹に、やっぱり間抜けだったということを蚊屋野に言っていたのだが。
「ハハハ。賢い犬だな。山野さん。これはオレの名刺だ。何かあったら連絡してくれ」
蚊屋野はディテクターさんから渡された名刺を受け取った。ディテクターさんは蚊屋野と話してその内容に何か怪しいものを感じているのか。それとも本当に間抜けなのか。彼が話したことを信じて山の方へ向かってくれたら良いと蚊屋野は思っていた。
 蚊屋野が渡された名刺を見ると、そこには連絡用のアドレスの他に「ディテクター」と大きい文字で書かれていた。こんなに自信満々で勘違いしているのか、と蚊屋野は思ったが、もしかするとこの世界では刑事のことを「ディテクティブ」じゃなくて「ディテクター」と呼ぶことになっているのかも知れない。しかしディテクターと書いてあるが名前らしきものは書いていない。ということはあの人の名前がディテクターさんなのか?答えが解っても意味がないので、蚊屋野はこれ以上考えないようにした。
 とりあえず、ディテクターさんとの話がそれほど長引かずにすんだのでホッとした蚊屋野だった。

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