Technólogia Vol. 1 - Pt. 50

Technologia

56. 都会の夜

 警察が安全を守って市民が安心して暮らせるというのは幸せなことである。しかし、警察がいないと安全でない場所に暮らしていると考えると、あんまり幸せに思えない。理想的なのは、警察がいなくても安心できる生活ということになるが、なぜかそういう事はあり得ないことになっている。街の人口が増えれば増えるほど、その街は危険な場所になっていくようだ。危険が多ければ警察が必要になる。それはもしかすると、人が沢山集まっても仕事がなくならないように、警察という新しい働き口を作るための仕組みなのかも知れない。大都会ではみんなが上手く生きていけるように、犯罪者が生まれるに違いない。
 そんな事は嘘かも知れないが、蚊屋野達は東京に近づくにつれて、これまでとは違った危険に気をつけなければいけなくなってきていた。元々の予定だと、都会で気をつけなければいけないのはスリや詐欺みたいな危険度の低い犯罪だけであった。しかし予定どおりに進まないこの旅では、蚊屋野達三人が犯罪者にされそうな話になっている。
 これが彼らを足止めしようとした何者かの仕業だとすると、彼らは何重にも罠を仕掛けていたという事かも知れない。書類の上では蚊屋野達は前にいた街で逮捕されたことになっているのだ。それが解っていれば、三人組を見たら通報するように、という内容の張り紙などは必要ないのだし、それは彼らが前の街を出発する前から張られていたということでもある。
 ここで蚊屋野達は決断をしなければいけなくなってきた。それは、箱根で山沿いの道を進むことを決めた時と同様に重要な選択であり、そして、今回は箱根の時ほどユックリ考える暇もない。花屋と堂中は、前を歩いている蚊屋野がディテクターと名乗る警察関係の人間に声をかけられたのを見て、急いでこの決断をしなければいけないと気付いたのだった。
 蚊屋野はディテクターさんを見送ってから先に進んでいたのだが、少し経つと後ろからピィ!という短い笛の音のような音が聞こえて振り返った。後ろには花屋と堂中の姿しか見えないので、音を出したのはその二人のうちの一人ということだ。
「なんだろう?」
蚊屋野がケロ君に聞いてみた。
「(どうだかな。指笛ってのは犬を呼ぶ時に鳴らすもんだよな。ってことはオマエも犬扱いなんじゃないか?)」
「そうか…」
蚊屋野は何かを考えていると他のことが頭に入ってこなくなる事がたまにある。ケロ君は自分の冗談を蚊屋野が真に受けたのではないか、とか思って少し心配になってしまった。
「(ここで待ってれば良いんじゃないか。ヘンなやつと会ったあとだしな。あの二人も何を聞かれたか気にしてんだと思うぜ)」
「そうか」
蚊屋野の返事はさっきよりも少しハッキリした感じになっていた。本当に犬扱いされているとは思っていなかったのだが、指笛の音が聞こえた理由の謎は解けたということだろう。この反応を見ていると、どっちが犬なのか解らなくなってくる。
 蚊屋野とケロ君が立ち止まっていると花屋と堂中が近づいて来た。
「こんにちは、旅の人」
「こんにちは」
堂中と蚊屋野の不自然なやりとりが始まったが、これは彼らが最初に決めたことなので気にしなくても大丈夫である。他人のフリをするのなら徹底的に、ということで外を歩いている時にはこういうふうに話すことにしたのだった。
「さっき話していた人ですが。あの方お知り合いですか?」
「いえ、初めて会った人ですが。警察の方から来た人で。ディテクターさんと言っていました」
「ディテクターさん?ディテクティブではなくて?」
「私も最初はそう思いましたが、ディテクターさんという人みたいです」
「そうですか。どうもこの辺りは物騒なようですからね」
「そうですね。例の三人組を探していると言っていました」
「我々も気をつけないといけませんね。丁度この先に休憩所があるのです。そこなら安心して休めると思いまして、これから向かうところです」
「休憩所ですか。この道沿いの?」
「いえ、あの二つ並んだビルの手前を曲がって少し歩いたところです。それでは我々はこの辺で」
「それでは」
この蚊屋野と堂中の不自然な会話を聞きながら花屋はずっと笑いをこらえていた。再び歩き出す時に蚊屋野がちゃんと堂中の言葉の意味を理解しているか確認するために彼を見て目で合図しようとしたのだが、蚊屋野の事を見たら吹き出しそうな気がしたので、花屋は下を向いたまま歩いて行った。
 そんなに面白がらないでも良いのに、と思っていた蚊屋野だったが、自分でもどうして小学校の学芸会の劇みたいな話し方になってしまうのか不思議に思っていた。なんとなく自分に演技の才能があると信じていた蚊屋野なので、少し落ち込みそうになったまま歩いていた蚊屋野だが、ケロ君に話しかけられてそんな事を考えている場合ではないことを思い出した。
「(おい、ここを曲がるんじゃないのか?)」
「あれ、ここだっけ?」
蚊屋野が我に返って辺りを見回すとすぐ目の前にさっき堂中が言っていた二つ並んだビルというのがあった。この辺りにある他のビルと同様に崩れかけているので、遠くから見た印象と少し違って見えるのだが、それだけで間違えることはないようにも思える。
「(まあ、オマエが解らなくても、オレにはちゃんとニオイで解るからな)」
ケロ君のあとを蚊屋野がついていく。やはりどっちが犬なのか解らない感じだ。
「(オマエのそのボーッとするクセは直した方が良いぜ。都会っていうのはこれまでみたいに長閑な場所じゃないからな)」
「そりゃどうも。というかさ。ボクってこう見えてもこれまで都会で育ってきたんだけどね」
「(そういやそうだった。だが良くそんなんで無事だったよな。オレの知ってる話じゃこうなる前の世界の方が危険だったってことだけどな。今はあのクソみたいなのが降ってくることの方が危険だしな。それよりもオマエはボーッとしてる時に何考えてるんだ?)」
「ボーッとしてるっていうか、継続的思考ってことだよ」
蚊屋野はボーッと考えることにそれなりの名前を付けて呼んでいるようだ。何でもない些細な事が気になって、ダラダラ考えていくうちに最初とは全く違うところに考えが辿り着く。しかもその途中には理論的なものはあまりなくて、大体の場合は妄想や願望によって考えが進んでいく。
「文学者の性質だからね」
それが本当だとしたら、後にも先にも文学者は蚊屋野ただ一人ということになりそうだ。
「(なんだか良く解らないけどな。とにかくオレも無事に東京について美味いものを喰いたいと思ってんだからな。しっかりしてくれよな)」
相手が犬だということも忘れて蚊屋野はハイと頷いていた。それから自分が犬に説教されていたな、と気付いたのだが、そこで休憩所の前にたどり着いたので、この会話はここで終わりになった。
 辺りには人の気配はないし、この休憩所もあまり使われていないようだった。この辺りに多い地下室だった場所を利用した休憩所だったが、入り口には砂埃が積もっていて、花屋と堂中が入った時に付いた手の跡だけがクッキリと残っていた。蚊屋野が入り口の取っ手を掴んで上に持ち上げると、ケロ君が中の階段を下りて行った。蚊屋野がその後に続いた。
 都会に近いからなのか、近くで発電した電気が届いているようで中にはうっすらと明かりが点いている。そこは思ったよりも広くて、その一番奥に花屋と堂中が居た。二人は笑顔で蚊屋野を向かえたが、これから話し合うことの重要性を考えるとあまりニコニコしていられないので、すぐに真面目な表情になった。
 彼らが決めようとしていたのはこの先の進路の事だった。どの道を通っていくのかはあらかじめ決めていたのだが、殺人鬼とされている三人に関する張り紙や、ディテクターさんのような人が実際に三人を探しているということを知ると、どの道を進めば安全なのかということをもっと考える必要があったのだ。
 ただし、選択肢はあまり多くない。大まかに分けると都会の中心部から離れた人目に付きにくい道と、都会の中心部を人混みに紛れながら進む道のどちらかということだ。
 人の少ない道を進めば遠回りになるし、それだけ時間がかかる。そして、これまで同様にその途中で何が起きるのかは予測が出来ない。
 一方で都会の道を進むと、何が起きるか予測できないのは同じだが、方向を考えると東京方面へ最短距離で進むことが出来る。それに、都会では三人組で行動している人も沢山いる。なので彼らが三人組であることを隠すために二手に分かれる必要もないのだ。それはこの世界に慣れていない蚊屋野にとっても都合の良いことだった。
 そういったことを考えると、三人の意見は都会の道を進むことで一致した。単純なことのようにも思えたが、残された時間を考えると後戻りは出来ないので、やはり慎重にならないといけないのだ。その前に、すでに一週間を切っている「残りの時間」というのが何に対しての残りの時間なのか、というところはまだ解っていないのだが。とにかく全体的な雰囲気からして急がないといけない気はしているのである。
 進路が決まると、彼らは都市の中心部に近い場所までさらに進むことにした。都会の道を進むのは良い事ばかりでもなくて、いくつかの問題がないワケでもなかった。人が多すぎて、小田原でやっていたように道を封鎖したりして人の行き来を制限することは出来ないのだが、それでも時々検問のようなことが行われている。それによって問題のある人間が入ってきたりしていないかを確認することもあるのだ。ほとんどが住民を安心させるためにやっている形だけのことだが、そういうのに引っかかるとマズいことになるに違いない。
 そこで、彼らは中心部の少し手前で一休みして、暗くなってから先へ進むことにしたのだった。この世界でも帰宅ラッシュみたいなものがあって、夕方からは人の行き来が多くなるのを利用する計画だった。
 次の道のりでは花屋が一人で歩くことになった。特に一人になる順番を決めたわけではなかったが、都会の道を行くことに決めたので、二手に分かれるのはこれで最後ということになる。体力のことを考えると、蚊屋野と花屋が一回ずつ一人になって丁度よかったのかも知れない。そんな事よりも、花屋はせっかくなので、何かの機会に後ろから歩いてくる二人に話しかけたりできないか、と考えていた。あの学芸会の演技みたいな話し方をもう一度聞いて楽しみたいと思っていたのだ。
 しかし、次の休憩所まで何も起きず、後ろの二人と話す機会もなかった。少し遅れて到着した蚊屋野と堂中は先に待っていた花屋が不機嫌そうなので不思議に思っていた。

 都会の夜の風景はこれまで見てきたものと全く違っていた。そういえば箱根に泊まった時には夜の街が明るさで夜店の並ぶ縁日に来たような気分になっていた。この世界の都会の夜景はそれとはまた違った不思議なものだった。
 昔の世界なら目の前には明かりの点いた建物がずっと続いていたはずだが、今では人が住める場所と住めない場所がハッキリと分かれている。崩れずに残っている高層建築というのもあるのだが、上の方まで使うには手間と費用が無駄にかかるので明かりが点いているのは下の方の数階分だけだった。
 少し高い場所から都会の方を見ると明るい場所と暗い場所が交互に現れて、そのそれぞれが細い明かりの線で繋がれているように見える。あの線のように見えるのが道なのかも知れない。
 光と影の繰り返し。このスカスカした感じはなんだっけ?と蚊屋野は思っていた。昔のような煌々とした人を威圧するような明かりではなく、静かに街を浮かび上がらせているぼんやりした輝き。いってみれば、上品な感じがする明かりだ。そこまで考えてなんとなくこのスカスカした感じの正体が解った。
「レース編みの柄みたいだね」
蚊屋野が言ったが、それほど感心される事もなかった。この夜景がそう見えないこともないのだが、この世界のほとんどの人にとってレース編みみたいなものは縁がないものなのだし、あまりピンと来ない喩えという事らしい。喩えはマズかったようだが、蚊屋野は気を取り直して先を続けた。
「でも、暗い場所があれだけあるってことは、そこは灰が降ってくるし危険ってことでしょ?なんか進むのに時間がかかりそうだけど」
「都会には灰が降るようになる前からトンネルが整備されていたんですよ」
花屋が答えると蚊屋野が少し驚いていたようだった。
「それはつまり、灰が降ることを予測して、大きな工事をした人がいるってこと?!」
蚊屋野が言ったが、花屋はニヤニヤしたまま答えない。どうやら花屋は蚊屋野をちょっと驚かせる楽しみというのを見付けてしまったようだ。花屋がニヤニヤしているので堂中が代わりに答えた。
「地下鉄っすよ」
答えが解るとなんとなく力が抜けてしまう。だが地下鉄のトンネルなら安心だし、目的地まで一直線って感じもある。それに地図がなくても大体の自分の居場所も解りそうだ。まだ地下鉄のトンネルまでは距離があるが、蚊屋野は早速自分の居場所を推測してみた。恐らく今向かっている都会の中心部というのはかつて横浜だった場所に違いない。
「もうそんなところまで来ていたのか。ボクがこの世から存在を消した場所も、もうすぐ近くなんだな」
蚊屋野の頭の中で勝手に話が進むので、他の二人は理解するのに苦労するが、そういう事だと言って二人とも頷いていた。
 三人と一匹はしばらくの間は少し距離を開けて歩いた。すると次第に人が多くなり見知らぬ三人が固まって歩いている事も多くなってきた。この辺まで来ればもう蚊屋野達三人が他人のフリをする必要もなくなってくる。ただ顔はあまり見られたくないので、マスクを着けたり、タオルを顔に巻いたりしていた。
 あとは警察が検問のようなことをしていなければ順調に先に進むことが出来るはずだった。夜になってはいるが、まだ早い時間なので人通りはかなり多い。もしもここで通行を止めて検問をするとなるとそれなりに列が出来るはずなので、早めに気付くことも出来る。
 その前に花屋と堂中には都会の道を選んで正解だったという確信があった。張り紙をした何者かは、三人がわざわざ警察のいる街の中に入ってくるとは思っていないはずなのだ。もしも本気で三人を捕まえる気があるのなら、街に張り紙をして、それを見た三人が街を避けて通るところを捕まえようとするはずである。
 道には昔の都会より人が多いように思えた。全体的に人の数は減ったのだが、人の住める場所はそれ以上に減っているので、街の人口密度は大きくなるということのようだ。休日の繁華街にいるような人の数だったが、そんな中で蚊屋野達は人をよけながらなるべく急ぎ足で歩いて、トンネルの入り口のある場所まで辿り着いた。出発してから一時間ほどだが、まだ人通りは多い。この時間は別の街から帰ってくる人や、この街から自分の家に帰るためにトンネルを使う人達で少し混み合っている。この人混みに紛れて進めば今夜中に中心部まで進んで、そこで泊まることができそうだ。
 先頭を歩いていた花屋が振り返って確認すると、後ろの二人も頷いた。花屋は帽子をかぶってゴーグルとマスクを着けている。蚊屋野が最初に会った時と同じ格好だったが、あの時に蚊屋野が男だと勘違いしたその格好もこの状況では好都合だった。
 どこで誰が見ているか解らないので、彼らはなるべく無駄な話はしないように、あたかも毎日そうしているかのようにしてトンネルへ入る階段を降りていった。
 階段を降りるとそこは薄暗かったが、蚊屋野にとっては懐かしい感じのする光景が目に入ってきた。懐かしいといっても彼の感覚では数日前までは普通だったものだが。列車が走らなくなってから20年以上経っていて改札口などはとっくになくなっていたのだが、そこが地下鉄の駅だった面影はハッキリと残っていた。
 キョロキョロと辺りを見渡したくなる衝動は怪しまれないように抑えていた蚊屋野だが、どうしてここが今でも地下鉄の駅っぽいのかはなんとなく解った。歩いている時に通るトンネルというのは山みたいなところを簡単に突っ切るために作られたもので横から入るものだ。つまり上から入るトンネルというのは地下鉄の駅ぐらいしかない。だから列車が走っていなくても、改札口がなくても、ここが地下鉄っぽいのだ。
 理由がわかると懐かしさが半減したが、蚊屋野達はホームだった場所に作られた短い階段を降りて本格的なトンネルへと入っていった。こっちはこっちでさらに興味深いのだが、目立たないようになるべくキョロキョロするのは我慢しないといけない。もしもあの時に転送装置になど入らなければ、この世界ではこれまで入ってみたいけど入れなかったような場所を色々と探検できたのか、と思うと少し損した気分にもなる。
 とはいっても、自分の役目が終わったら過去に戻されるワケでもないし、この世界の細かいところを見て回るのはあとでも出来る。やはり、ここは目立たないために我慢をしなければ。なるべく自然に。当たり前のことのように。
「蚊屋野さん。ちょっと姿勢悪すぎじゃないっすか?」
なるべく自然にしていた蚊屋野だが堂中に言われて、慌てて姿勢を正した。自然にしようとすると、不自然に力を抜いてしまうからヘンな格好になるようだ。
 トンネルに入って駅から離れると中は次第に暗くなっていった。クリスマス用のイルミネーションみたいな紐状のLEDランプが照明として壁に沿って設置されている。その明かりだけでは少し離れたところの人の顔も識別できないのだが、そういう中に大勢の人が歩いているというのも蚊屋野にとっては異様な光景だった。しかし何かから隠れるという点ではこの暗さは丁度良い。
 それからいくつかの駅を通り過ぎた。駅が近づくと周りが明るくなり、場所によっては飲食店でもあるのか食べ物のニオイが漂ってくることもあった。そういうところでは急に空腹感を覚えて、そろそろ休憩したりしないのか?と思った蚊屋野だが彼らはただ黙々と先へ進む。
 さらに進むとトンネルから外に出てきてしまった。蚊屋野は「あれ?」と思ったのだが、ここでもキョロキョロするのは極力我慢。花屋も堂中も何事もないように歩いているので、これは何事でもないに違いない。そう思って、急に屋外になって少しデコボコした道を進んでいった。すると道はまた地下に降りていった

 大地に巨大な穴でも開いたのだろうか?と蚊屋野は歩きながら考えた。ただこのまま考えていると、前に飛行場の跡を見た時と同様に、その正体に気付いた時に思わず声を上げて目立ってしまうことになりかねない。ここはまずスフィアとか灰のこととかは除外して考えるべきだ。20年前の世界のことから順に。
 そうやって考えると、トンネルが一度途切れて外に出た理由は単純なことだと解った。地下鉄が一部区間だけ地上を走ることは珍しくない。今歩いている場所を走っていた地下鉄もそのように地上を走る区間があった。それだけのことだった。
 冷静に考えればこの世に謎なんてないのかも知れないな。蚊屋野は一人で考えて一人で盛り上がっていた。
「(おい、何ニヤニヤしてんだ?その顔は怪しいぜ)」
ケロ君に言われて蚊屋野は慌てて表情を緊張させた。蚊屋野は喋っていても黙っていてもある意味危険な男という事のようだ。
 またさらにトンネルの中を黙々と歩いて行った。出発した時間を考えるとけっこう夜も更けてくるという時間に違いなかったが、都会の中心部へ向かっているために周りを歩く人の数もそれほど減ることはなかった。そして、通り過ぎる駅の賑やかさや明るさも次第に増していくようだった。
 そんな事を思っていると、花屋が振り向いて言った。
「お疲れ様」
思っていたほど都会の中心という感じではなかったが、どうやら目的地に到着したようだ。まだ安心できる状態ではないのだが、黙って暗いトンネルの中を歩いて来たので、無事に到着したと解るとなんとなくホッとした。
「なんかお腹空いたっすね」
言ったのは堂中だったが、みんな考えていることは同じだった。途中の駅でもそうだったように、ここでも食べ物のニオイが漂ってきている。ここでは本当はそうでなくてもお腹が空いたような気分になるに違いない。一行は駅を出るとゴミゴミした感じの通りを食堂のある方へ進んで行った。
 自動車も通らないし、人の住める場所も狭くなっているということで、通りに人がひしめき合っているような状況になっている。その人混みをかき分けて食堂へやって来た。花屋も堂中も前に来たことがあるという店らしい。彼らが同じ店を選んだという事からも解るが、見た目だけでも美味しそうなものが食べられそうな感じがある。食堂の中も人で賑わっていたが、良い具合にカウンターの席が空いていたので、彼らはそこに並んで座った。店自体は小さくて、ほとんどの席が店の外にあるような、どこからが外で中なのか解らない作りでもあるので、ケロ君も特に気兼ねなく店に入って彼らの足下に座った。
 カウンターの席に着くと花屋が「三人分」とだけ言った。メニューは一品しかないのでそれで通じるのだろう。少し待つと彼らの前にラーメンのようなものが出された。スープも中に入っている麺のようなものもラーメンのようだ。しかし、ここで油断は禁物である。蚊屋野は目の前にあるものをラーメンだと思わずに一口食べてみた。
 スープはラーメンのスープにそっくりだったが、麺はそうではなかった。あの味のしない白い食糧を細長く伸ばしたものだった。知らずに食べたらビックリするところだったが、そうはならなかった。そして、こういう食べ方ならあの味のしない食べ物もなんとなかなるものだと思った蚊屋野だった。
 暖かいラーメンのような食べ物で空腹も満たされて、あとは宿を探して寝る。そう思うと急に疲れたような気分になってくるのだが、ここは都会の中心部。実は気を抜いているヒマはほとんど無いのだ。
 蚊屋野はラーメンのような食べ物を食べ終わる頃になって何かが気になり始めた。どうもさっきから落ち着かないのは、恐らくカウンターの向こうにいる食堂の店員が蚊屋野の事をジロジロ見ているような気がするからである。
 そんな事を思っていたのは蚊屋野だけではなくて、花屋も堂中もそんな事を思っていた。なんだろうと思って、三人ともそれぞれが気付かれないようにカウンターの向こうの様子を窺ったりしていた。そうしているウチに三人ともほぼ同時にあることに気付いた。驚きを表に出さないようにはしていたが、彼らはうつむいたまま冷や汗をかいていた。
 カウンターの向こうには店員がいるのだが、その後ろの壁には張り紙がしてあった。それは例の三人の殺人鬼に関する張り紙の最新版なのだが、そこに描かれていた似顔絵は蚊屋野達三人にそっくりだったのだ。
 店員はその事に気付いたのだろうか?彼らはそこが気になっていたが、迂闊に顔を上げることが出来なくなっていた。
 ついでに書いておくと、今回も張り紙にはケロ君については書かれていなかったが、ケロ君はカウンターの下でうずくまっているので、まだ何が起きているのか気付いていない。

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