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58. 崩落
計画とはなんのために立てるのか。計画を立ててそのとおりに物事が進むような時には計画など立てる必要がなかったりもする。それはつまり計画を立てるのは上手く行きそうな気がする時だけ、という事でもある。
逆にいうと、問題なのは計画を立てたところで、ほとんどのことは計画どおりには進まないので意味がないということでもある。蚊屋野達にとっては、これまでがそうであったし、今は計画を立てようにもやるべき事が特にない。あるとすれば「警察に捕まらないようにすること」なのだが。それは計画的に出来ることではない。なので、ここから先は計画らしい計画はほとんどない。旅の最後の一日はそういう感じで始まった。
蚊屋野達はまた三人組であることが解らないように、距離を開けて歩いていた。花屋と堂中はゴーグルとマスクを着け、蚊屋野はタオルで目の下から顔を半分覆って、ゴーグル代わりの度の入っていないメガネをかけていた。冬の初めなので、こういう格好でも特に怪しまれないので都合が良かった。
ケロ君は言葉が通じるという理由で自主的に蚊屋野のそばを歩いたのだが、それによって蚊屋野の事が好きだと思われるのはちょっと気にくわないところがあった。とはいってもケロ君は蚊屋野の事が嫌いなワケではないし、蚊屋野の不思議に捻くれた性格や、何をやらかすか予想できないようなところは犬でさえも楽しめるものだと思っていたのだ。でも理想のご主人様という感じではないので、蚊屋野の事を気に入っていると思われたくないという事のようだ。
そんなふうに思われているとは気付くはずもない蚊屋野は朝日が昇ってきて明るくなった廃墟の中の道を歩いていた。三人はなんとかお互いが見える距離を開けていた。先頭が花屋で真ん中が堂中。最後が蚊屋野だった。蚊屋野はこの辺りには詳しいことになっているので、真ん中ではなく最後を歩くことにしたのだが、日が昇って明るくなってから辺りを見回しても、ここがどこなのか良く解らなかった。
なので、なんとか前の二人とはぐれないように歩いていたのだが、近づきすぎて時々ケロ君に注意されたりもしていた。そうやって歩いていると、ようやく蚊屋野の記憶に残っている街に似た場所が多くなってきた。建物のほとんどは崩れているのだが、残された部分にどこかで見たような雰囲気が漂っている。
「もしかして、昨日泊まった場所はまだ横浜駅じゃなかったのかな」
「(それ、オレに聞いてるのか?)」
「まあ、聞いたと言えば聞いたのかも知れないけど。聞いたところで答えが解らないのは知ってるけど、それでもなんとなく口に出したくなる時ってのがあるんだし。こういう時は、そうかもね、とか答えたら良いんだよ」
「(よく解んないけどな。この先はあのクソみたいなやつのせいで昔の建物はボロボロだな。だが人は多いみたいだから気をつけろよ)」
ケロ君の言ったとおり、しばらく歩くと早朝ではあるが人が段々増えてきた。ほとんどの建物が崩れていたが、その中にほぼ原形をとどめた高層ビルが立っていたりもする。多分この場所は知っている。蚊屋野はそんな事を考えながら歩いていた。見た目は全く変わってしまったが、街にはそこに長くいたことのある人にしか解らないニオイのようなものがあるようだ。
だが慣れた場所であっても人の多い都会では予期せぬ危険に気をつけなければいけない。時には気をつけていたところでどうにもならないこともあるのだが。この時の蚊屋野が気をつけていたかどうかは解らないが、最後の一日が始まったばかりだというのに早速危機が訪れた。
蚊屋野がこの道を通ることを知っていたかのように、路地から現れた男は不敵な笑みを蚊屋野に向けた。
「やあ、山野さん」
蚊屋野はドキッとして立ち止まってしまった。本当は立ち止まらずに「やあ」と返事だけして通り過ぎた方が良かったに違いないが、この場合はそうするのは不自然な程に、男はタイミング良く蚊屋野の前に現れたのだ。そして、蚊屋野の事を山野と呼ぶのは一人しか考えられない。
「あ。ディテクターさん」
「また合いましたね」
というよりも、登場のしかたからすると、会う気満々だったはずだが。その前に半分顔を隠してメガネまでかけている蚊屋野の事を、偶然すれ違ったような状況で見分けるのは困難なことでもある。どう考えてもディテクターさんは蚊屋野をここで待ち伏せしていたはずである。彼の勘と本能によって。なんの本能か?というと、彼は刑事ではないのでディテクターの本能という事になるのか。どうでも良いがこれはマズい感じであった。彼は何かに気付いてここで蚊屋野を待ち伏せしていたのだ。
「あんたの言ってた捕まった三人組ってやつね。あれ早速仲間に調べさせたんだが。あの街にはそれらしいのはいなかったって事なんだよね」
ディテクターさんは薄茶色のレンズの付いたメガネの奥から鋭い視線を蚊屋野に向けたまま話していた。そしておもむろにポケットから乱雑に折りたたまれた紙を取り出して、それを広げた。見るとそれは蚊屋野達にそっくりな似顔絵の描かれている最新版の張り紙と同じもののようだった。
タオルに隠れた蚊屋野の顔が熱くなってジワジワと汗がにじみ出てくる。
「でもちょっとは情報も手に入れたんだがね。あの街でちょっとした騒動があって、大勢が逮捕されたって話なんだが。その首謀者ってのに話を聞いたら、この三人を知ってるっていうんだよ。悪人のことは悪人に聞くのが一番ってことだな」
その首謀者は小山に違いない。こんなところで小山に邪魔をされるとは。迷惑な人間というのはどこで何をしていても人に迷惑をかける。だがここで小山に腹を立てても意味がない。この窮地をなんとか乗り切らないと。蚊屋野は動揺していることを悟られないように、顔の下半分を覆っているタオルを少し上にあげた。
「あんた本当に山野さんだよな?」
ディテクターさんは似顔絵と蚊屋野を見比べながら聞いた。前に会った時に顔を見られているので、タオルで顔を隠してもほとんど意味はなかった。
「え、ええ。そうですよ」
「じゃあ、しょうがないな。オレが探してるのはカヤノってやつだ。それがあの街の悪人に聞いた名前なんだ」
まさか、まだバレていないのだろうか?蚊屋野は少し安心しそうになったが、まだ気を抜いてはいけない。
「アンタが山野じゃなかったら、それはスティーブン・キングだな」
「なんですか、それは?」
これは蚊屋野を錯乱させる作戦なのだろうか。ディテクターさんは意味の解らないことを言い始めた。
「知らないか?ホラの帝王。…なんてな」
これはつまりダジャレということだが。ディテクターさんは声を出さずに歯だけを見せて笑っていた。蚊屋野は少し困っていた。
「ああ、アンタの歳じゃ解らないか。オレの親世代の人だからな。厳密にはオレもそれがどんな人だか知らないんだが、ホラーをやってたらしいぜ」
「ハハハ。ホラーですか。そうですか」
蚊屋野はスティーブン・キングについて詳しく教えてあげたかったり、それと同時に下らないダジャレを聞かされてムッとしていたりしたが、そういう気持ちはこらえて早くこの場を立ち去らないといけない。
「あの、ボク急いでるんですけど。そろそろ良いですかね」
「ああ、そうか。そりゃすまなかったな」
どうやら無事に乗り切れそうだ。蚊屋野はホッとして歩き出した。だがディテクターという人はタダの間抜けではない。優秀な刑事のようなことをしたくてたまらないタイプの間抜けなのだ。これから彼が言う一言と、それに対する蚊屋野の反応を見る事。それこそが優秀な刑事らしいことであり、それをやるために今日これまでの時間を過ごしてきたのだった。ディテクターさんは歩き出した蚊屋野の背中に向かって声をかけた。
「蚊屋野さん、忘れ物だよ!」
ディテクターさんに言われて、蚊屋野は思わず振り返ってしまった。そこにはまさに「してやったり」というディテクターさんの顔があった。山野だったはずの蚊屋野だが不意を突かれて振り返った。これでは本当の名前を言ってしまったようなものだった。
「(バカ、何やってんだ)」
ケロ君は言いながら走り始めていた。蚊屋野はなんとか言い訳できないかと考えていたのだが、こうなってしまったらもう無理に違いない。全速力でケロ君のあとを追いかけた。
前を歩いていたはずの花屋と堂中の姿が見えない。蚊屋野は走りながら彼らがどこに行ったのか?と思っていたのだが、ケロ君が何かに気付いて道を曲がって路地へと入っていた。蚊屋野がその後を追いかけると、曲がったところで花屋に呼び止められた。花屋と堂中は路地にある崩れかけた建物の中に隠れていた。
「ごめん。ボクのせいだ」
滅多なことでは謝らない蚊屋野だが、花屋も堂中も怒っているに違いないし、ここは謝るしかなかった。
「そんな事は良いから、逃げる方法を考えましょう」
予想に反して花屋はそんなに怒っていないようだ。今はまた頼れるリーダーになっている。
「まだ追いかけてこないっすね」
堂中は崩れた壁の隙間から道の方を覗いていた。追いかけてこないのはディテクターさんが警察に連絡したからだろうか。だとすれば、ここに隠れていてもそのうち警官達が探しに来て見つかってしまう。それに大きな道を進むのも危険かも知れない。
「瓦礫の間のこういう細い道を進んでいくしかないのかな」
蚊屋野が言うと花屋は少し考えた。だが他に方法もないと解って蚊屋野の言うとおりに瓦礫の中の路地を縫うように進むことにした。
「建物が崩れてくるかも知れないっすからね。気をつけてください」
堂中に言われて蚊屋野はなんとなく上を見上げた。これまではなんとも思っていなかったのだが、そう言われると今にも建物の壁が崩れてきそうな気がする。余計な心配事が増えた気もするが、不注意で怪我をするよりはましかも知れない。
実際にこの崩れかけた建物の間を歩くのは危険なようで、ここにはほとんど人が入って来ていない様子だった。時には積み上がった瓦礫を乗り越えたりしながら、蚊屋野達は廃墟に囲まれた路地を進んで行った。
本当は瓦礫などが崩れてこないかを確認しながらユックリ進みたかったのだが、今は少しでも早く先に進まないと行けない。足下の瓦礫が崩れてバランスを失うような事があっても気にせずに先へ進んで行かなければいけなかった。
何度も転びそうになって地面に手をついたりしていたので、いつの間にか彼らの手は擦り傷だらけになっている。それだけでなく、服を脱いだらあちこちにアザが出来ているだろう。そうやって進んでいくうちに路地のある区画の終わりまで進んできた。
路地の先には川が見えている。川と言ってもコンクリートの護岸がある都会的なやつである。その先には広場のような空間がある。蚊屋野達は路地からそのあたりの様子を窺っていたのだが、その時彼らの後方でバリバリという派手な音がした。驚いて振り返ると、さっき歩いていた場所にホコリが舞い上がってその先が見えなくなっていた。舞い上がったホコリが徐々に消えていくその向こうを注意深く見ていると、その上にあったはずだった建物の二階部分の壁がなくなっているのが解った。
もしかして、もう少し遅く歩いていたら、今頃はあの壁の下敷きになっていたのか?と蚊屋野は思ってゾッとしていた。さらにあの壁が頭の上に落ちてきたら、どんな感触なのか?とか、どのくらい痛いのか?とか。あるいは一瞬で気を失って意外と苦しまないのか?とか。色々と考えると恐ろしくなって悲鳴を上げたくなったが、そんな事をしても意味がないので、彼はひとまず生きている事の喜びに浸ることにした。
花屋も崩れた壁を見て少しの間ショックでボーッとなっていたのだが、すぐに後ろよりも先のことを考えるべきだと気付いた。
「ここからどうする?」
花屋が聞いた時に堂中はすでにスマートフォンで地図を確認していた。彼も同じように先のことを考えていたようだ。
「このまま進んだら大きめの居住地っすね」
堂中は広場のある先を見ながら言った。居住地があるということは張り紙もしてあって、しかもこの辺りの居住地だと警察がいる可能性もあって危険だということだ。
「でも迂回するのは危険な気がしてきたっすよ。あんなのの下敷きになりたくないっすからね」
堂中の視線は川を挟んだ先ある廃墟群に移った。これまでよりも高い建物が多く、そのどれもが不安定な状態のままなんとかして立っているようだった。さっき後ろで壁が崩れた原因が、蚊屋野達が歩いた事によるちょっとした振動とかだと考えると、さらに不安定に見えるあの廃墟の中を歩く気には全くならない。
そういう事とは関係なく、蚊屋野は前に見えている広場が気になっていた。広場の一角は深く窪んでいて、そこを降りていくと大きな建物の下に続いているように見える。この風景には見覚えがあった。建物の方はほとんど原形をとどめていないが、川との位置関係から考えると、そこはかつての横浜駅に違いなかった。
「あの下を通れば、大きな廃墟の向こう側に出られると思うんだけど」
蚊屋野が言うと堂中は一度花屋の方を見た。花屋はまだどうするか決めかねているようだったので堂中は代わりに口を開いた。
「まあ、上の大きいビルが倒壊しない限りは安全かも知れないっすけどね。でも聞いた話じゃ、あの中って迷宮みたいになってるってことっすよ」
花屋はまだ考えていた。そして蚊屋野は迷宮という言葉からモンスターの出てくるゲームの「迷宮」を連想してちょっと恐ろしいと思っていた。そんな感じでそれぞれが黙って考え始めていたのだが、その時遠くから「ウー…!」というサイレンの音が聞こえてきた。蚊屋野はそれがなんの音か解らなかったが、花屋と堂中はその音を聞くと反射的に身をかがめた。
「警察っすね。まだ遠くみたいっすけど」
「今の音って警察なの?もしかしてパトカーに乗ってるの?」
「そうじゃなくて、拡声器ってやつっすよ。サイレン音の出せるタイプの拡声器を使ってるんす」
それを聞いた蚊屋野は、子供の頃に彼の通っていた小学校の先生が集会で拡声器を使っている時にサイレンのボタンをうっかり押してしまった時の事を思い出していた。サイレンを鳴らしてしまった先生もどうやって鳴りだしたのか解らなかったので、当然止め方も知らない。それで焦っている姿がなんとなく情けなくて印象に残っているのだ。そのおかげでサイレンを鳴らせる機能がついている拡声器があるのを知っていて、堂中に余計な説明をさせる手間が省けた。
それはどうでも良いのだが、警察は近くに来ている。蚊屋野達を探すために来ているのかどうかは解らないが、いつまでもここでグズグズしているワケにはいかない。
「あの下を行きましょう」
花屋は決断を下した。だが堂中は少し不安そうでもあった。
「迷わなければ良いっすけど…」
堂中が言ったが、すでに花屋は歩き始めていたので彼女についていくしかなかった。
「まあ、迷宮みたいなのは昔から一緒だから」
蚊屋野の言ったことの意味は誰にも解らなくて気休めにもならなかった。だが昔は工事ばかりしていて、いつもの通路が急に通れなくなったり、新しい通路が出来たり、そんなことがしょっちゅうあった駅だったのは事実である。
蚊屋野達は誰にも見られないように注意しながら広場を地下の入り口の方へと歩いて行った。これまで見てきた地下の施設と違って入り口が大きい。屋根のない広場を下に降りてから入るので地上にある建物に入るような感覚があった。
入るとしばらくは入り口から外の光が届いていたが、すぐに暗くなって地下だということを実感できるようになってきた。これだけ大きな地下の空間なら何かに利用されても良さそうなのだが、中には人のいた形跡がほとんど無い。
この辺りは灰が良く降る場所だということもあるが、さらに上にある大きな建物が人を寄せ付けない理由になっていた。いつ崩れてくるか解らないビルの下に居住区を作っても誰も住みたがらない。なのでこの地下は他の場所で使うための資材を持ち出したあとには誰も来なくなったようだ。
入り口からの光が届かなくなると彼らは懐中電灯を取り出してその明かりを頼りに進んだ。足下を照らすのでやっとという明るさの懐中電灯だが、それでも普通の速さで歩けるのは所々で天井に開いた穴から光が入ってくるからだった。
先頭を歩いていた花屋は無意識に光が差し込んでいる場所の近くを通ろうとしていた。この暗い中では少しでも明るい方が安心できる。だがそんな時にケロ君が花屋に向かって吠えると、花屋はアッと思って足を止めた。
「(危ねえぜ。なんで天井が崩れてるかってことを考えないとな。あのクソみたいなやつはなんでもボロボロにしやがるんだ)」
花屋が歩く方向を変えたのを見てからケロ君が言った。聞くことの出来るのは蚊屋野だけだが、天井に穴の開いている近くは灰が降り込んでいて危険かも知れない、というのは全員理解したようだった。
「まるで人をおびき寄せる罠だ」
蚊屋野はそう言ってから、これは確かにゲームに出てくる迷宮っぽいな、と密かに思っていた。他の二人は蚊屋野の言っている意味は解るが、今はそういう上手い喩えは必要ないと思って、黙ったまま歩いていた。
二人が反応しなかったことは特に気にしていない蚊屋野だったが、すでにその時には別の事が気になりだして仕方なくなっていたのだ。それはどうして天井に穴が開いているのか?ということだった。
これまでは地下にいれば灰が降ってきても安全ということだった。それで地下に居住地が出来たりもしていたのだし。灰によって地下室の天井が崩れて埋まってしまうようなこともないはずなのだ。だがなぜここの天井は崩れているのだろう?
そこで考えられるのは、この地下の上にあるビルの上の方から崩れてきた瓦礫がそのまま天井を突き破って落ちて来たのではないか、ということだ。そしてそれは上に建物が残っている限り、いつどの場所で起こるのか解らない。
蚊屋野はまだ何も言わなかったが、一人で恐ろしくなってソワソワしながら歩いていた。時々天井から小石のような細かいものがパラパラと落ちてくる音が聞こえるのだが、その度にさっきの路地で崩れ落ちた壁の事を思い出して、蚊屋野は悲鳴を上げたくなっていた。
他の二人はどう思っているのだろうか。ここは地下だから安全だと思っているのか。それとも、ある程度の危険は承知でここを歩いているのか。もしかして危険に気付いていないのなら教えてあげるべきかも知れないが、余計な事を言って迷惑になるのも良くない。
そんな事をうだうだ考えている間に、先の方に階段が見えてきた。そして、その先が明るくなっているのも解った。あの階段を登れば外に出られる。雰囲気だけは迷宮のようだったが、もともと今歩いている通路は広い通路なので、所々に瓦礫が落ちてきていても道を塞ぐことはない。余計な事を考えて心配していた蚊屋野だったが、先が見えてきて安心していた。
「あの階段を上ったらすぐに外だよ」
この場所については他の二人よりも詳しい蚊屋野は安心したついでに余計な情報を教えてあげたりもした。
それが原因ということではないが、時々聞こえていたパラパラという音がまた聞こえて来た。そして、それはこれまでよりも派手なパラパラになっていった。これはちょっと様子が違うぞと思っていると、バリバリッと激しい音がして天井が落ちてきた。
彼らから少し離れたところだったが、落ちてきたのは天井だけではなくて外にある建物の外壁も一緒だった。もしかすると上にある駅のホームの一部とかそういうものかも知れないが、それが重くて危険なものという意味ではなんでも同じである。彼らは激しい音と振動に驚いて全員頭を抱えてうずくまっていた。顔を上げるとそこには新しい穴が出来ていて、舞い上がったホコリがそこから差し込んでくる光に照らされていた。
危ないところだった、とそれぞれが言おうとしていたのだが、まだそれは早いような気がした。まだ細かいものが落ちてくるパラパラという音が聞こえているのだが、それに混ざって別の音も聞こえてくる。ついさっき開いた天井の穴から、離れた場所で何かが壊れる音がしている。
「(ボサッとしている場合じゃないと思うぜ)」
ケロ君はそう言ってから大きく吠えた。呆然としたまま天井の穴を眺めていた三人だったがケロ君が吠えるのを聞いて慌てて走り出した。さっきの振動で脆くなっている部分が細かく崩れているのか、走っていると天井から落ちてくる細かい小石のようなものが顔にあたる。それがパラパラいう音の正体なのだが、このままだとまた天井が落ちてくるような感じがしてこのパラパラが酷く恐ろしい。
こういう時には何かに躓いてよろめいたとしても、見事に体勢を立て直して走り続けることが出来る。この人間の秘めた能力に気付いて感心できるのはずっと後になってからに違いないが、そのためには今はなんとかしてここから脱出しないといけない。
夢中で走り続けていると、今度は彼らのすぐ後ろでまた大きな音が聞こえた。振り返る余裕などはなかったのだが振動と、風圧のようなものを背中に感じるぐらいの近さだった。こうなるともう何が何だか解らなくなってくる。前方に見える光の方へ必死で向かった。走っている感覚すらなかったので、光りの方が向こうから近づいていくるような気もしていたのだが、全身が光に包まれたというような気がしたところで、蚊屋野はやっと自分が外に出られた事に気づいたのだった。
外の光に慣れると、蚊屋野はまずは周りを確認した。上には落ちてくるものは何もない。ひとまず安心してさらに辺りを見回すと他の二人とケロ君も近くにいて、無事に外に出られたことが解った。
彼らは振り返って上の方を眺めていた。目の前には蚊屋野の知っている横浜駅の入り口があるのだが、そのビルの上の方は半分崩れている。そして、手前に見えている壁の向こう側から、また大きな音が聞こえてきた。ビルの外壁か鉄骨か解らないが、そういうものが崩れ落ちて地下の天井を壊しているのだろう。
三人とも何かを言おうとしていたのだが、まだパニック状態で上手く声が出てこなかった。だがこれで終わりではないということには気付いていた。大変な危機を乗り越えたのだが、この先にはまだやることがある。
彼らは黙ったままユックリと振り返った。まだ今日は始まったばかり。なんとか助かったのだし旅を続けなければいけない。