Technólogia Vol. 1 - Pt. 57

Technologia

63. 二つの川

 ロボットはどうして人と同じ形に作られているのか。そうすることによって人がロボットに親近感を抱くことが出来るからなのか。しかし、親近感だったら犬のような動物の形でも良いし、わざわざ生き物と同じ形にしなくても、丸っこいデザインにすれば可愛く見えたりするはずである。それに人間に似せてしまったために、顔の下の骸骨のような骨格がむき出しになったあのロボットは親近感どころか、恐怖でしかなかった。
 ということは、人間は人間の姿が動物として一番優れたものだと思っているのだろうか。それだから、ロボットも人間と同じ形にしているのだろうか。しかし、それはちょっと違うようにも思える。人間は空を飛べないし、水の中では悲しくなるほど動きが鈍い。それでも人間が一番優れていると考えるような人がいるとしても、その人にはロボットを作ることが出来ないような気もする。人の形をしているのには、それ以外の理由があるはずだ。
 そこまで考えた時に蚊屋野はふいに結論に辿り着いた気がした。ロボットが人間に似ている理由は単純な事かも知れない。ロボットが人間と同じ形をしていれば、人間の使っていた道具をロボットも使う事が出来るから、余計な出費を減らすことが出来る。この「お得感」のためにロボットは人間と同じ形になったのだ。
 またどうでも良い事を考えていた、と蚊屋野は思っていたが、頭蓋骨のような骨格がむき出しになったロボットの気持ち悪さのせいで、どうしてもそういう事を考えてしまうのだった。いずれにしても今は他に考えるべき事も特にない。あるとすれば、何も起きないように祈る事ぐらいかも知れないが、そういう行為は蚊屋野の苦手とするところでもある。祈ったところで何がある?とか、そんなことを考えてしまうような人は祈るべきではないのだ。
 それはともかく、蚊屋野はメガネをかけて、顔の下半分にはタオルを巻いて顔を隠していた。彼と同じく後ろの席に座っている花屋と堂中はゴーグルとマスクで顔を隠している。
 さっき蚊屋野達に気付いて警察に連絡しようとしたロボットが彼らの事を認識するのにはかなりの時間がかかっていた。だから顔を隠していれば橋を渡りきるまでに自分達のことをロボットに気付かれることはない。それが花屋の考えだった。
 花屋の考えに反論する者は誰もいなかった。しかし、橋で作業をしているロボットの事を詳しく知っているワケでもないので不安は拭いきれない。もしかすると、さっきのロボットよりも高性能な新型かも知れないし、そうでなくても数が多い。ロボット同士で連携する機能があったりすると、あのロボット達の間を通り過ぎる間にそれぞれのロボット達が見たものが一つの目で見たもののように認識されるとか。それは考えすぎかも知れないが、何もせずにただ座っているより他にない状況だと色々と悪い事を想像してしまう。
「まったく熱心な仕事ぶりだな」
ディテクターさんの言うとおり、ロボット達は黙々と仕事をしている。ギリギリ渡れる状態だった橋を補修したという感じで、作業はほぼ終わっているように見えるのだが、今やっているのは最後の仕上げということだろうか。昔の世界と同じようなピカピカの橋が出来上がるわけではなくて、色んな場所から集めてきた廃材などを利用して作られた橋なのだが、見た感じでは車が通っても充分に耐えられそうなものが出来ていた。
「こんなところに橋を作ったって、また灰が降ってくるのに。どういう意味があるんすかね」
次第に近づいてくる橋を見ながら堂中が言った。まだロボット達とは距離があるのだが、身を低くして隠れるような感じで外を見ていた。
「ロボット専用道路でも作るんじゃないのか。あいつらが人間と同じ道を歩いてたんじゃ、気味が悪いしな」
ディテクターさんが適当な答えを返した。ロボットだって灰を浴び続ければそのうち壊れてしまうに決まっているのだが。そう考えると確かに何のために橋などを作っているのか謎に思えてくる。
「どうしてもロボットを使いたいヤツがいるんだろうな。ロボット売り込むにはちゃんと役に立つって事を示さないといけないからな。だからこうやって橋を作ってんだ。この橋が何の役に立つのか、なんてことはどうでもイイのさ」
布路織の言うことは大抵がインチキくさいのだが、たまにこういうまともな事を言う。ただ他のインチキくさい話のせいでまともな話も嘘っぽく聞こえてたりもする。
「でもロボットを量産する設備も資源もないっすよね」
「そうなんだがな。そこが謎だよな。誰も知らない巨大な組織があるのかも知れないな」
やっぱり嘘っぽくなってきた。
「ロボットがロボットを作ればイイんじゃないのか」
ディテクターさんが口を挟んだせいで更にデタラメな話になってきた。そうこうしているうちに車は橋のところまで来た。中央部分は補修をする前から残っていたものがそのままなので、そこで作業をしているロボットはいなかった。車は両側で作業を続けるロボットの間をユックリ進んでいった。
 本当はスピードを出して一気に渡りたいところだったのだが、新しい橋は車用に作られているワケではないので、そうはいかない。補修に使われた廃材の繋ぎ目が飛び出していたり窪んでいたりする場所があって、ほとんど歩くぐらいの速さでしか進めない。
 ロボット達は橋の作業にしか興味がないのか、車が通っても全く気にする様子がない。この場合「興味」というのは間違っているのかも知れない。ロボットなので、作業以外のことはしないように設定されているという事に違いないが。それでも最初に見付けたロボットのように、近づきすぎたりすれば蚊屋野達の存在に気付いて、そして問題を発見すれば警察に通報しようとするのだろう。
 ロボット達が自分達を見ていないのが解ったので、車の中からはロボットの様子をじっくり観察することが出来た。外見はやはりチカと同じで、特に新しく作られたような感じはなかった。肉体労働をする少女。これはこれでまた問題がありそうな光景なのだが。ロボットを少女型に作るとロクな事にならないということだろう。
 ロボット達の中には顔がないものもあれば、ちゃんと顔があるものもあった。顔が半分だけ残っているという感じのロボットはないので、顔のない方はもしかすると始めから顔の骨格が剥き出しだったのかも知れない。
 それよりも興味深いのは顔のあるロボットの方だった。顔のあるロボットはどれも同じ顔をしているのだが、前に見たチカとは違う顔をしている。やはりチカは持ち主であった真智野先生が自分の娘に似せて特別に造らせたモデルということなのだろう。
 ここにいるロボットはなんとなく大人びているような感じがある。すこし細めの輪郭のせいなのか、あるいは無表情なのがそう思わせるのかも知れない。どっちにしろ橋を作る作業には必要のないものでもある。このロボット達が今していることは、彼らが作られた目的とは無関係に違いない。
 ここで蚊屋野は正常だった昔の世界のことを思い出した。昔といっても蚊屋野にとってはちょっと前の事なので、その世界は鮮明に記憶に残っている。そして、その世界でこういう綺麗な顔の女性のロボットがどんな目的で作られていたのか。実際に開発は始まっていなかったのだが、人間そっくりな人形と、人間型ロボットの組み合わせで何が作られようとしていたのか。
 蚊屋野は時々布路織達とその話をすることがあった。むさ苦しい男達のあつまるむさ苦しいアパートの一室でその話をしても、やはりそれは「狂ってる」という結論になったもの。このロボット達は成人男性のお相手をするために作られたものなのではないか?ということを蚊屋野は考えたのだ。世界がこうなってしまったために元の用途とは別の用途で使われているに違いない。
 世界は昔から正常ではなかったのかも知れないと蚊屋野は思っていた。どちらかというと、ロボットはこういう危険を伴うかも知れない労働をするのが正常なのだし、その点では今の世界の方がロボットの使い方は正常に違いなかった。
 一度そんな事を考えてしまうと、蚊屋野にとってこの橋の上の光景は違うものに見えてきたりもする。海外の映画やドラマで良く目にしたあの光景。娼婦達が道沿いに並んでいる中を男の乗る車がユックリ進んで、今夜の相手を物色しているような、あの光景にそっくりに思えてきたのだ。そんな事を思っていると、一体のロボットが別の作業に移るために振り返って、その拍子に蚊屋野と目が合った。目が合ったのか、あるいはたまたまロボットの目の向いている先に蚊屋野がいたのか解らないが、蚊屋野はなんとなく罪悪感のようなものを感じて目をそらした。
「あんまり外は見ない方が良いですよ」
蚊屋野の様子に気付いた花屋が言った。
 蚊屋野は車内に視線を戻してから、ロボットと目が合った時の薄暗い気分のまま頷いた。色の付いたゴーグルに隠れて花屋の瞳は見えないが、蚊屋野はそのゴーグルのレンズの向こうにある透き通った瞳を思い出した。
 花屋の目にはこのロボット達はどういうふうに見えているのだろうか。少なくとも蚊屋野が思ったようなことではないだろう。かつて寂しい男性を喜ばせるために作られたかも知れないロボットが橋を作ったり、別の場所では住民を救おうと奮闘していた。今の世界と昔の世界のどっちが異常なのか。考えたところで結論が出る話でもなさそうだが。しかし、今は新たにロボットを開発するような資源もないのだし、20年前に別の用途で開発されようとしていたロボットを別の形で活用するのは仕方ないことなのかも知れない。本当にこれらのロボットが20年前のものだとしたら、の話だが。
 ここで人間の根源的な欲望について考えたり、あるいは興味本位で娼婦街に足を踏み入れた若者的なドキドキ感を抱いていたのはもちろん蚊屋野だけだった。車の中の他のみんなは、殺人犯とされている蚊屋野達にロボットが気付いて通報しないか見張っていた。
 途中で数体のロボットが車に気付いて顔をこちらに向けたのだが、それはただ安全を確認するための動作だったようだ。結局、蚊屋野が人知れず妙な気分になった以外は何も起きずに、彼らは無事に橋を渡りきった。そこから少しスピードを上げて橋から充分に離れたところで布路織は一度車を止めた。
「大丈夫だったみたいだな」
布路織は窓から顔を出して後ろを見ながら言った。しかし、蚊屋野はまだ安心できないと思っていた。この先には更に大きな川があるはずだったのだ。昔の世界ではそこを越えたら東京ということなので、ビデオゲーム風に言うならば、そこが最終ステージに違いないとも思っていた。
「でも次の川はもっと危険かもよ」
蚊屋野が言ったが、どうしてそう思うのか解る人はいないようだった。
「多摩川にもあいつらがいるってことか?今度はボートに乗ってるとでも?そりゃボーッとしてられねえな」
ディテクターさん余計なダジャレにイラッとしたが、なにか蚊屋野の知らないこともあるような感じもあった。
「多摩川の橋はほとんどが壊れたままなんすよ。みんなが通る道の橋だけは管理されてるんすけどね。他が壊れたままにされてるのは防犯上の理由もあるって聞いたっすけど」
「それじゃあどうやって渡るの?」
「防犯っていっても形だけだからな。誰かが監視してるわけじゃないし、安全に渡る方法は用意されてるのさ」
また布路織が偉そうに言ったが、蚊屋野にはどういう方法があるのか考えつかなかった。
「どっちにしろ、車に乗ったまま東京に入るワケにはいかないからな」
布路織が付け加えてやっと蚊屋野にも解ってきた。
「もしかして渡し船?」
「そうだな」
「じゃあ多摩川でお別れってことか」
「そうだな」
そう言う布路織の声に少し力がなくなったような気がした。布路織は蚊屋野達との別れを惜しんでいるのか、というとそうでもないのだが。蚊屋野としてもその理由が解って、なんとなく気の毒な気もしていた。
 蚊屋野達と別れたあとで布路織はさっきのロボット達のいる橋をもう一度、今度は一人で渡らなくてはならないのだ。いつもは偉そうに話す布路織だが、一人になると弱気になるというのは解る。偉そうに話しても偉そうに見えない人というのは大抵そんな感じなのだ。
「SUVだし、大丈夫じゃない?」
蚊屋野は慰めたつもりだったが、またしても慰めた感じになっていないのに気付いた。
「そうだな」
布路織は弱々しくそう言ってから再び車を走らせた。
 悪路のノロノロ運転でも多摩川まではすぐに到着した。予想どおり多摩川にかかる橋にはロボットはいなかった。橋は道が川に向かって傾斜していく途中のところから崩れ落ちている。橋と言える部分がほとんど残っていないこの状態ではロボットにも修復は出来ないに違いない。というよりも、あのロボット達はまだ人間以上の仕事は出来ないようにも見えたし、なおさら無理だとも思えるが。そう考えると、さっきの橋をわざわざ修復していたのも謎に思えている。やはりロボットがちゃんと仕事が出来るということを世の中に示したい人がいるということなのか。
 蚊屋野達は川の手前で車を降りた。渡し船はこの「国道」の通っている場所から少し上流に行った場所にある。ここまで秘密兵器を運転してきた布路織とはここでお別れという事になった。
「気をつけてな」
「こいつらのことなら任せておけ」
布路織は蚊屋野達に言ったのだが、最初に返事をしたのはディテクターさんだった。
「ああ。アンタにも世話になったな。どうもアンタみたいな人とは縁があるみたいだな」
布路織はそう言ってから手を伸ばしてディテクターさんに握手を求めた。ディテクターさんも布路織の手を握ったのだが、布路織の言ったことの意味については良く解っていなかった。布路織はモデルガンのことについて言ったのだと思うが、それはどうでも良い事だ。
 蚊屋野達が布路織にお礼を言う前にディテクターさんが割り込んだ形になってしまったので、布路織との別れの挨拶はなんとなく空回りしたような雰囲気になってしまった。形式だけの挨拶なら問題ないのだが、心からの感謝の気持ちを伝えたいとか、そういう感じの時にはタイミングを逃すと何を言っても逆効果になったりもする。結局花屋と堂中は通り一遍の挨拶をするだけになってしまった。そして、最後に蚊屋野が礼を言った。
「なあ、オマエがこの事についていつか本を出したりするんだったら、オレ達のことを書くの忘れるなよ」
「道なき道をSUVで豪快に駆け抜けたドライバーの話は特に詳しく書くことにするよ」
そんな感じなので、心のこもった挨拶は特に必要なかったのかも知れないが。
 帰りの道で布路織は大音量で思う存分ヒップホップを聴けるかと思ったのだが、ロボット達の注意を引くかも知れないので、それはやめる事にした。

 蚊屋野が多摩川を最後に見たのは、昔の世界が崩壊する前日だった。電車の窓から見た多摩川の河川敷はいつもどおりのどかで、そして退屈に見える場所だったのだが、その光景は今でも変わっていない。それなので、蚊屋野は今の多摩川を見てもなんとも思わなかったのだが、それがおかしいことかも知れないというのにやっと気付き始めた。
 あれから20年以上が経って、その間に川の周辺の整備などをしているヒマはなかったはずなので、本来ならもっと草がボーボーだったりしてもおかしくないのだが。だが灰の影響を適度に受けて、植物が育ちすぎたりもせず、全体的には20年前と同じ風景が保たれているのだった。
 蚊屋野達が土手までやって来ると、斜面を降りたすぐのところに小さな掘っ立て小屋がある。そこから真っ直ぐ川の方へ目を向けると、そこにはイカダが係留してあった。土手を降りると小屋から不機嫌そうな「おじさん」という感じのする男が出てきた。小屋といっても柱と屋根だけで壁らしきものがほとんど無いものだったので、最初からそこに男がいたのは解っていた。
 男は蚊屋野達がやって来るのに気付いていたはずだが、彼らが小屋のすぐ近くまで来るまで黙って椅子に座っていた。どう見ても客商売向きの人ではなさそうだ。
「一人十円玉一枚。モバイルはダメだよ」
多摩川に橋がほとんど無いのは防犯上の理由ということなので、本来なら渡し船で通行人に川を渡らせるというのもしてはいけないことなのだ。なので、この世界で一般的な電子マネーのようなものは使えないのは納得である。それで一人十円玉一枚なのだが、これが高いか安いかとは関係なく人数分の小銭がなくて花屋は困っていた。
「十円玉の代わりに食糧じゃだめですか?」
彼らのカバンの中にはまだ数日分の食糧とマズいコーヒーの素が入っていたが、ここまで来たらもう食糧は必要ない。それを代金として使えたら都合が良いと思った花屋だったが、男は黙って首を振った。
 それを見ていたディテクターさんがポケットから名刺を出して男に渡した。
「オレはこういう仕事をやってるんだが。この人達は大事な用があってここを渡ろうとしてるんだ。協力してもらえないか?」
そう言われて男はディテクターさんから名刺を受け取ったのだが、そこに「ディテクター」と書かれているのに気付いて顔を真っ青にしていた。この人は「ディテクター」の意味を知っているのだと思うが。ディテクターさんが警察の関係者だと知って男は焦っているようだった。もしも逆らえば逮捕されるかも知れないし、仕事を失うことになるかも知れない。
 蚊屋野は焦っている男の表情を見て少し気の毒な気分になっていた。男はこの仕事を失ったら生きていけないとか、そんな感じの顔をしていたのである。このままタダでここを渡らせてもらったら、なんとなく人の弱みにつけ込んでいるような気分にもなりそうだった。
「あの、これ。たまたまポケットに入ってたのに気付いたんだけど。これで良かったらどうぞ」
そういって、蚊屋野は百円玉を取り出した。それは車の中でなんとなくポケットの中を確認した時に見付けた百円玉だった。蚊屋野にはポケットに小銭を入れる習慣はないし、そのポケットも使う事は滅多にないポケットだったのだが、たまにそういう場所を調べてみると思わぬ発見があるものである。
 これは妖精からの贈り物だな。と蚊屋野は考えていた。本当は自分でそこに百円玉を入れたことを忘れただけなのだが。そんなふうにメルヘンチックに考えると、この百円玉は人の役に立つような使い方をすべきだと思ったりもするのだった。
 蚊屋野は百円玉を男に差し出した。
「やあ、これはどうも…」
男は驚いた様子でそれを受け取った。
「ずいぶん気前が良いんだな」
ディテクターさんが言ったのだが、蚊屋野にとっては元々ないと思っていた百円玉なので、どうでも良い事でもあった。
 だが、本当にそうなのだろうか。なんとなくこの男もディテクターさんも百円に盛り上がりすぎ、という感じもする。これはどういうことか?と思って花屋と堂中の方をみた蚊屋野だったが、彼らも目を丸くして彼の事を見ている。
 これはどういうことか?と思って考えられる理由を頭の中で分析してみた。そして辿り着いた結論は、この世界では貨幣の価値が元の世界とは違っているのではないか?ということだった。
 前に聞いた話では貨幣の中で一番価値の高いのは五百円玉で、それは昔と同じだった。だが百円玉についての説明は聞いていない。昔の世界では十円玉を十枚あつめると百円玉一枚の価値になるのだが、ここではそうではないのかも知れない。五百円玉とは違った意味で、百円玉には百円以上の、しかも何十倍もの価値があるのかも知れない。
 この世界のお金のことについてもっと詳しく知っておくべきだったと、こんなところで後悔するとは思わなかったのだが。とにかく今更「返して欲しい」とも言えずに、蚊屋野は太っ腹な客として渡し船を使う事になるのだった。
 百円玉を手に入れた男は、普段は滅多に見せないであろう笑顔を浮かべたりしながら蚊屋野達をイカダまで案内した。それに全員が乗り込むと男は川の両岸に張ってあるロープを引っ張ってイカダを動かし始めた。
 なんとなく思っていたのと違うという感じもあったが、ロープを引っ張るだけなら特別な技術もいらないし、一番効率的にも思えた。
 ほどなくしてイカダは対岸に到着した。イカダを降りたらついに東京に到着。蚊屋野は胸に熱いものがこみ上げてきそうになっていたが、敢えてそれを気にしないように小さく飛び跳ねるようにしてイカダから降りた。
 ここまで一緒に旅を続けてきた花屋と堂中はどんな顔をしているのだろうか。そんな事を思って蚊屋野は彼らの顔を覗き込んでみたのだが、彼らはいたって普通だった。
 あれ?っと思っていると、ケロ君が言った。
「(川の風で冷えたな。ちょっと小便してくるぜ)」
なんだかあまり感動的な感じがしない。
 ケロ君が戻ってくると、花屋が「あと一息ですから頑張りましょう」と言って彼らは歩き出した。
 昔の世界の区切りではすでに東京なのだが、今の世界だとここはまだ東京ではないということのようだ。
 蚊屋野はちょっとだけ涙ぐんでいたりもしたのだが、その感動はなんだったのか?と思いながら歩いていた。無駄に感動したせいで、本当にゴールした時の感動が半減しなければ良いとも思っていた。

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