Technólogia Vol. 1 - Pt. 62

Technologia

68. 晩餐

 受け入れ難い現実といえば、大抵の場合は不幸な出来事のことをいうのだが、蚊屋野にとってはその限りではなかったりする。蚊屋野がこれまで一緒に旅してきた花屋が実は自分の娘だったとか。自分を陥れたと彼が思い込んでいた葉奈がその母親だったとか。不幸ではないが、受け入れ難いことではある。
 どうしてこんな事になるのか、と蚊屋野は考えていた。これほどのことは普通に生きていれば滅多に起きることではない。そこには何か目に見えない大きな力が働いているのではないか?と思いたくもなる。世界が崩壊し始める前の夜に泥酔して能内先生の研究室に潜り込んだこと。それが事の始まりかというとそうでもない。その前に(勘違いではあったが)葉奈に裏切られたということもある。ということは、葉奈と出会ったことがいけなかったのか?いや、それでは戻りすぎだ。それを突き詰めてしまうと、生まれてきたこともいけなかったことだし、さらにいくと全ての責任は生命の起源にあるって事になりかねない。
 こうなった理由はどこにあるのか。それが明確になればこの状況は少しは受け入れやすいものになるかも知れない。もう一度考え直してみると、全てを決める分岐点となったのは葉奈との約束の時間に遅れていったこと、ということになってきそうだ。
 詳しい事は知らないが、葉奈の父親は世界に異変が起こることを知っていたらしい。だとすると、あの日の数日前に蚊屋野がやったアルバイトのことも納得がいく。研究のために精子を提供するという内容だったが、思った以上に給料が良かったので深いことは考えずに承諾してしまった。あの時に提出した精子から花屋が生まれたのかと考えると、蚊屋野は少し胸が苦しくなるような気分になった。この点について、男性なら大体解ると思うが、精子を提供できる状態にするまでにはいくつかのプロセスがあったりする。その中で恥ずべきところは少しもなかったと蚊屋野は思っている。そう思ったところで誰に影響があるのか解らないが。とにかく、蚊屋野はすでに葉奈に夢中だったのだ。(蚊屋野の事を思いやって、これはあまり深く考えない方がイイだろう。)
 それはともかく、葉奈の父と他の数名の科学者達は世界に起きている異変に気付いて家族をつれて安全な場所に隠れることになったのだ。蚊屋野が遅れていかなければ彼も一緒に安全な場所に連れて行ってもらえたはずだった。その前に葉奈が蚊屋野に説明しなかったのは、言っても信じてもらえないと思っていたからだそうだ。
 いつどこで説明されても蚊屋野が信じたかどうかは疑わしいが、とにかく待ち合わせの時間に遅れなければ蚊屋野には全く違う未来が待っていたに違いない。
 ではなぜ蚊屋野は待ち合わせに遅れたのか。だらしないように見えて待ち合わせには遅れることがなかった蚊屋野。厳密にいうと、当時の蚊屋野はヒマすぎて他にやる事も無いので、待ち合わせに遅れる理由もないということだったが。
 だがあの日だけは違っていた。異性と二人で会う時に、見た目を気にするのは誰でも同じである。それが自分とは不釣り合いと思えるほどの美女が相手となるとなおさらである。たとえ蚊屋野が選ぶのに困るほど服を持っていないとしても、何かが気になりだしたらキリがない。
 フードの付いた上着にするのか、それともフードのない上着の下からパーカーのフードを出すのか。それを決めかねて何度も服を着たり脱いだりしているうちに待ち合わせに遅れることになった。
 こうなったのは全てフードのせいだ。そういう結論に達すると蚊屋野はこの事について考えていたのを後悔してしまった。だが、いつものように何も考えずに出かけて待ち合わせ場所へ行っていればどうなったのか。まだお互いを深く知り合っていない蚊屋野と葉奈が上手くいったのかどうかは解らない。だが今となってはどうでも良い事なのかも知れない。葉奈は蚊屋野が無事だったことを喜んでいるのだし、それに今はそんな事を考えている場合ではないのだ。
「蚊屋野君…。蚊屋野君」
蚊屋野の事を心配そうに見つめながら呼び掛けたのは、葉奈の父であり花屋の祖父でもある中野賢蔵(ナカノ ケンゾウ)だった。
「大丈夫かね?疲れてるんじゃないかね?」
「そんな事ないですよ。大丈夫です」
疲れていないといったら嘘になるが、全てをフードのせいにしたのはそれが原因ではないので「大丈夫」に違いない。
 それはどうでもイイが、今は蚊屋野達が無事に東京に到着したということで、ささやかなパーティーが開かれている最中だったのだ。部屋に居るのはこれまで旅をしてきた蚊屋野達三人と、中野賢蔵、葉奈、賢人と賢蔵の妻だった。(一応足下にはケロ君もいるが、子供達の遊び相手をして疲れ切っているのですでに寝てしまっている。)
 会話の内容は主に蚊屋野達が東京にやって来るまでの道のりで起きた出来事についてだった。花屋が静岡のあの居住地に住んでいたのは、能内教授の下で勉強するためであり、またこの計画のためでもあった。それで東京からは長いこと離れていたので、花屋が家族に会うのは久々でもあった。旅の途中は頼りになるリーダーだった花屋だが、今はすっかり子供の顔になっている。
 そんな事を思った蚊屋野だが、子供といっても自分の子供でもあるということを思い出して、またしてもどうしてこんな事になったのかを考えそうになってしまった。全てはフードのせいなのだ。もうそれは考える必要はない。
 花屋が少し興奮気味に話しているので、蚊屋野が話に加わるのには少し苦労しそうな感じだった。本当はスフィアについての詳しい話を賢蔵に聞いてみたい蚊屋野だったが、花屋の話はまだケロ君に出会ったところのなので、なかなか終わりそうにない。それに、もしスフィアの事を聞いたとしても、また「スフィアがどんなものであると考えているのか?」ということを逆に賢蔵から聞かれるのではないか?とかいう不安もあって強引に話をそこへ持っていくつもりもなかった。箱根の市長に「スフィアの存在する意味」というのを聞かれてしどろもどろだった蚊屋野だが、あれから長い時間が経っても少しもその意味など解りそうにない。というよりも、他の事が忙しすぎて考えるヒマもなかった。「これじゃあ人生の意味について考えるのと一緒だな」とか上手いことを考えてしまった蚊屋野は思わずニヤニヤしそうになったのだが、寸前で自分で自分を制止した。意味はそこに辿り着いた時に明らかになる。そうに違いない。
 花屋の話が長く続きそうなので、蚊屋野は目の前にある食べ物を食べながら彼女の話に耳を傾けていた。食べ物といっても、旅の途中で何度も食べてきたあの白い味のしない食糧なのだが。しかし、今日は「ささやかなパーティー」なのでそれだけではない。白い食糧に付けるためのソースがいくつも用意されている。それぞれ味が違うのだが、付けるソースによって白い食糧が肉の味になったり、サラダの味になったりするのだ。このソースのおかげで白い味のしない食糧だけでも、パーティーで様々なご馳走を食べたような気分になれる。
 そういう嬉しいような悲しいような感じの食べ物を食べながら、蚊屋野は何度も葉奈のことを無意識に眺めたりしていた。二十数年の月日の経過は隠すことが出来ないが、葉奈が美しいことに変わりはない。もしも、(蚊屋野の時間における)先日買った新しい上着にフードがついていなければ。世界が崩壊していく中を葉奈と過ごすのはどんな感じだったのだろうか。それもタダの知り合いではなくて、恋人同士として。
 蚊屋野が今着ている服にフードがついていることを恨めしく思いながら、また葉奈の方を見ていたのだが、葉奈がそれに気付いたような気がして蚊屋野は視線を他に移した。そして、花屋の話の続きを聞きながら、またボンヤリと葉奈のことを考えて、いつの間にか葉奈のことをジッと見つめている。そんな事を繰り返しているうちに、葉奈が蚊屋野の視線に気付いたように思えても蚊屋野は気にしなくなっていた。
 ふと気付くと葉奈が蚊屋野の事を見て微笑んでいる。蚊屋野はなんとなく嬉しくなって同じように葉奈に微笑みを向けた。葉奈が微笑んでいたのは、もしかすると花屋の話が面白かったからかも知れない。もしそうだとしても、蚊屋野はそれで良かった。ここまでの旅の苦労だけではない、もっと大きなものを含めたものがここで報われたような感じがした。
 そんな事を考えていると蚊屋野はまたお腹が空いてきたので、またご馳走風の味のしない食糧を食べ始めた。ニヤニヤしながら食糧を食べていた蚊屋野がたまに顔を上げて葉奈の方を見ると、葉奈の背景が光の中でぼやけていて、星の形をしたいくつもの照明が葉奈の顔を浮かび上がらせているような、そんな光景が蚊屋野には見えた。蚊屋野はまたウットリしてボンヤリと葉奈の顔を眺めてしまう。
「それで、蚊屋野君はどう思うの?」
蚊屋野は自分の名前が呼ばれてもまだ気付いていなかった。
「蚊屋野君?!」
蚊屋野がハッとして花屋の方を見た。まだ大丈夫だろうか?今まで夢の中にいたような感じだったが、果たして自分はどんな顔をしていたのか。花屋や、その他の人の表情を見る限り、まだ大丈夫な気がする。ちょっとニヤニヤしていたかも知れないが、気持ち悪いほどの表情ではなかったはずだ。
 しかし、自分は何を聞かれたのだろうか?と蚊屋野は思った。まさか、またスフィアの存在する意味とかを聞かれたのではないだろうか?
 蚊屋野は何も答えられずにいた。すると葉奈が花屋に声をかけた。
「あなた、蚊屋野君って呼ぶから気付いてもらえないんじゃないの?」
「えー。だって…」
葉奈は半分冗談でいったのだが、花屋はなんとも言えない様子だった。蚊屋野がもう少ししっかりした人間だったら良かったのかも知れないが、今のところ花屋は蚊屋野のことをお父さんとかパパとか呼ぶのには抵抗があるようだ。実際の歳の差で言ったら兄と妹という感じなのでそれは仕方がない。
「それよりも、どうなんすか?蚊屋野君もザ・バードを作っていた世代の人なんすから。そういう人の意見は貴重っすよ」
堂中の言うことを聞いてみると、どうやら話題はいつの間にかザ・バードの事になっていたようだ。きっとザ・バードについてどう思うのか、ということを聞かれたのだろう。
 蚊屋野は「ザ・バードを作っていた」というのは面白い表現だと思った。世界が崩壊する前に一番人気のあったSNSのデータがこの世界で色々と都合の良いように解釈をされて「ザ・バード」になったということだが。厳密には今の東京で流行っているザ・バードというのは抽象的で何を指しているのかは良く解らない。それは聖書のように扱われているのか、それともことあるごとに誰かが言葉で伝えるのか。とにかくそれは当時のSNSで多くの人にシェアされたような投稿ほど影響力があるということだった。
 そんなもので世の中の流れが出来てしまうというのは下らないし、時には恐ろしい事でもあるのだが、今も昔もそれは同じだとも思えた。
「さあ、どうだろうね。ボクの知っている限り、アレは有名人と、有名になりたい人達が仲間をふやすためにやるものって感じだったけどね。それ以外は、仲良しクラブか、逆に常にケンカしてるか。そんなイメージしかないよ」
蚊屋野が正直なところを話したが堂中は良く解らないような顔をしていた。蚊屋野がこれまでの話を全く聞いていなかったのだから仕方がない。
「賢人さんがいってた情報の量と正確性とか、そういうところはどうなんすか?」
賢人は蚊屋野よりも少し難しい話をしていたようで、蚊屋野はちょっと恥ずかしくなった。
「うーん…。情報ねえ」
確かに企業や政府の機関がSNSで情報を公開することが増えていたし、その他の些細な事でもいち早く情報を知ることが出来るようにはなっていた。それは良いことなのかも知れない。でも蚊屋野はそれが何かの役に立つと思った事がなかった。そんな情報はいち早く知って得する人というのはあまりいないし、得する人はSNSなんて使わないでも情報を仕入れることが出来る人達でもあった。
「結局、役に立たなきゃ騒音でしかないからなあ」
蚊屋野としてはもっと理論的に説明したいのだが、当時のSNSも現在のザ・バードもデータが膨大すぎて簡単には説明出来ない良さと悪さがあるに違いない。少なくともSNSに関して蚊屋野はそう思っていた。一方でザ・バードは今のところ悪用されている感じがするので、もう少し否定的でも良いのかも知れないが。
 もっと何かを言いたいのだが、ここで言葉で全てを説明するのは不可能な気がする。ああいうものが流行って多くの人がインターネットを使うようになることで気に入らないことといえば、みんなで同じ事をして安心している感じが生まれることだった。状況次第ではそれは団結と呼ぶことも出来るが、そんな状況は滅多にない。始めはみんなでワイワイしている感じが楽しいのかも知れないが、次第に他と違う事をするのがいけない事のように思えてきてしまう。大きな流行というのには個性を発揮するのが禁止されているような、そんな気持ち悪さを感じるのだった。
 その気持ち悪さがザ・バードの流行と関連しているのか?というと良く解らない。しかし蚊屋野は昔のSNSの流行にモヤモヤしていたし、それが形を変えて今の東京で流行っているというのも不気味な感じがしてしまう。蚊屋野が納得がいかないまま小さく唸っていると、段々と口がよじれてヘンな顔になっていた。
 それを見て葉奈がフフッと笑いをこぼした。
「そういう顔、花屋が叱られた時とそっくり」
そう言われた花屋があまり良い顔をしていなかったのは、蚊屋野のヘンな顔が余程ヘンだったからだろうか。蚊屋野は慌ててよじれた口を元に戻したのだが、もう遅い。まだ十代の頃から花屋を知っている堂中はなんとなく解る気がしてニヤニヤしていた。
「やっぱり似てるわよね。だって、目がそっくりなんだもん。ふとした時にいつも思ってた。やっぱり花屋は蚊屋野君の子供なんだって」
「そう言われるとそんな感じっすかね。でも二人が親子って解ってると先入観ってのがあるっすからね」
堂中が蚊屋野と花屋を見比べながら言った。第三者からしたらそんなものかも知れない。しかし蚊屋野には解っていた。
 初めて花屋にあった時にその目を見て感じたこと。不安のようであり、恐怖のようでもあったが、それとは違う何かを感じていた。それがなんであったのかここに来てようやく理解出来た。他人だと思っている人の顔に自分の目があった。無意識のうちにそこに気付いていたに違いない。それがあの不思議な感覚の原因だったのだろう。
 それからあとは葉奈の話が続いた。やはりこういう時には女性の方が良く喋るということなのか。それとも、あまりおしゃべりが好きとは言えない三人の男と、どんなことに対しても考えが流転しているような蚊屋野がこういうところでベラベラ話すことはあまりないのかも知れないが。結局スフィアの話は聞けないまま「ささやかなパーティー」はお開きになってしまった。
 幸いなことに、賢蔵もそこを気にしていたようで、ささやかなパーティーのあとでちょっとした説明をするからと蚊屋野を自分の研究室に呼んだ。
 研究室は蚊屋野が思っていたよりも殺風景な印象だった。本当はもっとコンピュータやその他の機材があったりしたのだが、この地下の研究所に移転してからはシンプルな研究室になっている。ただこの二十数年の間に出来ることは大体終わっているので、今はこの設備で問題ない。
「一応キミがやるべき事を確認しておいた方が良いと思ってね」
蚊屋野が研究室に入ると賢蔵が回転椅子をグルッと回して蚊屋野の方へ向きを変えた。なんとなく病院の診察室に入った時の気分でもあったが、それはどうでもイイ。
「何をするのか、能内先生から聞いていると思うが」
「ええ。大体のことは」
そう言った蚊屋野だが、能内博士の説明はうわの空でほとんど聞いていなくて、何をするのかという事はあとでケロ君に聞いたのだった。その情報と引き替えにケロ君を東京まで連れて来ることにしたのだが、今考えてみるとケロ君に助けられる事も多かった気もする。
「検査の結果も出ているが、キミの体も、装備の方も問題ないようだ」
装備というのは、蚊屋野が転送装置に入る時に着ていた白い特殊なスーツの事だった。スフィアから出ている強力な電波のようなものから身を守るのにはそのスーツが必要だとということだった。これまで蚊屋野以外にも健康体の人間はいたのだが、誰もスフィアに近づけなかったのはそのスーツが一着しかなかったからである。
「あとはなるべくスフィアの近くまで行って観測装置を置いてくる。それだけのことだ。それだけの事といっても世界を変える重要な任務だよ」
賢蔵の言葉には荘厳な響きがあった。能内教授とはまた別の種類の知性を感じた。能内教授のそれは、研究に熱中するあまりに傍目には滑稽に見えるところもあったが、賢蔵は常に落ち着いているように見える。
「何か質問はあるかね?」
こういう貫禄のある人にそう言われると蚊屋野は萎縮して何も聞けなくなったりするのだが、気になることは聴いてみるべきだ。質問をしなかったがために世界が救えなかったら、まさに一生の恥となってしまう。
「そのスーツが必要なのは、スフィアから出ている何かから身を守るためってことですけど。もしかしてスフィアに近づくと痛かったりとか、そういうことが起きたりするんですかね?」
蚊屋野は下らない事を聞いたような気もしたが、これは重要な事かも知れない。もしも痛みがあったりするのなら、それを知らずにいざどこかが痛くなった時に恐くなって引き返したりとか、スフィアに充分に近づけないまま観測装置を置いてきてしまうとか、そんな事も有り得る。
「それなら問題はない。スーツを着ている限り大丈夫。苦しむこともなければ痛みも感じない」
それは良かった。ここまで苦労してきたのだし、最後ぐらいは楽勝でも良いのかも知れない。そんな事を蚊屋野は思っていた。
 最終確認が済むと蚊屋野は自分にあてがわれた部屋に戻ってきた。扉を開けると中に葉奈がいた。蚊屋野は部屋を間違えたのかと思って、謝ってから扉を閉めようかと思ったのだが、部屋の中には蚊屋野の荷物もあるし、部屋を間違えたワケではないようだった。
 微笑んでいる葉奈を見て蚊屋野は彼女がそこにいる理由が大体解った。テーブルの上には葉奈の持って来たワインのボトルが置いてある。
「さっきは花屋もいたし、昔のことは話せなかったでしょ。これ、あなたが戻ってきた時のためのずっととっておいたんだよ」
「でも、そんなもの飲んで、ボクは大丈夫なのかな?」
「こう見えても私は博士の娘よ。そんな重要なことはちゃんと調べてあるんだから」
そう言いながら葉奈はボトルの栓を抜き始めていた。
 まだ寝るには早すぎる。ここで夜中まで語り合うのも悪くないと蚊屋野は思った。厳密には「悪くない」どころではないが、こういう時にはクールに振る舞うものだと思っている蚊屋野なので「悪くない」なのだ。
 20年以上一人の男を待ち続けてきた女と、緊張の連続からやっと解放された男が語り合うだけで済むかどうかは解らないが。
 生まれて初めて物事が自分のために動いているような気がしてきた。あまりにも上手くいきすぎている。
 蚊屋野は恐ろしいとすら感じていた。