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#002 「ザ・ベアー」 2003-05-11 (Sun)

 私が自分の部屋に帰ってくると、巨大な熊が一匹ソファーに座ってタバコを吸っていました。熊は私に気づくと鋭い牙をむき出しにして私をじっとにらみつけていました。私は一瞬たじろぎましたが、すぐにいろいろとおかしいことに気づき始めました。熊がソファーに座っている。さらにタバコをくわえている。それに私の部屋にはソファーなんかなかったはずです。私の大切な座椅子はどうしてしまったんでしょうか。私は部屋を間違えたのでしょうか。でも、もし部屋を間違えても熊がソファーでタバコを吸っていることなど考えられません。何がどうなって私の部屋に熊がいるのか解りませんでした。とにかくこの熊を追い出したかったのですが、それはとても危険なことだということは明らかでした。あの太い腕から繰り出される一撃を喰らったら、きっと私の顔面は半分ドロドロ状態に決まっています。力ずくではどうしても無理。でもソファーに座ってタバコを吸うくらいの熊です。話せば解ってくれるかもしれません。そこで私は思いきって熊に話しかけてみることにしました。問題は何語で話しかけるかです。日本語?熊語?・・・

「ハ、ハロー・・・」

英語にしてみました。熊は黙ったままでした。私の発音が悪かったのでしょうか。

「ヘロー?」

まだ駄目です。しかも熊はだんだんいらいらしたような目つきになってきました。ここはひとまず退散して作戦を練り直そうと考え私は後ずさりを始めました。決して背を向けないように。熊みたいな獰猛な動物に背を向けるときっと追いかけられるに決まっているからです。私が二三歩後ずさったそのときです。(つづく)


---新Little Mustapha's Black holeに関する情報---

Little Mustapha's Black holeの改装工事は少しも進んでいません。でも決してサボっている訳ではありません。「いろいろなものがありすぎて、何にもないのと同じ」状態なんです。頭の中にあるものをそのまま形にすると少なくとも1ギガバイト分のデータの量になるでしょう。しかしここでは100メガバイトまでしか使えません。数字の上では約10分の1ですが、この10分の1が問題なのです。100ページ分の文章を10ページに要約することは出来るかもしれません。しかし、ある機械のマニュアルが100ページあったとして、それが10ページに要約されていたら、その機械を使うことが出来るでしょうか。それはきっと「解る人にしか解らないマニュアル」になってしまうでしょう。「解る人にしか解らない」といえば詩の世界。一編の詩はある世界観をそこに凝縮させたもの。凝縮させたものをさらに10分の1に凝縮すると、もう何がなんだか解りません。・・・そういえばブラックホールというのはものすごく凝縮された物体なんですよねえ。凝縮という言い方があってるのかどうかは知りませんが。つまり、タイトルにブラックホールがついているからには、何がなんだか解らなくてもいいということになるのでしょうか。まあ、どうでもいいや。そのうち改装工事は無事終了することでしょう。


(つづき)

「まあ入れよ」

「あれ、日本語?」

「いいから入れよ」

「はあ、あのう、おじゃまします」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「あのう、どちら様で・・・」

「熊だよ」

「いや、それは見れば解りますけど」

「解ってるなら聞くなよ!」

「ああ、すいません」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「あのう、熊さん。ここで何を・・・」

「まったり」

「まったりですか?」

「悪い?熊がまったりしちゃ悪い?」

「いやいや、少しも悪いことなんかありませんよ。私もよく、まったりしますから。でも、そのソファーなんですけど・・・」

「いいだろ。座ってみる?」

「じゃなくって、私の座椅子はどうしたのかなあ、なんて思ったもんで」

「あんなものにオレを座らせるつもりだったのか?オレが人間の臭いが嫌いなの知ってるだろ」

「でも、あれは私のお気に入りの座椅子だったもんで、あれがないと私としても・・・あっ、いや、いいんですよ。熊さんが気に入らないんなら、それで結構。もう、本当に・・・」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「(沈黙)」

「あっ、熊さん、タバコの灰は床じゃなくて、灰皿に・・・。はい灰皿。これを使ってください」

「いちいちうるさいやつだな」

「あっ、すいません。でも床に捨てると危ないから。・・・熊さんは何でタバコなんか吸うんですか?熊なのに」

「なにっ?」

「あっ、すいません」

「いちいち謝るな!」

「すいません」

「人間は何で人間のくせにタバコなんか吸っていやがるんだ?」

「だってそれは・・・何ででしょう?習慣だから?」

「熊に習慣があっちゃ悪いっていう訳?」

「そんなことはありませんよ。熊さんにだっていろいろおありでしょうから・・・。あれ?あの壁の写真。あれも熊さんのですか?困りますよ、壁に釘とか打ち付けたんじゃないですか」

「気にすんなよ。あれは壁に掛かってるように見えるけど、実は浮かんでるんだぜ。熊の念力でね」

「ええっ、熊の念力?!本当ですか?・・・何だ、ちゃんと釘を打ち付けてあるじゃないですか」

「ワハハハッ。人間ってやつは本当に騙されやすい」

「そうですよね。熊は念力より怪力だけがとりえ・・・。いやいや、冗談ですよ。冗談。それよりこれ誰なんですか。あっ、解った。恋人でしょう?」

「熊に恋人はいねえよ。人には恋人。熊には恋熊だ」

「恋熊?・・・ふと思ったんですけど、恋熊って漢字で書くと変態に似てますねえ。そんなことより、この人は誰なんですか。なんだかずいぶん綺麗な人ですねえ」

「そうだろ。そいつは小雨っていうんだ」

「コサメさん?本当に?また嘘ついてませんか?」

「これだから人間ってやつは。一度騙されると今度は疑り深くなる」

「だって小雨なんて名前は聞いたことがありませんよ。雪なら知ってますけど」

「雪があるなら雨だってあるだろう」

「まあそう言われるとそうですけど。それでこの小雨さんと熊さんはどういった関係なんですか?」

「小雨とはずいぶん長い間一緒に住んでいたんだ」

「同居人ですか。熊さんの家に?」

「いや、元は小雨の部屋だったところだ」

「ああ、解りましたよ熊さん。熊さんはなんかの事情があって小雨さんに追い出されちゃったんですね。それで行くところがないもんだから私の部屋にやってきた。そう言うことでしょう?それなら先にそう言ってくれれば良かったんですよ。今夜だけなら泊まっていってもいいですよ。熊さん。明日になれば小雨さんのほとぼりも冷めてるはずですよ」

「なに言ってんだよ。小雨はもういないよ。小雨のところに行っても、顔半分ドロドロの屍が転がってるだけ」

「えっ?!」

(つづく)


---新Little Mustapha's Black holeに関する情報(その二)---

Little Mustapha's Black holeの改装工事が進まないもう一つの理由は、あれが手に入ってしまったということです。それにしても最近のあれはすごいですねえ。あんなことやこんなことが簡単に出来てしまいます。あれをうまく使いこなせるようになったらきっとプロ顔負け。でも上辺だけすごくても中身が伴っていなければいけないんですよねえ。綺麗に仕上げるのがプロの仕事。おもしろい中身を作るのが私の役目。ただしこの「おもしろい」は万人に共通していないというところが問題なのですが、それでも中身は私にしか作ることが出来ません。つまり、私は最近また曲を作っているということで、Little Mustapha's Black holeの改装工事はなかなか進みません。


(つづき)

「オレが初めて小雨の部屋に行ったときも、今日みたいな雨の日だった」

「あのう、今日はよく晴れてますよ。ほら、月があんなに綺麗に・・・」

「うるせえ!・・・オレの心はどしゃぶりなのよ」

「はあ・・・」

「小雨のやつはオレを見て、さすがに驚いたようだったな。さっきのおまえみたいにな。でもその後が違ってたんだ。小雨は妙にはしゃぎだしたんだ。それからオレのことをまじまじと見つめて、かわいいなんて言いやがった。これにはさすがのオレも驚いたけどな。でもオレはなんだかうれしかったな。小雨はオレが不自由しないようにいろいろしてくれたんだ。毎日欠かさず食事を運んできてくれるし、タバコも買ってきてくれたんだ。それにこのソファー。これは小雨がオレ用に買ってくれたんだ。オレのことをいろいろやってくれてるときの小雨はすごく楽しそうだったんだ。オレも楽しそうな小雨を見るのが好きだった。熊としたことが、危うく人間に恋心を抱きかねなかったな。でもよ、オレには納得できないことが一つあったんだ。それは食事は必ず壺に入った蜂蜜だったことだ。オレは蜂蜜が嫌いな訳じゃないが、蜂蜜だけじゃあ体がもたねえ。たまには肉も喰いたかったんだ。でも、そんなこと言ったら小雨が悲しむんじゃないかと思ってな、言えなかったんだ。今思うとこれがいけなかったのかもしれないな。

 人間の持ってる知識なんて半分以上間違っていやがるんだ。ある日オレは一人でテレビを見ていたんだ。もちろんこのソファーに座ってな。するとテレビに熊が映されてたんだ。それが笑っちまうのさ。テレビに映ってる熊はすごくかわいいんだ。こんなもんは熊じゃねえ、って思ったねえ。野生の熊ってやつは、特に腹を空かせたときには危険きわまりないものなんだ。でもテレビの中じゃそんな感じはみじんもない。水浴びしたり昼寝したり蜂蜜をなめたり。そんなところばっか映してやがるんだ。そのときオレは気づいちまったんだ。小雨もオレのことをこんなかわいい熊だと思ってるんだ、ってことをな。それからオレはずいぶん悩んだな。小雨に熊の本当の姿を教えるべきかどうか。でもオレが獰猛な熊だと知ったら小雨の心はオレから離れていっちまうに決まってる。オレにはそれがとても耐えられなかったんだ。

 そんなことがあってから、オレは小雨にオレの本当の姿を見られないように、いつの間にかかわいい熊を演じるようになってたなあ。小雨のやつもオレがなついてきたとでも思ったのか、それまで以上にオレの世話をしてくれるようになったんだ。おれは小雨が人間でなく熊だったらなあ、と思うこともあったよ。でもそれはどうにもならないこと。熊には恋熊。人には恋人が必要なんだ。どうやら、小雨にも恋人が出来たようだったんだ。それはそれで良かったんだ。小雨に恋人が出来てもオレに対する態度は少しも変わらなかったし、小雨が幸せになることはオレにとってもうれしいことだったんだ。でもオレがそうやって小雨を想うあまり、かわいい熊を演じてしまったから小雨はとんでもない失敗をしちまったんだ。

 小雨にとってオレは蜂蜜をなめてタバコを吸うかわいい熊だったんだ。そんな熊を見せようとしたのか、小雨はヤツの男を部屋につれてきやがったんだ。その男は小雨より少し賢かったんだろうなあ。オレを見るなり青ざめてガタガタ震えだしやがった。オレは何とか自分が怖い熊ではないというところを見せようと頑張ったんだが、どうもうまくいかなかったんだ。残念なことに熊はニコッと笑ったり出来ないからな。それで仕方ないからかわいい熊ダンスでも踊って見せようと思って、身を乗り出した瞬間だった。やろうはオレに背を向けて一目散に逃げ出しやがった。その姿を見てオレは体の中に野生の血が蘇ってくるのを感じたんだ。獲物を捕らえたときの充実感、そして肉の味。思えばオレはそれまで二年以上蜂蜜だけの生活をしていたんだ。逃げた男を追いかけようと足を踏み出してから後のことはよく覚えていないな。気がついたらオレはその男を平らげちまってた。つまりそいつを喰っちまったんだ。後悔しても後悔しきれなかったな。どんなに小雨のことを想っていてもオレは本能には逆らえなかったんだ。満腹になった自分が情けなくて仕方がなかったよ。

 部屋に戻ると小雨の姿はなかった。きっとどこかへ逃げちまったんだろう。オレは全てを失ったような気分だった。いや、実際に全てを失ったんだ。それからオレはかなりの酒を飲んだなあ。どれだけ飲んだか覚えてないが、いくら飲んでも涙になって出てきちまうんだ。きっと二週間は飲み続けていただろうよ。すると目の前に小雨が現れたんだ。はじめオレは幻でも見てるのかと思ったけど、熊ってのは鼻が利くんだ。間違いなく小雨の臭いだったんだ。でもそこに立っていたのはオレの知っている小雨じゃなかったんだ。あの殺気立った目。それに手にはどこで手に入れたのか知らないが、猟銃が握られてたんだ。オレは昔の経験から知っているんだが銃を手にした人間ほど凶暴な生き物ないな。あれに比べたら熊の凶暴性なんてかわいいもんだ。オレはそのとき死を覚悟したね。オレのしたことを考えれば当然の報いなんだ。でも小雨の様子が少し変だったんだ。どうやら猟銃の扱いを知らないらしく、いろいろいじってはいたがどうにも撃てそうになかった。オレは希望の光が差してくる感じがしたね。オレが撃たれる前に小雨に全てを説明すればもしかするとオレのことを許してくれるんじゃないか、そしてまた小雨と二人の生活に戻れるんじゃないか、ってね。そこでオレはまず小雨の手から猟銃を取り上げようと手をのばしたんだ。でもよ、オレは銃を向けられてた緊張感から自分がへべれけに酔っぱらってたことを忘れてたんだ。銃を取るはずが小雨の顔面に手がいっちまった。熊の力を持ってすれば人間の肉をえぐるぐらいは簡単なこと。小雨は顔半分ドロドロで倒れたまま動かなくなっちまったんだ・・・」

(つづく)


---新Little Mustapha's Black holeに関する情報(その三)---

先ほどブラックホールは凝縮されていると書きましたが、あれは「要約」とはちょっとニュアンスが違うことに気づいてしまいました。ブラックホールの場合、ものが重力で押しつぶされている状態なので「要約」というよりも「圧縮」です。ということは、ブラックホール的に何がなんだか解らないサイトを作るとしたら、タイトルはLittle Mustapha's Black hole.ZIPとするのが良さそうです。


(つづき)

「へえ、そうなんですかあ。それで熊さん、私にどうしろと言うんです?」

「まあ、早い話が顔半分ドロドロになりたくなかったらオレの世話をしろ、ってことだ」

「ああ、そうですか。やっぱり。でも私の生活はどうなるんですか?私の座椅子は?」

「なんだ、おまえ顔半分ドロドロになりたいって言うの?」

「まさか、そんなことは少しも言ってませんよ」

「そうだろ。誰だって顔半分ドロドロはやだもんなあ。おっ、タバコが切れたなあ。おまえちょっと買ってこいよ」

「えっ、もうこんな時間じゃ売ってませんよ」

「コンビニがあるだろ。ピースをカートンでな。そうだ、ついでに鮭缶も買ってこい」

「あっ、あのう、お金は?」

「なに言ってんだよ。熊が金持ってる訳ないだろ。金は人間様が使うもんだ。早く行って来い!」


 こうして私はこの熊さんの召使いになってしまいました。今では熊さんのこともだいぶ解ってきて以前のようにびくびくすることはなくなりました。危険なめには何度も遭いましたが。でも熊さんは怖いだけではなくて意外といいところもあるんです。私は時々ソファーに熊さんと一緒に座らせてもらったり、鮭缶を分けてもらったりしました。そんなことがあると私は熊さんと友達になれたような気がしてとてもうれしかったのです。あっ、友達だなんて恐れ多いことを言ってしまいましたね。私は熊さんに仕える身なのですから。そうそう、今日はいつもより高い鮭缶を買ったんです。なぜなら今日で熊さんが私の部屋にきてからちょうど十年目だからです。きっと熊さんも喜んでくれるでしょう。


 私が自分の部屋に帰ってくると、そこには薄汚れた座椅子があるだけ。熊さんの姿が見えません。それにソファーも小雨さんの写真も。私は十年ぶりに自分の座椅子に座りました。「奴隷解放」そんな言葉が頭をよぎりました。熊さんも今日がここへきてちょうど十年目だということを知っていたのでしょうか。私は一生座ることが出来ないと思っていた私の座椅子に座っているという喜びとともに、なんだか虚しさのようなものを感じました。この十年の間に熊さんはいつの間にか私の生活の一部になっていたのです。それからというもの私は部屋に帰ってくるたびに、またソファーに座った熊さんが私の帰りを待っているのではないかと密かに期待するようになりました。でも私には、そんなことはあり得ないことだというのは解っていました。こんな嘘のような話は、私の妄想の中の出来事だということは明らかですから。でもこれだけは言えます。恋熊という漢字は変態に似ているということだけは。