「あなた…。あなた…?!…あなた!…し、死んでる…」
「うわぁ!…ちょっと、勝手に人を殺さないでくれよ」
「うふっ…、あなたったらノリツッコミもできないのね」
「なんだそれは?」
「そんなことはどうでも良いのよ、あなた。そうでもしないとあなた、最近は居眠りばっかり」
「ん、そうか?でもこのところずっと出番がなかったしなあ…」
「またそんなことを言って。それだからお店の方に行列が出来てるのに気がつかないですよ」
「えっ?!行列ってうちの店にか?なんでそれを早く言ってくれないんだ?こうしている場合じゃ…」
「ウフフフ…ッ!またいつものおバカさんなのね、あなた。うちに行列が出来たことなんかありゃしないじゃありませんか。ウフッ…!あたしが言ったのはあすこの行列」
「あすこ?…ああ!解った。またあのベランダか」
「ウフッ!そうじゃないのよ。あすこはどこまで行っても届かない、夢の荒野の地平線」
「ん?!」
「いくら待っても行列の先には行き着かないの」
実は一年以上使っていないことに気づいたのですが、これだけ間があいてもウフギ屋の女将は私が今望遠耳を使っていることに気づいたようです。そう、どんな遠くでなされている会話でもすぐ近くでしているように聞こえてしまう望遠耳。
こんなオモシロい物をどうして一年以上も使わなかったのか?その理由は街から会話が消えたから、と言っても過言ではないのです。現代の会話は人に向かって言葉で喋るのではなくて、機械に向かって無言でするものになってしまった。そんな気がしたので、私もしばらく望遠耳で立ち聞きをして楽しむことをやめていたのです。
しかし、会話は全くなくなった訳ではないのです。耳を澄ませば、そして望遠耳を使えば、そこでは誰かが何かを話しているのです。では、今回も望遠耳で街の様子を探ってみることにしましょう。
「お客様…、あの、もう6円いただかないと…」
「えっ?!なんでっすか?ここスーパーだからパピコが100円で買えるんすよ。この前そうだったし」
「そうなのですが、消費税が増税になりました関係で、100円では買えないようになっておるのでございます」
「マジっすか?!聞いてないっすよ」
「しかし、テレビでも新聞でもさんざん…」
「ボク研究が忙しくてそれどこじゃなかったんすよね。まあ、今回は大目に見るっす。それじゃあ」
「ちょっと、お客様!だから足りてないんですよ…」
「なあ、知ってる?」
「知らないよ」
「そうじゃなくてさ。オレ達って、もうこの街にイケてる感じのことがないんじゃないか?って薄々感づいているのに、相変わらずこの辺うろついてるよな」
「ああ、なんだ。そんなことか。そりゃまあ、もう何年もこうしてうろついてるし、いろんな情報を入手してイケてる感じのことを求めていたんだけどね。結局は何にもなかった」
「じゃあ、なんでいまだにうろついてるんだ?いっそのこともっと賑わってる街に繰り出して…」
「ああ、まったく。何にも解ってないな。賑わってる街ではオレ達以外がみんなイケちゃってるんだよ。しかもオレ達の理解できない部分でね」
「まあ、そうだよな。アレのどこがイケてるのか?ってことだと…、おっと危ない」
「なんか最近の自転車って横幅広いよな」
「ホントだよ。あのカゴとか子供を乗せる部分が幅とりすぎなんだよね。まあ、子供は仕方ないけど。だけど乗ってる人はこれまでどおりの自転車感覚だもんな。なんでボクらみたいなイカした歩行者がよけないといけないのか?って思うよ」
「ホントにな」
「あら、ちょっと何なのよ!?もう、こんなことしちゃって。ホントに頭きちゃうわ」
「あら、○○の奥さんじゃない。どうしたのよ?」
「あら、△△の奥さん。もう、どうしたもこうしたもないのよ。これ見てよ。ほら」
「あら、いやだ。もうホントに困るわよね」
「ホントよね。最近は何にもなかったから安心してたのに、またこれだものねえ」
「ホントにねえ」
「それよりも△△の奥さん。あれ聞いた?あんまり大きな声じゃ言えないんだけどね。□□さんとこの旦那さん」
「ああ、聞いたわよ。ホントに驚いちゃうわよねえ」
「ねえ、ホントに」
「あ、それじゃあ私はこの辺で」
「あ、それじゃあどうも」
「えぇ、なにそれぇ?チョーむかつくよぉ。もぉ…。またやったらホントに許さないんだからぁ。今回だけだぞ。もぉ…プンプン!」
「なんで両手あいてるのにヘッドセットで電話するんだろうな?」
「そうだな。あれじゃあホントにオカシイ人だもんな」
「ちょっと、そこのお巡りさん!」
「ん?!私ですか?」
「私ですか、じゃないですよ。あたりを見回しても、お巡りさんと言ったらキミしかいないだろ」
「いや、私はお巡りさんじゃなくてザ・ガードマンです」
「なんだそれは?善良な市民をバカにするのはやめなさい。そんなことよりも泥棒を追いかけているんだが、手伝ってくれないか?」
「泥棒ですか?うーん…。まあ私は警官ではないですけど、ザ・ガードマンなので悪事は許せないのです」
「何でも良いから手伝えば良いんだよ」
「ところで、あなたどこかで見たような気が…」
「私か?私はあそこのスーパーの店長をしておる」
「ああ、あそこの…。なんて名前でしたっけ、あのお店」
「スーパー・アスコノだよ」
「エェ?そんな名前でしたっけ?」
「店長が間違えるワケないだろ」
「まあ、そうですが。とにかく泥棒を探しましょう」
「あなた…。あなタン…。アナタソ…。ソニン…!」
「うわぁ?!な、なんだ?呼んだか?」
「あら、あなた。なんでそんなに驚くんですの?」
「いや、なんか…うとうとしてたら怖い夢を見たような気がして…」
「ウフッ…。何がそんなに怖かったのかしら?」
「何って、良く解らない変な感覚って言うのかな。キミにもあるでしょ?そういう感覚が」
「それはアナータの知らない世界の話かしら?」
「アナータ?!」
「それともアニータが未知の世界に入り込んでしまったの?」
「ん?!」
「でも、知っているのよ。アナータンは決してスジャータンにはならないの。白く広がっても絶対にこの恐怖からは抜け出せないの。あなーた…。あなーた…」
「…」
「今戻ったっす」
「ああ、キミか。すまないことをしたね。私が研究に夢中になっていたばかりに、キミに百円しか渡さなかったんだが、消費税で…。おや?…キミそのパピコどうやって買ったんだ?」
「これっすか?なんていうか、今日は大目に見ておきました」
「なんだそれは?!百円じゃ足りなかったんじゃないのか?」
「だから、大目に見ておいたからダイジョブなんすよ」
「良く解らないが、大丈夫なら良いのかな。じゃあ、一休みしたら研究の続きを始めるとしよう」
「そうっすね。今日も忙しくなりそうっすよ」
「(うーん…。いったい彼には何が起きたというのだろうか…?)」
「おっと、危ない。また自転車だよ。最近の自転車ってホントに人をよけないよな」
「そりゃスマホ見ながら運転してたらな」
「そうだよな。自転車乗りながらでも見たい情報っていったい何なんだろうな?」
「そんなものは重要な情報に決まってるじゃないか」
「そんなことあるワケないだろ。それよりも、オレそろそろガラケーに戻そうかと思ってるんだけどな」
「うわ、出た。それってもしかして、ガラケーで十分なオレ格好いい、ってあれか?」
「そうじゃなくて、スマホって高いんだもん」
「なんだそれは?どっちにしろイケてない回答だな」
「じゃあ、キミはどんな携帯なんだ?まさかオレに黙ってiPhoneとか買ってないだろうな?」
「まさか、そんなことはしませんよ。その前にオレ携帯持ったことないし」
「えっ?!まじで?…おっと、危ない。…今度は歩行者もかよ」
「もぉ…プンプン!…キュルrrrrr…。もぉ…プンプン!…キュルrrrrr…。もぉ…プンプン!…キュルrr…」
「なんか、それオカシイっすよね、博士」
「そ、そうか?どこがオカシイと思うんだね?」
「だから、なんていうんすかね。今回の場合はメインフレームなんて古くさい物は必要としないものを目指してるんすよね?だから、そうしたらおかしいことになるんすよ」
「まあ…、そうかも知れんな。しかし、キミはいつからそんなに詳しくなったんだ?」
「マジ、ワカンナいっすけど。でも最近オレ塾行ってるんすよ」
「塾?!…って、キミは学生とか、そんなんだったか?」
「いや。フリーランスっすけど」
「フリーランス、って。それはフリーターのことだろ?」
「まあ、そうっすけど。でも塾に誘われて行ってみたらオモシロかったから、けっこう行ってるんすよね」
「そうなのか。そこはパソコン教室か何かか?」
「良く解んないっすけど。なんすかね?まあ、塾なんすけどね」
「そうなのか…」
「そんな喋り方の泥棒ですか?…あっ、もしかしてあそこの研究所の、あいつかな」
「ああ、そうだ!研究がどうの、って言ってたな」
「そうですか。それじゃあ仕方ないですかね」
「仕方ない、ってどういうことだ?」
「いや、あの。なんて言いますかね。あの人はちょっと抜けてるところがあるから。もしかして何か勘違いしてるのかも知れませんよ」
「そうはいってもね。パピコ強盗は許してはおけないだろう?ガードマン君」
「いや、私はガードマン君ではなくて、ザ・ガードマン!」
「それはどうでも良いが。とにかくその研究所というのに連れて行ってくれ」
「そうですね。行きましょう」
「あらやだ!またこれだものねえ。ホントにイヤになっちゃう!」
「あら、○○の奥さん、どうしたの?」
「ああ、□□の奥さん。ちょっと、コレなのよ。ホントにねえ」
「あら、またそれなの?!ホントに困るわよねえ。うちなんかこの間三日続けてよ」
「何よ、それならまだ良い方よ。うちは今日二回目なのよ」
「あら、ホントにねえ」
「そうなのよ、ホントに。ねえ、それよりさっき△△さんの奥さんにあったのよ」
「あら、ホントに?!」
「そうなのよ。あの人、旦那さんがあれだったでしょ?もう、どう話そうか解らなかったんだけど、あの人何食わぬ顔で話すのよねえ。ホントに驚いちゃうわよ」
「ホントにねえ。あっ、それじゃ私はこの辺で」
「あら、ホントに。それじゃあまた」
「それじゃあ」
「はい、もしもし!こちらウッチーのリコール社・社長であり元人気女子アナのウッチーこと内屁端でーす。今日はどういったご用件ですかぁ?…。はい、そうです。それはウッチーのリコール社の新しいサービスなのです!興味がおありですかぁ?…。それは素晴らしいことです!それでは早速交渉に入りたいと思うので、リコールのほどよろしくお願いいたしまぁす!」
「なぁ、知ってる?」
「知らないよ」
「そうじゃなくてさ。今のオレ達は何でイケてる感じになろうとしてるんだっけ?」
「さあ…。もう、なんか目的もなく歩いている感じだよな。まあ、それがイケてると言えばイケてないか?」
「イケてないけどさ。…あれ?」
「なんだよ?」
「あれって学習塾かな?」
「そう書いてあるから学習塾じゃないのか」
「でも、この建物って、怪しすぎるだろ」
「そうだな、子供が勉強をしにくる場所とは思えないよな。どっちかというと…なんだろう?」
「色々と取り憑いていそうな家だよな」
「そんな感じだな」
「はい、どちら様で?」
「私はスーパー・アスコノの店長だが、ここにパピコ強盗がいると聞いてやって来ました」
「ああ、アスコノの店長さんですか。それでパピコ強盗って…まさか」
「ここで研究をしてると聞いたのですけど。あの若者」
「やっぱりそうでしたか。これはどうも失礼いたしました。今呼んで来ますから待っていてください」
「なんすか?もう、大目に見てあげたのになんでわざわざやってくるんすか?」
「なにを言ってるんだねキミは。大目に見るのはこっちの方なんだが。とにかくここには6円ぐらいあるんだろ?」
「まだ博士にバイト代もらってないから無いっすよ。でも良い考えがあるっす。ここにあるまだ食べてないパピコの半分をあなたにあげますよ。今回は特別にパピコ100円ってことにしときますから、あなたが50円払ってこの半分のパピコを持って帰れば全部チャラっすよ。それじゃあ、はい」
「ああ、そうか。それで50円で良いんだな」
「そうっす。毎度ありがとうございます」
「まあ、今度からは気をつけるんだぞ」
「そうするっす」
「ザ・ガードマンさん」
「あっ、マダム…!」
「お久しぶりだこと。オホホホホ…」
「しまった!だまされたぁ!」
「はい!こちら現場の横パンこと横屁端です!傷害、公務執行妨害などの罪で服役中の内屁端アナに代わって人気女子アナに返り咲いた横屁端が生中継でお届けしまぁす!みなさん、あれがなんだか解りますかぁ?…。それは違います!あれは通行人ではないのです。彼らは『怪しい人かと思ったら実はヘッドセットで電話してるだけだった』という方々なのです。それでは早速お話を伺ってみたいと思いまぁす」
「…ええ、マジそれうざいんだけど。アハハ、それちょーウケる」
「あの、すいません。ここにいる人たちはどうしてみんなヘッドセットで会話をしてるんですかぁ?」
「だから前から言ってんじゃん。アハハハ…」
「あの、お話中すいませんが、どうしてヘッドセットで話しているのですかぁ?両手は空いているようですが…」
「…えぇ?うん、なんか変なのに話しかけられてる」
「おい、てめえ!人の話聞いてんのか?」
「いいよ、いいよ。全然気にしないから。アハハハ」
「てめえ、女子アナなめてると…。キャァ!おい、そこの自転車!どこ見て走ってんだよ!危ねえじゃねえか!おい、待ちやがれ!」
「またこんな感じか」
「うわっ、ビックリした。どうしてあなた方は勝手に人の家のベランダにやってくるんですか?」
「あなた方、ってほかに誰もいないぞ」
「そうじゃなくて、あなたもそうやって勝手にベランダにやってくるという事は、前に来たなんとかの使いとか、そういう仲間じゃないんですか?」
「うーん、なんだろう?もしかして季節変わりの人たちのことかな?まあ、正確には仲間じゃないんだがね。私は雨男」
「雨男?」
「これからは私の出番だからね。それにしても、望遠耳のくせに近くに私が近づいてきても全然気づかないんだな」
「というか、遠くの音を聞いているから逆に近くのことは気付きづらくなるんじゃないですか」
「ああ、そうか…。というか、これはなんの会話だ?」
「知りませんよ。勝手にやってきてそんなこと聞かないでくださいよ」
「それもそうだな。なんというか、ヒマだったからね。ちょっと来るのが早すぎたみたいで」
「それはどうでも良いですけど、また街で怪しいことが起きてるみたいなんですけど、あなたが来たことと関係あるんですか?」
「いや。私は雨男だぞ。なんで街の怪現象に関係してると思うんだ?」
「だって、これまで来た人はそんな感じだったし」
「まあ、でも変な電波が出てるな、この辺は。ただ、そこは雨男の専門外だし、適当に雨が降ればそんなことはどうでも良いことだな」
「そういう言い方されるとスゴく気になるんだけど」
「あなた…!」
「ん?!なんだ?」
「あらやだ。今日は反応が早いんですのね、あなた」
「まあ、今は寝てなかった…」
「あらやだ。今日は反応が早いんですのね、あなた」
「ん?!なんで二回も言う…」
「あらやだ。今日は反応が早いんですのね、あなた」
「ちょっと、どうしたんだ?!」
「ウフフッ…!驚いたのかしら?」
「なんだよ。冗談はやめて…」
「あらやだ。今日は反応が早いんですのね、あなた」
「えぇ…?!」
「なあ知ってる?」
「ああ、知ってるよ」
「あの学習塾から出てくる人も入っていく人もなんかアレだよな」
「そうだよね。なんていうか、雰囲気があるっていうの?」
「つまり、それはどういうことか?っていうと」
「あそこはイケてる場所なんじゃないか?って事になるよな」
「でも学習塾だぜ。なんで大人が出入りしてるんだ?」
「もしかすると、学習塾というのは仮の姿で、中では何かイカしたことが行われてるんじゃないか?」
「イカしたことって、なんだよ?」
「それを知るには入るしかないかな…」
「でも、大丈夫なのか?いきなり入ったりして」
「うーん…。どうだろう?」
「はい!こちら現場の人気女子アナ、横パンこと横屁端です!先ほど危険な運転で横パンをひき殺そうとした自転車を追いかけて今いる場所までやって来たのですが、ここで思わぬものを発見したのです!それがなんだか解りますかぁ?…。はい、大ハズレ!みなさん、見てください。こんなにも沢山の人がスマートフォンを片手に自転車に乗っているのです。しかも、視線は前方ではなくてほとんどスマホに向けられているのです!いったい彼らはどうしてこのような危険な行動に出るのでしょうか?」
「はい、こちらウッチーのリコール社です。来客というのはあなたですかぁ?」
「えっ?!…ああ、はい。私は矢目鯛(ヤメタイ)商事の□□と申しますが。…実は以前にお会いしたことがありますけど、覚えておいでで…」
「ビジネスに私情を持ち込むのは禁止です!それでは早速交渉に移りたいと思いますが、その前にどうしてあなたは受付で私を呼び出さなかったのですかぁ?」
「えっ?!そんなこと言っても、このビルの前に来たらあなたがいたもんで。それで声をかけたのですが」
「そうですか。それではあまりビジネスでないので、これから私は社長室に戻ります!ですから、あなたはビジネスっぽく受付で私に会いに来たことを伝えてからやって来てください!では現場からは以上でぇす!」
「なんだ?!…行ってしまったが」
「ところでキミ。例のバグの原因は解ったのかね?」
「解ったもなにも、アレはただのうっかりミスだったっすよ。だからもう修正して最新バージョンをアップしておきましたよ」
「ほ、本当か?!いやぁ、キミにそんな才能があったとはなあ。キミを助手に選んだ私の目に狂いはなかったということだな」
「まあ、オプソっすからね。それに助手なのに作ったのはほとんどオレなんすけどね」
「そうなんだがな…。まあ、ともかく研究も一段落したのだからコレでパピコでも買ってきなさい」
「うわぁ、こんなにくれるんすか?コレじゃあ二個買えちゃいますよ。マジ嬉しいっす」
「どうも、ヤメタイ商事の□□ともうしますが、内屁端社長と商談の約束が…、おや?」
「ああ、これは□□さんのところの」
「そういうあなたは△△さん。どうしてこんなところに…?」
「いやね。私も前の会社に長年勤めていたのですが、ある時ふと『このままで良いのか?』って思いましてね」
「ええ、それで?」
「まあ、仕事に不満はなかったですしね。妻も子供もいてそれなりに幸せは感じていたことは確かでしたけど」
「ええ、それで?」
「それで、って。解るでしょう?」
「いや、なんだか良く解りませんが…」
「イヤだなあ。こういうことは自分からいうの照れくさいんですよ」
「でも、なんだか意味が良く解りませんし。前の会社をやめてこの会社で受付をやっているんですよね」
「そうなんですよ。夢を追ってみようと思ってね」
「夢?!」
「そう。ずっとあこがれていたもの。私はね、初めて会社の受付の仕事をしている人を見てからずっとこの仕事にあこがれていたんですよ」
「エェ?!」
「そんなに驚かなくても。そりゃ、これまでの会社で築き上げてきた色んな物は無駄になりましたよ。けっこう大きい会社でしたし、給料も前に比べたらスズメの涙ってところですがね。でもいつか受付として腕を磨いて、一流企業の受付になってやろう!ってね」
「そ、それは…、大変な道を選びましたなあ」
「いやあ、□□さんには負けますけどね」
「ん?!それはどういうことで?」
「ああ、それよりも社長と面会でしたね。どうぞ、奥の階段を上がって三階の一番奥が社長室になってますから」
「ええまあ。前にも来たから解ってるんですけどね。というか、もしかすると前はこの建物で働いてたっけな?…まあいいか。それじゃあ、また」
「ええ。奥さんにもよろしく」
「おい、待て!そこの自転車だよ!おめえのことだよ!聞こえてんだろ?待てって言ってるんだ…キャァ!おい、おまえもかよ!女子アナなめてんのか?オマエらちょっとぐらい良い自転車乗ってるからって調子こいてんじゃねえぞ!…キャァ!おい!いい加減にしろってんだよ!」
「なあ知ってる?」
「知らないよ」
「そうじゃなくてさ。結局オレ達って思い切ったことが出来ないよな」
「でも、あれはちょっと危険だと思わないか?」
「まあ、怪しいと言えば怪しいんだけど。でもイケてる感じになりたいのならやっぱり中に入ってみるべきなんじゃないか?ってね」
「でも入ってイケてなかったらどうするんだよ」
「そんなものは入ってみないと…」
「なんだ?」
「あの学習塾から別にイケてない感じの若者が出てきたけど」
「ホントだ」
「なんかマジ解んないっす」
「ねえキミ。この学習塾って何するところなの?」
「なんすか?これっすか?なんて言うか塾っすけど」
「それは知ってるけど。何を勉強するところなの?」
「ホントはアプリで開発とか勉強してたんすけど。マジ解んないっす」
「いや、それじゃあボクらがマジ解んないんだけど」
「なんか、最後の授業が終わったから次の段階に移れると思ったんすけど、来たら誰もいないし。しかも最後の授業終わったら習ったこと全部忘れたんすよ」
「せっかく説明してくれてもまだ解らないけど。まあそういうことなら良いかな。それじゃあボクらは別のところに行くとするよ」
「マジっすね。あっ、じゃあこれあげます。パピコ二個も買ったら食べきれないから」
「ああ、どうも」
「なんか、パピコもらったけど」
「じゃあ、二つに分けて食べようぜ」
「それで商談とはどういうものなのですかぁ?」
「ですから、さっきから申しておりますように、その能力開発プログラムをですね我々の営業力によって全国的に展開すれば莫大な利益を生み出すに違いないんですよ」
「それはつまり我々の能力開発プログラムをリコールしたい、ということですかぁ?」
「リコール?!…それは違うかと」
「それでは話になりません!ここはウッチーのリコール社なのですよ。ウッチーのリコール社で扱った能力開発プログラムは今その役目を終えて、すでにリコールを待つ状態にあるのです」
「うーん…。どういうことだか理解しかねるのですが。何か欠陥があってリコールということでしょうか?でも能力開発プログラムというのはパソコンソフトや機械ではないですし。もしも問題があるのなら我々と一緒に講習の内容を変えていくとか…」
「あなたは何を言っているのでしょうか?ここはウッチーのリコール社なのです。リコールできないものは扱わないのです」
「どうやらこれ以上話しても無駄なようですね。せっかくのチャンスだと思ったのですが」
「そのようでぇす。以上、ウッチーのリコール社・社長のウッチーこと内屁端でした」
「はい!こちら現場の横パンこと横屁端です。なんと人気女子アナに返り咲いてから早くもスクープです!みなさん、ここがどこか解りますかぁ?…そうなんです!さっきの街なのですが、みなさんあちらをご覧ください!自転車の大行列なのです!そして、お解りいただけるでしょうか?あの大行列の自転車に乗っている人は全員スマホを片手に前を見ないで運転しているのです!いったい何が起きているのでしょうか?もしかすると、さっきからスマホを見ながら自転車に乗っていた人たちが集まって行列になったのかも知れません。前を見ていないのにもかかわらず大行列の自転車は同じ速度で同じコースをま、まるで機械のように走っているのです!」
「ああ、なんか早くも辞めたくなってきたなあ。…いや、いかんいかん!これじゃあ何のために□□部長兼社長としてヤメタイ商事を始めたのか解らないではないか。もう滅多なことで会社を辞めないと決めて自分の会社を立ち上げたんだ。…しかし、あの能力開発プログラムは良いと思ったのになあ。どうしてあんな変な会社が。あの社長はどこからあの指導方法を手に入れたのかなあ。あれはタダの自己啓発セミナーなんかとは全く違う、とんでもないものだと思うのだが…」
「あの、すいません。そこの一人で喋っている方。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ん?!私のことか?」
「そうでーす。私はこの春入社したばかりのオットリ系新人女子アナ、腹パンこと腹屁端です。ついさっきまでグルメリポートでたらふく食べていたのですが、お腹いっぱいになったら少し眠くなってしまい、ウトウトしているとスタッフ達とはぐれてしまったのです」
「ええ、それで…?」
「それでお伺いしたいのは次にリポート予定のお店はどこだったのでしょうか?」
「ん…?!なんか難しい日本語だな」
「それはどういうことでしょうか?腹パンは次の現場に行かなければ先輩に大目玉です。どうしてくれるんですかぁ?」
「どうもこうもないけど。まあ、この辺に美味しい店とか、あんまりないけどな。あるとしたら駅の方じゃないか?」
「では、そこになかったらどうするのですかぁ?」
「そんなのは知らないよ。だいたいキミ、スタッフとはぐれたって…。携帯電話とかで連絡は取れないのか?」
「あっ!それは素晴らしいアイディアです!それでは早速、腹パンが自慢のスマホを使ってスタッフと連絡を取ってみたいと思います!…あっ、これはどうしたことでしょうか?スマホのスリープを解除すると、なにやら怪しい文字のようなものが画面に表示されています!そして、その文字を見ていると…これはいったい…、そして、その文字を見ていると…これはいったい…、そして、この文字を見ていると…これはいったい…。どうしたことでしょうか?どうやら我々には重要な任務があるようです」
「なんだ?!…ちょっと、駅はそっちじゃないが…。行っちゃったけど。まあ良いか。最近ヘンな人がおおいなあ」
「ァーーーーータァァーーーンナ!」
「ウワァッ!!…な、なんだ。キミか」
「もう、またそうやって。私じゃダメなんですか?」
「いや、そうじゃなくてね。ヘンな夢を見ると不安な気持ちになったりしないか?」
「何ですかそれは?それは私でダメだったのか、良かったのか、どっちの意味なの、あたんな」
「あたんな?!」
「またごまかそうとして。もう嫌い。プンッ!」
「いや、だから、そうじゃないって…」
「ウフッ…。あなたったら。でもまだ気がついていないのよ、あなた」
「何が?何か変わったことでも?」
「あなたのことじゃないのよ、あなた。気がついてないのはあすこの方」
「あのベランダの?」
「あすこはすでに忘却の彼方。思い出した時にはもう手遅れなのよ、あなた。ウフフッ…」
「なにが?」
「ウフフ…。ウフフフッ…」
「なあ、知ってる」
「ああ。っていうか、これじゃあ駅に行けないよ」
「そうだよな。何なんだ、この行列は?間を通る隙間もないぞ」
「しかもなんで全員スマホ持ってるんだ?自転車も歩行者も」
「もしかして、これってイケてんの?」
「そんなワケないだろ。これじゃあ、なんていうか…」
「機械というかロボットみたいな動きだしな」
「なんだか変な感じになってきたな」
「うわっ、あなたまだいたんですか、雨男さん。静かだからどっかに行ったと思ってましたよ」
「まあ、雨男だからな」
「それがどんな理由だか良く解りませんが。それよりも何が起きてるんですか?何となくですが、怪しいアプリが人々のスマホにインストールされて、それで変な現象が起きているような気がするのですが」
「まあ、そうだよな。あの塾に来てたやつらがそのアプリを作った、とかもな。それだけじゃなくて私が来てるから、空が曇っている。それも良くないな」
「曇ると何かが起きるんですか?」
「なんていうか、雰囲気は出るだろ?暗く立ちこめた感じが」
「何ですかそれは?」
「はい、再び現場から人気女子アナの横パンこと横屁端です!みなさん、ここがどこだか解りますかぁ?…そうなのです!先ほどの現場なのです。良く解りましたね。でも、そんなことはどうでも良いのです!なんと、先ほどの自転車の行列にさらに歩行者の行列が加わったのです!みなさん、あちらをご覧ください!自転車も歩行者も同じようにスマホの画面を見つめながら進んでいきます!しかも前を見ていないにもかかわらず誰も行列の他の人にぶつかったりしないのです。自転車が歩行者の間を見事にすり抜けて、まるで歯車か何かのように、歩行者の列と自転車の行列が別々の速度で同じ場所をグルグルと回ってバーってなっているのです!どうやらこの行列は大通りに面した一区画。つまり一つの町内の一番外側を円を描くようにして動いているようなのです。これは大問題です。もしもこの行列の先に美味しいラーメン屋さんがあると思った人がこの列に加わったとしたらどうなるでしょうか?人気女子アナの横屁端、全く予想が出来ません!」
「それで、あの人達は何をやってるんですか?」
「さあね。どうも今回は規模の大きなことをやってる感じだが」
「そうなんですか?でも最近はずっとこんな感じでしたけど」
「そうか。じゃあまあ、これまでと一緒なんだな」
「なんか適当ですね」
「いらっしゃいませ。どういったご用件で?」
「私は黒猫亭のマダムの使いでやって来たザ・ガードマン。内屁端社長に会いたいのですが」
「ああ、お待ちしておりました。奥の階段を上がって三階の一番奥が社長室になっております」
「どうも」
「ああ、なんかこの会社の受付は同じこと言うばっかりで退屈だなあ。早く大企業の受付になりたい!」
「あっ、みなさん!あちらをご覧ください。なんと歩行者の行列の中にオットリ系新人女子アナ、腹パンこと腹屁端の姿を見つけました。ちょっと行ってイビって来てやろうと思いまぁす!…腹屁端アナ、こんなところで何をやっているのですかぁ?」
「…行列の出来る…味噌ラーmmmm…行列の出来る…味噌ラーmmmm…行列のできる…」
「何を言っているのか解りませんよ!女子アナならもっと滑舌良く話してくださぁい!」
「…行列の出来る…味噌ラーmmmm…行列のできる…」
「はい、これで全てのプログラムがリコールされたのですね」
「そうです」
「それで、カワイイ後輩の内屁端は無事釈放されるのでしょうか?」
「もちろんです。マダムが言うにはその他にも数え切れない悪が解き放たれると…」
「そういうことはどうでも良いのです!私は後輩が釈放されれば満足なのです。そのために今回は赤字覚悟のビジネスだったのですよ」
「そうですね。マダムからの伝言は以上です。それでは、私はこれで」
「マダムによろしく伝えてくださぁい!」
「みなさん!様子のおかしい腹屁端に気をとられているうちに大変なことが起きていました!あちらをご覧ください!あの上空に何か黒い影のようなものが発生しているのがお解りいただけますでしょうか?あれはこの行列が輪になって行進している町内のちょうど真ん中あたりでしょうか。あっ、そして今、その黒い影のようなものが動き始めました。いや、動いているのではなくて巨大化しているようです。そして…あっ、スゴーイ!見てください、一気に広がった黒い影がガーッてなって、今や私の頭上にまで達しようとしているのです!この上空に現れた黒い影。空と言うよりはもっと低いところにあるのですが。それはよく見ると空間に突然現れた時空の裂け目とでも言いましょうか。…その開いた空間から見える向こうには、永遠に続く闇のような…、これはいったいどういうことでしょうか?なぜか私横パンこと横屁端はこの闇の世界を知っているような気がするのです…。この懐かしい感じは…。いや、とにかく、これは大変貴重なものに違いないので、ここでちょっと失礼して横パンのスマホで写メ撮っておこうと思いまぁす!…えーと、これは何でしょうか?私のスマホの画面に変な文字が現れたようですが、これはいったい…、変な文字が現れたようですが、これはいったい…、変な文字が…」
「ぁぁぁあなぁぁああぁぁった!…ぁぁぁぁあぁあぁぁああぁなぁあああぁあぁぁあった!」
「フワァ…?!な、何だ?」
「ウフッ…。あなたったら。また居眠りなのね」
「ああ、なんか最近蒸し暑くてね。夜の眠りが浅いのかな」
「ウフッ…。あなたの休まる場所なんてどこにもないって、まだ気づかないのね。ウフフ…ッ」
「なんだそれは?」
「まあ、あなたったら!またそんなことを言って。洗濯物がどうなっても知らないっていうの?」
「洗濯物?!…あっ、なんか外が真っ暗じゃないか。まだ四時なのに。これ夕立じゃないか?」
「ウフフフ…。またあなたはとぼけているのね。これから降るのは雨なんかじゃないのよ、あなた。これから降るのは、恐怖に打ちひしがれた者達の涙…」
「えっ?!」
「無限の彼方まで続く行列に終わりはないのよ、あなた…」
「はい!囚人服のまま失礼します!こちらは様子が変になった無能な女子アナ横屁端に変わり、奇跡によって釈放され、そして人気女子アナとして帰ってきたウッチーこと内屁端でございます!みなさん、私がどこからやって来たのか解りますかぁ?…それは大外れです!なんとウッチーは監獄内に突如として現れた謎の穴に吸い込まれて気がついたらここにいたのです!…それは違います!脱獄なんかではありません!第一、人気女子アナとして活躍していた私を捕まえた警察が悪いのです!それはともかく、あそこにふざけた後輩の、出過ぎたまねををする横屁端がいるので蹴飛ばしにいこうとおもいまぁす!…おい横屁端。どうだ?歯車の一部となって行列に並んでる気分は?」
「これはいったい…、変な文字が…」
「人気女子アナ気取って話題のアプリなんて使うからそんなことになるんだよ。まあ、無能な女子アナにはお似合いな姿だよな。だがおめえにはもっとふさわしい場所があるの、わかってんのか?」
「これはいったい…、変な文字が…」
「…はい!再び現場の内屁端です。それではここで、この憎き横屁端を再び異次元世界へ葬って、この内屁端が人気女子アナへの完全復活と行きたいと思いまぁす!それでは行きますよ!せぇの…エイッ!!…あっ、みなさん見てください!私の素晴らしい蹴りによって横屁端の体が宙に舞い、そしてあの空の巨大な穴に吸い込まれていきました!それじゃあ、記念に写メを撮りたいと思いまぁす!…あっ、大丈夫ですよ。獄中はスマホ禁止ですから変なアプリはインストールされていません!」
「それで、これどうなっちゃうんですか?」
「どう、って言われてもな。また人気女子アナが交代したってことじゃないか?」
「そうじゃないですよ。この空の大きな穴とか。それにさっき『数え切れない悪』がどうのうこうの、とか言ってる人もいたし」
「さあな。そういうことは専門外だし。何かが出来るとしてもやる気にはなれんしな」
「それって、出来ることがあるってことですか?」
「昔はやってたけどな。季節変わりの人たちもそんなこと言ってなかったか?」
「そういえば言ってたような、いないような。…でも、なんで出来たとしても何もしてくれないんですか?」
「キミ達のために何かしたって、全然オモシロ味がないんだよな。全然感謝とかしてくれないし。…あっ、雨が降ってきたから私はこの辺で行くけどな」
「えぇ?!行っちゃうんですか?というかこの状況は大丈夫なんですか?」
「私はこの雨を管理しないといけない雨男なんだよ。まあ、心配するな。今のところ大変なことにはなりそうにないからな。もしもそうでなかったらキミがなんとかするんだな」
「ボクがですか?!」
「いやいや、冗談だよ。キミにはそんな能力はなさそうだしな」
「それはそれで、なんか引っかかる言い方だけど」
「そうなのか?人間というのは面倒な生き物だな。どおりで嫌われるワケだ。まあ、せいぜい頑張りたまえ。それじゃあ」
「…」
ということで、これで終わりなの?ということですが、これで終わりなのです。もちろん、あの上空に開いた謎の穴は用が済んだら消えるでしょう。しかし、見上げればそこにはボンヤリとした形にならない恐怖や不安を感じることが出来る。みなさんも、スマホいじりで下ばかり向いていないで、たまには空を見上げて不安になってみませんか?
これはそういう話なのかも知れませんし、違うかも知れません。
今回はあまり長編にならないように、久々に望遠耳でした。このぐらいの方が次に進めやすい、あるいはこれじゃあ次に進めない、のどちらかだとは思いますが、読むのは楽なんじゃないかと思います。
次回の予定はまだありませんが、この話の続きではないことはだいたい解っています。では次の大特集をどうぞお楽しみに!