ファーストキッチンで売っているのは「ファーストフード」だと思っていたのですが、いつの間にか「ファストフード」になっているようです。
もしもそこを間違えて「ファーストフードを食べた」なんて言ってしまうと、意識の高い人達からいちいち指摘されて面倒な事になりますが、そう考えるとファーストキッチンを「ファッ・キン」と略す人の気持ちも解らないでもない、という感じです。ファッ・キュー、ファッ・キュー、イッ・キューさん!
そんな感じでいつの間にか「ファースト」と「ファスト」を使い分けなくてはいけなくなっているのですが、これらを使い分けずに面倒な事にならないように、ここでこの「伸ばすか伸ばさないか」の区別に関して少し考えてみたいと思うのであります。さらに区別の達人になって、誰よりも高い意識で他人の間違いを指摘できるようになるために、色々な単語を区別する方法を学んでいくことにしましょう。
誰がなんのために?
なんで「ファーストフード」が「ファストフード」になったのか?というと、"first" と "fast" をカタカナでも区別しようという考えからだと思われます。これまでは区別しなくても特に問題はなかったのですが、区別しないといけないと考えるのは意識が高い人に違いありません。
では「意識が高い人」というのはどんな人か?というと、そんな面倒なことをするのなら日本語を使えば良い、ということに気付かない人でもあるのですが。
実のところ英語の "first" と "fast" の違いは、伸ばすか伸ばさないか、ではなくてエフの後の母音の違いなので、英語のネイティブスピーカーに「ファスト!」とか「ファーーースト!」とか言ってもどっちがどっちか区別は出来ないのではないかと思われます。
ちなみに、Googleの翻訳機能に発音を確認するやつがありますが、"fast" の発音を調べたところ、けっこう「ファースト」に近い感じでした。
しかし、そんな屁理屈みたいなことは意識の低い人が考える事です。
ここはもっと意識を高めるために、彼らに先回りしてもっといろんな単語を伸ばしたり伸ばさなかったりして区別していきたいと思うのであります。
どっちを伸ばすの?
それではカタカナ読みが同じで紛らわしい単語を、伸ばすか伸ばさないかで区別していこうと思います。
まずはどんな単語があるか?ということですが、これが意外とありそうでなかったりします。とりあえず "first"、"fast" 以外で見つけたカタカナ読みが同じ単語を区別してみましょう。
"hole" と "hall"
まずはLittle Mustapha's Black-holeの中にもある "hole" と建物などに使われる "hall" です。伸ばす、伸ばさないで分けるとすると、一つが「ホール」で一つが「ホル」になります。
"hole" が穴だと考えると「ホル」があってるような気もしますが、それだとダジャレのようですし、意識のあり方としてはあまり高さを感じられません。それに「Little Mustapha's ブラック・ホル」より「Little Mustapha's ブラック・ホール」の方がシックリ来るので、これは "hall" が「ホル」ということにしたいです。
なので、これからは「コンサート・ホル」だし「玄関ホル」なのです。
"pork" と "poke"
豚肉の "pork" と「突く」という意味の "poke" を区別してみます。その前に突くという意味の "poke" をカタカナで言うことはない、と思う方もいるかも知れませんが、その考えはかなり意識が低いです。意識の高い世界では、ある日突然これまで日本語で表現されていたものがカタカナ英語で表現されるようになることもあるのです。
それで、これはどちらを伸ばすのか?ということですが、意味的には特にどちらを伸ばすかを考える必要はなさそうなので、"first" と "fast" の場合と同様に "r" のあるなしで区別すれば良いと思われます。
意識の高い世界では "r" は日本語の伸ばす記号「ー」の意味と考えて問題ないでしょう。
ということで、豚は「ポーク」で突くのは「ポク」という事になります。
"folk" と "fork"
次はフォークソングなどの "folk" と食べる時に使うフォークの "fork" です。
フォークソング大好きな人は読み方を変えられるのは気に入らないかも知れませんが、先程までの例にあったように "r" は伸ばすルールがあります。したがって、フォークソングはこれからは「フォクソング」となります。そしてキャンプファイヤーを囲んで踊るのは「フォクダンス」です。「フォクダンス」だとなんとなく長閑な感じがなくなりますが、すでに「ファストフード」も「ファーストフード」の時よりもちょっと不味そうな感じがあるので、これは仕方のないことでしょう。
新たな問題に対処する
ここまではいくつかの例を挙げて、同じ読みのカタカナ語を区別してきました。これによって意味が通じやすくなり、意識の高いコミュニケーションが可能になることでしょう。
しかし、伸ばすか伸ばさないかで単語を区別することによって逆に紛らわしくなる単語もあるのです。その事について考えてみましょう。
"heart" と "hurt" を区別してみる
心臓の "heart" と傷つけるといった意味の "hurt" を区別してみます。この場合はどちらにも伸ばす目印となる "r" があります。なので、ここは厳正なる審査の上で、どちらかが「ハト」になるということですが。これには少し問題があります。
ハートから「ー」を消すと「ハト」になるのです。日本語ではありますが、それはすでに存在している単語と同じ読みになってしまうのです。
ここで、実際のハトでもあるLittle Mustapha's Black-holeのマスコットのハト君に意見を聞いてみたいと思います。
よう。どうせハトだけどハトだぜ。
どっちの単語もハトになんてなって欲しくないよな。ハトは平和の象徴っていわれてるんだぜ。だから傷つけたりなんかしないしな。
それに心の方のハートでも良くないよな。「ハートマーク」が「ハトマーク」になると、まるで「はとバス」の横に描いてあるマークだぜ。
ちなみに、このマークっていうのも "mark" と "murk" ってのがあるぜ。まあ "murk" なんて普通は使わないけどな。
ということで、特にこの問題を解決するのに役立つような意見を聞くことはできませんでした。
しかし、「ハト」はいくら短く言っても字にしたら「ハト」なので一つの単語で二つの意味があることになってしまいます。
これを避けるためにはどうすれば良いのかというと、実は簡単な解決法があるのです。
それは元々の単語を余計に伸ばすという方法です。
一番短いのが「ハト」でその次が「ハート」。そして一番長いのが「ハートー」になるのです。これで一つの単語で一つの意味という事になりそうです。
高い次元で意識を切り替える
ここまで同じ読みのカタカナ語を伸ばすか伸ばさないかで区別してきました。それは、意識の高い世界では一つの読み方に二つ以上の意味があってはならない、という不可侵の掟があるからです。
この掟に従えば全ての同じ読み方のカタカナ語を区別して読めるようにしないといけません。ところが全てを区別しようとすることによって、場合によってはあるジレンマに陥ることがあるのです。
この意識の高い大特集を書くに当たって、まず同じ読みになるカタカナ語を探しました。そしてフェアリーテイルなどの "tale" と尻尾の "tail" というのを見つけた時の事です。英語の意味を間違えたりしないように、辞書で "tale" の項目を確認したのですが、そこに「tailと同音」とうことが書かれていたのです。
元々同じ読み方の単語なのに、カタカナにした時だけ読み方を変えて良いものでしょうか?
意識の高い日本人にとって、英語とは意識の高さの象徴と言っても過言ではない言語です。ここでカタカナの時だけ読み方を変えてしまったら英語を否定することになってしまいそうです。
しかし、ここで最初の方に書いたことを思い出してください。英語のネイティブスピーカーは "first" と "fast" を伸ばすか、伸ばさないで区別しているのではなくて、母音の音で区別しているのです。つまり、伸ばすか伸ばさないかで区別しようとしている時点で英語を否定しているのです。
それはすなわち、我々の意識の高さは、その意識の高さを超えてすでに英語を超越したものとして "first" と "fast" を区別していたのです!
これを理解するかどうかとは関係なく、カタカナで同じ読みなら区別することが可能であり、出来れば全ての同じ読みのカタカナ語は「ー」のあるなしで区別されなければいけないのです。
このようなことが解ったところで、確認のために一つ例を挙げてみたいと思います。
"heal" と "heel" そして "hill"
癒やすという意味の "heal" と、かかとの "heel"。この二つは英語では同音ですが、意識の高い世界のカタカナ語では「ー」によって区別されます。どっちを伸ばすのか?というと、難しいところですが横棒が多い "heel" を伸ばした方が良いと思われます。
するとこれらは「ヒール」と「ヒル」になりますが、「ヒル」は丘を意味する "hill" のカタカナ読みと一緒になってしまいました。そこで、先に示した方法により一つずつ「ー」を追加して行くことになります。
すなわち "heel" が「ヒールー」で "heal" が「ヒール」。そして、"hill" はそのまま「ヒル」ということです。
意識が高ければ応用も簡単ですね。
意識はさらに高く広く
ここまで来ると意識の高い読者は気付いていると思いますが。先程の例に出てきた「ヒル」は日本語の「昼」と同じ読み方になります。これは「ハート」と「ハト」の時と同様です。
さらにいうと、日本語の中でも「昼」と「蛭(ヒル)」のように同じ読みになる語が沢山あります。
これまですでに意識の高いカタカナ語は英語とは全く違うものということが解っているので、日本語か英語かに関わらず、これらの語は「ー」を付けて区別すべきなのです。
この場合はどのようにすれば良いのか?ということを考えてみます。すでに「ヒール」というのはあるので、「昼」にも「蛭」にも「ー」は付けられません。なので、これまでとは別の場所に「ー」をつける事になります。「昼」は「ヒール」じゃなくて「ヒルー」にすれば良いのです。
そうなると「蛭」の方はどうなるのか?という疑問が湧いてきますが、蛭は気持ち悪いし見たり触ったりした時には「ウワァ…!」という気分になるので「ヒルゥゥーー!」とするのが正解です。
このように日本語の場合は少し難しいかも知れませんが、意識が高ければすぐに解ると思います。
では、ここでまた例を挙げて日本語の区別を確認してみましょう。
「熊」と「隈」
これは簡単な例ですが、二つの「クマ」と「クマ」はどちらを伸ばすべきか?
一方は動物で、一方は目の下に出来るようなアレですが。伸ばすなら動物の方が可愛さが出て良いと思います。熊は決して可愛いだけの動物ではないという意見もあると思いますが、意識の高みから見物すれば動物はすべて可愛いのです。
ということで「熊」は「クーマ」となります。
実はここでこの例を出したのには意味があります。「プーマ」というメーカーのパロディで、ロゴを熊の形にした「KUMA」というのがありました。あれは普通に読めば「クマ」かも知れませんが、パロディとして元ネタに読み方をあわせると「クーマ」になります。
実は意識の高い世界はすでに身近に存在していたという事でもあるのです。
そして新たな次元へ
いかがでしたか?
意識を高く持って全ての単語の読み方を区別することによって、紛らわしさのないスムーズな意思疎通が出来るようになることが解ったと思います。
このような考えが広まって、全ての単語が明確に区別されれば一休さんも橋を渡ることが出来なくなります。なぜなら、その橋のところの立て看板には「このハーシー渡るべからず」と書かれているからです。
こうなったら一休さんは顔を真っ赤にして「ファッ・キュー!ファッ・キュー!イッ・キューさん」と喚くしかないですね。
そして、意識を高く持つ効果は一休さんが得意になれないというだけにとどまりません。どこまでも意識を高くして、全ての語を区別することが出来れば、高次元からの曖昧に思えるようなメッセージも明確な意味を持って理解することが出来るでしょう。
その時、我々は意識の高みを越えて新たな意識の高さに到達するのです。
ということで、意識の高い大特集をしてしまいました。
なんだか最近はどうやってツッコめば良いのか解らないような事が常識となってしまう現象が良く起きているのですが、そういう感じの現象に複雑にツッコミを入れてみた、という大特集でもあります。
ここで書いたような意識の高いことが面倒だという意識の低い人達は、なるべくカタカナ語を使わずに日本語を使うことをお勧めします。解りやすく伝えたいのなら、新しい単語を作るのではなくて、みんなの知っている日本語で伝えるのが一番簡単ですから。
今回は久々に大特集な感じの大特集でした。次回も大特集できるように頑張りたいと思います。お楽しみに。
(スゴい事に気がついたのですが、この記事は193回目ということで、イッ・キュー・サンになっているのです!)