最近けっこう気になるもの。それは『100均のアレでトイレ掃除がチョー簡単に!「その発想はなかった」「見つけたら絶対買う」』という感じのやつ。ネットの役立ち情報記事のタイトルで多く見かける感じですが、気になる部分はもちろん、かぎ括弧の部分。場合によってはかぎ括弧以外で表されている場合もありますが、そこはどうでも良いのです。
そのかぎ括弧の部分というのはどう考えても「ネットの意見」、あるいは「ネットの反応」という名のSNSへ投稿された内容に違いないのです。普通に考えると「100均のアレでトイレ掃除がチョー簡単に!」だけでタイトルとしては成り立ちます。(ついでに書くと、タイトルの中にかぎ括弧を使うのは国語のテストだったら減点になりそうでうし。)そんなことから、そのかぎ括弧の部分は必要か?ということを思ってしまうのです。
冷静に考えたら必要ないのですが、かなり多く見かけるということは、多くの人が必要、あるいは必要とまではいかないけど、あった方が良いような気がする、ということで使っているのだと思われます。あるいは、このネタに関してはこういうふうに反応するのが好ましい、ということを見る人に提案しているとも考えられますが。
結局は「みんながやってるから」ということでこの手法が広まっていくということなのでしょう。しかし、そこを批判するつもりはないのです。
それよりも、この気になるかぎ括弧の引用部分の「これって必要なのか?」と思ってしまう感じが何かに似ていると思った事をここでは書きたいのです。
それは私だけでなくて多くの人が「これって必要なのか?」と思った事があるはずのもの。情報バラエティ番組等でワイプと呼ばれる、画面の端に映されるスタジオのゲストの表情のアレ(以下ワイプ)です。
特に必要性はないし、その中身は特別なものでもなく、ありきたりのものだったり。「ネットの反応」もワイプもどっちもそんな感じなのです。このように性質がかなり似ているということはつまり、ワイプというのはテレビのはじっこに映されるSNSである!といっても過言ではないということになったりはしないのか、どうなのか。
否定は不可
そんな事はない、と言われてしまうと話が進まなくなるので、ワイプはSNS(主に短文のつぶやき系というか、Twitter)ということにします。そうなってくると、ワイプとはいえマナーとかエチケットとかリテラシーとかそういうものを身に付けていないと、何かのきっかけで炎上するようなこともあるかも知れませんし、下手をするとそれがその後の人生に影響するなんてことも考えられます。
そこでワイプをする上で注意すべき事について考えてみましょう。
素直な反応が理想
これはワイプに限った事ではないと思いますが、当たり障りのない態度を取っていれば問題は起こりづらいでしょう。楽しい話題の時にはちょっと笑ってみたり、事件や事故が起きた時には深刻な顔をしてみたり。偉い人が難しいことを話している時には神妙な面持ちで頷いたりしたら、ちょっとした知性も感じさせる事が出来るかも知れません。
しかし、当たり前の反応ばかりしていると、反応する事に飽きてしまう場合があるかも知れません。そうなると、いちいち話題の内容を考えるのが面倒になって、雰囲気だけで反応してしまうなんてこともありそうです。
そんな感じで反応してしまうと問題になるのは、独裁者の話に対して納得の表情で頷いてしまうというのがあります。
時に独裁者の意見というのは正しいように聞こえてしまうこともあるので、注意しないといけません。ただし、ここではすでに話しているのが独裁者ということが解っているので、そこだけ気を付けていれば間違いはないでしょう。
もう一つ雰囲気だけで反応すると危険なのは、ちょっとした犯罪に対する反応です。
万引きが見つかって捕まってしまった主婦が「ごめんなさ〜い、もうしませぇん…」と泣きながら謝っているようなシーンはたまに見かけますが、プライバシーを守るために音声が加工されていて「小さな生き物が喋っているような声」になっていたりするのです。
テレビを見ている人ならそれだけで笑ってしまうところなのですが、ワイプの人は決して笑ってはイケません。ボヤッとしていると音に反応して笑ってしまう危険があるので要注意です。ここは深刻な表情で、時には首を横に振って何かを否定するようなしぐさもした方が良いでしょう。
いつでも気を抜かない事が大事ですね。
目立たないと意味がない?
自然な反応ということに重点を置いていればワイプで失敗することはなさそうなのは解ってきましたが、ワイプがSNSのようなものという観点でいくと、新たな問題も生まれてくるかも知れません。それは「人とはちょっと違う自分」というのをアピールしたくなってくるということです。
そういうことを考える時点で自然な反応ということは難しくなってきているかも知れませんが、そこにどんな問題があるのかを探っていきましょう。
人とは違う自分をアピールする簡単な方法は悪い事で目立つということかと思われます。上に書いたような注意点を守らずに敢えてやる、ということによって簡単に目立つ事が出来るのです。もちろんそれなりの批判は受けることになるので覚悟は必要になります。
この方法は簡単ではありますが、明らかに人の道に反していると思われる行動なので、実際にやる人は少ないかも知れません。それだけのリスクを負いたくないという人にはもう少し安全な方法があります。
今風に言うと逆張りと言われている手法です。この「逆張り」という呼び方は元の意味とはかなり違うような気もしますが、そこは気にしない。いわゆる天の邪鬼という感じの反応ということです。
SNSでの逆張りもそれなりに理屈が通っていないと誰も賛同してくれないものです。つまりそれなりの知識が必要になるということですが、ワイプの場合も同様に、それなりの理屈の通った表情で頷いたり驚いたりしないといけません。そして、そこにはそれなりの知識を感じさせる雰囲気も必要なのです。
ワイプで自分をアピールというのはけっこう難しいことのような感じになってきました。
さらに進んだ自分アピールもあります。それは政治批判のようなことです。それなりの知識が必要だった逆張りよりもさらに知識が必要になるかも知れませんし、その知識を表情で表すには更なる技術も必要です。
この政治批判は限られた人だけが出来るこのように思えますが、中途半端に勉強した人がなんとなく雰囲気だけで政治批判の表情をしてしまうことがあります。それはそれで危険なことなのですが、さらにいけないのがいい歳をしていきなりそんな表情をするようになる場合です。
こういう浅い知識での政治批判のような表情は「それって普通は高校卒業したぐらいで一回通る道だよね」と思われがちです。それをいい歳をした大人がやり出して、しかもこんなことに気付いているのは自分だけで、そこに気付かないやつらは平和ボケの愚か者だ!と言わんばかりの表情だったり。
そんなワイプが本当にあるのかは知りませんが、SNSで良く見かけるということはワイプでも同様に違いないので気をつけないといけません。
ズレるなら楽しい方向にズレて欲しいが
自分アピールには知識がないといけないという流れになっていましたが、場合によってはそうではないかも知れません。自分がどんなに素晴らしいかをアピールする時に自分以外の要素を排除すれば余計な知識など必要なくなります。
アクティブな自分大好き!ポジティブな自分大好き!と、そんな感じでやれば良いのですが、この場合常にそれをやっていると周りの雰囲気からズレて空気が読めない人になってしまいます。なので、辛い思いをしている人の気持ちが解る自分が大好き!とか、悪事を許さない自分大好き!なども加える必要があります。面倒ですね。
面倒といっても、それはやっている本人が面倒なだけなので問題はありません。しかし、それが悪い方へ発展していくと他人にとっても面倒なワイプになってしまうのです。
それは、しらばらく無表情になったと思ったら、いきなり病んだ表情をしたりするやつです。それを見ている側は、どうしたのか?大丈夫なのか?とか心配してあげないといけなくなります。
かと思ったら、今度は一回のワイプには収まりきらない長いワイプをしたり。
長いワイプとは一体何か?という感じですが、文字数が限られているTwitterなどで、複数回に分けて長い文章を投稿するアレと同じ事です。書いている側からすれば、感情の高ぶりにあわせてどんどん言葉が出てくるということになっているのだと思われますが、良く考えて話をまとめると結局は一回の投稿で済む内容なのではないか?と思ってしまうことも多いのですけど。
そういう感じのワイプはかなり面倒なことになります。本編は別の話題になっているにも関わらず、ワイプだけはさっきの話題に関する表情のバリエーションを延々と繰り返すだけですし、見ている側も困ってしまいます。
それだけで収まらずに、最後に不適切な表情をしてしまったりしたら炎上してしまうので、そうならないように感情のコントロールすることも重要です。
他人に迷惑をかけてはいけない
最後にワイプがSNSと同じと考えるのなら、この問題は避けて通れないという気がします。それは法的にも問題があるかも知れないような迷惑なワイプです。
これもやはり根底には人とは違う自分をアピールしたいという欲求があるのかも知れませんが、やり過ぎたら、まさにその後の人生を狂わせるワイプになりかねません。
過去のちょっとした犯罪行為を自慢気に公表する表情のワイプ。それに反応してそのぐらいなら自分にだって、ということで現行犯でワイプ。
ちょっとしたことで他人を誹謗中傷する表情。さらに、いきなり殺害予告のワイプ。
あるいは、アイスクリーム売り場の冷凍庫に入っているような表情のワイプなど。
逆に考えると、そんなことはワイプで可能なのか?という気もしてきますが、それを出来るのはかなりの上級者であるということが余計に危険なのです。普通では飽き足らなくなった上級者はそれに挑戦して、そして成功させるでしょう。
そして、上級者となるとそれなりの影響力があるので、それをマネして多くの人が犯罪まがいのワイプをするようになるとも考えられるのです。
そうしてしまうのは何故なのか。ただ目立ちたいというだけなのか、あるいは抑圧された感情のはけ口としてそういう行動に出てしまうのか。
そこには世の中の抱える様々な問題が見え隠れしているようにも思えます。テレビの片隅に映される人の表情。それはもしかすると、社会を映す鏡のようなものなのかも知れません。
このようにワイプには色々な問題があることが解りました。そしてワイプと同じという事になっているSNSではイーロン・マスク氏がTwitterを買収してアレコレ混乱させたのは記憶に新しいのですが。あれは、一つの企業が全ての権限を掌握しているようなSNSに人々が依存する事へのマスク氏からの警告だと思ったりしました。しかしTwitterユーザーは特に混乱もなく平常運転という感じもあります。
同じく、まるでTwitterのようなテレビのワイプも相変わらずワイプを使った映像を流し続けています。そこに潜んでいる様々な問題にはまるで対処する気もないように思われます。ワイプに依存するあまりに、それが当たり前のことになっているのかも知れません。しかし、ある日突然ワイプが終了したらどうすればいいのでしょうか。その時になって慌ててワイプに変わるものを探してもなかなか見つかるものではありません。
我々は日ごろから常にワイプについてもっと考えるべきなのだと思うのです。
本当にそんなことを思っているのか?と聞かれると、思っているワケありません。でもSNSとワイプが一緒だということで書き始めたので、そういうことにしておかないといけないのです。
私としてはある日突然サービスが終了しても文句を言えないようなSNSにそんなに依存していいのか?とか思ったりはしますし。広く普及しているSNSは基本的に仕様に関しては閉鎖的というか、みんながSNSをやり始めたらオープンなインターネットがいつの間にか無くなってしまったとか、そういうことも良く思ったりしますけど。それは今回の話とは関係ないのです。
でもSNSとワイプが同じなら、関係ないこともなくて、ワイプも普及したらオープンでなくなったとか思えば良いのですね。
ということで、最近良く目にするおかしなタイトルの書き方のせいで変な大特集をしてしまいました。今年こそは沢山Black-holicを更新したいということなので、思い付いたら何でも書いてしまうということになってますし、こういうのが続くかも知れません。
お楽しみに。