「拡散」

5.

 腹を立てて部屋を飛び出したからといって、物や人に当たり散らしたり、そんなことをするようなあたくしではありませんのよ。こういう時に大事なことは嫌なことを忘れること。気分転換が上手でないとこの大都会であたくしのような女性が仕事をしていくのは難しいですものね。

 ということで、スケアリーはいちど手術衣を脱いで病院の外へ出てきた。彼女が向かったのは近くのコンビニだった。少しの甘いお菓子と飲み物があれば気分は晴れるはずだったが、自分で思っていた以上にイライラしていたスケアリーは無意識のうちに沢山の買い物をしていた。

 そして、コンビニを出たところで「あらいやだ、どうしてこんなに大きなコンビニ袋を持っているのかしら?」ということになった。これを全部一人で食べるなんて思われたら恥ずかしいですわね、とも思ってスケアリーは少し動揺した。結構多くの人のいるコンビニの前から立ち去ろうと思ったのだが、そこへメールを受信した音が聞こえて、彼女は反射的に携帯電話を取りだしてそのメールを確認してしまった。

「電車なかなか来ない。うぜぇ…www」というのはもちろんモオルダアからのメールだ。さっきからモオルダアは何をしているのか解らないが、スケアリーが解剖を中断してコンビニへやって来たのはこのモオルダアからのメールに腹が立ったからなのだ。そして、さらに追い打ちをかけるようなこのメール。これでは気分転換どころではない。(特に「www」とかスゴくムカつきますわ!)スケアリーはメールを見ていた携帯電話で電話をかけた。

「ちょいと!モオルダア!何なんですの?…ハァ?じゃありませんわよ!一体どういうつもりでこんなメールを送ってくるんですの?」

完全に怒っているスケアリーの口調なので電話の向こうのモオルダアはシドロモドロという感じのようだ。

「何ですの?聞こえませんわよ!ハッキリとものを言いなさい!」

激しい口調で言われたモオルダアは電話の向こうで言い訳をしているようだった。それによると、彼は悪ふざけをする人間になりきって短文の呟きを投稿することによって何かを知ろうとした、というのだ。つまりプロファイリングのつもりなのだが、なぜメールなのか?

「プロファイリングですって?!それをどうしてあたくし宛のメールでやるんですの?!」

なんだかスケアリーは怒りで声が震えてきているようにも思える。

「そんな下らない暇つぶしはTwi○○erでやれば良いんですのよ!」

怒りが頂点に達したスケアリーは最後に怒鳴るように言うとそのまま電話を切ってしまった。そして電話をしまう時になって、なんだかマズいことになっているような気がしてきた。

 スケアリーが周囲から冷たい視線を感じて辺りを見回すと、そこにはスマホを持ったままスケアリーを見つめる群衆の目があった。群衆と言うほどでもなかったが、スケアリーにとってはそのぐらいに思えたのだ。彼らは買い物ついでにコンビニの前に立ち止まってスマホで何かをしていたのだが、スケアリーが最後に言った言葉に反応してしまったようだ。

 マズいと思ったスケアリーだが、ここで黙って帰るのも納得いかない。そこで彼女を見つめている何人かに聞こえるように「何か用なんですの?」と言った。そうすると周りにいた人達は慌ててスケアリーから目をそらしてまたスマホを弄り始めた。

 この後の数時間、コンビニの前で激怒する甘党の女性がTwi○○erで少し話題になっていたようだ。どうでもイイことだが。


 モオルダアの変なメールでイライラさせられた上に、コンビニの前では気まずい思いをしたスケアリーは病院に戻ってくる間に「チョコあ〜んぱん」を食べ終えてしまい、さらに「ソフィッチ」も一つ平らげてしまった。そして、次はルマンドを食べようか、それとももう一つソフィッチを食べようか?と考えていたのだが、どうしてこんなに食べてばかりなのかしら?と思ってやっと我に返ったスケアリーであった。

 あらいやだ、あたくしったらこんなに食べてばかりで。それに、どうしてこんなに沢山お菓子を買ってしまったのかしら?いけませんわ。もっと冷静にならなければ。

 そんなことを考えながら病院に戻ってきたスケアリーだが、大量に余っているお菓子をどうしようか考え始めていた。病院なのでエアコンの設定温度は控えめで、しかも節電ということでさらに温度は高くなりがちな室内である。スケアリーのカバンの中に入れておけば、甘いお菓子はドロドロに溶けてしまいそうだ。

 ただ、スケアリーが向かう先は遺体を解剖するための部屋である。遺体が傷まないように保存する必要もあるのだし、専用の冷蔵庫もあるのだ。しかし、そこへお菓子を入れておくというのは…。スケアリーはちょっと悩んだが、とりあえず元の部屋に戻ると真っ先にその冷凍庫を開けてみることにした。


 本当に今日は調子が狂ってしまいますわ。そう思いながら解剖のための部屋に戻ってきたスケアリー。確かにそうなのだが、狂ってしまっているのがペケファイル課の日常でもあるのだ。そして、何かが狂い始めるとさらに変なことが起きる。それもペケファイル課の日常である。

 スケアリーはコンビニ袋を持って冷蔵庫の前に来た。冷蔵庫といっても家にあるような冷蔵庫ではないが。しかし、遺体を入れるといってもレストランにある冷蔵庫とそれほど変わるところはない冷蔵庫でもあった。そんなところに今回の事件(というか騒動)とのちょっとした関連を見つけて感心している余裕はスケアリーにはなかった。それよりも、自分の持っているお菓子をこの冷蔵庫に入れて良いものか?ということが気になっていたのである。

 常識で考えたら好ましいことではないかも知れないが、科学的に考えてそれはどうなのか。科学でなくても理屈で考えて、どうなのか。スケアリーは冷蔵庫の前で自問自答している。

 そうですわね。確かにコンビニやレストランの冷蔵庫などに人が入って寝そべっている写真を見るのは気分が悪いですわ。そして不衛生であることもありますわね。でも、遺体を入れることもあるこの冷蔵庫にあたくしの買ってきたお菓子を入れる。それのどこに問題があるのか?考えれば考えるほど難しい問題ですわよ。

 冷蔵庫の前で考えていたスケアリーだったが、とりあえず冷蔵庫の中を見てからもう一度考えようと思った。冷蔵庫を開けてみて、お菓子を入れたいような雰囲気でなければ入れなければ良いのだし。そう思ってスケアリーは冷蔵庫の扉を開けた。

 何も入っていないはずの冷蔵庫の扉を開けたスケアリーだったが、そこで思わぬものを目にして、そして驚きのあまり「ギャッ!」と悲鳴をあげて、さらに後ろに倒れ込んで尻餅をついてしまった。


 スケアリーは倒れ込んだまま首だけを回して部屋の中央にある解剖台を確認した。そして、この冷蔵庫の中にあるものが何かを確信したようだった。

 解剖台の上に載っているはずの氷室兵蔵の遺体がどこかへ消えている。そして、彼にそっくりの遺体が冷蔵庫の中にある。それは仰向けに横たわった状態ではなくて、体を横に向けてうずくまっている姿勢で、しかも冷蔵庫の中のはじの方に不自然な感じで収まっていた。

 それだけではない。遺体の顔の付近には数匹のミミズのような小さな細長い生き物が這い回っている。ミミズというよりはヒルのような生き物だろうか。ゆっくりと動き回っていて、たまに動くのをやめると、何かを探しているようにその先端の部分を少し浮かせてゆっくり左右に振る動作を繰り返している。

 スケアリーは気持ち悪いものを見てしまって、思わず冷蔵庫の扉を閉めようと思ったのだが、ここで科学者としての責任感が彼女を制止した。

 扉が開いて急に明るくなったことに驚いたのか、一匹の細長い生物が床の方に落ちていた。スケアリーはその一匹を見つけると、ピンセットを使ってシャーレの中へその生き物を入れた。それからとりあえず冷蔵庫の扉を閉めると、応援を要請するために電話をかけた。