「KIMOE」

15.

 モオルダアはキモエに案内されて屋敷の各部屋を見て回った。そして人が入ってこられそうな窓の鍵がちゃんと閉まっているかも確認していた。中には鉄格子のついている窓もあったのだが、ここを建てた人間はそういう物が建物の美観を損ねると思っていたようで、ほとんどの窓は無防備な状態だった。

 夕暮れ時で屋敷の中は朝よりもさらに暗かった。いくつあるか数え切れないほどの部屋を見て回る途中に、何年も使われていないカビ臭い部屋もいくつかあった。そういう部屋はまさに幽霊屋敷というかんじで、モオルダアも少し嫌な気分がしていた。

 屋敷の中のどこをどんなふうに回ってきたのか広すぎて解らなくなっていたが、モオルダアは最後にあの気持ち悪い絵のある部屋に案内された。この部屋には扉が二つあって、朝来た時とは別のほうから入って来たようだ。部屋に入った瞬間にモオルダアの脳裏にはあの絵が甦ってきた。あの絵は恐ろしいからなるべく見たくなかったのだが、そういうものに限ってどうしても目がそちらのほうにいってしまう。モオルダアがチラッと絵を見るとそこにはやはりあの恐ろしい怪物がいてモオルダアを睨んでいた。朝よりも暗くなっているこの部屋で、そこに描かれた怪物はさらに恐ろしく見える。躍動感というのか、生命力とでもいうのか。地獄の怪物みたいな物に生命力というのは変だが、暗い中では今にも飛び出してきそうな感じがいっそう強まって見えるのだ。

 朝と同様にモオルダアはまたしてもこの絵に魅入ってしまったが、その時突然、背後の窓をたたく音がして、また朝と同様にモオルダアは小さな悲鳴をあげて振り返った。薄暗い庭にいたのはスケアリーだった。


「何度もノックしたんですけれども、返事がないので心配してしまいましたわ。それに、警備がモオルダアですから」

スケアリーはお屋敷に入ってくると辺りを見回しながら言っていた。誰かと一緒にいる限り、このお屋敷の不気味さはそれほどでもないと確認しているかのようだった。

「でも、外には警官も手配しましたし、モオルダアだけでも何とかなりますわね」

「そのことなんだけどねえ。キモエさんはキミに警護を頼みたいって言ってるんだよね。キミがボクに警護をまかせるのも意外だと思ってたんだけど、でもやっぱり若い女性の警護は男捜査官よりも女捜査官だしね」

「それもそうですわね」

そう言うスケアリーの声は少し小さかった。確かにモオルダアの言うとおりだ。それにモオルダアを変態だと思っているスケアリーなら若い女性の警護などさせるわけはないのだ。ただ、スケアリーはこの寂しく不気味なお屋敷にキモエと二人だけになるのは嫌だった。しかし、そんなことが理由でモオルダアに代わりを頼むのは彼女のプライドが許さない。

「もちろん、あなたよりもあたくしのほうが頼りになりますから、そうするべきですわね。キモエさんの警護はあたくしがいたしますわよ」

そういってスケアリーは出来る限り毅然とした感じが出るような目つきでキモエのほうを見た。それを見てキモエも安心したようだった。

「ところで、あのビデオはどうなった?」

スケアリーの心の中の葛藤などまったく気付いていないモオルダアが聞いた。

「ああ、そうでしたわね。あたくしはそれを伝えに来たんですから。あのビデオですけど、凄いんですのよ!」

「やっぱりなあ。ちゃんと全部見えるようになれば凄いことになるとは思っていたけどねえ」

キモエは二人の話を聞きながら「あのビデオ」って何だろう?と思っていたが、もしかすると自分が聞くべきではない変なビデオの話かも知れないと思って席を外した。

「確かにあそこには人がいたんですのよ」

「それが、マサシタだったんでしょ?」

「そうではなくて、あそこにいたのは新米の警官のほうだったんですのよ。あたくし、ここに来る前に警察署に寄って確かめてきましたから、間違いないですわ」

「ということはつまり…」

モオルダアもスケアリーも「つまり」の後に続く言葉は見つからなかった。沈黙の中、二人の頭上にはハテナマークが一つ、また一つと増えていった。

16. ローン・ガマンのアジト

 とりあえずキモエの警護はスケアリーにまかせて、事件の謎を究明することになったモオルダアだが、何をしていいのか解らなかった。マサシタも新米の警官も依然として行方が解らないままだし、例の液体からは何かの手掛かりになるような物は見つかっていないということだ。

 そんな風に困ってしまった時にモオルダアはここへ遊びにくる。ローン・ガマンのメンバーはモオルダアが撮影したデジカメの画像を見ながらあれこれ意見を言い合っている。とはいっても無口なヌリカベ君はあまり意見を言わないのだが。

「霊エネルギーで写真の写りがおかしくなるとしたらもっと違う写り方をすると思うけどね」

正式メンバーでない元部長が適当なことを言っている。

「でも、そこにあった液体がエクトプラズムだとしたら、この写真の異常さの原因は霊エネルギーということだといえると思うけどね」

モオルダアはどうやらエクトプラズムという言葉が気に入っているらしい。

「エクトプラズムが発生するということは、そこに霊媒や霊能力者がいないといけないぜ」

モオルダアがまだ見たことない誰かが反論する。

「キミはだれだ?」

「これまでずっとここにいてやっと気になったのか?初登場のフロシキ君だ」

小太りで(良くいえば)かわいらしい外見のくせに、妙に偉そうな話し方をするのが気にくわなかったが、ここにいる人間はどこか他人の感情を逆撫でするようなところがあるので、そこを気にしても仕方がない。とにかく登場するのかどうか未定だったフロシキ君がとうとう登場してしまったのである。


 元部長がそうであるように、フロシキ君もローン・ガマンの正式メンバーではない。駅前で自分か書いた本やマンガを無許可で売っているのだが、警官がくるとそれらの売り物を素早くフロシキにくるんでその場から立ち去るためフロシキ君と呼ばれている。元部長とはパチンコ仲間ということだが、このアジトに頻繁に遊びにくるうちに怪しい話にも詳しくなったようだ。


「エクトプラズムなんて鼻水と一緒ですよ。なにしろ科学的根拠がどこにもない」

ここの人間には心霊現象の話は通じないようで元部長も否定的だ。

「キミに科学的に説明したって理解できないだろ」

フロシキ君が元部長をからかうが誰も特に反応は示さなかった。

「それじゃあ、絵から飛び出す怪物というのはどうだ?」

「それはないなー…」

モオルダアの予想どおり誰もこの話は信じていないようだ。ここでやっとヌリカベ君が閉ざしていた口を開いた。

「溶解人間ですね」

他の三人はその続きを期待したが、いつものようにヌリカベ君が言ったのはそれだけだった。モオルダアは人間になりたがっている三人の妖怪家族の話を思い出してしまったが、それは関係ないはずである。元部長は「溶解人間」と聞いて何かを思い出したようだった。

「人間を解かす細菌兵器の研究をどこかの政府が極秘に行っているとか、いないとか、という話は聞いたことがありますよ」

「それがあの庭で使われたってこと?それはどうかなあ?それと写真が上手く写らないことは関係してるのか?」

「それは知りませんけど…」

元部長は言葉を詰まらせた。するとヌリカベ君がまた口を開いた。

「その液体というのがあればもう少し詳しいことが解るはずです。殺人バクテリアが人体を分解する時に出す酵素にはある特徴があると言われています」

「ある特徴って?」

「それは見たことがないから解りません」

「それもそうだ」

それ以降、ここでの話が進展する様子はなかった。何も解らないままモオルダアはアジトを後にした。しかも「殺人バクテリア」などという新しい謎のキーワードまで出てきてしまったので、もうなんだかワケが解らない状態である。

 それでも、帰る途中に「フロシキ君というのが初登場したけど、話の内容にはほとんど関係がないな」というところには気付いていた。私もそんな気がしている。

 それから、モオルダアは気付かなかったが、ローン・ガマンのアジトを去る彼の姿を後ろから何者かが監視していた。パーカーのフードを被ってその顔は良く見えなかったが、フードの影の奥から光る目がよく見えた。