「KIMOE」

4. キモイ絵の部屋

 スケアリーが想像していたお屋敷での生活はキモエが一人でここに住むようになる前からなかったようだ。キモエの話すところによると、使用人などがこの屋敷にいたのはキモエの祖父の代までで、それ以降は使用人を雇えるほどの経済的余裕はなくなり、キモエと両親の三人だけで暮らしていたそうだ。画家としてそれなりに成功していたキモエの父だったが、それだけで豪華な暮らしが出来るような時代でもない。もちろんこれだけの広さの家と庭の管理をするには、年に何度か業者を呼んで庭の手入れや敷地内の清掃などをしなければいけないのだが。

 三人でも寂しい豪邸での生活だったが、二年前に起きた悲劇によりキモエはこのお屋敷に一人残されることになった。キモエの両親を乗せた乗用車が交通事故に巻き込まれ、二人とも帰らぬ人となったのだ。親類からはこの屋敷を手放して別のところに住むようにと言われたのだが、キモエは愛着のあるこの屋敷を離れるつもりはなかった。

 スケアリーは自分の顔が半分口裂け女になっていることなどすっかり忘れて、神妙な面もちでキモエの話を聞いていた。

「でも、こんな広いお屋敷に一人だけじゃ寂しくありませんこと?」

スケアリーが聞くと、キモエはにやつくような表情になって答えた。

「あなたも芸術的な感覚をお持ちのようですから、解ってくれると思いますが、こういうちょっと特異な環境って芸術家に良いインスピレーションを与えてくれるんですよ」

芸術的な感覚とはスケアリーの片方だけ耳の近くまでのびている唇のことを言っているのだろう。それに気付いていないスケアリーはちょっと得意げになっていた。

「それじゃあ、あなたもお父様と同じ画家ということですの?」

「表向きにはそういうことになっています。でも私にはまだ父のような絵は描けません。実際に売れるような絵は一枚も描けていないですから。父の残してくれた財産で生活しているのですから、画家というよりは女ニートです」

女ニートと聞いて、スケアリーは一瞬返す言葉が出てこなかった。

「あの、ニートは女も男もニートですのよ」

スケアリーは自分の言っていることが間違いではないと解っていたが、こんなことを説明してみると、なんだかヘンなことを言っているような気分になる。

「それは違います!」

キモエは少しムキになって言い返した。

「男のニートと女のニートは区別しなきゃいけないんです。今では何でも平等って言ってますけど、それは全然平等じゃないんです。男と女を区別することは差別ではありません。女は女で特別なんですから。そんなことも解らないで男と女を同じにしてしまっては女性の価値がなくなってしまいます。看護師ではなくて看護婦。フライトアテンダントではなくてスチュワーデスでいいんです。女がニートなら女ニートなんです」

熱く語るキモエにスケアリーは何も返す言葉が浮かんでこなかった。もしかするとこれが芸術的な感覚なのだろうか?ただしそんなことを気にしていても意味はない。次第に冷静になっていくスケアリーは、先程キモエが「女画家」と言わなかったのはなぜかしら?と思ったのだが、そこは気にしないことにした。

「ええ、あなたの言うことも、もっともですわね。それよりも、あたくしが受けた連絡によると、通報したのはあなただそうですわね。あなたにストーカー行為をして捕まったマサシタという男が近くに来たということで」

「そうです。あれはまさしくマサシタです。やり方が前と一緒でしたから解ります。この家の電話のある部屋はちょうど隣の家から見える場所にあるんです。だからマサシタはこの家に電話をかけてきて私が電話に出るのをとなりの家の敷地から見ていたんです。そしてある時マサシタがこの家に侵入してきたのですが、その時は父がいてマサシタを捕まえてくれたので、そのまま警察に連れて行って逮捕ということになったのです。でも今回は私一人ですから私は急いで自分の部屋に戻って携帯電話で警察に通報すると、そのまま目立たない物置部屋に隠れていました」

「それじゃあ、外で何が起きていたのかは解りませんわね?」

ここでスケアリーはキモエを疑うことも出来たのだが、それはあり得ないような気がしていた。本来ならキモエが家に侵入してきたマサシタを殺害して、この広い敷地のどこかに遺体を隠したりした後に警察に通報したと考えることも出来る。しかしスケアリーにはキモエがそのようなことをする人間とは思えなかった。

 スケアリーの質問に黙って頷いたキモエにスケアリーも黙って頷いて返事をした。

「警察の方は私のことも疑っているみたいなんですよ」

キモエはスケアリーが警察と同じように彼女を疑っているような質問をするのだろうと恐れていたのだが、それがないので少し安心していた。そして警察には話さなかった事もスケアリーに話しても大丈夫だと思い始めた。

 少しの間うつむいて黙っていたが、キモエは言いにくそうな感じでスケアリーに話し始めた。

「これは私の考えなんですけど。もしかするとその絵が私を救ってくれたんじゃないかって、思ってるんです」

キモエが指さした先には先程の気持ち悪い悪魔のような何かの絵があった。今は絵から離れたところで話をしていたスケアリーであったが、この絵に描かれた「何か」はどの角度から見ても見る者の方を睨んでいるような描き方で描かれているようだ。キモエの指さす方を見て、悪魔のような何かに再び睨まれてしまったスケアリーは、またしても言い知れぬ恐怖を感じて鳥肌を立てた。

「この絵は父の遺作なんですけど」

キモエが先を続けた。

「この絵を描いている時に父は、これはこの家の守り神だ、なんて言ってました。少しグロテスクですけど、私はガーゴイルとかそういう物として描いているんだと思っていました」

少しどころではありませんわ!とスケアリーは思っていた。キモエはまだ先を続ける。

「でも、最近私はこの絵がこの家のために描かれたのではなくて、私のために描かれたのではないかと思っていたんです。父は昔から私のことを可愛がってくれましたし、マサシタの事件があってからすごく心配しているようでした。それに、他の絵とまったく違う作風のその絵には父の感情の全てがこめられているような気がするんです。だから、以前に父がマサシタを捕まえたように、昨日もそこに描かれたものがその絵を飛び出して私を助けてくれたんじゃないかって…」

 芸術的な感覚のある人は時々こんなことを本気で話したりしてしまうのだろうか。この絵がどうしても苦手なスケアリーはそんな話は聞きたくなかった。この絵に描かれたドロドロした悪魔のような何かが現実世界に現れるなんて想像もしたくない。それに、こんな話を聞く役割はエフ・ビー・エルの男捜査官がやるべきなのだ。

 スケアリーが窓の外に目を向けるとそこにはまだモオルダアがいて、意味があるか解らない現場写真を撮っている。明るい庭からはこの部屋の中はよく見えないようで、二人がこの部屋にいることをモオルダアはまったく気付いていないようだ。

 スケアリーはキモエの言うことに反論するよりも、無言で窓に近づいてい行くと窓を開けてモオルダアを呼んだ。

「ちょいとモオルダア!女ニートさんがあなた好みの話をしてくれそうですわよ!」

いきなり呼ばれて少しビビっていたモオルダアだったが、女ニートと聞くとヘンな顔をしながら振り返った。

「女ニート!?」

男捜査官のモオルダアがヘンな顔のまま聞いたが、スケアリーにはどうでもよかった。

「どうでも良いですから、そんな写真撮影はやめて早くこの部屋にいらしたらどうなんですの?」

モオルダアはスケアリーがいまだに半分口裂け女のままだということに疑問を抱いたが、他にもいろいろヘンなことだらけな感じなので、そこを気にしている暇はなかった。とにかく急いで屋敷の中に入ってスケアリーのいる部屋に行かないと、スケアリーが怒り出しそうなテンションなので、モオルダアは言われるままにお屋敷の玄関へと向かっていった。