「SCREWED」

8. 山の中

 先程、少年が逃げていった先は山の中に続いていた。モオルダアとスケアリーがこの「旅の宿」にやって来る時に通った私道よりももっと細く、ほとんど道とは言えない獣道のような状態だった。この土地に住んでいるものなら普通に歩けるのだろうが、木々の間から差し込むわずかな月明かりを頼りに進むモオルダアは途中で何度も木の根っこや絡み合う下草につまずいて転びそうになりながら道を進んでいった。

 この先に何があるのだろうか?とモオルダアは考えていた。この方向へずっと進んでいけばここへ来る時に車で走っていた道にぶつかるはずだから、この先にあるのは道に違いない。少年はその道まで行って、そこからさらに遠くまで逃げたのかも知れないが、そうでなければ彼はこの細い道の途中の何処かに隠れているはずである。

 歩いているうちにモオルダアの目は次第に暗闇に慣れてきた。月明かりの届く場所はより明るく、影になっている部分はより暗くなり、目の前には薄暗いまだら模様の景色が広がっていた。モオルダアはその中のより暗い場所を探しながら進んでいった。しかし、モオルダアには少年が隠れられそうな大きな影は見付けられなかった。あたりには「真っ暗」「薄暗い」が少しずつまんべんなく広がっている。

「おおい、少年よ!エンソケイ星人はボクが倒したから出てきてもダイジョブだぞ!」

モオルダアは探すのが面倒になって来たので、少し大きな声を出して言ってみたのだが、もちろん返事はなかった。モオルダアはバカなことを言ったと思って少し後悔していたのだが、その後の静けさがさらにモオルダアをヘンな気持ちにさせた。ここでは音がほとんど聞こえてこない。風のないこの場所では木々が風に揺られて葉をざわつかせることもないようだった。それよりも、モオルダアはさっきから自分の足音さえ聞いていないような気もしていた。「まさか、そんなことはないよな?」と思ったモオルダアは、その場で大げさな感じで足踏みしてみるとトツトツという足音がちゃんと聞こえてきた。トツトツというのはヘンな足音ではあるが、ゴムの靴底で土を踏んでみたところで足音らしい足音がするとは思えない。

 とりあえず、自分の足音が聞こえるということが解って安心したモオルダアは、もう少し先まで進んでみることにした。

 少し先まで進むとモオルダアは前方に大きな黒い影があることに気付いた。それは明らかに木々の作り出す影とは違っていて、時空の間に生じた大きな空洞の不気味な暗黒といった感じでぽっかりと開いた口をモオルダアの方へと向けているように思えた。

 モオルダアはしばらくの間その暗がりを凝視していたが、次第にそれが何なのか解ってきた。そこは高さが3メートルほどの崖になっていて、その下に洞穴が口を開けていたのだった。モオルダアは一度その洞穴から目を離して、道の先を見てみた。ここまで歩いて来た距離を考えると、もうすぐこの荒れ果てた道は終わって舗装された道とぶつかるはずである。少年が隠れるのならその洞穴ぐらいしかなさそうだ。

 モオルダアはちょっと恐い気もしたのだがポケットから小さな懐中電灯を取り出して洞穴へと向かった。


 モオルダアが洞穴の前まで来て懐中電灯で中を照らすと、その洞穴がそれほど奥まで続いているのではないことが解った。大きな岩が重なり合って出来た空洞なのか、或いは人の手によって掘られたのかは良く解らなかったが数メートル進んだところで行き止まりになっているようだった。

 モオルダアはここに少年が隠れていることはまずないだろう、とは思ったのだが確かめてみるまでは何があるのか解らないので、懐中電灯を点けたまま中に入っていった。

「おおい、少年よ!いるならでてくるんだ。エンソケイ星人が来てもエフ・ビー・エルがいるから安心だぞ!」

そう言いながら歩いていると、もうすでに洞穴の一番奥まで来てしまった。モオルダアは少し拍子抜けした感じで掲げていた懐中電灯を下に向けたのだが、その時にモオルダアの目に予想もしなかった光景が飛び込んできた。

 予想外のものに出くわした時、そしてそれが身の毛もよだつほど恐ろしいものであった時に、人は悲鳴をあげるのではなくて、一時息が止まってしまう。モオルダアならなおさらのことである。モオルダアは自分の足下にあるものを見てしばらくの間、半分開いた口を閉じるのか開くのか解らないでアワアワさせながら驚いていた。

「…って、…って、…って、…」

やっとのことで声を出せたモオルダアだったが、その言葉の意味が解らないし、それを聞く者もここには誰もいない。とにかくモオルダアは目にした物の名前を言っているだけだった。

 モオルダアが自分の足下に見付けたのは人間の手だったのである。それも一つだけではない。何十、何百もの手がモオルダアの足下に小山のように積み重なっていたのだ。正確に言うと手ではなくてヒジから先の腕という感じだったのだが、それはどうでも良いことかも知れない。とにかく、その大量の手が何かを掴もうとしているように指を途中まで折り曲げた状態でどっさりと積み上げられていたのである。

「…って、…って、…」

モオルダアはまだ手を見つめながら窒息しそうな感じで声を絞り出していたのだが、そうしているうちに大量の手の中の一つがピクリと動いたように思えた。そんなはずはないのだがモオルダアはそう感じると張りつめていた何かが急に切れた感じでキャ!とヘンな悲鳴をあげて洞穴の外へと逃げだした。

「スケアリー!大変だよ。これは大変だよ!」

そう言いながらモオルダアは小走りに洞穴の前から去っていったのだが、彼は自分がどこへ向かっているのかさえまだ良く解っていなかった。


 モオルダアはハアハアいいながらデコボコの山道を走って行った。コケが生えている岩や、半分腐ったような落ち葉がたまっている場所を踏みつけて何度も滑って転びそうになっていたのだが、モオルダアには目の前の道を進んでいくことしか頭になかった。何かが追いかけてくるわけでもないのに逃げるように走っているモオルダアは、おそらく先程の光景を見ないで済む場所まで走って行きたかったに違いない。そんな必要があるのかどうかは解らないが恐怖に取り憑かれると時々人間の行動は理解不能になるようだ。

 そんなに長い距離を走ったワケではなかったが、滑って転びそうになりながら走っていたモオルダアにはけっこうな距離に思われた。しかし突然目の前に舗装された道路が現れてモオルダアはきょとんとして立ち止まった。先程の洞穴があった場所からこの舗装された道路は30メートル程しか離れていないようだった。それよりも、モオルダアは「旅の宿」の方へ向かって走っていたつもりが反対に進んでいた事に気付いて、何だか虚しい気分になった。それから自分が大量の手を見てパニックになっていたところを誰にも見られていなければいいのだが、とも思っていた。

 とにかく、そんな感じでモオルダアは落ち着きを取り戻したので来た道を戻って行くことにした。洞穴の中に大量の手があることは問題だし、それはスケアリーに伝えるべきであり、また警察などにも連絡しなければいけないことに違いないのだから。


 モオルダアはデコボコの道を「旅の宿」の方へと歩いていた。落ち着いて歩いていると、パニック状態で走るよりも速く先程のほこらのところまでくることができた。人がパニックになるのは「火事場の馬鹿力」とかそういった人間の潜在能力を引き出すためのものだと思っていたモオルダアだったが、さっきの状態を考えるとそうでもなさそうだ。だとしたら、どうして人間がそんな状態に陥ってしまうのかまったく理解できない!とモオルダアはヘンなことを考えていた。モオルダアには恐怖にうち勝つとか、恐怖心を克服するという考えがないのだから仕方がないのかも知れない。

 洞穴のところまでくると、洞穴の入り口のところに誰かがいることに気がついた。普段なら暗闇に人の姿を見付けたらギョッとしてしまうモオルダアだったが、ヘンなことを考えていたのでそれほど驚かなかった。

 そこにいるのはおそらくスケアリーである。少し離れているうえに、夜の森の中であるのだから確信はなかったが、モオルダアはそれがスケアリーに違いないと思っていた。ただし、いつものスケアリーとは少し違うようにも感じられた。洞穴の前にいるその人物は一点を見つめたまま呆然と立ちつくしているのである。それでいて、手に持った懐中電灯はずっとその足下を照らしたままである。モオルダアはその様子を見ておかしいと思ったのだが、すぐにどうしてそうなっているのかを理解した。おそらくスケアリーは洞穴の中に入ってモオルダア同様に大量の手を見たに違いないのだ。

「スケアリー!」

モオルダアが近づいて声をかけると、そこにいたのはやはりスケアリーだった。スケアリーはハッとして声のする方へと顔を向けた。モオルダアに呼びかけられたことでやっと現実世界に戻ってこられたような感じで、スケアリーの虚ろに開いたままの瞳にはいつもの輝きと威圧感が戻ってきていた。

「スケアリー、大変な事になったよ!」

「モオルダア、あなたどこにいらしてたの?早く警察に連絡しないとこれは大事件ですわよ。大事件というよりは大虐殺ですわね!」

「大虐殺!?…それはちょっと大げさじゃないか?」

「何を言っているんですの?あなたはまだあれを見ていないんですの?」

「見たけどね。手を切られただけで人は死ぬかどうかは解らないけど。とにかく大事件ではあるんだから、早く連絡しないと」

そう言ってモオルダアはポケットから携帯電話を取り出したが、この場所に電波が届いていないらしく、その携帯電話には意味がなかった。スケアリーはそのモオルダアの様子を不思議そうに見ていたが、すぐに確認すべき事柄を思い出してモオルダアに言った。

「手を切られるって何なんですの?」

それを聞いて、今度はモオルダアが不思議そうにスケアリーの方へ向き直った。

「手があったから大事件なんでしょ?」

そう言って、モオルダアは洞穴の中に視線を向けた。そうするとまた先程の大量の手を思い出してイヤな鳥肌が立った。そして、そんなことを考えていると自分の手がなくなっているような感覚になって思わず両手を目の前に掲げて自分の手があることを確認していた。何もしないで手が切り取られるはずはないのだが、このおかしな場所にいると、そんなことが起こっても不思議ではないような気がしてしまったようだ。

「何をやっているんですの?」

「いや、何というか手がしびれたような感じがしてね」

そう言いながらモオルダアは目の間に掲げた両手を不自然な感じに振っていた。

「あなた、頭は確かなんですの?アレが手に見えたんですの?」

「アレが手じゃなかったら何なんだ?」

もしかしてモオルダアはふざけているのではないかと思い、スケアリーは多少イライラしてきたのだが、そうではなくてモオルダアは恐怖で自分の見た物を実際とは違うものに頭の中で置き換えているのかも知れない、とも思った。

「あなたには、あの首なし死体の山が手に見えたって言うんですの?」

「首なし死体!?…の、山!?」

モオルダアは、さっきのあの場所に首のない死体が山のように積み重なっているところを想像して、先程よりもさらに鳥肌を立てて身震いしていたのだが、いくら何でも首なし死体と手を見間違えるはずはないのだ。それよりも前に、モオルダアが首なし死体の山などを見たら、その場で気絶していたかも知れないのに。

 モオルダアはしばらくの間状況を把握できないまま考えていたが最後に、彼の見ていた大量の手のうちの一つが幽かに動いたように見えた、ということを思い出した。そして、そこから考えを進めていって「まさか」とは思ったのだが、モオルダアは自分の考えたことをスケアリーに話してみた。

「ボクがここへ来た時には確かに大量の手が山積みになっていたんだよ。それで、それよりも後に来たキミが見たものが首なし死体だったということは、おそらくその手が成長して人間の姿に近づいているということかも知れないよね。すると、今頃は首も生えてきて、完全な人間になって。もしかすると、それらが動き出してなんかやばいことに、とかそんなことになったら…」

モオルダアはここまで話したが、自分の話のどこにも根拠がないことに気付いて先を続けられなくなった。スケアリーはそんな話を聞いても冷静であった。

「何を言っているんですの?」

そういうスケアリーの表情にはどこかモオルダアを心配するような感じもあった。彼女は恐怖のためにモオルダアが常軌を逸しているのかも知れない、とでも思っているようだ。

「どうでもいいですけれど、中に入って確認すれば良いことじゃございませんこと?」

スケアリーはそう言って洞穴の中に入って行った。モオルダアはなるべくなら着いていきたくなかったのだが、なんとなく先程からスケアリーが自分のことをバカにしているような感じに思えてきたので、ここは彼女の後についていくことにした。