「猿軍団」

1. とある高原の小さな牧場

 介蔵じいさんは牧場で一日の仕事を終え、今はほろ酔い気分で裏庭においたベンチに座っている。さっきまで隣に座っていた梅子ばあさんは、牛の様子を見に牛舎へ行った。陽はもうすでに落ちてしまったがそれほど冷え込むこともなかった。介蔵じいさんは一日の中でこの時間が何よりも好きなのである。こうしてここに座っているとき介蔵じいさんは生活の中で唯一の安らぎを得られるのである。ここにいるときは何もしない。近くの森を眺めたり、月が出ていれば月を眺めたり。ただそれだけである。そうしてしばらくしたら、寝室に行って眠る。こうしたことを介蔵じいさんは何十年と続けてきた。そして今夜もそうなるはずだった。

 介蔵じいさんが二本目のビールに手を伸ばした時だった。牛たちが異常な様子で騒ぎ出した。牛舎から梅子ばあさんが飛び出してきた。

「じいさん、大変じゃ!じいさんや!ヤツらがきたんじゃ!じいさんやあ!」

介蔵じいさんの顔は真っ青になっていた。じいさんには「ヤツら」が誰なのかははっきり解らなかったが、牛たちに何が起こっているのかははっきり解っていた。ヤツらがやってきたのだ。「ばあさんやあ!」介蔵じいさんが家の中へかけていった。

 暗い牛舎の中では梅子ばあさんが必死になって牛たちに襲いかかっている「ヤツら」を追い払おうとしている。牛たちに襲いかかっているのはニホンザルの群であった。どうしてニホンザルが牛を襲っているのだろうか?餌にするわけではあるまい。とにかくサルたちは牛に襲いかかっている。梅子ばあさんは何とか牛たちを助けようと近くに落ちていた棒きれを拾ってそれを振り回していたが、相手の数が多すぎる。サルたちは梅子ばあさんの振り回す棒を巧みにかわしてまた牛の背中に飛びつく。棒が空を切る音だけが虚しく響いていた。

 「やめねえか!悪魔の使いめ!」介蔵じいさんが猟銃を手に牛舎へ入ってきた。サルたちは介蔵じいさんの声に全く反応しなかった。介蔵じいさんは空へ向かって猟銃を撃った。一瞬、サルたちは動きを止め、介蔵じいさんの方をみた。梅子ばあさんもサルたちと同じように介蔵じいさんの方を見た。そして、じいさんに近づく影に気付いた。

「じいさん、後ろ!」

梅子ばあさんが言い終わる前に、影は介蔵じいさんに襲いかかった。それはじいさんよりも背の高い巨大なサルだった。不意に襲われた介蔵じいさんはよろめいた拍子に銃の引き金を引いてしまった。銃口は梅子ばあさんの方を向いていた。そして放たれた散弾は梅子ばあさんの顔半分を牛舎の壁まで吹き飛ばした。

「ああ、なんてことを・・・」

介蔵じいさんは呆然として銃を床に落とした。その瞬間、銃声に驚いて固まっていたサルたちが一斉に介蔵じいさんに襲いかかった。サルたちに囲まれた介蔵じいさんはしばらく素手で応戦していたが、最後に巨大なサルが牧草用のフォークでとどめを刺した。

 牛舎の中に一瞬の静寂が訪れた。その直後、牛舎の外がぱっと昼間のような明るさになった。その強烈な光は瞬く間に牛舎の中まで入り込んできた。目がくらんで何も見えない。やがて光は何かに吸い込まれるようにして消えていった。消えたのは光だけではない。そこにいた牛たちがすべていなくなっていた。その光景を見届けたサルたちはしばらくじっとしていたが、巨大なサルが、ほかのサルたちに向かって何か合図をすると、サルたちはみな森の中へ消えていった。

2. F.B.l.ビルディングの地下室

 スケアリーが部屋へ入ってくると、モルダアがパソコンの前で固まっている。

「あら、珍しく朝から出勤ですの?」

モルダアは反応しない。どうやら、パソコンと一緒にフリーズしているらしい。スケアリーはモルダアには何も言わずにパソコンのを操作して正常に動くようにした。こういう時には、人間よりも先にパソコンに適切な処置をすれば人間の方は勝手に動き出すのである。

「やあ、スケアリー」モルダアも正常に動きだした。

「何ですの?電話で言ってたおもしろい事件って」

「これだよ、高原牧場殺人事件」

モルダアはパソコンのモニターを指差したが、再起動したパソコンのモニターには何も表示されていない。

「それって、今日の新聞に載ってた殺人事件のこと?それとペケファイルがどう関係してるというんですの?」

「老夫婦が殺されただけならただの殺人事件なんだが、それだけじゃないんだ。事件のあった高原では以前から、謎の光を目撃したという人が何人もいるんだ」

「あなた、もしかして犯人がUFOに乗ってきた宇宙人だとでも言うおつもりかしら」

「そうは言ってないよ。でも、事件のあった地域で今までにあった犯罪と言えば信号無視くらいなんだぜ。そんな場所で殺人事件が起こるなんて、謎の光が関係している可能性は大いにあると思うんだけどなあ。まさにペケファイルじゃないか?」

「まあ、何でもいいですわ。あなたがそう思うのならあたくしも暇つぶし・・・」

突然、部屋の扉が開いてスキヤナーが入ってきた。

「おい、モルダア!何やってるんだ」

「何、って。ちゃんと仕事してますよ」

「えへへ、知ってるよ。ちょっと驚かしてみようかと思ってな」

「あんまり驚きませんでしたわ」

スケアリーは驚かなかったが、モルダアはちょっと驚いた。まあそんなことはどうでもいい。

「それより、モルダア。おもしろいこと聞いちゃったぞ」

なんだかスキヤナーは嬉しそうにニヤニヤしている。

「さっき保険会社から電話がかかってきたんだけどなあ、キミ生命保険を解約したそうじゃないか?」

「何のことだか解りませんよ」

モルダアの顔が真っ赤である。これを見てスキヤナーはさらに嬉しそう。

「キミ、何されたんだ?あの女に」

「あらいやだ、モルダア。あなたお色気保険金詐欺に引っかかってしまったの?」

「ホントに何のことだか解りませんよ」

モルダアはほとんど泣きそうである。あれほど秘密にしてくれと頼んだのに、あの弁護士はきっと会う人みんなに言いふらしているに違いない。今度あったら承知しないぞ!モルダアは心の中で叫んでみた。

「それよりも副長官、何しにきたんですか?仕事のじゃまですよ!」

「いや、ただキミをからかいに来ただけだ。13階は眺めはいいんだが、どうにも寂しくてな。まあ、この辺で失礼するよ」

スキヤナーはまだ嬉しそうにしながら扉の方に歩いていったが、扉のところでふと立ち止まった。

「そうそう、キミたち高原牧場に行くなら旅費は自分たちで出してくれよ。最近財政難で困ってるもんでな。それから、美女にはくれぐれも気をつけるんだぞ。ウヘヘヘヘッ」

スキヤナーが出ていった後も廊下から彼の笑い声がしばらく聞こえていた。

「ウフフフッ、ウヘヘヘッ、アハハハッ・・・・・」

3. 高原牧場、事件現場

 地元の警察はみなくらい顔をして現場検証をしていた。こののどかな田舎で起きた事件にしては少し残虐すぎる事件であった。周辺には何人かの報道関係者がいて、何かおもしろいネタを見つけようとしていたが、あまりやる気はなさそうである。もうすでに警察の発表は終わり、犯人の情報が得られるまで特に報道すべきネタは期待できなかったのである。あと彼らがやるべきことは、大げさな手法で事件を報道し大衆の興味を引くことである。

 

 モルダアとスケアリーが高原牧場に到着した。モルダアは車から降りると内ポケットから手帳を取り出し近くにいた男に見せた。

「F.B.l.のモルダア捜査官だ!」

よし、きまったぞ!前から一度やってみたかったんだよなあ。この男はきっと「お待ちしてました、来てくださって助かりますよ」とか言うに違いない。なんと言ってもボクは優秀な捜査官だから。しかし、モルダアの期待に反して、男はぽかんと口を開けている。

「モルダア、そのかたはテレビ局のかたですのよ」

モルダアは聞こえないふりをしてそのまま犯行現場へと歩いていった。

 遺体はすでに牛舎から移動されていたが、さっきまで遺体に群がっていたと思われるハエがあたりを飛び回っていた。モルダアは牛舎の入り口からそっと中をのぞいてみた。中の様子がよくわからない。

「死体はまだあるのかな?」

モルダアは入り口で番をしている警察官に聞いてみた。その警察官にもう遺体がないということを聞くとモルダアはホッとした表情をした。死体を見るのが怖かったのか?

「それより、あなたは誰ですか?」

警察官にきつい口調で聞かれた。モルダアはむっとしてポケットから手帳を出した。

「F.B.l.のモルダア捜査官だ!キミは我々が来ることを知らされてないのかね」

「知りませんよ。それにF.B.l.って何ですか?」

モルダアの「少女的第六感」はこの質問に含まれた重大な問題をモルダアに伝えた。「F.B.l.って何?」これはモルダア自身が一番気にかけていた疑問である。やっぱりF.B.l.っていうのはインチキ団体だったのか?

「あたくしはF.B.l.のスケアリー捜査官ですのよ。ニコラスという刑事様はここにおいでじゃないかしら?その方に聞いていただければ、おわかりになるはずですわよ」

警察官はスケアリーにそういわれて、渋々牛舎の中にいるニコラスという刑事のところへ行った。しばらくしてその警察官が戻ってきて、モルダアとスケアリーを中に入れてくれた。ニコラスという刑事はちゃんと解っていたらしい。F.B.l.はそこそこ偉い団体らしい。・・・ニコラス刑事?

 「あなた達はF.B.l.のかたですね。来てくださって助かりますよ」

モルダアは予期していなかったところでこの台詞を聞いてちょっと嬉しかった。

「何しろこんな田舎じゃめったに起こらない忌まわしい事件ですからねえ。警察官たちもこういった事件の捜査には不慣れでしてね。遺体を見て卒倒する警察官もいたくらいですよ。全くお恥ずかしい」

ニコラス刑事はこの田舎には似つかわしくない都会的な清潔感を漂わせている。それに二枚目だ。それにしてもなんだか、F.B.l.はかなり偉い団体みたいだぞ。大丈夫か、モルダア?

「ニコラス刑事さん。我々に任せてください。ニコラス刑事さん。我々がどんな難事件でも解決してみますよ。ニコラス刑事さん」

「頼みます、モルダア捜査官。我々もできる限り協力します。それからボクのことはニコラスと呼んでくださってかまいませんよ」

「いや、絶対にニコラス刑事さんと呼ばせていただきます。おもしろいから」

ニコラス刑事は何がおもしろいか解らなかったが、取りあえず二人に事件の詳細を教えることにした。

「被害者はこの牧場の持ち主で牛屁端介蔵(ウシヘバタスケゾウ)、六十九歳と牛屁端梅子(ウシヘバタウメコ)、六十五歳の夫婦。牛屁端梅子は散弾銃で頭部を撃たれて即死したようです。牛屁端介蔵の方は体中に傷を負っていますが、直接の死因はフォークで胸部を刺されたためのようです」

「フォークって食べるときに使うやつですか?ニコラス刑事さん」

モルダアは間違っていることを知っていたが、どうしても言いたかったので聞いてみた。

「違いますよ、そこに落ちてるやつです」

ニコラス刑事はいやな顔ひとつせずにモルダアに言った。相当にいい人か、或いは相当に鈍い人なのかもしれない。ニコラス刑事が指差した先には食べるときに使うフォークの何百倍もある干し草用のフォークがおかれていた。先端には介蔵じいさんのものと思われる血がべっとりとついていた。モルダアが顔をしかめてフォークから少し後ずさった。どうやらモルダアは血とか死体とかが苦手なようだ。しかし、優秀な捜査官を自負するモルダアはがんばってフォークに近づいてみた。

「それにしても犯人はどうしてこんな方法で牛屁端夫妻を殺害なさったのかしら?二人とも散弾銃で殺害なさればいいのに、どうして介蔵様だけフォークで刺すなんて原始的なことをなさったのかしら?」

殺害なさるって、どう考えても変な言い回しであるが、スケアリーとはそんな人。気にすることはない。

「それが、おかしいんですよ」

ニコラス刑事が答えた。スケアリーの変な言葉遣いには気付かないふりをしている。或いは本当に気付いていないのか?まあ、それはどうでもいい。

「そのフォークからは犯人のものと思われる指紋が検出されたんですが、散弾銃からは介蔵さんの指紋以外は出なかったんですよ」

おかしい。確かにおかしいがF.B.l.のお二人さん、もう一つおかしなことがあるのに気付きませんか?実はニコラス刑事は二人がこのことを聞かないのをさっきから不思議に思っていたが、とうとうしびれを切らして自分から言うことにした。

「それから、もう一つ不可解なことがあるんですけどねえ・・・」

「ウシさんがいませんわ」

スケアリーは気付いていたらしい。さっきからずっとフォークを観察していたモルダアが顔を上げた。

「牛強盗だな、これは」

こう言うとモルダアは腰をあげフォークについた一本の毛を見つけてそれを慎重に手帳に挟んだ。モルダアはその場を離れて牛舎の隅の方へ向かった。何か面白いものを発見したらしい。

 モルダアが見つけたのは搾乳機だった。これが事件と何の関係があるのか知らないが、モルダアはこういう機械を見るとどうしても触ってみたくなるらしい。スケアリーとニコラス刑事は牛の行方について意見を交わしているよだった。モルダアは搾乳機のホースの先についた吸引口を持ってスケアリー声をかけた。

「ねえ、これでキミの・・・」

「その機械に触るんじゃねえ」

突然、近くにいた警察官がモルダアを怒鳴りつけた。かなり歳をとった警官だ。

「その搾乳機は介蔵じいさんのお手製なんじゃ。そいつは介蔵じいさんの形見じゃ。用もないのに触ったりするんじゃねえ」

モルダアはかなりびくついていたが、この警察官が怒鳴ったおかげで、モルダアはスケアリーに平手打ちを喰らわずにすんだのである。モルダアがスケアリーに何を言おうとしたのか?だいたい想像がつくでしょう。

 モルダアはもうやることがなくなってしまい困っていた。取りあえず、体を傾け壁に手をついて事件現場を眺めることにしよう。モルダアはそれが難事件に直面して、いよいよ脳が活発に働き始めた時の優秀な捜査官のポーズと思っていた。モルダアが壁に手を当てると、なにかヌルヌルしたものが指に触った。モルダアの指先には赤錆色をしたウニの身のようなものがついている。モルダアの「少女的第六感」は彼に緊急事態を告げている。

「ねえ、これなんだろう?」

「ああ、それは触っちゃだめですよ。それは梅子夫人の脳みそです」

ニコラス刑事が言い終わる前に、モルダアは朝食が胃からこみ上げてくるのを感じた。しかし、優秀な捜査官は嘔吐などしない。幸い、よく泥酔するモルダアは、胃からこみ上げてくるものの扱いにはなれている。モルダアは息を止めて、牛舎の裏へと走っていった。

 牛舎の裏のぬかるみにうずくまっていたモルダアは、自分の吐き出したもののそばに何かを発見した。モルダアは近くにいた警官を呼び寄せた。

「キミ、これは何だ?」

「これは豆腐にワカメですねえ。こりゃあ、味噌汁だ!」

「そんなことは解ってるよ。自分で食べたものなんだから。そうじゃなくて、このぬかるみについた足跡のことだよ。何かの動物の足跡みたいだけど」

「ああ、こいつのことかあ。あんた、こんなもんもわからんでどうする?これはサルの足跡に決まってるさあ。この時期は餌が少なくて、よく山から降りてくるんだあ」

「そうか、サルかあ」

モルダアの「少女的第六感」は初めてまともなことに機能し始めた。足跡は森へと続いていた。