「猿軍団」

12. 公民館

 二人の遺体はほとんど同じ格好で部屋の壁に寄りかかるようにして並んでいる。二人とも目を開けたまま死んでいる。森の悪魔に銃を向けられたときの表情がそのまま凍り付いてしまったようだ。遺体の周りには先に到着した警官が数人いたが、この異常な事態に何をすればいいのか解らないといった感じである。

 ニコラス刑事とスケアリーが到着した。二人が部屋に入ってくるのを見た警官の一人が彼に近寄ってきた。

「刑事、大変なことになりましたよ」

警官は内緒話でもするように小さな声で言った。

「どうしたんだ?」

「それがですねえ・・・」

警官はスケアリーの方を見て言うのを止めた。部外者には聞かれたくないと言った感じである。

「この人なら大丈夫だ。F.B.l.のスケアリー特別捜査官だ。我々に協力してくれているんだ」

スケアリーは得意げな顔をしている。警官はまだ信用できないといった目つきでスケアリーを見ていたが、仕方なく先を続けることにした。

「二人の被害者は銃で撃たれているんですが、それが・・・」

「それが、何だ?はっきり言いたまえ緊急事態なんだぞ!」

ニコラス刑事の厳しい態度にスケアリーは思った。「すてき・・・」

警官は思いきってニコラス刑事に続きを話した。

「二人を撃った銃は警察で使われている銃です。もっと厳密に言うと牛ノ尻巡査の銃だったんです」

「何だって?牛ノ尻巡査の銃!?」

ニコラス刑事は混乱した。モルダアの言うことが正しいのなら牛ノ尻巡査は命を狙われているはずである。それが何故、彼が殺す側の人間になるんだ?

「キミ、牛ノ尻巡査に連絡は取ったのか?」

「ええ、さっきから電話していますけど出ません。まあ、当たり前ですかね。えへへ」

警官はニコラス刑事の質問に気楽な感じで答えている。ニコラス刑事は明らかにいらだっている。この二人の死亡推定時刻と牛ノ尻巡査が外出していた時間はほぼ一致する。ただし、それだけで牛ノ尻巡査を犯人と決めつけるわけにはいかない。

「ああ、そういえば・・・」

さっきの警官が何かを思いだしたようだ。

「さっき、牛ノ尻巡査が帰宅するときボクはちょうど署の出入り口のところにいたんですよ。 あの何とかいう捜査官が覗きで捕まった時ですよ。牛ノ尻巡査が署を出てしばらくして、また外を見たら牛ノ尻巡査の車はいつもと違う方に走っていたみたいでしたよ。暗くて良くわかんなかったけど、あれはおそらく牛ノ尻巡査の車でしたよ」

「まあ、きっと逃げるおつもりなんですわ。早く追っ手を!」

「あの道を行っても遠くには逃げられません。森に突き当たって行き止まりですよ。でも何でまた森になんて行くんだろう。もしかして牛ノ尻巡査も覗きをするんじゃないか」

「キミは天才だよ」

ニコラス刑事はお気楽な巡査に向かってつぶやいた。

「スケアリーさん、ボクは森にいくよ。あそこにはきっと何かがある」

ニコラス刑事は颯爽と部屋を後にした。彼はスケアリーもついてくるものだと思ったが、彼女は来ていなかった。やはり服は汚したくないらしい。

「それじゃあ、あたくしはもう一度温泉にでも入りましょうかしら」

13. 森

 モルダアは再び森の中を一時間近く歩き続けていた。恐怖の人間サルを目撃した場所へは旅館の裏から行けばすぐなのに、何故か一度目と同じ道のりを歩いている。こうして息を切らして森の中を歩いた方が臨場感が出る、というのが理由のようだ。モルダアは恐怖の人間サルを見つけた場所の近くまで来た。ここから上に進めば崖の上。下に行けば洞窟の入り口へ行けるに違いない。ここで、モルダアは尻込みをしている。よく解らない自信と勢いだけでここまで来てしまったけど、本当に一人で行って大丈夫なのだろうか。モルダアは銃など持っていないし、護身術を身につけているわけでもない。そんな人間が恐怖の人間サルが潜んでいる洞窟に入っていって無事でいられるはずがない。「まあ、いいさ。いざとなったら道を間違えたとか言ってごまかせばいいんだ」そんな言い訳が通じるはずはないのだが、モルダアの「少女的第六感」がモルダアの足を前に進ませるのだから仕方がない。

 洞窟の入り口の方向は周りよりも暗く感じられた。木の生え方が他とは少し違うようだ。外から見てここに洞窟があると気付かれないようになっているのかも知れない。立ち止まって見ると木々が巧いこと視界をふさいで遠くまで見通せないようになっている。「なるほど、よくできているもんだ。それにさっきの崖に上からだって、普通の人ならまず始めに旅館の明かりに目がいく。それから露天風呂。下に洞窟があるなんて絶対に気付かないな」モルダアは一人でブツブツ言っている。こうすることによって何とか自分を落ち着かせようとしているのかも知れない。でも、そんなことをしたところで迫り来る危険からは逃れることは出来ない。

 モルダアの目の前の大木の後ろから突然、大きな影が飛び出してきた。「あっ、恐怖の・・・」モルダアが名前を言い切る前にその影はモルダアに襲いかかってきた。怪物に体当たりされたモルダアは簡単に突き飛ばされて落ち葉の上に背中から落ちた。次の瞬間、怪物はすでにモルダアに馬乗りになっていた。モルダアは暗闇の中で怪物の目がぎらぎら輝いているのを見て、何かに気付いたようだった。ただ、今はそんなことを考えている場合ではない。怪物は両手でモルダアの首をしめ始めた。

「悪いがな、おまえさんは知りすぎた。こうするしかないんだ。かんべんしろよ」

モルダアは意識が遠のく中で怪物がこう言ったのを聞いた。モルダアの視界が次第に狭くなっていく。優秀な捜査官、こんなところで最期を迎えてしまうのか。いやいや、そんなはずはない。森の中に一発の銃声が響いて、怪物はどさりと倒れ込んだ。モルダアはその隣にうずくまってむせかえっている。

「大丈夫ですか、モルダアさん」

ニコラス刑事だ。

「モルダアさんの言うことを信じて来てみたんですが、危ないところでした」

ニコラス刑事はいい人だ。命の恩人だ。モルダアはニコラス刑事に抱きつきたい気持ちをこらえるのに必死だった。優秀な捜査官は命の危機にも動じてはいけないのだ。決して抱きついたりなどしてはいけない。

「これが例の恐怖の人間サルですか?」

モルダアが黙っているのでニコラス刑事が聞いた。

「いや、これは違うよ」

モルダアが倒れている怪物の首のところをつかんで皮を剥いだ。中からは牛ノ尻巡査の顔が出てきた。この怪物は着ぐるみを着た牛ノ尻巡査だったのである。

「なんて事だ。それじゃあ、今回の事件は全部牛ノ尻巡査の犯行だったのか?」

「いや、そんなはずはないよ。ニコラスさん。この着ぐるみは・・・」

そこまで言うとモルダアは坂の上に動くものを見つめて固まってしまった。ニコラス刑事がその方向を見るとそこにはもう一体の怪物の姿があった。二人がその存在に気付くと怪物は逃げ出した

「まだいたのか。おい待ちやがれ!」

ニコラス刑事は銃を抜いて怪物を追った。モルダアも後に続こうとして、腰を少し浮かせた。ところが、牛ノ尻巡査の毛むくじゃらの腕が素早く動いてモルダアの胸ぐらをつかんだ。

「きゃあ、助けて!」

モルダアは叫ぼうとしたが、声が裏返ってしゃっくりのような音しかしなかった。

「安心しろ。もう、あんたを殺そうとはしない」

牛ノ尻巡査が苦しそうに言った。モルダアはこの苦しそうな喋り方が演劇じみててやだなあと思ったが、本当に苦しいのならまあいいか、とも思った。いずれにしろ、こんな時に思うことではない。

「ヤツらはわしらより何枚もうわてじゃった。わしらで何とか出来ると思ったのが間違いだったんだ。若いの、おまえさんは真実を知りたいんじゃろう?だがなあ、世の中には知ってはいけないこともあるんじゃよ」

「それは、失踪事件と関係があることですか?」

「そこまで、知っていたか。仕方がない。おまえさんには本当のことを話すとしよう。わしはおまえさんを殺そうとした。これがせめてもの償いじゃ」

モルダアはそんな償いよりももっといいものをもらいたかったが、死にそうな男からそんなものはもらえないだろう。仕方がないので話を聞くことにした。

「すべての始まりはあの事件じゃった。わしら五人はこの森にキャンプに来たんじゃ。もちろんそのときはここにヤツらがいることは少しも知らなかった。新聞には道に迷ったと書いてあったがな、あれは嘘じゃ。わしらが子供の頃から遊んでるこの森で迷子になるわけがねえ。わしらは一晩キャンプをして帰る予定じゃった。そんな事はわしらには普通の遊びじゃった。ところがあの番だけは妙な胸騒ぎがしてなあ。悪い予感は的中じゃった。夜中に目を覚ますとわしらは突然光に包まれたんじゃ。そして気がつくとわしらは見たこともねえ場所にいた。そこは広い部屋だった。そこには窓も電球もないのに昼間みたいに明るいんじゃ。わしの横では他の四人もわしと同じように不思議そうな顔をして辺りを見回していたんじゃ。

 わしらは何日もその部屋に閉じこめられていた。そこへ、あの男がやってきた。男と言ってもあれは人間ではないかもしれんがな。そいつは我々を連れてその建物の中を案内したんじゃ。その中はどこも最初にいた部屋と同じで明るかった。男はそこで様々な実験をしているということをわしらに説明した。しかし、どうしてわしらがそこに連れて行かれたかについてはなにも言わなかった。でも、わしらもバカではない。その男が何を企んでいるかはそのうち解ってきた。わしらは建物の中で他の人間たちも見た。人間と言うより、人間だったものたちといった方が正確じゃな。そこでは人体実験が行われていて、人間を何か別のものに変えようとしているらしかった。そして、わしらは気付いた。そのうちわしらも実験の材料にされるのだということをな。

 そうと知って、わしらは取引をした。その建物の中ではいつも肉を焼くにおいがしていた。わしらにはそれがすぐ牛肉を焼いている肉だと解った。あの男は焼き肉が好きに違いない。そこで、わしらは牛を男に供給する代わりにわしらを逃がしてくれと頼んだ。しかし、それでは男は納得しなかった。牛に加えて、わしらのうちの一人に簡単な実験をさせるならいい、と言ったんじゃ。わしらはその要求を承諾して、じゃんけんで誰が実験台になるかを決めることにした。負ける気はしなかったよ。介蔵のヤツは必ず最初にパーを出すんだ。勝負は一発で決まり。介蔵がパーで後は全員チョキ。

 男はその場で実験を始めたんじゃ。天井から妙な機械が出てきて、介蔵の頭に向かって光線を出したんじゃ。すると驚いたことに、介蔵の脳みその半分が吸い出されちまったのよ。そんで、介蔵の頭に別の脳みそを入れたんじゃ。その脳みその中には最新の技術が入力されているという話じゃった。こんな事をして介蔵が生きていられる訳ねえと思ったんじゃが介蔵は何事もなかったようにぴんぴんしていたんじゃ。それから、その脳みそもちゃんと機能していたようじゃ。村に戻ってからの介蔵は天才じゃった。介蔵に比べたら他のどんな学者も小学生と一緒じゃ。あの搾乳機を見たじゃろ?あんなものが作れる人間は改造人間介蔵ぐらいのもんじゃ。それから、介蔵から抜き出した脳みそを巨大なサルの頭に入れたんじゃ。わしの考えではな、介蔵夫妻や他の二人を殺した森の悪魔って言うのがそいつなんだ。わしらの計画がばれちまったんだろうな。ヤツらは介蔵に殺されたようなもんだな。皮肉な話だよ。わしらが介蔵の能力を利用して金儲けを企んだばっかりに。でもよ、これは欲でしたこたじゃねえぜ。わしらはこの寂れた村を何とかしたかっただけなんじゃ。

 おまえさん、署に帰ったら介蔵の脳を調べようとしてるな。じゃがもう遅い。介蔵の遺体はわしがこっそり持ち出して、焼いちまったよ。あの女の捜査官がバラバラにしてくれたおかげで簡単に持ち出せたよ」

「牛ノ尻さん。あなた死にそうなのに良くしゃべりますね」

モルダアが余計なことを言う。

「そうだった。わしはニコラスに撃たれて死にそうなんだった。わしが死ねば証拠は全部なくなる。残念だが、今回の殺人事件は迷宮入りじゃよ。何なら、わしを犯人にしてもいいがね。この事件はわしが招いたようなもんだからな」

そういうと、牛ノ尻巡査は静かに目を閉じた。

「ちょっと、まだ死んじゃ駄目ですよ。その後のことも詳しく聞きたいんですから」

牛ノ尻巡査は何も言わない。どうやら息を引き取ったようだ。それとほぼ同時に森の奥から閃光が走った。一瞬森が昼間のような明るさになったが、しばらくするとその光は上の方へと上がっていった。光は上空へ行くにつれてどんどん小さくなり、やがて夜空に吸い込まれるようにして消えていった。


「モルダアさん。今の見ましたか?」

戻ってきたニコラス刑事はかなり動揺しているようだった。

「さあ。あれが、謎の光ってやつかなあ」

モルダアはその光が何であるのか見当がついていたが、言うのはやめにした。

「恐怖の人間サルはどうしました?ニコラスさん」

「もう少しで捕まえられそうだったんですけど、光とともに消えちゃいました」

「それじゃあ、何にも残らなかったのか。この山のサルを逮捕してもしょうがないしなあ」

モルダアが独り言のように言った。

14.

 高原村を出た車の中でモルダアは黙って窓の外を見つめていた。

「ちょいと、モルダア。いくらペーパードライバーだからって、こんな田舎道ぐらい運転を代わっていただいてもよろしいんじゃありません?」

モルダアは黙ったままだ。スケアリーは平手打ちを喰らわそうと思ったが、出来なかった。モルダアは何か真剣に考えているようだった。スケアリーはちょっと面白くない。

「どうして、捜査をやめてしまうんですの?まだ調べることは沢山ありそうですわよ。あの村には」

モルダアを邪魔するようにスケアリーが事件の事について聞いた。

「もう、あの村には何もないよ。少なくとも僕等が調査することはね」

そういうと、モルダアはまた黙り込んでしまった。

15. スケアリーの報告書

 今回の湯けむり殺人事件であたくしは沢山温泉につかってすっかりリラックスさせていただいたわ。信じられないことにモルダアは一度も温泉に入らなかったのよ。高原署では今回の事件の犯人は牛ノ尻巡査と断定して捜査を打ち切りましたわ。ただし、動機が考えられない上に証拠も不十分ですので、本当のところは解りませんわ。牛ノ尻巡査の着ぐるみには指紋は付いていませんでしたわ。あのフォークから検出された指紋はいまだに誰のものか特定出来ませんの。それから最後まで名前を付けてもらえなかった、かわいそうな二人の殺害に使われた銃ですけど、あれは警察署から何者かの手によって持ち出された可能性があるそうですのよ。「誰か知らない人が高原署に入ってきたような気がする」ってあのお気楽な警官が言っていたそうよ。高原署の銃器の管理については十分な審査が必要ですわ。

 それから、覗きの常習犯、変態モルダアが言っていたいくつかの事についてですけども、これに関してはほとんど証拠が残っていませんのよ。謎の動力で動く搾乳機やトラクターはすべて焼けてしまって、証拠にはなりませんのよ。ところで、放火した犯人は誰なんでしょうね?牛ノ尻巡査かしら?あり得なくもないですけど、それでは話が面白くありませんわ。きっと国際的犯罪組織の仕業だと思いますのよ。それで、残った証拠というと、未知の生物の毛と未知の素材で出来たグリコのおまけ。毛の方は、証拠としては十分ではありませんのよ。突然変異というものがありませから、一匹だけ他のサルと少し違うサルがいたとしてもこれは新種の発見とは行きませんのよ。グリコのおまけの方は、専門機関で分析する必要がありそうですわ。

 それにしても、ニコラス様が森に行かれるなんて。きっと変態モルダアと一緒にあたくしのことを覗いていたに違いありませんわ。せっかくいい人を見つけたと思ったのに、がっかりですわ。

16. F.B.l. ビルディング13階

 スキヤナー副長官がスケアリーの報告書を読んで、前に座っているモルダアのほうを見た。

「意外だなあ。キミには覗きの趣味もあったのかあ」

「違いますよ、ボクは覗きなんかしてませんよ」

「それにしても、キミたちは何をしていたんだ?ここにある謎のグリコのおまけだけじゃなんにもならないんだよ」

「でも、その物質がなんなのか調べれば、いろいろなことが明らかになると思うんですけど」

「まあ、そのうち調べるとしよう」

「ところで副長官。後ろにいる人は誰ですか?」

スキヤナー副長官の後ろには男が一人座っていて、さっきから何度もウィスキーの瓶を口に運んでいる。昼間だというのに。こんな男を見て誰なのか気にならない人はいない。

「ああ、彼は謎の人物だから気にしなくてもいいよ。キミの活躍次第では重要な存在になってくるかもしれんよ」

「そうなんですか」

モルダアは一応納得したが、気にせずにはいられない、

 モルダアが13階の部屋を出た後、謎の人物は謎の物質で作られた謎のグリコのおまけを持って部屋を出ていった。謎の人物は家に帰ると五角形の、正確には五角柱のおもちゃ箱に謎のグリコのおまけを投げ入れた。

2003-11-29 
the Peke Files #002
「猿軍団」