「サマータイム(第二話)・下田歌劇団」

01. 森

 薄暗い森の中を進んでいくとやがて十メートル四方ほどの開けた場所にでる。一面に茂っている草が夏の陽を浴びてギラギラと輝いている。風もあまりなく暗い森の中からこの場所へ出てくると、ムッとする暑さと草の臭いに目眩を起こすような気分になる。七年前もこの場所は今と変わりはなかった。今と違うのは七年前、ここにはミイラ死体が横たわっていたと言うことだ。

 モオルダアは汗だくになって森の中をこの場所までやって来た。少しおくれて彼の後ろからやって来るスケアリーはかなり機嫌が悪そうだ。顔には手で汗をぬぐった時についた泥の跡がある。

「ちょいと、モオルダア。あなたすぐに着くなんて言っておいて、いったいいつまで歩かせるつもりなんですの?あらイヤだ、もうこんなにお洋服が汚れてしまいましたわ。クリーニング代はあなたに払ってもらいますわよ」

「もう着いたようだよ。ここが七年前の現場だ。思っていたよりも遠かったねえ」

「遠いなんてもんじゃありませんわ。あたくしもう足が棒になっていますのよ。それにこの暑さはなんですの。こんなことならまだ温泉に入っていればよかったですわ」

「でも、これで一つ解ったことがあるよ。若い女性は自ら進んで一人でこんなところにはやって来ないと言うことだよ。キミの様子を見れば良く解る。でもまあキミは若い女性と言うには少し・・・」

おっと危ない。またスケアリーの鉄拳を喰らうところだった。でもスケアリーは疲れていてあまりモオルダアの話を聞いていない。

「キミは都会の人間だから山歩きには慣れてないけどね。でも警察の言うように、ここで見つかった被害者の死因が病気や事故だと思うのはおかしな話だよ。病気の人間がわざわざ一人でこんなところに歩いてくるはずはないし、事故だとしても、どうして若い女性がこんなところにいたんだ?ということだよね。ここで見つかった女性はこことは全く違う方向にある友人の家に遊びに行ったんだから。そうするとセラビ刑事のように殺人と考えるのも無理はないね」

「あなたはどう思うんですの?殺人だとは思っていないんですの?」

「今のところはまだ解らないよ。それを調べにここまでやって来たんだから」

モオルダアはうろつきながら辺り地面を調べている。今は遺体がないので好きなように色々なところを見て回れる。

「キミはここを見てどう思う?昨日の現場と何か違うところはあると思う?」

「そうですわねえ。昨日と違うのは、ここにはほとんど木が生えていないということですかしら。昨日の現場も森の中の開けた場所でしたけれど、何本か木は生えていましたわねえ。これはきっとここの地質のせいですわ。ここはきっとむかしの火山活動で溶岩が流れたに違いありませんわ。この下はきっと硬い岩になっていて木は根付かないのかも知れませんわね」

「こんな風に森の中にぽっかりと空いた穴のようなところがあると、なんだかミステリアスだよねえ」

「あなたまさかここがUFOの発着基地だとか言うんじゃありませんわよね」

「だったらいいんだけどね。セラビ刑事も言ってたけど、この辺りにUFOはやって来てないみたいだよ」

モオルダアはまだ地面を調べていた。

「ちょっとここまで来てくれないか?」

モオルダアがスケアリーを呼び寄せた。

「何か見つかりましたの?」

「いや、そういうわけでもないんだけどね」

モオルダアは彼女が歩いてきた場所を見つめている。

「キミ、体重はどのくらいあるんだ?」

「まあ、よくもそんな失礼な質問が出来ますわねえ。あたくしの体重は全国のエレガントなレディーの平均体重よりも下回っていますのよ。それでいて美しいプロポーションを保つことにも見事に成功しているんですから」

「ボクはそんなことまでは聞いてないよ。でもまあ、キミががんばってフィットネスクラブに通っていることは知っているから、信じることにするよ。そうすると、女性がここへ歩いてきてもほとんど足跡は残らないってことだね」

スケアリーはそう言われて自分の歩いてきたところを振り返ってみると、そこには所々踏み倒された草があるものの足跡は残っていなかった。踏み倒された草もそのうち元どおりに真っ直ぐになりそうだ。

「どうでもいいですけど、あなたさっきからあたくしを実験道具にしていらっしゃりません?もしそうならあたくし承知いたしませんけど」

「い、いやあ、そんなことはないよ。こういう難解な事件は一人で考えるよりも、色々な意見があった方がね、色々とね、いい考えがね、へへっ」

モオルダアはすこし焦っている。

「そう、それならあたくしの考えを聞かせてあげますわ。被害者はここに自分の足でやって来たんじゃありませんわ。空から降ってきたんです。それで足跡がないんですのよ。それから内蔵と血液がないのは上空の気圧の影響です」

スケアリーが声を荒げてめちゃくちゃなことを言っている。これはどういうことか。たぶん、これ以上スケアリーを怒らせたらモオルダアは彼女の鉄拳を喰らうことになると言うことだ。それに気付いたモオルダアは何も言い返せなかった。

「そうかも知れないねえ、へへっ。それよりもこの辺りをもう一度捜索してみないか?」

「捜索なら七年前警察がしたはずですわ。それに七年も経っているのですよ。何も残っているはずはないはずでわ」

「それは解らないよ。時間が経たなければ気付かないものもあるからねえ。もしかすると何かが見つかるかも知れないよ」

モオルダアはまた辺りをうろついて何かおかしなところはないか探していた。いくら探しても見つかるわけがない。ここは七年前に警察が十分に調べてあるのだから。しばらくして、モオルダアの足が止まった。

「あっ、そうか。キミが変な説を言ってくれたおかげでいいこと思いついちゃった」

思いついた、とはなんだかひどい。モオルダアは思いつきで捜査をしている。

「ここに来るには何も下から森の斜面を登ってこなくてもいいんだ。上からここまで降りてくるんだったら、そっちの方が楽だよねえ」

モオルダアが自分がやって来たのと反対の方を見ると、この開けた場所の向こうにはまだ木々に覆われた斜面が小山のてっぺんまで続いているようだ。モオルダアはその斜面の方へ行き、上まで登っていけそうな場所を探した。彼は立ち止まってスケアリーを手招きして呼んだ。スケアリーは先程から早く帰りたいといった感じで黙ってモオルダアのやることを見ていたが、呼ばれると小さくため息をついてからゆっくり彼の方へ向かった。

「ほら、ここなら人が歩けそうだ」

ここから先の斜面は木が入り組んでいたり途中に人がどうやっても通れないような急な場所があったりするのだが、モオルダアが指さした先だけは人が登っていけそうな感じだった。ただし、そこには道が出来ているわけではないので、登ろうと思って十分に周囲を観察していないと気付かないルートである。

「警察はここも捜査したのかなあ」

「さあ、知りませんけど。まさかあなた、登るなんて言わないでしょうね」

「もちろん、登るに決まってるじゃないか」

そう言い終わる前にモオルダアは先にその斜面を登り始めていた。スケアリーも仕方なく後に続いた。

02. 警察署・署長室

 署長は皿の上の水ようかんを割り箸で半分に切ってそれを口の中にいれた。署長は満足げにその水ようかんをゆっくりと味わっている。彼の前にはコビテ刑事がかしこまって座っている。署長は水ようかんを飲み込むと、またゆっくりとコビテに聞いた。

「どうだねコビテ君。捜査の方は予定どおりかね。うん、うん」

「はい署長。全て予定どおりです」

「うん、うん。それはよかった。うん、うん。セラビ刑事がいなくなってキミもさぞかしせいせいしていることだろうね。うん、うん」

「はい署長。これもすべて署長のおかげです」

「そうかね。それはよかった。うん、うん。ところで署内に何か妙な行動を起こしている者はあるのかね。いたら直ちに報告するんだぞ。うん、うん」

「今のところそのような者は一人も」

「そうかね。うん、うん。それでいいのだよ。うん、うん。街が安全であるために我々は常に秩序を守っていかなければいけないよ。うん。キミも良く解るでしょ。うん、うん」

「はい、署長。ところで、署長。そろそろ教えてもらえないでしょうか。この計画の真意を」

「教えるにはキミはまだ若すぎるよ。うん、うん。キミは今までどおり、言われたことをすればそれでいいのだよ。治安を守るためなんだからね。解るねコビテ君」

「はい署長。おっしゃるとおりです」

「うん、うん。それで、エフ・ビー・エルはどうした?」

「はい署長。予定どおり今日の午後公民館へ」

「そうか、そうか。それはよかった。うん、うん、うん。それじゃあ、キミも遅れないように公民館へ行くのだぞ。解ってるね。うん、うん。それじゃあ、もう行ってよいぞ。うん、うん」

「はい署長。失礼いたします」

この怪しい会話が終わると署長は残りの半分の水ようかんをほおばって、また満足げな顔をした。うん、うん。

03. 再び森

 モオルダアとスケアリーは汗だくになりながら、斜面を登っている。しばらく行くと片側が急斜面になっているところへ出た。前を歩いていたモオルダアが振り返った。

「スケアリー、気をつけろよ。足を踏み外したら下まで真っ逆様だ」

振り返ったまま歩いているモオルダアは喋りながら自分で気付かないうちに一歩、二歩と横へそれていった。そして三歩め。モオルダアは予想どおり足を踏み外して急な斜面を滑り落ちていった。スケアリーは驚いて斜面の下を覗いた。

「ちょいとモオルダア。大丈夫ですの?大丈夫なら返事をしなさい。返事をしないならあたくし帰りますわよ」

スケアリーは恐ろしいことを言っているが、彼女も人の子。それなりに心配はしている。下からモオルダアの声が聞こえてくると、少しホッとした表情になった。

「スケアリーすごいぞ。いい物見つけちゃった」

「いい物ってなんですの?変なキノコでもあったんですの?」

「そんな物よりもっとすごいよ」

モオルダアが何かを持って斜面をよじ登って来る。途中何度も足を滑らしてずるずると何メートルかずり落ちていきながら、やっとの事で元のところまで戻ってきた。もうモオルダアのシャツは泥だらけ。

「何があったというんですの?」

「これだよ。さすがに警察もあんなところは捜索しなかったんだろうねえ」

モオルダアはぼろ雑巾のような黒い固まりをスケアリーに見せた。よく見るとそれは泥にまみれた靴のようだ。

「やっぱり被害者はこの辺を通ったのかも知れないねえ。それも、かなり急いでいたのかも知れない。この辺で転んだかなんかして、靴が脱げたんじゃないかな。遺体が靴を履いていたかどうか調べてみないといけないね。それでも、どうして被害者がここにいたか、ということについては何も解らないけど。でも少しは捜査が進展することにはなるね」

「どうでもいいですけど、もうそろそろ引き返しませんこと。早くしないと『下田歌劇団』の公演が見られなくなりますわよ」

「ああ、そうか。そんな予定があったっけ。そんなものはどうでもいいんだけどなあ。ちょっと興味もあるしなあ」

モオルダアはこの先に何があるのか確かめたかったがそれは後にすることにした。それにしてもモオルダアは運と直感だけで捜査をしているような気がします。恐るべし少女的第六感。

04. 公民館

 下田歌劇団の公演が行われる公民館。開場時間はもう過ぎていたが人影もまばらである。辺りにいるのはどこか特殊なオーラを放つ怪しい人ばかりである。エフ・ビー・エルの二人を乗せた車はどうにか開演前に到着した。駐車場で車から降りた二人の所へ一人の男が近づいてくる。

「ああ、よかった。間に合いましたね」

それはコビテ刑事だった。

「あれ、キミはこんなところで何をしているんだ」

「私も捜査に協力したいと思いましてね。あの封筒、ミステリアスであなた好みだったでしょ」

「あれはキミが送ったものだったのか。これって接待なのか?」

「そういうわけではないんです」

そう言うとコビテ刑事は腕時計をチラッと見た。

「まだ開演までには時間がありますね。お二人に面白いものをお見せしようと思うんです。ちょっと来てください」

コビテ刑事が二人の先に立って公民館の中に入っていった。

 入り口を入ってすぐのロビーにはこれまでの下田歌劇団全公演のポスターが壁一面に張り出されている。ちょっとした下田歌劇団ミュージアムといった感じだ。ポスターには女性のようなメイクをしてキラキラした衣装を身につけたおじさん達の姿が描かれている。顔を真っ白にしてその上に真っ赤な口紅と頬紅、それから巨大なつけまつげまでしている。そんなおじさん達の姿はグロテスクを通り越して怪物である。やっぱり下田歌劇団ってそういう人たちだったようだ。悪い予感は見事的中だったのである。モオルダアとスケアリーは背中に何かムズムズするものを感じながらポスターを眺めている。

「コビテ刑事。キミが見せたかったのってこれなの?」

モオルダアは迷惑そうな顔をしてコビテ刑事に聞いた。

「まさか、これだけのためにあなた方を呼んだりはしませんよ。このポスターは入り口に近い方から純にだんだん古いものになっていくんです。一番奥が記念すべき第一回公演ということになるんですけど、相当古いものですよ。注意深く見ていけば面白いことに気付きますよ」

こう言ってコビテ刑事はモオルダアがポスターを見る様子をうかがっている。モオルダアは今回の公演から順に古い公演のポスターへと視線を移していく。途中まで来てモオルダアの眉毛がぴくっと動いた。モオルダアが何かに気付いたとみたコビテがニヤッとしている。モオルダアが一枚のポスターを指さした。

「コビテさん。この人、昔は綺麗だったんですねえ。なんだか男には見えないよ。どうせ見るんだったらこの時が良かったなあ。今回のポスターは、あれじゃあまるでホラー映画だよ」

モオルダアはコビテ刑事が気付いて欲しいことには気付いていなかった。

「あははは。そうでしょう。その人は途中から入ったメンバーで、他の人よりちょっと若いんですよ。ボクも昔はファンでしたよ。あははは」

コビテ刑事は白々しく笑って見せた。

 モオルダアはダメだったがスケアリーはどうだろう。コビテ刑事は今度はスケアリーの方を見ていた。スケアリーは女装の男達よりもきらきらの衣装に興味があるようだ。各公演で微妙に変わっている衣装の違いを調べるために、ふるいポスターと新しいポスターの間を行ったり来たりしている。そうしている間に、スケアリーはあることに気付いた。

「ねえ、ちょいと。もの凄い事実が判明いたしましたわよ」

スケアリーの声を聞くと綺麗な男のポスターに魅入っていたモオルダアが顔を上げて彼女を見た。

「このポスターを見ていると、下田歌劇団は日本各地を巡業して回っているみたいですわ。それで定期的にホームグランドの下田に戻ってきているのね。そうでございましょう?コビテ刑事」

これを聴いてコビテ刑事がにんまりしている。

「スケアリー。それがどうかしたのか?」

モオルダアは数字にはあまり強くないのでポスターに記された公演の日付を見ても何も気付かなかったが、スケアリーは違った。

「モオルダア、下田歌劇団は七年ごとに下田へ戻ってきているんですの。これは、ただの偶然かしら?」

「これは、凄いことが解ってしまったね。すると、ミイラ事件があった年に必ず下田歌劇団がここへやって来ていたということだね。コビテさん。あなたはどうしてこんなことを黙っていたんですか?」

コビテ刑事は興奮しているモオルダアとは対照的に落ち着いて答えた。

「どうです。私もなかなかやるでしょう。セラビ刑事にこのことを話したことがあるんですけどね。取り合ってくれませんでしたよ。でもさすがはエフ・ビー・エルですね。捜査の仕方を心得ている」

その時、開演時間が迫っていることを知らせるブザーが会場に鳴り響いた。

「あっ、もう始まりますよ。私は仕事があるのでこれで失礼します。あなた方は、ゆっくり楽しんでいてください。ステージが終わるまで彼らから話は聞けませんからねえ」

コビテ刑事は観客もまばらな会場へ入っていくエフ・ビー・エルの二人を見送った。二人が薄暗い会場の中へ消えていくと、コビテ刑事はホッと一息ついてから心の中でつぶやいた。

「やれやれ、一仕事終わった。これで私も昇進かな。それにしても署長はどうしてこんなことをするんだろう。まあ、彼らがどうなろうと私には関係ないことだ」

会場の中ではド派手な音楽が鳴り響き、恐怖のオカマミュージカルが始まったようだった。