「サマータイム(第二話)・下田歌劇団」

10. ドドメキ

 モオルダアは下田歌劇団のメンバーが共同生活しているアパートの前までやって来ていた。なんとなく勢いでここまでやって来てしまったが、モオルダアは出来れば彼らにはもう会いたくないと思っていたのだった。モオルダアは楽屋で半分女達が彼に迫ってきた時の光景を思い出した。それはどんな悪夢よりも恐ろしい。モオルダアは二度三度と身震いしてから、引き返すべきか、それとも意を決して中へ入り彼らのことを本格的に調べてみるべきか考えていた。時々中から半分女達の笑い声が聞こえてくる。モオルダアにとってそれは恐ろしい魔女の笑い声に聞こえてくる。モオルダアは夜の闇の中どうすべきか考えながら、かれこれ1時間近くもアパートの前をうろついている。

「おいモオルダア君」

突然、ささやくような男の声がモオルダアを呼び止めた。モオルダアがハッとして振り返る。

「あっ、ドドメキさん!」

モオルダアは幻でも見ているかのような目つきで彼を見つめている。

 ドドメキさんとは、どこからともなく現れてモオルダアにいろいろと秘密の情報を教えてくれる謎の人物ということになっている。以前にも一度登場しているが、それはモオルダアの夢の中の話だったので実際にドドメキがモオルダアに接触するのはこれが初めて。彼は初対面であるにもかかわらずモオルダアがドドメキのことを知っていたので驚いていたが、謎の人物とは簡単にものに動じたりはしない。落ち着いた感じでモオルダアに話しかけた。

「モオルダア君。キミは間違った所を捜査しているよ。どうもキミは人を信じすぎるところがあるようだが、そんなことが命取りになるぞ」

そう言ってドドメキさんはモオルダアに一冊の古びた雑誌を手渡した。その雑誌はほんの何ページかのスケベなグラビア写真とくだらない記事のために、メインになっている固い内容の記事が台無しになってしまっているという、よくある男性向けの週刊誌である。

 モオルダアが受け取った雑誌をめくると、今では引退してしまったある女性アイドルの若き日の「お宝ビキニ写真」がモオルダアの目に飛び込んできた。

「あっ、この人。ボク大ファンだったんだよ。ボクがこの人のファンだったってことがよく解りましたねえ。これ、くれるんですか?」

モオルダアが雑誌から目を上げるとドドメキさんの姿はもうそこにはなかった。謎の人物とは誰にも気付かれずにやって来て。誰にも気付かれずに去っていくのである。そして、曖昧なヒントだけ与えて肝心なことは何も語らない。

「あれ、ドドメキさん?どこ行っちゃったの?」

モオルダアは辺りを見回したが、どこにもドドメキさんの姿はなかった。

「まあ、いいか。それにしてもいい物を手に入れたぞ」

モオルダアはもっとじっくりこのお宝グラビアを見るために宿屋へ戻ることにした。

11. お宝

 モオルダアは宿屋の部屋に帰ると「お宝ビキニ写真」を眺めていた。しばらくすると、もう「お宝ビキニ写真」には飽きてしまったのか、雑誌を閉じると例のボイスレコーダーを手にした。

「ダイアン。人間の記憶というのは不思議なものだ。ボクはこの『お宝写真』を見たらきっとボクと彼女との甘く情熱に満ちた素晴らしい時期の記憶が甦ると思っていたのだが、この写真は今のボクにとってはただの写真でしかない」

ここで誤解のないように書いておくが、モオルダアと「お宝写真」の巨乳の元アイドルは付き合っていたわけではない。こんなことは賢明な読者なら書かなくても解るだろうが。モオルダアは当時、テレビや雑誌に登場する彼女と妄想の中で激しい恋愛をしていたのである。

「ダイアン。それにしてもどうしてドドメキさんはこんな雑誌をボクにくれたんだろうか。もしかするとその理由はボクが好きだったタレントの写真が載っているから、と言うことではないのかも知れない」

当たり前である。モオルダアはもう一度雑誌を手に取り、「お宝写真」以外のページをぱらぱらとめくっていった。最初の方から順にページをめくっていき、あと少しで最後のページというところでモオルダアの手が止まった。それから、そのページに指を挟んだまま表紙を確認した。

「ダイアン!これは七年前の雑誌だよ。そして、ボクはここに驚くべき記事を発見したよ。タイトルはなんと『恐怖・セミ神様の祟り』なんともエキサイティングじゃないか。内容はどうやら七年前のミイラ事件と関連があるらしい。この記事は夏の怪奇特集として書かれたふざけたもので、これをそのまま捜査に使うわけにはいかないが、参考にするには十分な内容が書かれていそうだ」

モオルダアは黙って記事を読み始めた。そして読み終わるとまたボイスレコーダのボタンを押した。

「ダイアン。ボクはなんだか怖くなってくるよ。この記事を書いたライターは想像だけでこの記事を書いたのだろうか?それにしては現実と重なる部分がありすぎるように思える。このセミ神様というのは森の中に棲んでいる妖怪で、セミ神様に若い女性を生け贄として捧げると、その者は富と権力を手に入れることが出来ると書いてある。生け贄を捧げるのは七年に一度。決まった月の決まった日に捧げなければいけないのだそうだ。そして、その場所は森の中に人知れず建っている社なのだ、ということだ。このライターは山奥に住む老婆からこの話を聞いたそうだが、その決まった日付と社のある場所はどうしても教えてもらえなかったそうだ。このライターに何とか話を聞きたいものだが、記事の最後にこう書いてある。ライターはセミ神様の祟りを恐れて、匿名でこの記事を投稿してきた。そのため、このライターがどのような人物で現在も生存しているかどうかは解らない、ということだ。こんなことを書いてあると、怖さは増すけど記事としての信憑性は全くなくなってしまうんだよなあ」

ここで、モオルダアはボイスレコーダを置いた。この記事の内容でにわかに盛り上がってしまったものの、事件の決定的な手掛かりはどこにもない。モオルダアは頭の中で膨らんだ期待がシューと音を立ててしぼんでいく感じだった。

 ここへやって来てから怪しいものは沢山見てきた。ミイラ事件をまねようとしたグタグタ遺体事件とその容疑者ヒトオ・サシタ。彼が心神喪失状態なのと、なぜか彼が釈放されたというのも怪しい。それからあの恐ろしい「下田歌劇団」も怪しすぎる。考えてみれば怪しいものはたくさんあった。三十年以上も同じ事件を捜査しているセラビさんも、それから、信用できないコビテ刑事も、それに、この旅館の経営者一家だって怪しい。どうしてみんな名前が目に関係しているんだ!

 モオルダアの頭はだんだん混乱してきて関係のないことまで考え始めている。あまり混乱して、考えても何も出てきそうにないので彼はもう一度「お宝ビキニ写真」のページを開いて眺めていた。モオルダアの混乱は「お宝ビキニ写真」の効果で次第に収まってきた。それから、彼はもう一度「セミ神様」の記事を読んでみた。今度は1度目に読んだ時よりも冷静に読むことが出来た。読み終わるとモオルダアはもう一度ボイスレコーダにてをのばした。

「ダイアン。ボクは重要なことを忘れていたよ。貧困生活から一転して富と権力を手に入れた警察署長がいたことを。しかし、あの警察署長のところにいきなりミイラ事件の捜査をしにいくのは問題がある。もし署長が事件と全く関わりがないと解れば、エフ・ビー・エルの信用は地に落ちることになるだろう。ただ、助かるのはあの釈放されたヒトオ少年がまだ署長の家に滞在しているということだ。ヒトオ少年の状態を調べるふりをして署長の所へ行って、いろいろ聞き出すことにしよう。それでもし、署長に怪しいところがなければ、また捜査は振り出しと言うことになるかも知れないが、そうなった時に容疑者として挙げられるのは、やはり・・・」

モオルダアがここまで喋った時にボイスレコーダの録音ランプが消えた。どうやら電池切れらしい。

「何だよまったく。買ったばっかりなのになあ。ボクの素晴らしい全捜査の記録を残しておく予定だったのに」

こうつぶやいてから近くのメモ帳に手を伸ばした。続きは手書きにするらしい。モオルダアは「容疑者は下田歌劇団だ!」とそこに書いた。その後、彼はまた「お宝ビキニ写真」を眺めていたが、いつしかそのお宝ページを枕にしてそのまま眠ってしまった。

12. 署長室

 署長は大きな革張りの椅子にゆったりと腰掛けている。予想どおり、前にはコビテ刑事が神妙な感じで座っている。コビテが署長に呼び出されてから、二人は会話のないまましばらくこうして二人で向かい合っていた。コビテ刑事はあまりこういった沈黙は気持ちのいいものではないと感じていたが、彼の方から署長に話しかけることは滅多になかった。コビテはこの署長から自分の将来を約束されている。そして署長はみだりに話しかけられることを嫌っているのも知っている。署長の機嫌を損ねるようなことをするよりも、こうして息が詰まりそうな沈黙に耐えている方が賢明なのだ。やっとのことで、署長が口を開いた。

「どうだねコビテ君。ミイラ事件の犯人は捕まりそうかね?うん、うん」

「いいえ、署長。今のところはまだ何とも言えません」

「そうだろうねえ、コビテ君。気味は犯人逮捕などどうでもいいと思っている。そうじゃないかね?コビテ君。うん、うん」

「いいえ、署長。私も刑事として犯人逮捕には全力を・・・」

「うん、うん。嘘をつくことはないよ、コビテ君。キミはそれでいいのだよ。利益の追求、それこそが人間としての正しい姿だよ。コビテ君。キミのやっていることは正しいのだよ。うん、うん。それよりも、コビテ君。あのエフ・ビー・エルの二人はどうしているのかね?何か新しい手掛かりでも見つけたりはしていまいね?うん、うん」

「いいえ、署長。彼らはまだ『下田歌劇団』が怪しいと思っているようです。男の方が彼らの家の前で張り込んでいるのを目撃しました」

「うん、うん。そうかね。コビテ君、キミはこれからまたミイラ事件が起こると思うかね?」

「いいえ、署長。先日のグタグタ遺体事件で最後かと思われますが」

「うん、うん。そう思うかね。でもエフ・ビー・エルがあの歌劇団の捜査をしている最中に別の所でミイラ殺人事件が起こったとしたら、彼らは何らかの形で責任を取る必要がありそうだねえ。違うかね?コビテ君。たとえばあのセラビ刑事みたいにねえ。うん、、うん」

これまでずっと伏し目がちに署長と喋っていたコビテ刑事はチラッと署長の目を覗き見た。

「署長。もしかして署長はミイラ事件に関して何かをご存じなのではないでしょうか」

「たとえ話ですよ。コビテ君。うん、うん。キミも私も正義とは無縁の者同士。ライバルや邪魔者には消えてもらった方がいいだろう?コビテ君。うん、うん、うん。それではコビテ君。また必要になったらキミに指示を出すから、その時は頼んだよ。うん、うん。そうしていれば私がキミの望むものをキミに与えるというのだから。楽な仕事だとは思わないかね?うん、うん。それではもう行ってよいぞ。うん、うん」

「はあ、署長。それでは失礼します」

 コビテ刑事は浮かない顔をして署長室をあとにした。廊下を歩きながら、コビテは考えた。子供の頃、彼の夢は警官になって悪いヤツを捕まえることだった。そして、その夢を大人になるまで変わらずに持ち続け、そして警察に入った。しかし、その夢が叶った時、コビテ刑事の内面はすっかり変わっていた。人は大人になるまでに沢山の悪を目にし、悪知恵を身につける。人はそれを処世術とよんだりもする。コビテも他の人間と同様にその処世術を身につけていった。しかし、彼は胸の中にある「警官になる」という子供の頃の純粋な夢だけは、世の中の悪から守ってきたつもりだった。そして警官になって夢を叶えた。そうなるともう彼には守るものはなくなったのであろうか、彼の中には彼が身につけた処世術しか残っていなかったのである。コビテ刑事は立ち止まった。私は署長が言うように「正義とは無縁の男」なのだろうか。彼には解らなかった。彼に解っているのは署長なしに今の彼の地位はなかったということだけである。

「署長が無いと言えばそこには正義などないのだ」

コビテ刑事はこういう結論を出すと、薄暗い廊下を歩き始めた。


to be continued...

2004-08-10
the Peke Files #007
「サマータイム(第二話)・下田歌劇団」