「サマータイム(第三話)・セミ神様」

10. 続・(優秀な)女スパイ

 下田歌劇団員の住むアパートに侵入したもののあっさり見つかってしまった自称優秀な女スパイのアイ。半分女の団員達に周りを取り囲まれてしまった彼女はどうやってこの状況を脱するかを考えていた。ここが優秀な女スパイの腕の見せ所。アイは自分の知っているスパイ映画や小説で優秀な女スパイがどうやってこういった危機を切り抜けていたのかを思い出そうとしていた。しかしそれよりも前に一人の団員があることに気付いたようだ。

「あらいやだ。あなたは宿屋のヒトミさんの娘のアイさんじゃない?」

これを聞いて他の団員達はかわるがわるアイの顔を覗き込んだ。

「あら、ホントねえ。あなたいったい何やってるのよ。遊びにくるんなら連絡してくれればいいのに。あなた、この部屋は女人禁制よ。早く向こうの部屋に行かないとあなた殺人罪ですよ。うふふふ。それにしても、あなた随分大きくなって。ヒトミさんの若い頃そっくり」

アイは団員達の言葉をきょとんとして聞いていた。彼女は知らなかったが、彼らは宿屋親子のことは良く知っているらしい。アイは団員達に捕まって椅子に縛り付けられたりすると思っていたのに、期待はずれの感じがしていた。これでは全然女スパイらしくない。彼らは女アレルギーの団員をその部屋に残して、別の部屋へと移った。

 アイは出された麦茶を飲みながら団員達にここへ忍び込んだ訳を説明した。団員達は興味深そうに彼女の話を聞いていたが、彼女の口からモオルダアの名前が出ると彼らは大笑いした。アイは半分女のおじさん達人に叱られると思っていたが、彼らも久々の来客が嬉しいらしく、みなにこやかであった。ただし、アイの服装やケバい化粧は似合わないからやめろと言っていた。両親や教師のような人からそんなことを注意されても絶対に聞かないものだが、こういう半分女に言われると妙に納得する。アイもそれには黙って頷いていた。

 団員達は素直なアイを気に入ったようで、この後もかなり長い間彼女と話を続けた。彼らの話を聞くと、どうやらこの下田歌劇団の団員達と宿屋の女将ヒトミはかなり親交があったらしい。それは女アレルギーの団員がヒトミに叶わぬ思いを抱いているためだけではなかった。一番年下の団員はヒトミと同い年であるようで、高校までずっと同じ学校に通っていたらしい。ヒトミがその団員に惚れていたという話になった時には部屋の中はかなり盛り上がった。何も知らぬヒトミに自分が半分女だと言うことを説明するのにはかなり手間取ったと言うことだ。

 この後も彼らは巡業先での出来事などをアイに聞かせてた。アイも興味を持ったらしく楽しそうに聞いている。部屋の外では女アレルギーの団員が彼らの話に耳を傾けていた。この女スパイの不意の訪問を一番喜んだのはこの団員だったかも知れない。彼は昔のヒトミそっくりのアイを見て胸をときめかせていた。でも始めは彼女の侵入で死ぬほどの思いをしたのだが。彼は時々そっと部屋の扉を開けてアイの顔を見つめていた。彼女の顔を見ていて、女アレルギーの団員はまた愛の詩を思いついた。


美しい

親子二代で

美しい


また変な詩ですが、彼のつもりにつもった感情が現れている?いない?まあ、どうでもいいか。

 彼らの話が終わった頃にはもう辺りはすっかり暗くなっていた。アイはまた遊びに来ると彼らに約束をしてアパートを出ることにした。彼女が玄関を出る時、女アレルギーの団員は彼の部屋に避難して道路に面したその部屋の窓からからアイを見送った。彼女が玄関を出てからも女アレルギーの団員の視線はしばらく彼女の後をおっていた。彼女が玄関を出てしばらく歩くと彼女のそばに一台の車が止まった。

 アイのすぐ近くでその車は停車した。アイが何事かと思って車の運転席を見ると中には警察署長がいてニコニコしながら窓を開けた。

「あっ、警察署長さん」

自称優秀な女スパイのアイはこの警察署長の顔も知っていた。というよりも、彼女の家が旅館ということもあってちょっとした盗難などの事件があった時には警察の世話になるので、彼女もこの署長には何度か合ったことはあるのである。

「ああ、良かった良かった。うん、うん。キミのお母様がねえ、きみが帰ってこないと心配してねえ。私に連絡してきたから、探していたんだよ。うん、うん。家まで送ってあげるから乗りなさい。うん、うん」

アイはこの時間に家にいないことはしょっちゅうあるので、どうして今日に限って母親が心配するのか疑問に思ったが、ここから家までの距離を考えると車で送ってもらえるのはありがたかった。アイは署長に言われるまま車に乗り込んだ。

 女アレルギーの団員は部屋の中からずっとこの光景を見ていたが、アイが署長の車に乗るのを見て、急に顔色を変えた。

「おい大変だ!アイさんが誘拐されたぞ!」

この団員は普段、男の喋り方をするようだ。そんなことはどうでもいいのだが。この団員の言葉を他の団員達は良く理解できなかった。しかし、女アレルギーの団員はそんなことも気にせず部屋を飛び出し、外に止めてあった原付のバイクにまたがると車の後を追いかけた。

 他の団員達が訳も解らないままアパートの外に出て遠ざかっていくバイクを眺めていると、そこへスケアリーとセラビが到着した。スケアリーとセラビが団員達から状況の説明を聞くと彼らは妙な胸騒ぎを覚えた。

「お嬢さん。もしかして誘拐というのは署長の仕業かな?」

スケアリーはお嬢さんと言われて喜んでいる暇はなかった。

「もしそうだとしたら、行く場所はやっぱりあのお社かしら」

二人は再び車に乗り込むと山の中の社へ向かった。彼らの車を団員達の乗ったワンボックスが追いかけてくる。どうしてだか解らないが、多分オモシロ半分だろう。車の中では団員達が妙に盛り上がっていた。

11. 上り坂

 山の上の社へ続く道路をモオルダアがとぼとぼと歩いていた。彼は山の上までスケアリーに送ってもらう予定だったのだが、車中で例のボイスレコーダを取り出してくだらないことを録音し始めたので業を煮やしたスケアリーに車を追い出されたのである。一緒に乗っていたセラビは何とかスケアリーを説得しようとしたのだが、彼女のもの凄い剣幕には太刀打ちできなかったようだ。

 山の上まではまだかなり距離があった。モオルダアが息を切らせながら坂道を歩いていると彼の携帯電話が鳴った。

「もしもし。モオルダアさん」

それはコビテ刑事だった。

「モオルダアさん。ボクは重大な間違いを犯していたようです」

「そりゃそうだよ。ボクらの捜査を邪魔するなんて、それは重大な間違いに違いないよ」

モオルダアはコビテ刑事の言うことには耳をかさないつもりのようだ。

「モオルダアさんに大事な話があるんです。電話では言えませんから、これからボクと合ってくれませんか」

「コビテ刑事。あなたの話を聞いてもややこしくなるだけですから」

かわいそうなオオカミ少年のコビテ刑事。何を言っても信じてはもらえないようです。

「そんなことは言わずに。聞いてもらえないと、あなた方も大変なことになるんですよ。いいですか、あの署長は・・・。きゃーたすけてー・・・」

コビテ刑事が叫んだ後、ガリガリという耳障りなノイズが電話機から聞こえた。しばらくすると電話が切れた。

「またこれだ。まったくあの刑事は何を考えてるんだか」

モオルダアが一人でつぶやいていた。彼が何を考えていたのか、もう知ることは出来ない。このときコビテ刑事は大型トラックにひかれて即死だったのですから。ひいたトラックは現場から姿をくらまして、以後の捜査でもこのひき逃げ犯は捕まらなかった。署長が何者かに命令してコビテ刑事を殺害したのだろうか。まったく恐ろしい話です。

 コビテ刑事のこの勇気ある行動も死んでしまっては何の役にも立たなかったのである。しかし、もしモオルダアが彼の話を聞いたとしても、この時すでに署長は若女将アイを連れ去るための行動を開始していたので、それが意味のある行為だったかどうかは解らない。

 モオルダアは首をかしげながら携帯電話をしまって、また坂道を歩き始めた。辺りはだんだん薄暗くなっていた。モオルダアが何気なく空を見上げると薄明かりの中に存在感のない月が見えた。まだ辺りが明るい中でかすかに輝く月を見ると普通の人には存在感が無いように見えるのである。しかし、モオルダアはその月を見てなぜかに気になるところがあった。モオルダアが一度立ち止まってその色の薄い月を眺めて開いると、その月は署長の家の神棚にあった三日月型の神具とちょうど同じ形であることに気がついた。

「あっ、今夜だ!」

モオルダアは慌てて坂道を上り始めた。月を見て彼の少女的第六感はセミ神様に生け贄を捧げる日が今夜であると彼に教えたのである。モオルダアは必死になって坂を登っていたが社にたどり着くにはかなり時間がかかりそうである。

 現在の暦というのが太陽の動きを元にして作られているというのは良く知られていることである。つまりそれは月の満ち欠けとはほとんど関連性がないものである。これまでのミイラ事件の発生日が現在の暦の上で一致していなかったのはそのためのようだった。モオルダアのように運と直感だけで捜査をしていると、そういったところにはなかなか気付かないようである。しかし、運はまだ彼に味方をしている。モオルダアは駆け足で坂を登っていた。

 社がある場所までもう少しというところに来た時にはもう、辺りは真っ暗になっていた。モオルダアの横を一台の車が猛スピードで通りすぎていった。それはまさしく署長とアイを乗せた車だったのだが、お互いにとなりを通り過ぎていったのが誰であったのかは確認できなかった。

12. 車中

 下田歌劇団のアパートで楽しい会話の後で署長の車で家まで送ってもらえると思って喜んでいた若女将アイであったが、車が家とは違う方向に進んでいると気付いて、彼女は急に不安に駆られた。

「あの、署長さん。私の家へ行くにはさっきの信号を曲がらないといけないんですけど」

「うん、うん。大丈夫だよ。この道を行った方が近道なんだよ。心配しなくていいからねえ。うん、うん」

署長は嘘を言っている。アイには解っていた。彼女の家に行く道は一つしかないのだ。他のどの道を通っても近道などあるはずがない。署長がニヤニヤしながら運転しているのを見て、アイはゾクッとして鳥肌を立てた。この人は私に何か恐ろしいことをしようとしているに違いない。

 車は赤信号で一度停止した。周りには何台かの車が止まっている。逃げるなら今しかない。アイはそう考えてロックをはずすとドアを開けようとした。しかし、それよりも先にガンという音がして、再びドアにロックがかけられた。運転席では署長がニヤニヤしながらアイの方を見ている。

「いけませんよ。運転中はドアを開けたらあぶないですよ。うん、うん」

署長はアイが逃げだそうとしていたことを解っていたようだった。アイは窓を力一杯叩いて隣に止まっていた車に助けを求めようとした。しかし、署長の車の窓ガラスはそんなことではびくともせず、必死にガラスを叩いても、ほとんど音は外に聞こえない。隣の車を運転していた男はアイが何かしていることには気付いたが、それが助けを求めているのだということは解らなかったようだ。アイがふざけて彼に手を振っていると思ったのか、彼もアイの方に手を振ってその後は関わりたくないといった感じで、前を見たままだった。信号が青に変わると署長は凄い勢いで車を発進させた。

「署長さん。近道なんていいから、早くうちに帰して」

アイは泣きそうな声で言った。何も言わずにニヤニヤしながら運転を続ける署長を見てアイは、この人は自分を殺そうとしていると感じていた。彼女の知っている映画に出てくる殺人鬼というのはこんな感じなのだ。何とかしなければいけないと思いながらも怖くて何も出来ない。アイは自分を優秀な女スパイだと思っていたが、こういうリアルな恐怖に直面すると何も出来なくなってしまう。どこかにこういう優秀な捜査官というのがいたような気がするけど、まあいいか。今はそれどころではない。

 アイが恐怖のために何も出来ずにいると車はほとんど人気のない山の中へ入ってきた。彼女は周囲の状況を見て、このままではきっと殺されてしまうに違いないと思った。アイは勇気を振り絞って行動に出た。それは彼女の理想とする優秀な女スパイの行動とはかけ離れていたが、彼女にはそれしかできなかった。

 アイはハンドルを握る署長の腕に思い切り噛み付いた。署長の腕にはが食い込み、血と汗が混ざった気持ちの悪い味がした。キャアーという署長の悲鳴と伴に車が大きく車線をはみ出し、もう少しのところでガードレールにぶつかりそうになった。署長は何とか車を元の車線に戻すと、腕を振り回してアイを突き飛ばした。

「あなた、死にたくなかったらおとなしくしていなさい!」

これはアイではなく、署長の言葉である。署長はせっぱ詰まると半分女の本性を現して女みたいな喋り方をするようだ。署長はポケットから拳銃を取り出してアイに突きつけた。アイも銃を向けられては何も出来ない。署長はこの状態のままさらにスピードを上げて山の上の社を目指した。

 この緊迫した雰囲気の中で車は坂を登るモオルダアを追い越したので、車の中からは彼の存在には気付かなかった。しばらくして車は社の前に到着した。

13. 社

 モオルダアが社の近くまで来ると、さっき彼を追い越していった車が、道路をふさぐようにして止めてあった。中には誰も乗っていない。モオルダアが車の脇を通り抜ける時にボンネットからムッとする熱気が感じられた。車は相当なスピードでここまでやって来たようだ。

 モオルダアが社の近くまで来ると、その前に人影が見えた。彼はモデルガンを取り出してその社の前の人物にそっと近づいていった。そこにいたのは署長で、彼は社に向かって手を合わせて拝んでいる様子だった。

「署長、やっぱりあなたでしたね。生け贄はどこにやったんですか」

署長は背後から突然声をかけられて、ビクッとして振り返った。見るとモオルダアがモデルガンを彼に向けて立っている。

「おやおや、モオルダアさん。びっくりさせないでください。うん、うん。あなたはこんなところで、何をしているんですか?あの歌劇団は捕まえたんですか?」

「捕まえるのは歌劇団ではなくて、あなたです」

署長はこう言われてもニヤニヤ笑っている。

「うん、うん。いったい私が何をしたと言うんですか?」

「もう、あなたのしていることは解っているんです。生け贄はどこに隠したんですか」

「何のことだか解りませんが、あなたがこんなところでモタモタしていると、今頃はセミ神様があなたの大事な人を捕まえているかも知れませんねえ。うん、うん」

「大事な人?あっ、署長。もしかしてあなたは『お宝ビキニ』を生け贄としてここにつれて生きたんですか?」

署長は首をかしげて「お宝ビキニ」というのが何なのか考えていたが、そんなことは解るはずがない。

「さっき、ここに宿屋のアイさんがいたんですけどねえ。どこかへ行ってしまいましたよ。うふふふふ」

モオルダアは辺りを見回した。これまでもここがミイラ遺体の発見現場になったことはなかった。きっとここまで署長がやってきて生け贄を放すと逃げ出した生け贄が山の斜面を降りていく。元来た道は車が邪魔になって通れないから、生け贄は山の斜面を降りていくのだろう。その途中で誰かが待ち伏せていて生け贄をミイラにするに違いない。

「そうか、共犯者がいたのか」

「そんなものはいませんよ。モオルダアさん。全てはセミ神様のなさること」

モオルダアは署長の言うことなどほとんど聞いていなかった。早くアイを見つけないと、ミイラにされてしまう。モオルダアは降りていけそうな斜面を探してその方向へ向かおうとしたが、署長がモオルダアの前に立ちはだかって彼に銃を突きつけた。

「モオルダアさん、いけませんよ。うん、うん。どうやらあなたを生かしておくのは危険なようだ」

「署長さん。そんなことをしたら、さすがのあなただって捕まりますよ」

「うん、うん。そう思うかね?でも私は警察署長ですよ。あなたを消すぐらいは簡単ですよ。うん、うん。第一あなたはモデルガンで私を脅している。そんな精巧に作られたモデルガンを突きつけられたら、私が本物と間違えてもおかしくありませんねえ。うん、うん。もし私があなたを撃っても正当防衛ですねえ。うん、うん」

モオルダアのもっといる銃がモデルガンであることは始めからばれていたようだ。モオルダアは恥ずかしそうにそれをしまった。署長はモオルダアに銃を向けたまま続ける。

「ああ、そうそう。こういうのはどうです?あなたを撃ったのがセラビということにするんです。実はミイラ殺人の犯人はセラビで犯行の邪魔をするあなたを殺したというのは。うん、うん。なかなかドラマティックじゃありませんか。うん、うん。それにあなたはきっと英雄になれますよ。うふふふふ」

どうやら署長は本気でモオルダアを撃とうとしているようだ。モオルダアは怖くなって少しずづ後ずさっていく。どうしよう、どうしよう。モオルダアは何とかしたいと必死になって考えていたが、頭の中には「どうしよう」しか出てこない。もう終わりかと思っていると、誰かが署長の後ろにさっと現れて署長の背中に銃を突きつけた。

「署長さん。そろそろ年貢の収め時ですぜ」

それはセラビから連絡を受けてやって来た警官だった。グタグタ遺体事件で包丁を発見して、警察署では処分される寸前の捜査資料を盗み出した警官である。

 署長は観念して銃を捨てた。

「あなた、警察の人間ね。こんなことをして、ただですむと思ったら大間違いですわよ」

署長は興奮して女の喋り方になった。

「とうとう、正体を現しやがったな」

警官はそういって署長に手錠をかけた。モオルダアはこの「おいしすぎる」役どころの警官のことを眺めていたが、そんなことをしている場合ではないことを思い出した。この山の斜面の途中でアイが捕まっているのかも知れないのだ。

「キミ、ここは任せたよ。ボクは生け贄を探してくる」

モオルダアがそういってその場を離れようとしたが、やはりちょっと気になった。

「ねえ、キミ。キミはそんなにおいしい役なのに名前はないのか?」

「名のるほどのもんじゃございやせん」

まったく最後の最後までおいしい感じだ。それにしてもこの話では、重要な人物の多くの名前が明らかにされていませんが・・・。まあいいや。そんなことよりも早くしないと、アイさんが大変なことに。